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Posts Tagged ‘欧州’


『深紫外線は2016年に阪大で医工+デザインを発表』


   


     2月 8th, 2020  Posted 12:00 AM

連日、ニュースでは「新型コロナウイルス」の報道です。
2016年に、私は「深紫外線消毒器」を発表していました。
当時、すでにアルコール系の消毒が、どこの企業でもありました。
しかし、出入り口などに置かれたそれらは、
積極的に使われて要るモノは全くありませんでした。
工学研究科からの依頼から手掛けていたフォトニクス、
つまり光の科学とその応用展開をデザイン対象として、
そこから生まれた成果を、医学系と一緒にデザインを発表していました。
所謂、医工とデザイン連携によるこの発表会は、
多くのマスコミを迎えて阪大で行いました。
でも、「王様のアイディア」的な発表になってようでした。
それこそ、今ではマスクが大量に不足していますが、
欧州ではマスクをしたアジア人が毛嫌いされているようです。
日本では、報道でも灰色のウイルスがアイコンになっていますが、
海外では、この図表にあるモノが発表されています。
「深紫外線消毒器」の発表を急がなくてはいけません。
この論文も実験をもとにした結果を踏まえて学会には、
2016年には発表してあります。
フィルターと充電器で、使い勝手が多用途になってきました。
商品化を急ぎます。

* 動物実験
* 深紫外線
* 手洗い習慣


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『日本が開発するレーザー拳銃』


   


     1月 3rd, 2019  Posted 12:00 AM

ピストルという呼称より、私が覚えたのはピースメーカーでした。
この絵を子どもの頃に随分と描いていました。
ピースメーカーこそ、米国が開発したリボルガーでした。
また、日常的には警官だった父はS&Wのリボルバーを携帯していました。
当時は在宅時でもピストルを管理していたのです。
あるとき、私は男の子だからやはり興味をしめしちょっと触ろうとしたら、
父から押し入れに閉じ込められ、こっぴどく怒られました。
今では、モデルガンを相当に持っています。
オランダ語のピストルは、
もはや、英語のハンドガンと呼ぶようになりました。
今、日本の警察が使用している
ハンドガンでもSIG223JP が一番進んでいるでしょう。
またピストル、ハンドガンから
3Dプリンターでのリベレータが登場しています。
私は、殺傷目的ではなく「失神銃」を
日本がやるべき新しい拳銃だと思っています。
それこそ殺人を絶対にやらないで、
レーザー光線で1?5分間は失神する拳銃です。
この話を警察大学校の講演ですれば、大きな拍手をもらいます。
今、阪大にもレボルバーや自動拳銃の話、
モデルガンを事細かに話せる教授がいます。
実際、欧州の工業デザイナーもハンドガンの設計を手掛けており、
その造形ディテールで、他の製品でもわかります。
工業製品のキーワードとしての人間工学=エルゴノミックスは、
元来は戦術的学問として登場しました。
戦闘状況下での「効果」と「安全」から
第2次世界大戦後には労働成果のための科学となりました。
Ergonomics は、Human Factor Engineering と呼称が変更され、
その目的は、「快適」「健康」「安全」の工学として変容したのです。
時代とともに変容すべきなのです、
SIGはそもそも列車をつくっていました。
(ここの歴史を述べたいぐらいです)。
日本は絶対にレーザー拳銃(人を殺さない失神銃)をやるべきです。


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『群青色とフェルメールブルー』


   


     11月 21st, 2018  Posted 12:00 AM

青色は、鉱山の色であり、
光が海洋の色と空の色を決めています。
青色への私の偏愛は、時に暴走する情熱をわきたてるように
身につけるスーツや靴、鞄にpcケース、
文具類に青色を選んでしまうのです。
ラピスラズリの白文・文朱の篆刻印も中国で手に入れました。
鉱山石のラピスラズリは特別の色です。
日本では瑠璃や群青と言われていました。
欧州では、画家のフェメールはたった35点に
この鉱山の青を使っていました。
貴重な鉱石を原材料としている特別な青です。
江戸時代には加賀藩が、成巽閣では群青の間を
「もてなし」の空間にしたのです。
おそらく、青や群青などは当時はとても難しかったのです。
さて、フェルメールの代表作では、
この青色は光との彼の腕前でとても貴重な遺産になっています。
その青色と光の陰影に魅了されます。
計算された構図と表現は、
フェルメールブルーでその印象を決定づけているのです。
それこそ、加賀藩の群青と金箔の印象深いのに北陸新幹線は、
大きな間違いでした。
金箔はラインとして流すのでは無くその文脈性を重んじて、
囲みでの表現、窓の周りの装飾に使われることが相応しいと
私は思っています。
誰も北陸新幹線のこの群青には何も言わなかったでしょうか。
成巽閣のもてなしの間=群青の空間から、
私はFORIS.TVでその青色を本体のメインカラーとして使いました。
それこそ群青色などは売れる訳がないと言われましたが、
加賀藩の決定的な群青はブランドイメージとして伝わり大ヒットしました。
天空の破片と言われる金とも並ぶ価値を持っていたラピスラズリ、
成巽閣の群青、瑠璃色、ウルトラマリン、
そしてフェルメールブルーその圧倒的な青色の存在感、
メッセージ性をまだまだ研究しつくしてはいません。


