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Posts Tagged ‘美大系’


『工業デザインなら、鉛筆デッサンと理科系は必要』


   


     8月 4th, 2021  Posted 12:00 AM

最近は、いくつかの美大系や建築系では、
「実技系の鉛筆デッサンと理科系が無くなっている」。
私は医学系だったので、美大受験は超簡単でした。
しかし、美大は実技が無く、文科系になっています。
特に「工業デザイン」に、
もちろん、実技の鉛筆デッサンと理科系は
「必須」だと思っています。
「遊」「エピステーメー」「へるめす」「SD」は
すでにありません。廃刊です。
「エピステーメー」の銀色の表紙を買った時、
私はズーッと泣きました。この難しい書物な本を
読んでいたことに感謝しました。
私は医学部も受けましたが、
布を、金属、コップは一応描きました。実技は駄目でしたが
こんな優秀なのを選ぼうと大学人になって知りました。
そして今でも読めるのは、下部の書籍です。
「数理科学」は美大でも読みました。
デザイナー界で「尋ねられた」のは3人だけです。
「大学への数学」は主に数学?の積分微分で、
ちょうど受験時代に創刊でした。
「季刊Ichiko」をこれほど難しい書籍は、
河北秀也氏の本当がやり、もう15年なのです。
とっても困難なのです。「読みやすい本」などは要りません。
これらが今も読めます。
さて、今月は「笛」です。
工業デザイナーで「寸法」が「笛」であり、
その事を「知らないのが9割」います。
これはいづれ書きたいと思っています。


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『デザイン領域の「統合」による安全・安心・防災・防犯』


   


     4月 18th, 2016  Posted 12:00 AM

美大でデザイナーの教育を受けた自分にとって、
デザイナーにはデザイン技法の習得が絶対的な身体技命令でした。
社会人デザイナーとしては企業で、その身体技をさらに研磨され、
それ以上にモノづくりの技術と営業を仕込まれました。
やがて、国内外でそれなりのデザイン活動をしてきました。
大学人として、産業美術学科から芸術工学科へ、
デザイナーとして、時代と社会対応は、文理と学術・芸術の統合から
自分のデザイン領域を、大きく4つ生み出しました。
デザイン理工学・デザイン医工学・デザイン文理学、そしてデザイン政経学
幸いにして総合大学ではこの統合化を成し遂げることで、
産業・技術・環境・文化が明確に見えていました。
ところが、March.11 2011の天災と人災は、
さらにデザイン領域での目標と目的を詳細化してくれたのです。
それは、「安全」・「安心」・「防災」・「防犯」でした。
この四つを産業・技術・環境・文化に再配置するには、
文科系+理科系と学術系+芸術系を組み込まなければならないと気づき、
かつて「コンシリエンス」と「レジリエンス」を問いかけたことば、
それこそ「コンシリエンスデザイン」を定義化する必然性ができました。
すでに、美大系・工学系・教育系ではデザイナー養成は困難を知り、
世界や、地球、これからの社会や時代が、
デザイン、デザイナーへと要請する実務が見えてきたのです。
あらためて「コンシリエンスデザイン」が
「安全」・「安心」・「防災」・「防犯」を創出すると確信しています。

*『何がデザイン思考かは終わったのだ』
*『危機解決学としてのコンシリエンスデザイン』
*『自分に何ができるかという死生観』
*『コンシリエンスとレジリエンス』
*『「ふだん」・「まさか」安全と安心は相対的でしかない』


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12月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 16th, 2014  Posted 11:46 PM

12月16日 辛酉(仏滅)

デザイナーはこれまで、
美大系
教育系
工学系と言えども
どちらかというと「文系」的な
資質が主体。

私は、
まず「理系」であり、
理系からの学際性で
文系までの資質が必然だ。

「危機解決をめざすデザイン実務」


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『資本主義からの逃走』
 *「数学と物理とデザインと」*


   


     10月 11th, 2010  Posted 12:00 AM

数「学」と物「理」
美大系へ進学するのは、特殊な「ひと」。
今もそのいわば常識のようなことが蔓延しているようです。
私も出身高校に、浪人後、美大に合格したと報告に行ったとき、
職員室で、どよめきがありました。
「ウソだろう、なぜなんだ、なんで美大なんだ」と言われました。
その反響に私自身が驚いたほどです。
問題は、数学とか物理というのは、「理系」であり、
「理系」と「文系」、この種別を日本の高校で決定しようという制度になっていることでしょう。
無論、職能として「数学者」や「物理学者」、
いやもう少し広範囲に「数学系学者」と「物理系学者」にとって、
それぞれの「専門」としての数学と物理は、先端系=未知探索へ向かっています。
さて、それならデザインにとって、
数学と物理がどこかでしかも無意識的かもしれないほど介在している概念があるかもしれません。
私は、数学の「学」と物理の「理」、つまり、学と理に注目してきました。
焦点連鎖の「次元」
結果、数学的に焦点化していることと、物理的に焦点化していること、
それはそれぞれの差異が明確である概念として、「次元」がその焦点だ、とみてきました。
次元=dimensionです。これもいづれ「デザイナーとして」整理します。
このことに気づいたのは、
EWSというコンピューターと出逢った時からの印象的な、私なりの一つの結論です。
デザイナーは「かたち」=形態を造形化する職能です。
ただし、デザインもすでに「デザイン系」と言うほど拡大と拡張をしています。
かって、インダストリアルデザインが「口紅から機関車まで」と言われました。
私は、「日本酒から人工臓器」とか、「タワシから原子力」など、
様々なフレーズで、デザイン系の広がりをあえてアジテーションしてきました。
こうしたフレーズの中でデザイン対象となる形態・空間に、私は「次元」を置いています。
その理由は、数学的次元と物理的次元の差異性・同等性には、
基本的な思考軸が「学」であり「理」だと思うからです。
学際化の超「次元」
そしてこの「学理」の学際化にこそ、
デザインが寄与する役割は「空間・形態・次元」の連鎖系にあるものと推察しています。
ところがデザイン以上に、
現代アートは先んじて、いとも簡単に超「次元」的、主観的な連鎖表現をしています。


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