kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘定義’


6月30日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 30th, 2023  Posted 12:00 AM

6月30日 大安(己未)

デザインとは、
「モノづくりとコトづくりである」
という安易な言い訳程度の
定義を補強するには、
「モノづくりという
『かたち』のコトづくり」
とまで言い切っておく必要がある。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』6変形という観念としての裏切り


目次を見る

3月25日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 25th, 2022  Posted 12:00 AM

3月25日 赤口(丁丑)

『凝縮としてのデザイン』

それは、
位相空間論での
コンパクトの定義では、
集合化された要素が
開被覆空間において、
そのどの要素を
取り出しても
すべてが
コンパクトな
要素でなければならない
ということである。

artificial heart:川崎和男展


目次を見る

3月24日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 24th, 2022  Posted 12:00 AM

3月24日 大安(丙子)

『凝縮としてのデザイン』

コンパクトとは、
数学的な定義が
最も単純明快な
決定解を与えている。

artificial heart:川崎和男展


目次を見る

7月2日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 2nd, 2021  Posted 12:00 AM

7月2日 先負(辛亥)

『美学としてのデザイン』

その制度は、
デザインとは何かを
概念化させるための、
概説的印象や
記号的納得の語彙で
定義されるにすぎない。

artificial heart:川崎和男展


目次を見る

2月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 16th, 2021  Posted 12:00 AM

2月16日 大安(乙未)

『基層としてのデザイン』

モノの語りかけを
アフォーダンスと定義づけるに、
西洋の文化は2000年を要した。

artificial heart:川崎和男展


目次を見る

12月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 21st, 2020  Posted 12:00 AM

12月21日 大安(戊戌)

『修景としてのデザイン』

景観に存在する
モノを想像するとき、
景観の範疇を厳密に定義しよう。

artificial heart:川崎和男展


目次を見る

11月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 22nd, 2020  Posted 12:00 AM

11月22日 大安(己巳)

『指標としてのデザイン』

いや過去のものとすることで
現代のデザインを
定義づけようというのが
昨今の風潮となっている。

artificial heart:川崎和男展


目次を見る

11月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 21st, 2020  Posted 12:00 AM

11月21日 仏滅(戊辰)

『指標としてのデザイン』

ところが、
この形態化を
デザインと定義する時代は
すでに過去のものと
なりつつある。

artificial heart:川崎和男展


目次を見る

7月8日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 8th, 2020  Posted 12:00 AM

7月8日 仏滅(壬子)

『関数としてのデザイン』

道具としてコンピュータが
より人間に接近するためには、
インダストリアルデザインの
エピステーメーは、
まず点、線、面を
「関数」としてのデザインに
定義し直すことではないかと考える。

artificial heart:川崎和男展


目次を見る

「モノとコトからの逸脱を私は図る新作の価値論」


   


     7月 16th, 2019  Posted 12:00 AM

モノはコトを仕掛け、コトはモノを要求します。
モノが象徴化されれば、構造がそのモノの進展を促し、
コトがモノを準備させます。
一方、モノが神話化すれば、効能がモノを要求しコトを導き
あるいは発祥させます。
現代では、コトからモノへ、コトがモノを突き動かすという
デザインが多く、またそれらがデザイン賞でも奨励されています。
しかし、私は、『芸術の陰謀』(消費社会と現代アート)での
ジャン・ボードリアールの「無価値と無内容」という
一刀両断の切り口を、今の市場の価値論で、思い返しています。
私は秋発表の新作において「性能」としての存在から、
機能と効用を取り込み象徴化から神話化へと昇華させなければなりません。
市場はインターネットで多極化していますから、
消費と浪費の間で、普遍的な富と美を訴求すれば、
その過程で、象徴と神話がモノとコトを見事に分裂を起こせます。
そのとき、アートとデザインはくっきりと定義をわけるでしょう。


目次を見る