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『ハンティングナイフの一体化に清潔な構造がある』


   


     8月 6th, 2018  Posted 12:00 AM

今でも時々ハンティングナイフを探しています。
ハンティングナイフも趣味の一環になっているのです。
そろそろこれらの趣味をどこかに保存する必要があります。
これは、私が最初に越前市(元の武生市)にある
「タケフナイフビレッジ」のキッチンナイフで、
どのようにデザインするかを確かめた方法でした。
そんな中で、一番確かめたのはこのナイフメーカーでした。
私のナイフはともかくステンレスとステンレスで鋼を挟んだ素材でした。
ステンレスで鋼を挟んだ素材も
自分で、鋼メーカーに申し込んで高品位ステンレス鋼を造ってもらいました。
おそらく一体化したナイフは私のデザインが最初でした。
それからも、1983年新作発表から未だに商品化しています。
「美しい切れ味を鍛えています」というのは、
私が作成したコピーでした。
私の特にナイフデザインには、刀剣とハンティングナイフが
大きな資料と素材構造になっています。
もし、欧州流にはナイフとともに、
色んなネジまわしや、ハサミなどもありますが、
これは日本では製作上は地場では無理です。
そういう意味ではハンティングナイフと鎌倉時代の刀剣が一番です。
ナイフにしても刀剣にしても刃物に関する伝統があります。
この伝統を打ち破る新たな素材開発が必要です。が、
たとえば、ダマスカス鋼というのは鋼を何度も叩いて、
その結果がハンティングナイフのデコレーションなのです。
そしてこれらがハンティングナイフでは一向に使われていません。
それはデコレーションであって、切れ味には清潔さはありません。
最近では、最初に一枚のいわゆる文化包丁がブームです。
私は、なぜ、このナイフを好んでいるかは、
一体化している清潔な構造にあります。


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『もはや宗教を文化とみる世界の歴史観を遡及』


   


     12月 13th, 2017  Posted 12:20 AM

「宗教は文化では無い」という見解が必要になってきています。
宗教は「人間が生きてその系譜に感謝を捧げること」が基本であったはず。
ハダム・シャリーム:神殿の丘、そこに分断されている「壁」には、
ユダヤ・イスラム・カソリックという三つの宗教は、
聖地の主権、礼拝権はすべてこれら宗教の利害や経済関係となり、
宗教対立は民族対立を生んでいます。
宗教は宗教哲学として、私には仏教が日本人として生活にありました。
そして、米国で私自身が仕事をするとなったときには、
原始キリスト教・旧約・新約から、カソリックとプロテスタントを学習。
いわゆるキリスト教と仏教とは比較検討の知識化、
そこから改めて新興宗教もみてきました。
そして、ユダヤ教、イスラム教にいわば宗教哲学でなければ、
私には生活との一体感は全く不明でした。
正直、イスラム圏は分かりません。
イスラム教での教義からのテロにはいわば、
危機管理=リスクデザインとしても日本では不可能が結論です。
おそらく、私の予想では、欧州もイスラム教に支配されるでしょう。
だから、G7、G8にしてもこれらはキリスト教支配下であり、
日本の仏教思想のまともな宗教論理は外れています。
聖地を分断する「壁」はセーフティ・ウォールと呼ぶことすら、
私は宗教の大きな問題が世界観の文化では無いと思っています。
キリスト教の分断は英語が分断されて、イスラム教内での分断は、
より大きな力になって欧州はやがてこの宗教に支配されるかも知れません。
それこそ、歴史は戦争の系譜でしかなく、その裏側には宗教、
特にキリスト教が根付いていたことは否めません。
そのキリスト教の歴史も簡潔にまとめてしまえば、
差別と信仰感を支配してきた系譜になるだけです。
よって、宗教での倫理性などは無神論とせざるをえなかった哲学が存在。
結局は、「生きる」ことと「死んで逝くこと」を宗教支配での差別闘争、
これをもっても宗教は文化とは言えないと判断すべきでしょう。
今、世界は宗教分離は信仰差別が闘争となってしまったと言えるでしょう。
私は改めて仏教も根柢で見直して、民族思想の文化=美と義と善を、
デザイン思想に取り込み直すべきと考えています。
宗教の「壁」はデザインにとってもアポリアだと考えざるをえません。

