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Posts Tagged ‘米’


『ホエーブスに自炊は頼っていました』


   


     8月 6th, 2019  Posted 12:00 AM

この季節になれば、ついつい山の道具が気になります。
高校まで山岳部に所属して、この時期は夏合宿でした。
本当に山の道具の進歩は目まぐるしいです。
大学時代は空手部を途中で辞めて、
出来たばっかりの山岳部でかなりの時間を山に注いでいました。
懐かしの登山道具、オーストリア製のストーブです。
一気に大学時代の思い出が広がります。
今も昔も、炎の色は変わっていませんが、
今主流のカートリッジ式ではなく、
灯油やガソリン式の重たいストーブでした。それに加え、
米と燃料を常備し、登頂時にはキスリングを持ち上げました。
美大の学生達、東京藝大・京都市芸と金沢美大みんなが、
夏の剣岳にいました。
そして、ホエーブスで煮炊きをやって山合宿を過ごしました。
私の料理経験は、このホエーブスでの山の料理、
そして浪人時代はコッヘルで自炊をしていました。
「なぜ山に登るのか」ですが、
それほどまでに心身ともに極限の状態を過ごした日々が
私を鍛えてくれたことは確かです。
懐かしい思い出です。

キスリング


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『「炊く」を事例に、再度、IoT・AIの美しさを』


   


     10月 21st, 2017  Posted 12:00 AM

日本人はお米を食べます。
それはご飯を炊いての日常的な主食です。
私は山岳部時代は飯盒炊飯から浪人時代はコッヘル炊飯で、
お米を炊く、という手続き、手法を覚えました。
また東芝時代のデザイン部長I氏は、
日本で最初の電器釜(左)を間近で見、
日本人の主食、そのお釜のスタートを知りました。
最近は、電気製品も産業経済的には、
電気炊飯器の様々な工夫やマイコン制御など、
もう本当に大変な競合を見ています。
また、伝統的には、鋳物鍋から陶器鍋など、
これらも大変な「ご飯の美味しさ」競争をしています。
自宅ではワイフは、真空電気炊飯器から陶器鍋から、鋳物鍋なども、
料理での「炊き」分け方をしてもらっています。
そして、私は毎年の電気釜や単純な陶器から鋳物、
さらには新素材適用を見ています。
おそらく、今ではお米毎の炊き方までが制御されている時代です。
主食ゆえの炊き方器がこれほど選択肢の豊富さは日本独特でしょうが、
中国や韓国からも日本製の素晴らしさはアジア圏には
すっかり定着もしてきました。
しかし、最初の電気釜は、主食炊飯の問題解答でしたが、
現在の全ての炊飯器は「応答」商品、あるいは「回答」商品だと思います。
したがって、デザインするという造形言語でのデザイン意図と、
デザインされている形態言語ではデザイン内容を、
私は改めてもう一度、炊飯器のもっともっと発明から解答商品が、
全世界の料理体験=料理の四辺形にデザインが関与すべきと思っています。
そして、これは炊飯器を事例にしていますが、
インダストリアルデザイン、プロダクトデザインにおいては、
電気炊飯から素材毎炊飯だけではなくて、
いわゆるIoTやAIでの技術革新がデザインそのものに関係していると
私は判断しています。
書き置きますが、技術革新がイノベーションではありません。
正直、デザイン、デザイン判断での商品価値での
私が最も大事な美しさがIoT・AIとの関わり方が
さらにデザインのデザインが希求されていると判断しているのです。

* 『お米という簡素で簡潔な美しい主食文化』
* 『温故知新から不易流行の「IoMeT」へ』
* 『美学性を語れる講師を「KK適塾」は選ぶ』
* 『盤という人類文化にAI相手は無意味である』
* 『「天然物」?という価値観を確認する』


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『お米という簡素で簡潔な美しい主食文化』


   


