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Posts Tagged ‘洋書’


『「父について」・読書子に寄るから』


   


     12月 21st, 2021  Posted 1:00 AM

高校時代に、父から岩波文庫を読みなさい。
私にはこれがインテリなんだと思っていました。
岩波文庫は、父からは星一つで10銭だったはずでした。
私が高校の時には星一つが100円でした。
美大のときも、100円であり、その当時には62冊ありました。
高校では明日、試験前日に「試験勉強しなくて読んでいました」。
ギリシャ哲学、オペラ、仏教などあらゆる分野が
インテリだったのです。今やなんでもiPadで読書をしています。
自宅では無くて、書籍は全て地下の書庫にあります。
名市大から阪大に変わるときには、
恩師が「先生の間には3000冊だけ大阪に」と言われました。
しかし、阪大は皆が質問が多くて、洋書が自宅には沢山でした。
丁度、今は紀元前のキケロの「父について」を読み返したのです。
「ソクラテスの弁明」も読んでみたのです。
ギリシャ哲学でも、人間は変わっていませんでした。
キケロが「魂」は決して肉体からは
出ていかない、と結論にありました。
紀元前でも哲学は言い切っていました。
現代では「誕生と同時にDNAで生存から死去は決まっている」のです。
岩波文庫をもう一度読み直したい、そんな想いが出てきました。
もう、時間がありません。
最後には「ファーブル昆虫記」10巻ぐらいを読み返すのです。
人生は、まだまだ「生き残っています」、それが現状の自分です。


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『雑誌・小冊子が消えていく貧しさは日本人知能の低下』


   


     11月 16th, 2017  Posted 12:00 AM

金沢美大の産業美術学科・「工業デザイン専攻」は、
当時、工業デザインというのは先進的だったと思います。
しかし、工業デザイン関連の書籍・雑誌は皆無でした。
まだ「工業意匠学科」とかでグラフィックも「商業デザイン専攻」でした。
だから、洋書・洋雑誌だけで、建築・アートだけが学術的でした。
しかし、私の論理性=思考基軸を支えてくれたのは、数雑誌ありました。
その中で、「遊」と「エピステーメー」、「SD」と,
あとは美術手帖・数理科学・現代思想だけでした。
「遊」は松岡正剛氏に憧れ、工作舎に転職すら考えていました。
後に松岡氏に出会い作品集帯文まで書いていただく仲良しになりました。
「エピステーメー」はとても解読困難で、
ここから哲学や現代思想や宗教論に入りましたが、
終巻号は、いくつかの書店を回って銀色の本を寂しく抱えて帰りました。
「遊」・「エピステーメー」が消えた頃、
「へるめす」で中村雄二郎先生の「知」にのめり込み、
やがて、先生連載にイラストも描くなど随分と親しくさせていただきました。
具体的には建築数誌の雑誌があり、懸賞論文に応募しました。
最優秀論文はその書き出しで、自分の敗北を認めました。
「この都市には記憶がない。・・・」
私は集落として都市論を書きましたが完全に(負けた)と思ったほどです。
やがて、その建築家・彦坂氏に出会い、この話をして彼に仰天されました。
そしてSDの最終号では「ユニバーサルデザイン」の商業主義を非難し、
「ヒューマンセンタードデザイン」を二人で書き上げました。
なぜなら、「ユニバーサルデザイン」を紹介したのも彼と私だったからです。
「へるめす」は哲学・建築・現代音楽ときわめて上品な雑誌でしたが、終了。
ちょうどジョンレノンが射殺されたことで、私は自分の青春を終えて、
福井にもどりましたが、その時に「日本記号学会」に入りました。
まだ大学人になるなんて考えていないときでした。
かなりの数の学会は大学退任とともに脱会しましたが、
日本記号学会は今も会員です。
それは学会誌=書籍が読みたいから、それだけです。
今や、デザインをとりまくこうしたほぼ「記号論的な考察」の雑誌は、
なんと「iichiko」のみかもしれません。
友人であるグラフィックデザイナーであり、東京藝大名誉教授の河北氏が、
スタッフに、哲学者たちも編集までを任せて季刊誌を出してくれています。
結局、こうしたように雑誌や小冊子すら消えていくのは、
日本人の知能レベルが低下しているとさえ私は思っています。
だから、デザインされた形態言語すら読めない、あるいは盗用する、
この風潮から、一刻も早く脱皮すべきでしょう。

* 「ビデオアート・現代音楽・オーディオの統合化をめざす」
* 『ユニバーサルデザイン・バリアフリーはまだ未消化』
* 『公・自・単・情・安・省・空を暗記せよ』
* 『ユニバーサルデザインの原意』
* 『やっと4冊目の作品集が出来上がった!』


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『・・・雑誌出版は消えていくのだろうか?、IoMへ』


   


     4月 9th, 2017  Posted 12:00 AM

街からお店が消えていく・・・
今はその過度期にあるのだろうと思わざることが私にもおそっています。
書店で立ち読みをすることは、私にとって大きな喜びでしたから、
書店巡りは街内散歩の大きな楽しみでした。
そして、街内にはコンビニ、ケータイ電話屋さん、100円ショップとなり、
かつての商売店舗が次々と消えていってしまいます。
とりわけ、私が社会人としてスタートした有楽町銀座から東芝ビルが消滅、
これは明確に自分の青春時代を喪失した実感になっています。
さて、次に写真からも分かるように今ではPadで雑誌が読み放題。
もう自宅内に雑誌の整理もいらなくなりました。
なんとか、雑誌を残したいと思うなら、どうしてもこの雑誌は購買をと
思い込まない限り、雑誌も不要だということです。
それは雑誌に限らず、すでに「青空文庫」から「洋書」までは可能な限り、
私自身はすっかりと書棚は不要になっていることは確かです。
書店に限らず図書館もいづれは全く不要にならざるを得ないと予測します。
正直、書籍の香りは大好きですし読書「本を読む」ことは私の生きがいでした。
ところが、最早コレで「読み放題」という雑誌の世界は、
Padの中に収まってしまったのです。
無論スマホでも読むことが可能ですが、雑誌の大きさを考えると、
スマホで読むことは拒絶ですが、やがてこれもプロジェクションともなれば、
この時代が近寄っていることは否めません。
果たして問題は「雑誌読書」の個性的な読書姿勢にあらわれるでしょう。
おそらくこうした読み放題の肝心な記事をスクラップも可能になるでしょう。
果たして、出版産業そのものが産業構造・出版流通方式・読者確保のあり方は
未だに従来の経営手法にあること自体が相当に遅れてしまっていることを
明示しているということです。
これこそ、IoTというよりは、私はIoM=Internet of Magazinというのは、
IoM=Internet of Matterが私たちを取り囲んでいるということなのです。

* 『IoMeTのためのMedical LogとConnect nome』
* 『やっぱりamazon goが登場してしまったようだ』
* 「書店本棚での一般的な『デザイン』認識が残っている」
* 「商店街・地下街は壊れていくのかもしれない」
* 「書店の存亡・バーンズアンドノーブル」


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