* 『2017アライアンスフォーラムに今年も出席』
* 「Made in Japanの復権は、売国奴たちの追放である」
* 『目の前に未来・将来は無く背負っているのです』
* 『負のサイクルを即刻停止させるデザイン』
* 「これが最悪か!・・・宗教戦争、語るべきか」


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『手首測定の電子血圧計はもっと進化が必要だ』


   


     8月 20th, 2016  Posted 12:00 AM

交通被災、そして心臓障害という身体になってから、
自分の役割は大きく変わってきたと思っています。
そして、心臓障害も結局は交通被災・車イス生活になって、
その後遺症だったという推測はほぼ正しいようです。
しかも最近では老齢化によって身体状況は大きく変化しています。
健常であった頃は、低血圧気味であったのですが、
最近は老齢化によって血圧の上昇がみられるようです。
幸いなことに、私デザインの手首での電子血圧計があります。
このメーカーは、OEM専業メーカーでしたが、
自社ブランドの血圧計生産と自社販売計画にデザイン参加しました。
そして、ロイヤリティ契約は5年であり、その5年が終了しました。
クライアントとしては、なかなか難しいメーカーでした。
フリーのデザイナーにとって、最終の意志決定者が社長であり、
しかもその社長にはセンスというものがないこと、
そして文科系で銀行出身者ともなると最悪の意志決定をされてしまいます。
このメーカーはまさに銀行出身であり、センスどころか過去の失敗経験を
最もデザインに意志決定をワンマンにされていました。
おそらく若かったらこのようなメーカーとは絶対に喧嘩をしてしまいます。
しかし、技術現場と営業現場がなんとか私デザインを護ってくれました。
電子血圧計は大企業の競合に飛び込んでいくことです。
自分が最も注目したのは欧州での血圧学会認定メーカーが皆無な点でした。
したがって、猛反対する社長意見にこの認定を取ることと、
色彩についても黙秘することでした。
その製品が5年間で果たすべきデザインの役目は終わりました。
そして、その社長自身が更迭されることになりました。
しかも最近の私にとって毎朝毎夕はドクターから測定を言い渡されています。
この結果を表計算ソフトに取り込み、最高血圧・最低血圧・心拍数,
さらに脈圧、これらに対して自分デザインで向きあっています。
おかげで、これからの血圧測定には付加すべきバイタルデータと
そのデータ処理や危険度判定のシステムではなくて
ダイナミックスが見え始めてきました。
この次期製品デザインにはまったく異なる造形言語が決まりつつあります。

* 『血圧・心拍数・脈圧の関係の見詰め直し』
* 「健康自己管理としての血圧計の見直し」
* 『最も基本・バイタルデータの「体温」はデータ化してきた』
* 『講演テーマで最近もっとも多い医学とデザインの「範」』
* 「私の必須道具だから・iPhoneアプリにしてみた」


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『アップサイクリングの真のリサイクルとは!』


   


     6月 9th, 2016  Posted 12:00 AM

「アップサイクル」が一つの話題になりつつあります。
大阪大学の私の研究室にも、社学連携課経由で、
ある行政と企画企業から依頼が持ち込まれました。
幾たびかの打ち合わせ後、この企画はデザイン職能団体に、
企画・運営・ワークショップ・コンペの開催などを一任しました。
ワークショップはデザイン学生などを巻き込んで開催され、
その報告書などを読みました。しかしどうも違和感が残っていました。
論理的な内容を時系列的に再確認をしました。
まず、「アップサイクリング」という新たな産業形式の創案は正当でした。
しかし、根本的な過ちを発見しました。
この発見をリサイクルに照合して実際のデザイン実務との結びつきを、
あらためて検討し始めています。
まず、大きな過ちはリサイクルがサスティナブル思想であるという、
経済理念の間違いがありました。
従来のサスティナブル(持続可能)は
欧州の酸性雨対策を起源としています。
よって、リサイクルとは本当は無関係です。
このことにより、
工業生産しかも大量生産時で発生した素材廃棄物を再利用することで、
大量生産されたモノ以下の製造物に落ち着いてしまいます。
アップサイクリング(up cycling)ならば、リサイクルされた生産物は、
リサイクルされる前以上の性能性・効能性によって
新たな機能性を獲得する必要があります。
この発想が根本的に欠落しているという、
新規デザイン実務上では最も希求されている
現実生産を知ることができました。
ただ単に廃棄される素材=端材を利用する
製造システムでは無いという、この再確認が必要です。
そのサンプルとなるプロジェクトを開始します。

