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Posts Tagged ‘知恵不足’


『ふるさと福井はまだまだ恐竜の聖地になれる』


   


     9月 22nd, 2015  Posted 12:00 AM

私の記憶では勝山市北谷で、恐竜の小指発見が、
わがふるさと福井を恐竜の街にしたようです。
昔、恐竜の本物を米国の自然史博物館で観ました。
その圧倒的な巨大さがありましたが、
現在はデザインされた妙な展示で面白さが消えています。
そういう意味では、ふるさと福井駅に着くと、
正直、金沢駅の華やかさは全くなくて、
まさに田舎街ですが、「ここまで恐竜か」と驚きます。
先般も「羽二重」織物工業の青年部会指導に帰ってみると、
工事現場の看板にまで用いられ、
様々な恐竜には「フクイなんとかザウルス」まで、
どんどんと発見されているようです。
そして恐竜博物館は、ボランティア組織での運営など、
新たな博物館のあり方としては注目。
全国の小学生男の子たちには「聖地」が勝山市だそうです。
私も一時期は恐竜の名前や図鑑を一通り完読。
男の子にとっては、
とめどない古代への夢のロマンあふれる恐竜たちです。
最近では、羽毛もあったとか、まだ恐竜の実在的な色彩も不明ですが、
アルゼンチノサウルスやディプロドクスの巨大さは、
長さが30mで100tとか聞くと、これは船舶と同等の大きさに感じます。
今は自宅には唯一のティノサウルスが一頭います。
いわゆる巨大動物は象やキリンやカバ程度でも
彼らの大きさは実感できますが、
こうした恐竜たちが生きていた時代となるとそれは想像を絶します。
勝山市北谷近辺は加越国境の山々が、大長山から烏帽子岳などが、
白山山系の手前にあり、高校時代にはすべて縦走しています。
今でも白山手前への加越国境の山々はすべて名前と、
高校時代に縦走していた思い出が重なります。
この縦走訓練が、
大学時代の後立山・立山・剣岳それから針ノ木峠に出て、
そこから一気に大町駅に下ることを4年間やっていました。
私が高校時代には勝山市北谷ならば、イワナが捕れる山系でしかなく、
まさか、この勝山市が恐竜の中心地となって、
福井県が恐竜の街として、これほど私が帰省するたびに、
ここまで恐竜で語っていると思うほどですが、
プロのデザイナーとして、地方活性のシンボルとするならば、
まだまだ知恵不足なことは確かなようです。
もっともっと、「恐竜の聖地」になっていってもらいたいものです。


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「ブリューゲルが描いた盲目の人たち」


   


     7月 2nd, 2012  Posted 12:00 AM

目の不自由な方・盲目の人を描いています。
この絵画には二つの意味があると言われています。
すべて盲目の人たちが列を成して歩いていると、
池の中に落ちてしまう、という構図です。
これは、盲目の人の行動を描いたわけではありません。
健常者が無知なまま行動すれば、
それも無知な健常者の集団が行動すると、
とんでもなく、まるで池に落ちるように、
大失敗するという、その教訓的な意味の表現です。
そして、もう一つは当時、盲目の人には、
これだけの種別があるという表現です。
まず、先天的な盲目の人と後天的な盲目の人、
それぞれの容貌が描き分けられていて、
当時の特に後天的な眼病の結果表情があるらしいのです。
まさしく、教訓的な意味の絵画性=教訓性は正解です。
というのは、特に、先天的な盲目の人は、
決して池に落ちるわけがないのです。
余程、健常者の人の方が、
見えず、感ぜずが確実に多いはずです。
白杖一本で、自分の歩行環境を感得する能力は、
健常者の人よりはるかに高いと思います。
ブリューゲルは、盲目の人たちが池に落ちるという表現、
それは無知なる健常者こそ盲目だということを教訓として
ずばり描き切っていると言うことです。

これは世界盲人会連合で1984年に制定された、
視覚障害者の人たちが安全やバリアフリーを考慮された
環境・機器・設備から信号機、書籍に表示されています。
しかし、このマークの機能性は私には不明です。
健常者に向けての注意喚起・思いやりの発揚でしょうが、
私はもっとデザイン精度を上げる表現知恵不足を感じます。


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