2月 16th, 2022 Posted 12:00 AM
2月16日 仏滅(庚子)
『変革としてのデザイン』
たとえ、
これまでのような手法を
デジタル化することでも、
幾何学的な発想を
離脱し、
逃走し、
解放されることに
なるだろう。
artificial heart:川崎和男展
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10月 7th, 2017 Posted 12:30 AM
美大時代に、絵・スケッチが最も下手だった私が練習で描いたのは、
薔薇と菊の花が一番多かったことを思い出します。
薔薇は花弁と茨・棘の関係を最もよく観察していました。
菊は花苞と葉っぱの葉脈でした。
花というと直ぐに、薔薇と菊が練習した思い出に重なります。
47歳の母を見送ったとき、彼女を取り囲んでいた菊は好きではありません。
薔薇の品種改良はとてつもなく進化しています。
薔薇というロマンティックさもありますが、
一時は薔薇の花言葉をすべて暗記していたこともあります。
最も、よく薔薇で女性へのアプローチなどはふやけた男だという意志は、
今でも全く変わりません。
しかし、薔薇それぞれの色を見れば、
最近の映画では、決して間違ってはいけないはずなのに、
花言葉に気づかない監督?や助監督?に呆れることが多いです。
最近はある企業ブランドの薔薇をシンボルとしてきたその理由からも、
このようなシンボル、あるいはマークはあり得ないだろうと思って、
幾何学的にとか、特に化粧品とかの
ブランドマークとかを全て見詰めています。
そして、なぜ人は薔薇にロマンを求めるのかは、
どうも自分には似合わないとか思いながらも、
「薔薇は美しい」対「美しい薔薇」を再考しているのです。
これはあの「花は美しい」と「美しい花」を薔薇に求めているのです。
決して薔薇はあれほどの棘があってもロマン性は傷まないのです。
だから、それこそクライアントがもっと薔薇をシンボルに求めたい、
その気分・気持ちと商品価値性を現代整合性を見直しているのです。
もう一度、菊と薔薇を見直し、さらには牡丹という花など、
花言葉を決めてきた極めて人の物語性的な存在感を求め直しています。
きっとそれはグラフィカルなシンボル性の目印としてのデザインなのですが、
私自身は、花言葉も放れ、ロマン性を翻したそんなデコレーションとしても
薔薇という存在感に問題解決を必ず置きたいと思っています。
* 『「酉年」シンボルにモダンデザインの名作がある』
* 『製品記号論で語り直す時代がやっと訪れた』
* 『注射器はまだまだ痛い』
* 『装飾はデザインにあらず、されど装飾はデザイン可能』
* 『デザインというスタイリングの二種類』
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3月 15th, 2012 Posted 12:00 AM
モダンデザインというよりも、
デザインの源流として、
私はロシア・アヴァンギャルドを位置づけています。
マレーヴィチやマヤコフスキーなどがその代表者ですが、
陶磁器でみると、1920年代には、スエーチンやチェホーニンの作品から、
ロシア革命が一段落し、
革命後次第にスターリンやレーニンの独裁制が強まり、
彼らからの粛正によって、表現形式と内容の後戻りが見えてきます。
シュプレマティスムとしてのスエーチンのレプリカは
MoMAで手に入れることができました。
それから岐阜の現代陶磁器美術館での
ロシア・アヴァンギャルド展は感動的な展覧会でした。
ロシア革命が「ナロード・ニキ」=(人民の中へ)という平等主義は、
コーヒーカップでの加飾においても、幾何学的な正方形や長方形、
そして単色での色面構成でした。
しかし、次第にそれはかつての貴族的な装飾に戻っていきます。
モダンデザインの源流が
次第にデコレーションとしての加飾性を抱え込むことで、
共産主義あるいは社会主義の階級制は復活するのです。
それはデコレーションを過飾してしまうことで、
モダンデザインの破壊につながっていきます。
ロシア革命を芸術・建築・演劇をデザインで統合していったリーダーたち、
彼らの芸術表現活動への圧力や粛正に注目します。
彼らは自殺や虐殺される歴史こそ、
イデオロギーが芸術によって
意識改革できる手段であることを証左しています。
クズキッツフやチェホーニンの作品=シュプレマティスムが
影を潜め始めます。
私の想像では、スエーチンのコーヒーカップ、
そのレプリカをMoMAが製作した意味に、
モダンデザインの源流があったからだと思っています。
こうしたロシア・アヴァンギャルドでの陶磁器技術は
現代と遜色ありません。
むしろ、その色面構成などは現代での商品価値を
今でも確実に持っていると評価しています。
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