*『サービスの勘違い・地球に『優しい』?』
*『石畳の街、その文明と文化』
*『カーボン素材の3D-Printing開発をめざすことは・・・』
*『陽子加速器での核変換デザインによる復興』
*『デザイン史の講義を語るにはロシア・アヴァンギャルドから』


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『KK塾最終回 松岡正剛氏からの新たな知の編集』


   


     3月 29th, 2016  Posted 12:00 AM

2015「KK塾」最終回は松岡正剛氏に講演を依頼しました。
1992年箱根でのマルチメディア会議に民間出身4名の一人でした。
その会議で基調講演ではムーアの法則のゴードン・ムーアが
3原則論を述べ、
これを聞いたのはその会議出席者では、私と彼だけでした。
箱根の強羅花壇で初めて挨拶をしてからの盟友です。
おそらく「隠坊」の話で人生を学んだ共通点があります。
「隠坊」とは、死者を火葬する時に夜通し火葬状態を見守る人であり、
死の世界へ人間を送り込む職業があったのです。
「隠坊」については書き残す必要があると思っています。
松岡正剛が「千夜千冊」はとうとう1604冊です。
これは書評ですが、これを読めばその本を読んだこと、
その疑似体験ができて、本格的に読むべきかと言う書評は
この日本にしかありませんから偉大な仕事です。
私もそれなりの読書家だと自負していましたが、
彼の読書しかも批評眼にはとても太刀打ちできません。
彼の書評している本のうち400冊ほどは読んでいる程度です。
全てを「編集工学」という名辞は、新しい言葉を生み、
新語を生み出してくれていますから、漢字と書の世界観があります。
これこそ、彼の言う「日本という方法」、
日本は国家であるより方法を定義しています。
「遊」という雑誌こそ、まさに文理融合統合、
私が言い始めているコンシリエンスデザインです。
それこそ、知的関心の方法を編集学化した「知の巨人」は松岡正剛でした。
「情報の歴史」と「アートジャパネスク」こそ、
すべての若者の教科書です。
彼が率いてきた「連塾」には私も講演をさせてもらっています。
その後、「日本という方法」は、あの3.11で終了しましたが、
なんとあの天災と人災は「3.11を読む」に編集されました。
それは原子力発電の問題が中核ですが、
その背景には蝦夷と沖縄の問題が
全知識人へのおおきな謎かけになっています。
彼を支援しているスタッフの役割分担力は
おそらく日本ではトップでしょう。
スタッフ一丸となった講演支援の見事さは圧倒されました。
3.11 で日本は、もう一度、国の立て直しを自然と今度は文明の
しかも最先端である原子力の虚像を晒け出してしまいました。
彼も指摘しているリスボンの大地震が欧州を少しは変えたぐらいだけに
3.11の自然と人工でのこれぞ革新の本質を松岡正剛の知こそ
その方法論=編集工学で一新される必要性を再度、
彼自身から語ってもらった気がしています。
当然、私のルーチンである講演開始のプロフィール映像の音楽は
Lady GaGaであり、
対談ではお互いが大好きなグレングールドの話で終わりました。
2016の私のミッションとして
「KK適塾」をこの秋から開講するつもりです。


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『深緑色の画面・深緑から利休鼠』


   


