1月15日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
1月 15th, 2022 Posted 12:00 AM
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1月 19th, 2012 Posted 12:00 AM
Tags: 1998年, アルビ, エネルギー問題, ガードマン, シルクスクリーン, デザイナー, デザインの役割, デザイン貢献賞, デモ隊, トゥールーズ, パーティー, パート収入, ハグ, パリ, フケ, フランス, フランスにおける日本年, ローカル, ロートレック, ロートレック美術館, 中世の城, 体臭, 入院, 公的義務, 冒険気分, 切腹, 削減, 原版, 収蔵庫, 国立鉱山大学, 地上, 地下道, 城, 墓地, 変貌, 大人しい, 大震災復旧, 失業率, 完全失業率, 就業形態, 崩壊, 市場, 市民デモ, 強行, 手当, 抗議, 抗議活動, 抵抗, 拉致問題, 政治, 政策化, 救急搬送, 施行, 日本, 日本人, 晩餐会, 朝市, 沖縄問題, 派遣社員, 消費税, 渡仏, 猛反対, 生活保護, 病院, 症状, 看護婦, 知事公舎, 社会就職システム, 積極性, 経済と文化, 美しい環境, 美人, 美術館, 行政改革, 街, 視察, 講演, 議員定数, 車椅子, 選択, 頭髪, 騒動
Posted in 企望を「までい」具現へ, 祈望から企望へ
7月 31st, 2010 Posted 12:25 AM
生産・消費・廃棄・回収・再生産
私はデザイナーなので、「スケッチ」が資本と主張してきました。
能力や才能が資本になるという、ひとつの具体的なシンボル例です。
マルクス時代は、あくまでも生産と消費の構造は「工業社会」でした。
ところが現代は脱・工業化社会として「情報化社会」が「情報社会」になりました。
しかもその進化は、生産と消費から、
「生産・消費・廃棄・回収・再生産」というサイクルが必然となっています。
結局工業社会での生産物が消費物となるためには、
「情報化」としての消費が待ち受けています。
つまり、
生産・生産情報・消費情報・消費、廃棄・廃棄情報・回収情報・回収、
再生産・再生産情報という具合に、
「情報化」が割り込んでいます。
ということは、「個人的な能力」あるいは「才能」も、
まず「情報化」されなければ「能力も才能も資本」にはならないということです。
したがって能力や才能には、
「情報」に対する個人的な=自己の管理力と統合力が
希求されていることは間違いありません。
1980年代から急速にパソコンやモバイルなどデジタル機器が、
その情報の管理と統合を支援しています。
すでに30年で、たとえば、インターネット・ユビキタス・スマートホン、
そしてクラウドという情報基盤の中で、
まさに生息している自分と対峙することを要求されています。
この30年、「情報基盤」の進歩は、私たちの想像を超越しています。
そんな中で、自己を生息させることへの積極性と消極性は
各自、二分されてしまったようです。
積極的と消極的な逃走訓練
「情報化」の脅威、
「情報化」の虚偽、
「情報化」の性善、
「情報化」の性悪、
この四句分別への正当さを自分自身の日常的な生活態度に出来ないかぎり、
私たちは生息していくことはできません。
それはとりもなおさず、自己能力の情報化訓練です。
だから、私は「情報化訓練」=「資本主義からの逃走訓練」だとさえ思っています。
Tags: インターネット, シンボル例, スマートホン、クラウド, デジタル機器, パソコン, ユビキタス, 個人的な能力, 再生産, 四句分別, 回収, 廃棄, 性善, 性悪, 情報化, 情報化訓練, 情報基盤, 才能, 消極性, 消費, 生息, 生産, 積極性, 統合力, 脅威, 自己の管理力, 虚偽, 逃走訓練
Posted in 040「デザインとスケッチ=資本」, 資本主義から逃走せよ!
