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Posts Tagged ‘理想主義’


『資本主義からの逃走』
  「資本主義で民主主義を防衛している大きな錯覚」


   


     1月 6th, 2010  Posted 8:00 AM

錯覚

民主主義は、近代市民権で最高かつ最大の理想主義?。
私はそうは思っていません。
民主主義はある意味では、
「無血革命」での勝利成果なのでしょうか。
そうだとするなら、
「革命」は、民主主義の体制下では不可能だと思います。

だから暴力的な「革命」を私は望んでいるわけはありません。
なぜなら
「革命」と「革新」は、まったく意味が異なっています。
「革命」というだけに、「いのち」がかかっています。
「革命」は血が流れて「痛い・苦しい」はずです。
そんなのは嫌です。
「痛い・苦しい」というのは、
私はどれほど体験してきたことでしょうか。
だから、
民主主義は本来、決して、
痛かったり、苦しかったりでは無いはずです。
ところが、人生・生涯には、痛みや苦しみがあります。
それを民主主義が全て解放してくれるわけではありません。



「革命」の革という象形文字は、解体された獣の皮です。
「ピィーン」と張った「革」に刃物を入れることが、
「革命」・「革新」の「革」を表示しています。
私はもう一度、問い直します。
民主主義は語られれば語られるほどの理想主義でしょうか。
絶対に「民主主義」が大きな隠れ蓑になっていると思います。
その隠れ蓑を補強してきたのが資本主義かもしれません。
そろそろ、民主主義が民衆主義を言い換えている、
その事実をあぶり出す必要が私はあるとさえ思っています。
資本主義と民主主義の狭間に常に起こっているのが「錯覚」。

私はこの「錯覚」を見極めてこそ
「美」・「義」・「善」が、
やっと自分の表現に込められると考えています。

美・義・善


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『資本主義からの逃走』
 *「かたち=か・かた・たち・かちという代謝性」*


   


     12月 15th, 2009  Posted 9:00 AM

かたち」という言葉を身体化する「いのち」が、
多分、私の生涯になるということは明確です。
次のマトリックスが、私の身体を包んでいます。
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そして、
重要なのは、「か」・「た」・「ち」という平仮名です。
これらの平仮名には由来の漢字=表音性と、
漢字=表意性が日本語には備わっています。
そうした、1文字の組み合わせが、
それぞれの意味と発音によって、
包括性=inclusive性があり、「かたち」の創出である
デザインの意図は、この「包括性」と「要素」に、
根源・由来・原義から効用と効果が求められています。
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「か・かた・かたち論」は、代謝建築論によって、
「かたち」、日本の美学機能を語られました。
私も、学生時代にこの「思考」によって、
デザインの「方」=方向を教えられました。
それからデザイナーとしての経験と医学にて、
「代謝」という「身体生理」で「かたち」の
隠喩性をすべて解放できたと考えています。
いわば「代謝デザイン論」がまとまりました。
結果、私のデザイン、デザイン造形での、
性能性・効能性・機能性を「実務」効果として、
究極の「人工臓器」にまで「かたち論」になりました。
「実務の無い」デザイン論は、「論」でもなく、
まして「学」でもありませんが、
昨今はそうしたことを「デザイン学」と言う傾向です。
こうしたことがデザイン教育だというのは、
「罪悪」であり、「美学」は決して生まれません。


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『資本主義からの逃走』
  「資本主義の偽善さと善良さの対決」


   


     12月 3rd, 2009  Posted 8:00 AM

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経済の偽善さは「資本主義」を纏っています。
そして、見事に展開していくのです。
「ドバイ・ショック」が今度は襲いかかってきました。
日本人は、国内は「性悪説」の国家となりつつも、
国際的には「性善説」、
それを演じて生き延びるつもりなのでしょうか。
これは、見事に、「資本主義+民主主義」の
まことしやかに「敗戦」をひきずっているからです。
逃れる策略=designが不可欠です。

さて、「ドバイ」は、黄金の国家というイメージ戦略が、
成功していました。
しかし、あの国は「貿易商品の廃棄場」だったのです。
もし、あの国に貿易商品が流れついたら、
それは、もう、「廃棄品」という烙印を押されたということです。
そのことに詳しい経営者が、
なんとわが国には少ないことだったでしょうか!

