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Posts Tagged ‘臭覚’


10月18日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 18th, 2021  Posted 12:00 AM

10月18日 先負(己亥)

『香気としてのデザイン』

もっとも端的には
フランス語での趣味は
臭覚が核心である。

artificial heart:川崎和男展


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10月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 16th, 2021  Posted 12:00 AM

10月16日 先勝(丁酉)

『香気としてのデザイン』

さて、
味覚に対して、
臭覚とは
美学的な感覚に
なるのであろうか。

artificial heart:川崎和男展


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11月05日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 5th, 2017  Posted 12:00 AM

11月05日 先勝(丙申)

感覚には、
直接的・現実的な感覚と
間接的というか、
仮想的な感覚がある。
特に、仮想的な臭覚、
未来を嗅ぎ取る感覚を
センスという。

川崎和男の発想表現手法


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11月03日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 3rd, 2017  Posted 12:00 AM

11月03日 大安(甲午)

センスは磨くことではありません。
センスって、基本は臭い・香りです。
だから、臭覚なのです。
臭覚は磨くことなどできません。
臭覚はまず、良い香りを知ること。

川崎和男の発想表現手法


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『酒、現在はジンの効能性=社会的存在価値について』


   


     7月 1st, 2017  Posted 12:00 AM

私は車椅子生活、そして心臓障害にまでなり、
心臓の手術(また大きな手術あり)も2回受けていますから、
すっかりと、もちろんのこと酒もタバコも辞めてきました。
が、60歳を過ぎてからは(もういいだろう)ということで、
タバコは葉巻に、酒はドクターと話をして「仕方ないか」とかで、
時々、このブログでも書いてきました。
そうしたら、結構、叱られていますが、年齢のことも考えれば、
もはや、葉巻は勉強して資格をとろうかとまでなりましたが、
これは絶対駄目とのことで、なんとか他の方法を「文化的」に考えています。
酒も、もちろん日本酒、焼酎、ウィスキー、ワインとかを結局は雑学的に
自分の知識とともに自分でなじませてきました。
結局、ワインはフランスでプロから特別に教えてもらったこともありますが、
洋酒は現在は「ジン」=蒸留酒でのジントニックを数種確かめて、
おおよその検討をつけています。
さて、ここで問題ですが、酒は古今東西、酒の文化での酒という効能、
その社会的な存在性を再考する必要があるようです。
無論そこにはパッケージとラベルというデザインが効能性に関わっています。
残念なことに、最近は焼酎や日本酒にはデザイン、特に、効能性の価値が
歴然とブランドデザイン戦略としては
絶対にデザイン無しでは考えられない事態になっています。
まぁ、ワインのあり方はあのボトルとラベルがありますが、
バックボーンにはワインづくりメーカーのブランドがあります。
結局、社会的なブランドの性能性という価値を再考すれば、
簡単なことは、「酒は売れれば売れるほど、それはアルコール中毒」を
結局増やすことになるわけですから、
性能は味覚や臭覚に直結しています。
では酒の機能性は何かということになりますが、
それはまったく関与無しと考えるべきでしょう。
私は「日本酒から人工臓器まで」と
デザインが「口紅から機関車まで」を
言い換えていたことがありますが、
まだまだそこにプロダクトデザインの必要性などは日本では語られません。
ところが、ある焼酎メーカーでは見事にデザイナーが関与して、
ブランドイメージ、即、経常利益と社会還元をしています。
そういうわけでは、現在、英国中心のジンという蒸留酒のブランド、
その効能的なデザイン戦略は見習うことがあるようです。

* 『メセナフィランソロピーが「ジン」酒造企業ではどうか』
* 『パトローネが文化を再考察させるデザイン戦略』
* 『ドクターウォッチ・アプリのバージョンアップ』
* 「酒とタバコと、そして・・・」
* 「Business Modelの義は善であり、美に包まれている」


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『香りのデザイン、フレグランスデザインがある』


   