     3月 6th, 2017  Posted 12:00 AM

お米と言えば、「コシヒカリ」ですが、
この米が福井県農業試験場が創ったことはあまり知られていません。
私はこう言います。
「コシヒカリ」は最高であり、魚も最高、カニも最高、
それが北陸であれば、福井の魚が富山湾で捕まっただけであり、
カニも「セイコガニ」の二級品が
マツバガニ、コウバコガニと言い切ります。
京都には魚を鯖街道で送り、奈良のお水とりも福井から送っている、
五か条のご誓文を書いた東京府知事も
由利公正と「ふるさと計数」が高い人間です。
そこで、
日本の「お米文化」は「日の丸弁当」「卵かけご飯」「握り飯」が、
世界で最高の主食であって、それこそ、梅干し、卵、焼き海苔は、
決定的な栄養バランスがあるということです。
それこそ道元・永平寺(福井)による応量器から典座教訓こそ、
人間道のあり方そのものと考えます。
それこそ民藝作家と言われた黒田辰秋の漆仕上げのお櫃は、
漆黒の中に白米に緑の海苔が振りかけられた美しさは、
日常に常に配置しておきたいと思う美しさです。
お米・梅干し・卵・海苔という
絶大な組み合わせの簡潔さを確かめるべきには
毎年、コシヒカリから様々な商品ブランドが生まれています。
しかし私には納得がいかないネーミングが多いと言っていいでしょう。
お米と炊飯器の技術進化はとてつもなく素晴らしいのですが、
なんとも、インダストリアルデザインでは素晴らしいのは
3点程度しかありません。
祖母がこれ以上きらめく炊きあがりのご飯は、
お釜の底にはマムシが一匹入れてありました。
これは偉大な知恵であったと思いますが、その当時の知恵生活こそ、
はるかに「豊な日本の時代」だったと思い返します。

* 『お米は合鴨米か、コシヒカリ』
* 『米=日本人のエネルギーの素、誤魔化す事は犯罪だ』
* 「甲殻類アレルギーでも、蟹は食べる!」
* 『四句分別にある明解な「的」は曖昧性を強化する』
* 「ふるさと福井の偉人たちへの敬愛あるのみ」


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『日本のお米は素晴らしい!・北海道からのお米』


   


     11月 11th, 2013  Posted 12:00 AM

私は「コシヒカリ」が福井原産であり、
その最高性を常に語ってきましたけれど、
そうしたらなんと、北海道の親友から、
「北海道だって、どうだ!」とお米が届きました。
こうなれば、食べ比べなければなりません。
早速に、その食べ比べをしました。
「うまい!」、の一言です。
なんのことはない、
日本のお米の最高基準はすべからく美味いのです。
ともかくお米の最高の炊き方にはいくつかのコツがあるでしょう。
なんといっても、炊きあがった時には、米粒は立っていること。
さらに最高の炊き方は、今はもう伝説ですが、
「まむしをお米の下において」そして炊くのです。
この炊き出しのお米はもう食べることができません。
幼少の頃、祖母がそうしてくれたことを夢の如く想い出します。
だから、若からし頃には、登山途中で、まむしを捕まえること、
このことをいつも考え、まむしを捕まえることに夢中でした。
先般も、タケフナイフビレッジでは、鶏や小動物の捌き方を
懸命に話をしてきましたが、もはやその時代は伝説です。
ともかく、私がブログでお米の話に挑んできた北海道の親友、
当然デザイナーですが、彼からは大量の北海道産が届きます。
そういえば、今年は雨量が多くて、蕎麦は福井でも北海道産です。
最近は、名産品を地方それぞれが工夫を凝らして、
それぞれの地方特色を「技術化」しています。
これは偽装ではありません。
私は「日本の農業の技術交換の革命」だと思っています。
問題は、そのことを明確に「情報化」することだと思います。
日本の農業技術は新たな地方交流により「世界一」のはずです。
少なからず、日本それぞれの最高ランクのお米は美味い!
この一言だと思います。
「農業技術」が最高技術になってくれることを願っています。