サブプライム・ローンは、貧しい労働者をだましましたのです。
そこで、リーマンショック!です。
ドバイ・ショックは、富める有資産家への詐欺でであり、
彼らの動向はまったく不明ですが、
あらたな恐慌の形式と質が変容したのです。
このハリケーンがトルネードのごとく
襲いかかってきている日本では、
「デフレ・スパイラル」に善良な市民は巻き込まれています。

「偽善」と「善良」を分別するには、
「民主主義」を見直すことでしょう。
その基盤が、「資本主義」に乗っかっていることに、
もう一度、目を向けない限り、
わが国のこのささやかな資源無き領土で、
私たちは息絶えることになります。

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私のまなざしはいつも、
デザイン」という理想主義で、
「偽善」と「善良」を分別することにしています。


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『資本主義からの逃走』
  「資本主義から離脱してきたデザイン」


   


     11月 26th, 2009  Posted 8:00 AM

私は金沢美術工芸大学の出身です。
「産業美術学科・工業デザイン専攻」でした。
明らかに、
産業=資本主義への献身性への教育です。
「インダストリアリズム」=工業下意識主義を
下敷きに「デザイン」を学びました。
しかし、決して、
産業美術的な教育を受けたわけではありませんでした。
それが、大きな財産となっています。
常に、「トレーニング=身体性でのデザイン技術」の
習得と「理想主義としてのデザイン美」でした。
いわゆる実技は、「平野門下生」として、
徹底的に「身体化」されてきました。

●デザインストローク
●スタイライゼーション
●フィッシュボーンプランニング
●ジョイントワーク
●ファスニングシステム
●レタリング

自作モデリング、がほとんど「平野門下生」が、
基礎・基本としてマスターさせられました。
したがって、
本当に「造形デザインが出来るデザイナー」は、
こうしたトレーニングを身体化できた連中だけです。
日本の少なからず、産業デザインで、
「商品デザインの造形」は、このトレーニングを
受けた者だけ、というのが私の持論です。
しかし、
インダストリアリズムの終焉とともに、
「デザイン職能」は、時代的に大きく変貌しています。
私は、産業デザインとは、
「欲望の刺激装置」と言ってきました。
つまり、「欲しくさせる装置を仕組むデザイン」です。

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「インダストリアリズムの終焉」という副題で、
私は「プラトンのオルゴール」という著作と、
展覧会をしました。
1994年のことです。

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1994年・ギャラリー「間」での「プラトンのオルゴール」個展

2006年、この個展でのインスタレーションは、
「作品」・「スケッチ」・「展示計画」が、
金沢21世紀美術館に永久収蔵されました。

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2006年の永久収蔵から2008年一時常設展

1996年、名古屋市立大学芸術工学部が新設。
この芸術工学部では、
「産業」を「健康」の基盤にする「デザイン」でした。
89年・ベルリンの壁崩壊。
91年・ソビエト崩壊。
こうした時代変遷の予測は、
私はすでに、美大で「産業美術学科」でありながら、
柳宗理先生、平野拓夫先生
平野先生は最初の国費デザイン留学生であり、
Gマーク制度創設者の一人によって、
「身体的に」たたき込まれていたと考えます。


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『資本主義からの逃走』
 
*なぜ「神の国」を、
それは資本主義・日本の骨子だからです*


   


     11月 22nd, 2009  Posted 9:00 PM

「資本主義からの逃走」を書き始めたのは、
日本人として、デザイナーとして、
さらに、大学人としての日本への「想い」からです。
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確かに、
「神の国」というからには、
そこには、教義・天皇制・右翼的発想・敗戦国家論、
ややもすれば、反米感情、左翼否定論などが、
表現となり、読者諸兄は、川崎和男の過激性のみを
「やはりか・・・」と納得されたりされていると思います。
そして、
川崎発言への反感・反撃姿勢を買うことは
十二分に承知しています。
あるいは
きわめて右翼側や国体制での合都合性を叶えています。