     5月 25th, 2017  Posted 12:00 AM

私が車椅子になってふるさと福井で、
最もデザイナーを多く抱えていた時期があります。
それは伝統工芸にインダストリアルデザインを導入し、
福井という田舎から東京で評価され出した頃です。
総勢が17名もいた頃があります。
丁度その頃、クレヨンしんちゃんの街から、
「春日部の桐」を利用したモノづくり企画がありました。
その作品の一つにスタッフから、
「アロマセラピーの時代が来る」との発想があり、
スタッフ全員で取り組んだ経験があります。
当時も桐の作品にそうしたモノを提案出品しましたが、
全く評価はされませんでした。
それがやがて、ローソクはアロマキャンドルとなり、
そして今ではルームフレグランスという商品分野が確立されました。
現在、私はDESIGN TOKYOの審査委員長として、
この展示会には出品そのものがを数ヶ月かけて審査をします。
出品できるかどうかは5人の審査が入ります。
最終的にはNew York・MoMAからも審査委員が入ってグランプリを決めます。
これは比してGマークよりも商品としてはヒットをします。
さて、その中でここ数年、ルームフレグランスが数多く応募されています。
無論、アロマ系の様々なインテリア小物がメーカー多種あることに仰天です。
しかし、私には本当に進化していると感じ取ることができません。
だから私は細やかな進化は採用しますが、落選させることが多いです。
アロマセラピーとか、室内に「香り」が現代はこれほど求められているのは、
おそらく、人間が自然から遠くに離れていったからなのでしょう。
小学生が遠足に出かけて、菜の花畑で
「家のトイレの臭いだ」と叫んだ話を耳にします。
それは魚の魚切り身と海の実物が結びつかない現代性だと思います。
私自身、フレグランスと言えば、香水は収集もしました。
しかし、今ではもうほとんど自分の香りを見つけています。
だから、香水ブランドで新製品が出れば必ず店頭で確かめています。
デザイナーにとって、それはファッションデザイナーにとっては、
「香りを纏うこと」がデザイナーの名声の表れでもあるのです。
多分自分は工業デザイナーですから、
香水デザインは出来ないでしょうがデザインしたい分野です。
ともかくアロマ系、インテリアのフレグランス、室内の消臭などには、
デザイン教育でも「香り」=臭覚系はカリキュラム化が必要だと思っています。
フランスの鉱山学にはこの分野があります。

*画面の写真はGoogle画像から任意に選んだモノであり、
 ©は商品それぞれにあります。

* 「1980年代のデザインと伝統工芸産地の活動」
* 『知ったとしても、ダンディズムがあると思う!』
* 「春日部での桐工芸産地とのこと」
* 『DESIGN TOKYOでの「PROTO LAB」を充実させる』
* 『センスの有無?は、香りか臭いかだと思う!』


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02月23日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 23rd, 2017  Posted 12:00 AM

02月23日 先負(辛巳)

感覚では、五感があります。
視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚です。
視覚は、人間では一番遠く、
何光年も先の星が見えます。
私にとっては、
聴覚と触覚が、感性の決め手だと
決定しているのです。

川崎和男の発想表現手法


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『空間へのdolly的な隠喩性という手法』


   


     4月 11th, 2016  Posted 12:00 AM

コンセプトからの発想はすでに限界があります。
僕は「ライン」=lineという概念・観念・文脈の
統合的な手法を提案しています。
まず、その最初に「Scope」という思考空間の設定を行います。
現在のスコープはプログラミング言語としても、
変数や関数、言い換えれば変動、変異、関係、関与性を定義していますが、
それは思考空間を視覚化していく隠喩性の表現です。
まず、思考はどこ「から」どこ「を」を対象にしているかということです。
それは視点がふたつあることを示しています。
どこからというeye-pointがあり、
どこをみているかというview-pointがあります。
ところがこの点と点は視線:あたかも眼差しというview-lineができます。
そしてこの眼差しを動かしていくことをdollyという言葉を手にいれました。
dollyはComputer Graphicsで新しい用語になったのだと思います。
これは僕自身がトロント市でCGのトレーニングで
初めて知って驚愕したのです。
これは視覚化を一つの隠喩として、
聴覚・触覚・臭覚・味覚という感性に
性能と効能と機能を設計し企画・計画デザインになります。
以上のことからも、明確に思考空間・感性空間・論理空間、結局は空間への
接近性の定義化と考えていいものと思います。
手法として、デザインがモノ空間あるいはコト空間を
スコープはきわめてライン的な発想を隠喩として、
定義化そのものを変動:dollyさせていると考えています。

*『視覚空間は存在しないことを認識する必要がある』
*『思考無き概念解放無きデザイン手法ありえず』
*『デザイン対象としての空間に出逢う』
*『コンセプトからイノベーションは起こらない』
*『やはり「かたち」に、これがデザインの鉄則』


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「アンプジラ・パワーアンプ(電質)の音響聴覚」


   


