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Posts Tagged ‘暴力性’


9月11日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 11th, 2015  Posted 12:00 AM

9月11日 大安(庚寅)

喧嘩は、まだま肉体的な
だ暴力性と
完全に同一性されていますから、
それなら、
新たな「喧嘩道」には、
肉体的な暴力を超えて、
言葉、
特に匿名としての新たな「喧嘩道」を
新規設置の時代性と社会性を
準備しなければならないと思っている。

川崎和男「喧嘩道」


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8月11日川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 11th, 2015  Posted 12:00 AM

8月11日 友引(己未)

喧嘩と喧嘩道の違いは
喧嘩は
どこかで暴力性が入り込みます。
喧嘩道では、
暴力性を武術で防御する
明快な防衛があることです。

川崎和男「喧嘩道」


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『彼は映画の社会的メッセージを知り尽くしている』


   


     3月 12th, 2015  Posted 12:00 AM

私は可能なら月3本は必ず映画を京都で観ることにしています。
なぜ、京都か?
大阪は映画館の清掃がダメ、東京は不親切、京都と金沢が一番です。
「アメリカン・スナイパー」を観ました。
いつものごとく、ワイフはストーリーに入り混んでいて、
泣いていましたし、観たくなかった悲し過ぎると言い続けています。
それは実話の映画化であり、この映画が訴求することは、
明確にジャーナリズムであり、製作から監督は、
高齢になったクリント・イーストウッドでした。
スナイパーの実録としては映画ストーリー演出ですが、
実際なら1000mを超えるスナイパーならば、風力と実弾性能での
相当の腕前があったと思いますが、
明白にスナイパー実録として、反戦映画であるということですが、
現状での戦争・テロ・防衛などは熟慮を余儀なくされる映画でした。
今や、戦場で先進国家からの兵士であれば、
知性的であればあるほど、リハビリテーションは戦場よりも
先進国家の平和感では絶対に精神的病気に至ることは明らかです。
ワイフは言います。実話だからしばらく耐えられない、と。
当然の感覚だと私も大賛成ですが、
私には、このテロからの現代戦争方式を「モノで変える」ことが
どうしてもやり通すことだと考え込んで、精神的には、
モノの暴力性の革新をと追い込まれている自分に出会っています。
現代戦争は石油文明と宗教と経済が現代を追い込んでいるのです。
武器とは元来、戦いを止める道具であり、殺人道具ではなく、
これを宗教が道具感を奪い取っていることは明らかです。
宗教と経済が、ひとまず、石油文明をせき立てているのです。
そういう意味では、神道の哲学観は優れていたと考えます。
「神はおらず」。
そして「サイコロも振っていません」!
戦争にヒーローなどは絶対にいないのです。
あくまでもジャーナリズム=日々の記録を創った監督技が
私を追い込んでいます。


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2月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 22nd, 2015  Posted 12:00 AM

2月22日 己巳(仏滅)

喧嘩はあまりに高度である。
なぜなら、
暴力性や殺人性を
全否定しているからである。

しかし、
暴力と殺人を
乗り越える、さらに巨大な喧嘩、
その新形式と態勢を
喧嘩から創出しなくてはならない。

川崎和男「喧嘩道」


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1月13日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 13th, 2015  Posted 12:00 AM

1月13日 己丑(先負)

プロだと自称している者は
私の最も喧嘩対象である。
しかも、
そのプロ自称が偽善であるなら、
喧嘩に暴力性を加える必然すら
必ずあるはずである。

なぜなら、
喧嘩師はプロフェッショナルであるから。

川崎和男「喧嘩道」


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1月10日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 10th, 2015  Posted 12:00 AM

1月10日 丙戌(赤口)

喧嘩相手には、
私は性格上どうしても、
どこかで暴力性を考えてしまう。

その暴力性が残っている自分に
喧嘩を売ることにしている。

川崎和男「喧嘩道」


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11月27日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 27th, 2014  Posted 12:00 AM

11月27日 壬寅(先負)

平気さと平然さを使いわけている、
そういうのを
私は輩と呼ぶ。

この二つを使い分ける輩は
生涯をかけても許せない。

しかし、
私が暴力性を潜ませた喧嘩相手にはならないものだ。
なぜなら、
大抵、こうした輩は、
時代から取り残されていく。
それは社会からも見捨てられるものだ。

川崎和男「喧嘩道」


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11月25日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 25th, 2014  Posted 12:00 AM

11月25日 庚子(先勝)

喧嘩相手には
仕方無しの場合も用意しておくべきである。

それには、
演技としての喧嘩性である。
その喧嘩性には
暴力性と武力性も
仕込んでおく必要があるものでだ!

川崎和男「喧嘩道」


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11月23日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 23rd, 2014  Posted 12:00 AM

11月23日 戊戌(大安)

喧嘩という暴力性は、
たとえ、喧嘩は知的行為といえども、
その暴力性があるという錯覚を
私は利用すべきだと考えている。

つまり、
それは「孫氏の兵法」での
「用間」だと認識している。

果たして、
この意味性は伝わらないものでもあると、
私は思っている。
「暴力性のある喧嘩」が時に、
私は必要だと断言している。

川崎和男「喧嘩道」


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11月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 16th, 2014  Posted 12:00 AM

11月16日 辛卯(友引)

喧嘩には、
絶対に潜ませてはならないこと。
それは、三つあります。
「暴力性」
「陰険性」
「謀略性」、
この三つである。

よって、
暴力性には武力を行使し、
陰険性には、正当性を主張し、
謀略性には、無視か、
もしくは、さらなる謀略性の実現である。

川崎和男「喧嘩道」


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