7月 7th, 2010 Posted 12:00 AM
つつしむ直感
「感情」ではなくて「感性」の領域に、私は慈愛とつつしみを置いています。
これを精神論と捉えることは、「事の本質」を見誤ります。
まず、「感情」と「感性」の差異性は明確に、歴史的な論理検証をしてきました。
そして、「感性」の中で、
「直観」=「直感」を「つつしみ」にまで結びつけようということになります。
ただし、これは「直感」を、
デザインという職能で発揮できる資質は限定されていることは否めません。
自己判断、自己修練、自己啓発によって「つつしみ」ある能力と態度が求められます。
「つつしみ」は、「感性」、ある意味では「精神性の発露表現」です。
ところが、現代のわが国では、「つつしみ」は積極性を控え、謙譲的であって、
この感性を忘却、もしくは喪失していると言っても過言ではありません。
つつむ
「つつしみ」は「つつむ」ことにその由来があります。
包む限りは、より大きな空間=空なる世界観で、包含し、内包させる機能を示唆します。
これを「インクルーシブ」と言います。
ここから前述した「インクルーシブ・デザイン」に連続させることができます。
すなわち、私が決定的に表現する「つつしみの使い勝手」、
それは「つつしむという性能+効能=機能」だと考えるわけです。
これは精神性をも包み込む態度です。
この態度あるいは姿勢を、日本人デザイナーは取り戻すべきだというのが私の主張です。
乱暴な主張、そのスローガンが、
「コンセプト不要」=直感の強化で即表現というデザインプロセスの採用ということです。
私たち、日本人は、確かに工業時代でのデザインによる産業経済効果と効用によって、
わが国は豊かであり、自尊心を持っていました。
しかし、ポスト工業時代と情報化時代に入ってからも、
「手法論の大転換はできなかった」のです。
「不景気感」に覆い尽くされているわが国は、 不景気=depression=鬱病です。
精神的破壊を疾病的に抱いているなら、そこから再生還すべきでしょう。
「つつましく」あることは、鬱病的疾病に対しては、二つの効能があります。
■ 積極性より消極的心情・精神性の強化を意味しない。
弱さを否定せずに優しさを自己獲得する。
■ 自己主張をつつしむ=饒舌性を放棄することを容認。
「直感」は何人も否定しない効果と効用があることを共有。
正直、私自身の「つつましさ」は想像できかねることも自白しておかなければなりません。
それでも、「コンセプト」で語らずとも、
「直感」での造形・形態・価値づくりをする自信と自負心はあります。
この自信と自負心は、決して、私の精神性ではありません。
もし、精神性を背景にする方法は、唯一、「日常的連綿性」を果たしていくだけです。
そういう意味では、ここに、ブログをただ「想い」を記録していることは、
「直感で包まれている自分」を自分から離脱しながら見詰めることができるのです。
何事かに包まれている自分には、
つつまれていることの認識が「つつましさ」の芽吹きを感じることは間違いありません。
Tags: depression, インクルーシブ, インクルーシブ・デザイン, コンセプト不要, つつしみ, つつしみの使い勝手, ポスト工業時代, 不景気感, 内包, 効能, 包含, 姿勢, 性能, 情報化時代, 感性, 慈愛, 態度, 日常的連綿性, 機能, 消極的心情, 産業経済効果と効用, 直感, 直観, 積極性, 精神性の発露表現, 精神論, 能力, 自分から離脱, 自己修練, 自己判断, 自己啓発, 自己獲得, 謙譲的, 資質, 饒舌性を放棄, 鬱病, 鬱病的疾病
Posted in 036「つつむ・つつましさ」, 資本主義から逃走せよ!
7月 3rd, 2010 Posted 12:00 AM
つつましさ
「慈愛」は「優美」でなければならないと述べてきました。
「優美」であることが「慈愛」の基本だとも。
「優しい」というのは、決して目立たないつつましさ、
日本的な謙譲心に満ちあふれていることです。
「つつましい」という言葉があります。
この言葉の意味も大きな勘違いが現代起こっています。
それは、「つまらない物ですが」という会話言葉です。
「つまらない物」などを人に贈与すべきではない、という批判です。
しかし、この「つまらない」とは「つつましい」ということが原意です。
「つつむ=包む」という動詞系からの形容詞と考えます。
「つつましくて、身も細るほど恥じらう物ですが」という意味であり、
ここに日本人の目立たずの奥ゆかしさがあります。
品
これを、谷崎潤一郎が定義した「品」・「品性」・「品格」にあります。
欧米からの「自己主張の優先」ということが「積極性」と同義となって以来、
日本人の奥ゆかしさ=優美さ=目立たせないこと、
こうしたことは否定的な傾向に押し込められたものと判断します。
比して、私なども、「目立たす=顕示性」があることは否めません。
したがって、「優美さ」という言葉には、この顕示性をはぎ取る力が、
日本の伝統的美学であることを私自身思い起こす必要があります。
日本の「優美」と「慈愛」には、
顕示性を否定するベクトル、その質を再検討しなければなりません。
それは、日本の戦略、日本の資源、すなわち「資本」化すべきだと考えます。
ヒントは、「つつましさ」です。
包む
「包む」という系譜から、
日本は「包む文化」です。風呂敷の文化と言い切ってもいいでしょう。
対して、欧米の「詰め込む文化」は、缶詰や腸詰めなどを思い起こせば、
「詰め込み型」の短所は明白になります。
あらためて、「包む」・「包み込む」、
その慈愛の優美さを「資本戦略」が求められていると判断します。
結局、「優美さ」を隠匿できる「資本」を発見しなければならないということです。
Tags: つつましい, 優しい, 優美, 優美なる慈愛, 包む, 品, 品性, 品格, 積極性, 缶詰, 腸詰, 自己主張, 谷崎潤一郎, 隠匿, 顕示性, 風呂敷
Posted in 035「哀しみの美しさ=慈悲・慈愛」, 資本主義から逃走せよ!