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『お米は合鴨米か、コシヒカリ』


   


     10月 2nd, 2013  Posted 12:00 AM

コシヒカリ、元来は福井県産の努力の賜でした。
新潟特産は大きな間違いです。
だから、私は、福井県産コシヒカリと、
石川県で、元スタッフが丹精込めてつくってくれた合鴨新米です。
当時、私はスタジオすべて、Macintosh XLをサーバーにして、
全スタッフがMacintosh 512Kをデザインツールにしていました。
Macintosh XLというのは、LisaのスタイルのMac版でした。
そして、社内LanはMouse Exchangeが中心環境でした。
この管理は私がしていましたから、
スタッフの通信はすべて読むことが可能でした。
しかし、それはほとんど無視していましたが、
あるとき、二人のまったく意味不明なやり取りを見ました。
それでも、それは二人の合図程度と思っていましたが、
結局、二人は結婚してしまいました。
紆余曲折いろいろありました。
なにしろ、相手がデザイナーともなると結婚なんぞという考えは、
相手の親御さんには致し方なく、
私が説得することもありました。
彼らは夫婦と成って、デザインを教える立場ですが、
折角ある稲作りを彼は覚えてくれました。
そして、この季節になると、毎年の出来映えを教えてくれます。
そうした話を聞く度に、日本人にとってどれほど、
「お米の大切さ」を知らされます。
そして、残念なことは、田植えから始まり実りの秋まで、
米作り労働対価はまったく現代経営とはかけ離れていることです。
特に、コシヒカリ、合鴨米の労働対価はつりあっていません。
日本人にとって、米作りは、新たな労働評価経済軸が必至です。
そして、日本の米作りはすでに高度な文化づくりゆえに、
新しい経済主義によって、米づくりと国づくりは一致している、
その思想づくりをやるべきと考えます。

 


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「LSIに封じ込められている。だから、Don’t let me down!」


   


     5月 27th, 2013  Posted 12:00 AM

確実に「自分だけを信じ込む」こと。
正直、私の想像力、直感、断言する予知は、
世界が気づくまでには10年はかかるのだろうと思っていました。
フランツ・カフカに自分が魅せられたのは、
「職業」と社会、彼らの大きな教会観はそのまま、
私には産業・企業・デザイン界が社会観と同値でした。
2004年にこの作品を発表し、
2006年には金沢市に買い上げられましたが、正解だったことを、
現在はとても強く、あらためてやっと叫ぶことができます。
わが国は、いつまでもLSIが、
産業の「米」=日本の資源だという錯覚を捨てるべきです。
もし、現代文明の諸悪の根源を上げるとするなら、
アトムとビットの関係、その根底にある集積回路=LSIです。
もし、今後も日本の「米」にするには、
マイコン発想と設計には日本人が必務だったように、
再発想と再設計をし直すモノになってきたと思います。
フランツ・カフカの有名な「変身」の書き出し、
「朝、起きると私は虫だった」、というのがありますが、
むしろ、それよりは「流刑地にて」が参考になると思います。
この物語りに登場する「図案家」をデザイナーとすれば、
なぜか、自分に覆い被さる気がします。
人間は感情に支配されればされるほど、
陰の世界に閉じ込められます。
感情=陰という中国的な解釈は見事に当てはまるのですが、
感情の陽性化=Don’t let me down!でLSIに取り組み直すことです。
私は、これまでいつも10年先を突っ走っていると自覚し、
思い切り、時代と共時できずに落ち込みますが、
実装設計の現場に問題をデザインで提示しながら、
なんとしても、わが国こそ「革新をリード」できる国だと、
思い続けてきました。
電子回路が複雑、つまり、私たちの電子への要望が強まれば、
そのままに、LSIは発熱します。
10年前の予測、自分の未来感への予知は的中していたようです。
これを解決出来る胆識が、
今の日本には、残念ながら非在だと言わざるをえません。


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