しかし、
私の本意は、このようなレベルに、
このブログ発言を書き述べているわけではありません。
「資本主義から逃走しなければならないのです!」
「民主主義へも懐疑心を持つ必然の時期にあるのです!」
結果は、明前です。
それは、私がデザイナーであり、
「デザイン」という「理想主義」で、
具体的に、Peace-Keeping Design=PKD
Bottom of the Pyramid=BOP-Businessで、
日本の産業構造・制度設計・文化体制を変革したいからに
他なりません。
そのためには、すでに忘却していたり、
無評価である近代史、
少なからず、江戸後期から明治維新、戦中・戦後、
そして現代を、
整理する視座を私の視界でとらえておきたいからです。
それが、「理想主義者であるデザイナーの職能思想」です。

たとえば、ささやかなことであっても、
多少、(自慢げに)書き残します。
一昨日、福山市で久々に、建築職能の方々に、
講演会を開催していただきました。
20年前、福山市は、
当時一番日本で「地方活性化のデザイン会議」が活発でした。
その会議で発言した、同世代のデザイナーはほぼ、
今や、デザイン系大学で大学人になっています。
また、
PowerPointというプレゼンテーションソフトは、
私がMacintosh SE(SE/30の前機種)に回路を組み込み、
透明液晶のオーバーヘッドで投影した、
おそらく世界で最初にプレゼンテーションをした所です。
先般はスタッフブログで紹介した3画面を使用しました。
16:9でKeynote、
これもNeXTSTEPでのLight Showから
進化しているツールです。
私は、こうしたささやかなコンテクスト活動の
集大成から、「デザインが世界・日本を変える」ことを
発言していきたいのです。


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『資本主義からの逃走』
  「理想主義の破綻、芸術家の憤りは哀しく自死なのか」


   


     11月 5th, 2009  Posted 11:36 PM

革命の指導者達がカリスマ性をもち、
英雄性をたたえられると、
歴史的には、必ずと言っていいほど、
指導者達の中に、さらに、
スターが求められるようになります。
結局、革命の「理想主義」は、
権力闘争となり、
純粋な理想主義の芸術家は、革命家には目障りな存在です。

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ウラジミール・レーニン
10月革命時の演説には、カリスマ性があった。

ロシア革命も同じ展開を見せるのです。
しかし、ロシア・アバンギャルドの芸術家は
あくまでも「理想主義」を追い求めました。
なぜなら、
芸術=デザインの表現は、
理想主義を離れれば、
即、それは表現の美は、伝わることは無いと
彼らは確信していたからでした。
私はそうだったと信じています。
だから、
「我々に、新しい形態を!
号泣が聞こえてくる」と、
マヤコフスキーは自死して逝ったのです。

私は、デザインという職能が、
資本主義という、あたかも理想主義
よりそった「造形形態の表現」であったかも知れないが、
私も、デザイナーという職能家として、
いつも、
「新しい形態を!」と
叫び続けてきた気がしてならないのです。

たとえば、秀吉に対して、
千利休が自死を求められたとき、
利休も、次のように叫びました。
「力囲希咄」と!
これこそ、
芸術表現者、あるいはデザイナーの
理想主義」の破綻に対する、
憤りであり、美学の叫びだと
私は思い続けているのです。

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「茶美会」裏千家への茶杓
力囲希咄
Kazuo Kawasaki Design


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『資本主義からの逃走』
  「共産主義革命で殺された芸術家たち」


   


     11月 4th, 2009  Posted 3:54 PM

ロシア・アバンギャルドに関わった芸術家
(デザイナーと呼ぶべき人)は殺されました。
革命家であり芸術家でした。
モノでイデオロギーを表現出来た人達です。
私は、ソビエトが崩壊した時、
彼らの泣き声こそ、
鎮魂歌になると思ったものでした。

おそらく、「Fifth Dimension」という
経済論理が存在していたことを知る人、
そんな人は数少ないと思っています。
おそらく、MITでかつて発行された
(これも冷戦当時には大きな外交問題でした)
ロシア・アバンギャルド」の研究書を
読んだ人だけだと思います。

