kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘権利’


1月20日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 20th, 2023  Posted 12:00 AM

1月20日 仏滅(戊寅)

権利の主張を強化するには、
とめどない欲望が渦を巻く。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』18 アイ・ポイントからのミス・ブランチ


目次を見る

5月8日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 8th, 2020  Posted 12:00 AM

5月8日 先勝(辛亥)

権利の主張を強化するには、
とめどない欲望が渦を巻く。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』18 アイ・ポイントからのミス・ブランチ


目次を見る

『「青田残さず」中国古典・庭訓から西郷隆盛を通して』


   


     4月 6th, 2019  Posted 12:00 AM

「青田残さず」 。
西郷隆盛の言葉であり、元来は中国の古典「庭訓」からの
引用とされています。
私は、最初は「一人っ子」、後に母違いの妹ができました。
が、子供の頃から、父からはこの言葉を言われていました。
しかし残念ながらともかく「美田を残したい」と
財や地位や権利を囲い込むような、政治家さらには経営者、
そして、デザイン界でも同様で、社会が見逃しています。
デザイン界でも、その継承後には様々な問題が起こります。
私も恩師に関わることでは見過ごすことはできません。
恩師デザインの管理が不足していたり、
その展開が間違った方向に進んでいた場合、
オリジナルが傷つくことが気がかりです。
もはや全てが知られています。
私は世代交代をともかく見守っていますが、
こういう輩には、正面突破で忠言をしています。
何しろ世に作品、製品、商品を、「劣った美意識」で
恩師の名で送り出すことができる偽デザイナー風がいるのです。


目次を見る

06月20日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 20th, 2018  Posted 12:00 AM

06月20日 大安(癸未)

夢を実現するという権利を望む以上、
相手に対して「誠実さ」という義務で
応えていくのは当然のことだ。

それを怠ったならば、
未来永劫、絶対に権利は手に入らない。

『プレゼンテーションの極意』「わがまま」と「誠実さ」


目次を見る

06月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 19th, 2018  Posted 12:00 AM

06月19日 仏滅(壬午)

夢をかなえる
「権利と義務」の関係は、
すでに理解していただいているだろう。

さらに、
「誠実であること」は、
この義務のうちの要である。

『プレゼンテーションの極意』「わがまま」と「誠実さ」


目次を見る

05月26日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 26th, 2018  Posted 12:00 AM

05月26日 先負(戊午)

プレゼンテーションという
具体的な形で、
「 使命 」と
自分に言い聞かせた
「 義務 」を果たすことで、
はじめて
「 権利 」を手にすることができる。

『プレゼンテーションの極意』「わがまま」と「誠実さ」


目次を見る

05月23日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 23rd, 2018  Posted 12:00 AM

05月23日 赤口(乙卯)

「権利」を行使するためには、
その背後で果たさなければならない
「義務」があるというものだ。

『プレゼンテーションの極意』「わがまま」と「誠実さ」


目次を見る

05月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 22nd, 2018  Posted 12:00 AM

05月22日 大安(甲寅)

権利ばかり主張していても、
「わがまま」は通らない。

『プレゼンテーションの極意』「わがまま」と「誠実さ」


目次を見る

05月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 21st, 2018  Posted 12:00 AM

05月21日 仏滅(癸丑)

僕は、
このような夢を語るとき、
常々、自分が世の中に対して
夢を語れる権利を
持っているのかということを
あらためて考えてみる。

『プレゼンテーションの極意』「わがまま」と「誠実さ」


目次を見る

「富山県工業系高校先生方への講演」


   


     12月 8th, 2017  Posted 12:00 AM

高校生や校長会で講演をする意義は大きいと考えています。
今回は富山県高等学校工業科主任研究協議会にて講演をしました。
呼んでいただく高校はそれなりにいわゆる偏差値も平均的、
大学進学が OKなのですが、65は越えていただきたいと思っています。
なぜなら、高校教育では偏差値60以下は大学進学はすべきでないと、
私は思っています。
無論、偏差値そのものが高校生の能力だとは考えていません。
所詮、課題に回答、その丸暗記の訓練に過ぎないからです。
私は高校生として問題意識をそろそろ持つべきと考えています。
現に、主要5科目よりも問題意識とその解答は、
美術・音楽・スポーツが本当は主要科目だと確信しています。
したがって、工業系高校は本当に理科系でしょうか?
それは理科系へ偏向しているだけだと思うのです。
工芸科、電気科、情報科、建築科などの理科系要素は専門的に高校生、
彼らの能力に匹敵しているのだろうかということです。
それこそ最近の生徒(小学生や中学生)書き文字がとても下手くそです。
さらに、読書不足は甚だしくて、
「本を読むと頭が痛くなる」という学生を
教諭である先生方は、その治療義務を見逃しているのです。
本を読んで頭が痛くなる時点で脳障害があること、生理的な大問題に
全く先生方が無関心過ぎるのです。
これは日教組なる組織が生徒や学生ファーストよりも自分ファーストで
待遇という権利しか主張してこなかった歴史にうずもれたのです。
実例を言えば、
「絵が下手だね?」ってこの言葉で
生徒・学生は傷つき絵が苦手になるのです。
文字と絵の関係は頭脳開発ではとても大きな問題です。
こうしたことから、高校生になってしかも理科系はとても偏った、
それが教育、課題:回答と暗記だけで偏差値を決めていることです。
最近の一芸に秀でているとか、
AO入試などは最低の能力検定だと主張します。
私はこの講演を「学術と芸術、文科系と理科系の融合概念」と題しました。
それは「コンシリエンス」という言葉=概念を知らせたかったからです。
私は高校での工業系、商業系、あるいは農林や水産という専門性は、
高校教育には今後は絶対に不必要だと考えています。
それならむしろ高等工業専門学校で
5年生の高等教育制度が必要だと思っています。

* 『サイエンスの限界にある美学性をさらに造語化』
* 『コンシリエンスとレジリエンス』
* 『書いて覚える=コンシリエンスデザインを語るために』
* 『主要3科目こそ受験勉強=回答訓練でしかない受験勉強』
* 『デザインは解である』


目次を見る