4月 4th, 2010 Posted 12:01 AM
結論
私は三つの実存的な認識論をデザイン手法の背景にします。
循環性
まず、イノベーションは、単なる「技術革新」というのは、
ひとつの局面的な解決行為であり、解決方向でしかありません。
本来の意味には、経済=経世在民を維持するための意欲、
その活性化、それは循環性でした。
簡潔に言い切れば、「景気」という日常感覚の社会生理感であり、
そのままの実存性で語れば、「生きがい」や「働きがい」です。
したがって、再度、なぜ技術革新と直結しているのかといえば、
技術・技・術という行動規範や意欲活性化の方法と思います。
私たちの環境の要因には、
物質・情報・エネルギーが要素、その基軸性があります。
それぞれの軸性が、
活動的な時間性や経年性が加われば、要因化します。
この要因化へ向かう循環性がイノベーションと理解可能です。
アポリア
ところが、この循環性を遮断し、
到底維持も実行も不可能化することを「アポリア」と言います。
もし、循環性=生きがい・働きがいの停止は「死」に至ります。
実存的には、絶望であり、死に至る病と言われました。
現実、技術進化は常に「遮断性」が待ち受けています。
循環性の停止が不可避事態が発生します。
その時の姿勢は二つしかありません。
積極性と消極性
その事態への積極性と消極性です。
この極性から考えれば、
技術を受け入れるか、技術を拒否するか、の二者択一です。
最も顕著であるのは、
エネルギー技術論に反映していることは明らかです。
積極性の分離対決こそ誘発因
その実例が、「原子力運用」に関する賛否両論議の熾烈さです。
原子力技術は、問題解決をアポリアとする消極論と、
問題解決の技術推進への積極論は、
問題解決の技術停止への積極的な反対論が、積極論を分離しています。
私の判断は、この原子力技術の推進・対・反対という積極性、
この対立が、イノベーションの反発誘発だと考えることこそ、
最も知的なデザイン手法が主導するイノベーションの、
レトリック、あるいはメタファーとなるものと判断しています。
デザイン態度
したがって、デザイン態度、すなわちイノベーション支援は、
技術革新への姿勢としてのデザイン手法を明確化する、
その分離積極性の有無こそ、結論だと思っているわけです。
エネルギーによっての、物質と情報へのデザイン手法が、
現在最も論議を決着し、緊急的な具現化の創出が求められているということです。
デザインによってのみ、イノベーションの誘発は、
いわゆる文理融合であり、分離融合とさえ断言できます。
Tags: アポリア, イノベーション, イノベーションの誘発, イノベーション支援, エネルギー, エネルギー技術論, デザイン態度, デザイン手法, メタファー, レトリック, 不可能化, 不可避事態, 二者択一, 働きがい, 具現化の創出, 分離積極性, 分離融合, 原子力技術, 原子力運用, 反発誘発, 問題 情報の循環性, 問題解決, 基軸性, 姿勢, 実存性, 実存的認識論, 対立, 循環性, 情報, 意欲, 意欲活性化, 技術を受け入れるか, 技術を拒否するか, 技術革新, 推進・対・反対, 文理融合, 日常感覚, 時間性, 景気, 極性, 死, 死に至る病, 活動的, 活性化, 消極性, 消極論, 物質, 環境, 生きがい, 私の判断, 積極性, 積極性の分離対決, 経年性, 経済=経世在民, 絶望, 背景, 行動規範, 要因, 要因化, 解決方向, 解決行為, 誘発因, 賛否両論議, 軸性, 遮断性, 顕著
Posted in 020「物質・情報・エネルギーとイノベーション」, 資本主義から逃走せよ!