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Posts Tagged ‘文房四宝’


『黒板メーカー・馬印が実現してくれた「価値」』


   


     7月 17th, 2016  Posted 12:00 AM

書道というのは学校教育であり好きではありませんでした。
自分にとっては「書」であり、これは父・祖父から徹底的に訓練を受けました。
何と言っても禅寺・吉峰寺(永平寺第一道場)に、
中学・高校と夏には預けられて禅宗での書を訓練させられたことがあります。
まあ、この寺になぜ預けられたのかとか、自らが望んでということも
自分と書の関係は抜群の訓練を受けられたという幸運さがあります。
よって、文房四宝と言われるともうたまらなく大興味です。
たまたま、馬印:なんとも言えない古式な企業名に驚くとともに
日本文具大賞に応募された硯と筆と、このインクは、
ホワイトボードでの書道教具として登場してきました。
これまで、ホワイトボード上では、
絶対に不可能であった書が見事に可能です。
確かにこれは書道のある国々だけの商品ではありますが、
この素晴らしさを評価しないわけにはいかない商品性能を有し、
書道教育を確実に支援するモノ=商品になってきました。
いわゆる「とめはねはらい」をホワイトボード上で可能にしたわけです。
実際、もし自分が書体やカリグラフィーを教えるとなると、
これまでは、書はほとんど不可能でした。
特に、草書体は困難であり、楷書体や行書体よりも自分にとっての書ゆえに、
これをやるには黒板とチョークでした。
馬印とは、なんと黒板メーカーからの屋号からのブランドでした。
願わくば、これを筆頭にして「カリグラフィー」を可能にする教具に進歩を
自分自身最も期待をしています。
確かに最近では、書道アプリでパッド表現も少しだけ可能になっていますが、
あくまでもアナログ=手からの、
その筆記具そのものでのこうしたモノが望まれます。
望むこと、好むこと、
これが実質の「価値」だとこのモノは教えてくれています。

* 『硯箱を整理しながら・・・』
* 「デザイン基礎力の一つから現代社名ロゴをみると」
& 『石ころとスタイラス』
* 「曹洞宗第一道場・吉峰寺での『薪』割り」
* 「文房四宝の進化に沿わせる自分の幸運さ」


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『硯箱を整理しながら・・・』


   


     10月 21st, 2015  Posted 12:00 AM

硯箱を整理しています。
硯石も私の収集物の重大な一つですが、
そろそろ、いくつかに分けて使おうかということです。
これは自宅用ですが、硯や硯箱、文鎮や和紙刀は
江戸時代から使われてきたものであり、
手入れはどこまで出来るかですが、和紙刀は象牙製です。
和紙刀の素材で象牙は、
ワシントン条約で今は象牙素材を使用不可能です。
この硯箱はほとんど手紙用ですが、巻紙で書面をいただく人は
今では数人になってしまいました。
和紙は、雁皮、楮は越前和紙を自分用に発注出来ることは幸運なことです。
最近、和紙は三つの産地、それも 1300 年前の産地が選ばれたことには、
福井県選出の参議院議員と文科省の担当者から経緯を聞きました。
私は全く理解していません。
三つの産地に限定されたユネスコ認定は何か変です。
そういう意味では文化関連をユネスコが認定することは間違っています。
この硯はじめ文房四宝という文化が失われて逝くと同時に、
なぜ、ユネスコが遺跡や文化、さらにはデザイン都市まで認定するのかは
もはや時代遅れだと言わざるをえません。
さて、もう一度、硯箱に話をもどせば、手紙を毛筆で書面を作ること、
これはとても重大なことですから、
私は伝統工芸産地にはうるさく、特に若手を教条的に説得しています。
私はこの硯箱を手本にして、あと三つを自分使用に作り出したいのです。
一つは祖父の遺品の硯、硯石、水差しです。
また、もう今では作者もいなくなってしまった鳳足石の硯石です。
これは福井県小浜市の若狭塗りを支えた硯石であり、
鳳足石とは水戸光圀が名付けた赤系と青系の二種があります。
もう一つは、出張用というか、最も小さな硯箱がありますが、
これに最適な硯石を探しています。
書は、まさにカリグラフィーです。
つまり、文字を美しく書く行為ゆえに、この文化を日常化すること。
この大切さを護りぬくことで、硯石、硯箱、和紙刀、毛筆、水差しは
日本の文化、その根幹だと思っています。
それだけに和紙文化の中心であるユネスコの文化認定権は、
何か変だと私は思っています。
そして、文筆での書面手紙が再興してくれることを
心から願っています。


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『持ち歩いてるペンたちが語っている文房四宝』


   