     2月 16th, 2016  Posted 12:00 AM

今回の「KK塾」で私は画面表示・モニター基準色を紹介しました。
これはモニター設計、それもCRTから液晶ディバイスになってからも、
かねてシリコングラフィックス社とALIAS社でCG制作を見ていた時期、
その経験からのカラー表示を紹介したのです。
これにはいくつかの理由とその意味があります。
それは視覚的に安全なカラーと疲れないカラーがあるからと、
最近ではモニターからの青色が突出していて「ブルーライトカット」、
これがあたかも流行となっています。
100円ショップ商品の遮断メガネには、
大きな勘違いがあると思っているからです。
人間には可視光線というニュートンによって発見された
紫から赤色までの7色(白色人種では6色)の色環があります。
とりわけ、モニターからの色表示はすべて光=電磁波ですから、
これらが視覚的に害を成すかどうかはまだまだ研究の成果が必要です。
しかし、紫外線や近赤外線・遠赤外線は、可視光線を超えていますから、
有害なことは納得できます。
特に「ドライアイ」は角膜の三つの層に悪影響を与えていることは
立証されていますから、メガネは「ドライアイ対策」が必要です。
今回私は、深緑を提案しました、
といっても、
PC:Macからの出力もプロジェクターと一致していませんから、
基本的にはPANTONE®カラーのNo.7712から7720までを準備しました。
肝心なのは日本語で言うところの「深緑色」です。
この色をベースにしたときに、これがいわゆる鼠色系になると
これは「利休鼠」になっていくことことを知った時は
大きなショックでした。
しかもその「利休鼠」の色は北陸の初冬の曇天の空の色でした。
私がかつて液晶モニターからの近赤外線が持つ危険性を公表したときに、
あるメーカーは私を訴訟しようとすらしました。
しかし、その近赤外線は特にプラズマ画面からが多くて、
日本ではある省から危険勧告があり、
欧州からはその様式のモニター輸入は全面的に拒絶されたのです。
今、この画面色を私はワープロでの背景画面に使っています。


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『新たなフォトコラージュはカオリンの磁器に展開』


   


     11月 25th, 2015  Posted 12:00 AM

インテリアデザイナー森田恭通氏パリ個展は、
歴史的には二つの大きな意味をもってしまったようです。
まず何と言っても、彼のデザイン拡大化計画の実現は、
自分が写真家として「Porcelain Nude」を撮影して
私の判断ではフォトコラージュ的なお皿磁器に展開。
その制作依頼もフランスと言えばの磁器ブランドである
リモージュ磁器であり、その窯元BERNARDAUDでした。
なぜBERNARDAUD:ベルナルドでなければ、ということがあります。
それは世界中のシェフたちにとって
重大なレストラン使用皿の効能性でした。
陶磁器といえば、CHINAと呼ばれ、それは中国景徳鎮です。
しかし、欧州ではボーンチャイナと呼ばれる白い磁器がありました。
ところが、見逃してはならないのはフランスであり、
白い粘土と言っても、石粉粘土ゆえに磁器となるカオリンの発見でした。
ボーンチャイナという骨の粉を混ぜるというよりは、
もともと白い粘土 – カオリンの存在は、白い磁器を完成させたのです。
ドイツの製陶技術でも秘策はカオリンを使うことでもあったようです。
いわゆる「真っ白いお皿」は料理を配置するキャンバスだったのです。
そこを森田恭通氏は、特にレストランデザインにおいて、
シェフたちが最も好むお皿に、フォトコラージュ的な
グレーから黒のグラデーションを
カオリンの白皿に革新的手法を発表しました。
そして、もう一つの歴史性はパリでのテロリズムで
非常事態宣言によって個展の中断を余儀なくされたことです。
が、私はかえって中断されたことで
ますます森田恭通氏のカオリン磁器へのフォトコラージュを
「見たい・触りたい」という要求を高めたのだと思います。
おそらく、シェフ達の料理は、白と黒が最も明快ですが、
彼は写真によって、グラデーションをパターン化させるコラージュを行い、
なぜ、リモージュ磁器という欧州最高的な代表磁器ブランド、
その中でも、シェフ達が絶対条件としているベルナルド窯元なのです。
最もカオリンという白い粘土磁器に、白から黒へのグラデーションは
料理人達にさらに革新的な料理、
しかも一流レストランへ向けた提案でした。
彼の個展で、
写真パネルではプラチナ仕上げをめざしピエゾプリントを行い、
そしてカオリンにグラデーションを与えることは
デザインからの提案が、
料理人達にもっともっとレストランのあり方への問題提起でした。
私は森田恭通氏に「日本でもやったらどうですか」と言い残しました。
日本には、磁器の歴史と陶器の歴史が混在しています。
だから陶磁器と呼ばれ、
六大古窯は、すべからく陶器と華道での価値判断がありました。
磁器の世界は、秀吉の朝鮮征伐で連れ帰った磁器職人の仕事でした。
森田恭通氏は世界的なレストランの空間とそこに存在すべき食器に
彼ならではのフォトコラージュを世界にむけてパリで発表したのです。
レストラン食器への非常事態を投げかけたのでしょう。


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