     12月 21st, 2011  Posted 12:00 AM

「食通」とは味覚が優れているという言い方です。
しかし、これには大きな誤解があるというのが定説です。
つまり人はその人の味覚のホメオスタシス的な定常性が、
14歳までの食習慣で決定すると言われています。
私は多分、五感覚=視覚・聴覚・味覚・触覚・臭覚も、
幼少からの環境で決定づけられると思っています。
それは「刷り込み」=imprintingと同値だと言ってもいいでしょう。
私は美大時代から本格的なオーディオマニアになっていきましたが、
当然ながら東芝総研(現・ 東芝中央研究所)の音響研究所、
そしてAurexの製品開発によって聴覚は鍛えられました。
当時市販されているほとんどの音響システムを
聴きつくすほど贅沢な期間でした。
そんな中で特に自分がイコライザーアンプ直結のパワーアンプ選びで、
あらゆるアンプを聴き比べた結果、一台のアンプが私を打ちのめしました。
それは当時GAS社の
ジェームス・ボンジョルノ氏設計のパワーアンプでした。
そして数年前大阪に来てから、彼の新作AMPZILLA2000に出会ったとき、
私の聴覚コントロール機器は決定しました。
おそらく私の生涯は彼のパワーアンプ以外は
ありえないとまで納得しました。
スピーカーシステムに送り込まれる寸前の音響を
電流・電圧による「電質」で制御するのは彼の思想表現です。
だからといって、ただ信奉するだけでなく、
冷徹に他のアンプも聴き分けを試みることにしています。
それでも、やはり彼の音響設計に戻ってしまいます。
このアンプよりはるかに高額なモノであっても、
彼のこのシンプルかつ大胆な設計思想が最高です。
単純には電圧昇圧させるトロイダルコイルスタイル、
ただしこの巻き方はJBLのスピーカーコイルにも通じています。
取説には、万一、感電事故になっても個人責任と書かれている製品です。
製品とはこうあるべきです。個人責任に使い勝手をゆだねることです。
したがって、家庭用の電流と電圧50Hz・100Vも、
定流電源装置とメディカルコードでこのアンプを支えています。
ジェームス・ボンジョルノ氏的な発想を引用すれば、
音響だけではなく、多分、映像も、
定電源装置までの気遣いが感覚を支えると判断しています。
つまり、私は電力には電流と電圧という「質」があり、
もし、これを「電質」と呼ぶならば、
これは私たちの五感にも大きく影響していると考えています。

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『資本主義からの逃走』
    「 視覚空間は存在しないことを認識する必要がある」


   


     10月 21st, 2010  Posted 12:00 AM

感覚空間

空間を形容すれば、何々空間という言い方は可能です。
そして、何々空間に対しての空間認識があるでしょう。
その空間認識に対して、形態認識が付随、
あるいは認識の対象性=情報認識があるということが理解可能です。
人間の五感に対応することでは、五感・感覚空間が存在しているということは認識可能です。
しかし、視覚=実際に見えるという空間は、
実は不在であり非在であることを明確にしておく必要があります。
喩えるなら、「かたちというかたちは存在していない」ということに等しいわけです。
つまり、「視覚空間」という言葉を与える空間があるのだろうか、ということです。
「視覚空間」は無いと断言していいでしょう。
次元空間
というよりは、視覚能力は無限という次元空間ですから、
この空間には「視界」という言葉が与えられます。
人間の視覚能力は、他の聴覚・触覚・臭覚・味覚にはそれぞれに対応する空間、
その設定や仮説化は、感覚空間と呼ぶことで仮設化可能です。
しかし、視覚は実際は何万光年という次元空間=宇宙を「見る」ことが出来ます。
そこで私は、「視覚空間」という言葉ではなく「視界」という
次元的な言葉があてがわれていると考えてきました。
「視界」に存在する物・モノ・ものを認識するためには次元空間の認識が必要です。
万一、「視覚空間」という表現をするとするなら、
レトリック・メタファー・アナロジーとして運用することは許容されるでしょう。
視覚の要点・要素・要因
けれども、「視界」という言葉の存在を認識することは、
空間認識とさらに形態認識を区分したり分別するために、まず、次の手続きが必要です。
視覚は、視点・視線・視座・視野・視界という空間認識の要点や要素で成立しています。
視覚構造と呼んでおきます。
視点は、必ず二つ存在します。
どこから(eye-point)=視座であり、どこを(view-point)があります。
その二つの点によって視線=まなざしができます。
そのまなざしが要因となって変動する=dolly(CGでのカメラ視線術語)軌跡や対象空間が、
視野であり視界という空間です。
この空間に形態の存在・非在・不在が具体的な形態認識です。
仮想空間
情報空間には、視覚空間はありえず「視界」となる情報空間の設定によって、
初めて空間認識、さらに形態認識ができるということです。
そこで、抽象的なあたかも視覚認識できうる形態認識は、
あくまでも仮想空間=Virtualityであって視覚空間では無いということです。


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