kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘多臓器不全死’


『鏡の背後を熟知するため、あるいは解放をめざす』


   


     8月 25th, 2015  Posted 12:00 AM

私が「鏡」に最も興味を抱くことになったのは、
宮川淳の現代美術評論によってでした。
具体的には最初、「プラトンのオルゴール」で、
曲面鏡を組み合わせて、空中に物の虚像を展示計画の核心にしました。
以後、私にとって鏡面は実像と虚像で、
確かに「鏡の背後には冥府がある」というほぼ虚像的な実感があります。
もちろん、金沢21世紀美術館の展示計画には、鏡を多用しました。
が、展示撤収では鏡を割って、と聞いたときに、震えがきました。
そのためかどうか思いすごしでしょうが、
敗血症・多臓器不全死に陥り、重篤状態までを経験しました。
それ以来も鏡面にこだわっていて、鏡面のキーボードを商品化しました。
そのことでは相当にノウハウを積み上げてきたと自負しています。
今はデジタルサイネージでの鏡面とLED照明の組み合わせで、
それこそ「陰影礼賛」にまで届かないだろうかというテーマを発見。
これを自宅にまで設置してWiFiコントロールを狙っています。
丁度、まもなく照明学会全国大会で、この紹介というより提案をと
その図解制作をしながら、多分、このデザイン意図では
必ず限界があることもこれまでの経験で解ります。
それは、かつてアクリルミラーを受験生に与えて入学試験をし、
その時もシミュレーションをしたところ、
それは想像を超えた印象を与えてしまっていることを確認しました。
この印象は金沢でも床面と天井面そして壁面に実物を展示したところ
実際には天井と床は永遠かと思えるほどの高低差を見せました。
まさしく、
視点は「どこを見ているか」という虚像の連続性を生み出します。
もうひとつの視点「どこから見るか」という自分の存在を消します。
鏡・鏡面・鏡面の立体化はとても怖い存在になるだけに、
鏡の魅力は果てしなく、まさに冥府なのかもしれません。
自宅にはなるだけ鏡を存在させずに、
もし鏡面があるとしたらという制御、コントロールが、
日常環境で自在になれば、映像という虚像と、
自分の関係から、冥府を知り尽くすか、解放されるだろう。


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「除細動器埋め込み入れ替えより生還」


   


     10月 24th, 2011  Posted 12:00 AM

ブログ再開させていただきます。
ご心配をおかけしました。
励ましをいっぱいいただいたこと感謝します。

 

左:2006 右:2011・今回新規埋め込み+リード線追加

2006年に「敗血症」になり、
「多臓器不全死」から戻りました。
この経験は交通被災・幾たびかの心臓発作、
そして何度かの重篤を経験した私には、
除細動器の電池切れによる再埋め込み手術は恐怖でした。
感染症を引き起こしやすい体質になってしまったからです。
正直、「死ぬ」ことへの恐怖は全くありません。
ただ、まだやりたいこと、やり残していること、
私を師と思って懸命になっている教え子たち、
そして最愛のワイフと別れることには、
とても自分を納得づけることができませんでした。
このブログを休止したのも、
手術前のこうした大きなストレスと対峙することでした。
この5年でICD=除細動器は進化していました。
しかし、肝心のことは全く進化していませんでした。
日本人は日本製で自分たちを護るべきでしょう。
これはこれから私の私への大きなテーマです。
さらに、リード線の不良率は10%から1.8%となり、
この取り替え手術も付加されました。
以前のドクターはミラノへ留学中。
よって今度の執刀医は、
学位論文作成時、そして公聴会対応などでは、
あるChannel詳細での指導を受けたドクターでした。
手術直後の「儀式」もすることができました。
そして、決して「痛い」と言わないことも守り抜いて、
病室に戻ったとき、ワイフの顔を見てから、
やっぱり「痛いよー」と泣きました。
これでまた5年は生きながらえるでしょう。
ふるさと福井に戻り、ふるさとの空気で試運転。
講演・親友たちと食事・墓参をすませました。
しばし、体調を労りつつもこのブログ再開です。
しばらく沈黙していた時間にみえてきたこと、
どうかご愛読をお願いします。


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