「革命」というのは、人命を奪います。
政治体制を転覆させるための戦争です。
こうした戦争は、革命集団の中にまで及んでくるのです。
ボルシェヴィキと呼ばれた革命参謀集団
そのカリスマ性とそのアジテーション、
革命の理想主義は、
このカリスマ性とアジテーションによって、
「独裁化」していきます。
共産主義は、私的行動を制限することで、
私的財産や私的自由性を政府が管理するものです。
二枚のポスターに、それが顕著に表れています。
しかも、それはもう1931年代になっています。
革命を牽引していた人物達の権力闘争での
犠牲者は芸術家たちでした。

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クルチス・1931
「男も女も労働者はソビエトの改選へ」

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クルチス・1931
「自国の英雄を知ろう」


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『資本主義からの逃走』
  「政治という形・表現された「かたち」が泣いていた」


   


     11月 3rd, 2009  Posted 4:27 PM

ロシア革命は、体制の大逆転により社会主義を実現。
まさに社会転覆をしました。
そのプロパガンダに、革命の手段として、
「芸術」を最も巧みに運用しました。
したがって、革命に荷担した芸術家の信念が、
私は、その革命を支援したイデオロギーに対して、
とても純粋だったと思います。

革命は、社会のあり方を理想主義的に表現します。
ロシア革命に、その具体例が「作品」になりました。
ロシア・アバンギャルドという芸術運動と言われますが
それらは、やがて「デザイン」と呼ばれるものへと
変更していくのです。
デザイナーが芸術家から職能家になっていきます。
そして次第に、革命の動乱から政治形態を整えていきます。
この革命の進行が理想主義を崩れ始めるのです。
革命後の経過は、革命の主目的から離脱していきます。
異次元な政治形態、すなわちイデオロギーの形は、
革命への動機を、見事に変えてしまうわけです。

ロシア・アバンギャルドと呼ばれた作品に、
その変貌ぶりや、革命意思のゆがみが反映します。
芸術表現も、大きな恣意性をもち始めるのです。

私は、デザインの源流として、
ロシア・アバンギャルドをとらえてきました。
革命のための手法とされた芸術、その応用性に、
「デザイン」の源流と原点を見てきました。
マヤコフスキーは、
「かたちが泣いている」と言ったのは、
革命が、やがてはその指導者たちの権力闘争となり、
社会性・社会正義であった革命動機は、
「政治という形」が変態してしまうのです。

私は、ロシア・アバンギャルド=デザイン源流、
その「作品表現」に、
理想主義に持ち込まれてくる政治的な恣意性を
見つけてきました。
デザイナーにとっては、
必ず、見通しておくべきことだと思っています。

ロシア・アバンギャルドが、
どれだけ、政治的に「作品表現」を変えたのか、
ということです。
次の3つのコーヒーカップが、
なぜいわば同じ「芸術運動」=ロシア・アバンギャルド
それにも関わらず、大きな違いが見られます。

チェオーニン・1921
まだ、特権階級の装飾性から離れられない。
チェオーニン

スエーチン・1923
もっとも、ロシア・アバンギャルドであり、
「純粋な形態」、以後のモダンデザインを決定づけている。
MoMAの収蔵品になっている。
レプリカは今も手に入る。
スエーチン

クズネツォフ・1923
革命指導者は、ロシア・アバンギャルドの作品を好まず、
やはり、特権階級的な表現を求め始める。
グズネツォフ

たかが、コーヒーカップです。
しかし、されどコーヒーカップです。
このコーヒーカップの形態と装飾に、
政治=イデオロギーの恣意性が表現されています。
ただし、この3点とも「コーヒーカップ形態」として、
まったく正しい設計になっています。
余談ですが、昨今のコーヒーカップのデザインは、
デタラメなモノが反乱しています。
これはイデオロギーどころか、
デザイナーがコーヒーカップそのものに対して
きわめて無知にすぎません。

ともかく、私は、ロシア・アバンギャルドに、
本来、理想主義を求めた社会革命が
かたちが泣いている」という言葉、
凝縮された理想主義に、社会主義・共産主義の崩壊は
もう見えていたというわけです。


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