     5月 18th, 2015  Posted 12:18 AM

おそらく、私が持ち歩いているペン、
ボールペン・万年筆・スタイラス、これらが最も進化のシンボル。
私自身、文房四宝=ぶんぼうしほうや文房四友という言葉も、
すでに忘れられていますが、硯・墨・紙・筆は、
友のごとく知性のための道具でありそれこそ知的生産の術でした。
この二つのボールペンにここまで進化してきたスタイラスは、
常に私とともにあります。しかも万年筆やボールペンについては
デザイナーとしても最大限の知見を持っていたいと考えてきました。
すでに、
かつての筆には墨も硯も無く、紙はデジタル紙=Padです。
私にとっての文房四宝は自分の頭脳的な能力を表現する道具ですが、
人はこの進化に多分自分の生涯を委ねて生きてきていることです。
だから、私は無意識なままのペン一つには、
とても耐えられない性分ですから、それこそファッションとしての
ペンからそれこそ現代のパソコン、スマホにまで私は気がかりです。
かつてある企業トップと食事をしていたときに、
そのトップの部下が取り出したボールペンを見て、
腕時計を見せなさい、靴を見せなさいという現場に立ち会いました。
そして、ケータイを変える、腕時計を変える、靴を変えると、
そんな命令場面を見ました。
またある企業トップは私の持ち物をチェックされたこともあります。
なぜ、中国の古典には文房四宝の中でも、硯と紙については
徹底した古典が今も現存しています。
焚書坑儒=政権がその権力を保全するために書籍を焼いて無くした
そんな時代をもこうした古典だけは政権とは無関係に残りました。
結局、知性を表現する道具論はいつの時代も重要だということです。
しかし、この文房四宝などどうでもいいという知的職能家は
すべからく私の喧嘩相手だということは間違いありません。
現代の文房四宝には、まったく新たなデジタルが入っています。


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「北京だから夢中になれたこと」


   


     6月 28th, 2011  Posted 1:00 AM

中国といえば当然ながら、
「文房四宝」。
硯・筆・墨・紙という古典的な知的道具。
これまで中国からのお土産は、
私が好きだからということで、
この文房四宝から、筆と墨はしばしばいただいていました。
紙は、ふるさとには越前和紙がありますから、
その製法は無論知り尽くしているつもりです。
ちょっと舐めてみれば和紙素材を的中できます。
もう見て触れてみたかったのは、「澄心堂紙」です。
北京の観光地にもなっていますが、
ほとんど観光客無し。
文房四宝の街筋に出かけてみました。
硯を見て回りました。
端渓の硯には見事なモノをいっぱい見ました。
外車が買えるほど高価なモノにはびっくりです。
私なりに小ぶりのモノを二つ、かなり値切って手にいれました。
端渓の硯はどこを確認するかを教えてもらいました。
ふと見ると、「青金石」=ラピスラズリの印材を見つけました。
私にとって、このラピスラズリは大好きな青色。
加賀藩・成噀閣の「群青の間」です。
EIZOのFORIS.TVに適用した「青色・ラピスラズリ」です。
今回招聘していただいた同伴の方々の値切り、
そして朱文と白文の篆刻を発注し、作成方法を観察しました。
実は、篆刻をやりたくてその道具類は集めましたが、
相当のトレーニングをしなければならないことや方法が不明でした。
じっくりと観察しました。
弟子入りして20年はかかる技術だそうです。
じっくりとその作業を見守り、エッと思える技を知りました。
そうだったのか・・・・納得、納得の連続でした。
これから「紙墨相発」にこの篆刻、
北京での大収穫でした。
もっともっと毛筆に自分を溶解したい気持ちでいぱいになりました。
ラピスラズリはアフガニスタン産だそうでした。
この溶け込むような群青色は本当に美しい。
これからこの篆刻と端渓硯が私の文房四宝では主役になるでしょう。

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『資本主義からの逃走』
   「文房四宝の進化に沿わせる自分の幸運さ」


   


     11月 26th, 2010  Posted 12:21 AM

文房四宝
文房具というモノは何か心を引きつけます。
「文房四宝」という紙・墨・筆・硯は、
本当に人間の思索にとって、「宝物」です。
小さいときから、書は鍛えられてきたと思います。
しかも、越前和紙と硯は「鳳跡石」のあるふるさとがあったことは幸運でした。
「鳳跡石」
「鳳跡石」は福井県小浜市に江戸時代から伝わりましたが今は引き継がれているのかわかりません。
水戸光圀によって、「鳳跡石」と名付けられたと聞きます。
この硯には水を池に入れると鳳凰の鳥の足跡が浮かぶようだという名辞がです。
ともかく、手紙は、この「文房四宝」に多分こだわっていたいと最近はことさらに思います。
だから、もっともっと「美しい文字」特に「かな」を書きたいと思っています。
今日も大学からもどると、手紙を書きました。

最近手に入れた「矢立」の使い方を自分のものにしたいと思っています。
この「矢立」という道具も素晴らしいと思います。
しかし、本当の使い方・作法を学びたいと望んでいます。
少なからず、私はデザイナーという職業を選んだことで、
万年筆・ボールペンからスケッチまでの文具や画材とともに生きていることも幸運です。
さらに、最近はiPadでの「表現」での手書き文字も美しくしたいと賢明です。


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