9月 7th, 2012 Posted 12:04 AM
「古本屋さん」や「古書店」は、
すでに「本屋さん」が無くなってきましたから、
消えていってしまうのでしょうか。
私自身は、古本屋さんは車椅子になってからは、
ほとんど店舗に入ることが不可能です。
だから、もうほとんど店内に入ったことがありません。
道路から眺めたり、
時には、古書店の店頭にある美術系や仏教系、
特に書道関連を立ち読みすることはあります。
特に、京都ではこうしたお店をいくつか見つけてもありますが、
立ち読みをする程度になってしまいました。
京都の出版社では、
宗教関連の出版社などは300~400年という出版社もあるらしいのですが、
これらはほとんど京都の寺院関係とある種のギルドであって、
出版文化を支えてきたと私は思っていません。
理由は、三つあります。
まず、これまでの既成仏教の経典を印刷している印刷企業でしかないこと。
新たな宗教関連の作家を発見して「革新的な宗教書」など皆無です。
自信をもって断言します。
さらに「情報化」に即した「出版形式」など全く無視していることです。
「本屋」さんが街から消えていく大きな原因は出版社の体質にあるのです。
出版文化は、人類の知性を支援するトップ企業でなければなりません。
私は、街から「本屋」そして「古書店」が消えていくのは、
出版業界はもとより、その流通での再販制度だけを頼りにしてきた
もう一つのガラパゴス化だと思っています。
最近は、古本を買い取って、
さらに安価で売り出しているチェーン店舗組織企業もありますが、
それが「知的流通業」であるとは思っていません。
「情報化」が出版と販売を革新したことは、もはや否めない現実です。
それでも、私は出版物としての「書籍」・「本」は大好きです。
けれどもそろそろ自分の蔵書も整理し始める人生の時期が来ました。
そんな想いの中で、
街中の「古書店」をいとおしく見つめています。
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8月 9th, 2012 Posted 12:00 AM
電子書籍はなんといっても
評価すべきは「青空文庫」の存在です。
88?90年代、HyperCardの出現時にこの「青空文庫」が登場してから
これまでの活動は大評価すべきデジタル図書館と言っていいでしょう。
そして、日本の出版業界は
大手出版社・出版流通制度に縛り付けられていて、
「デジタル文化」をガラパゴス化したと私は指摘しておきます。
そして、楽天はカナダ・kobo社を傘下にして、
ようやく「電子リーダー」を商品化しました。
ところが、私も購入して大落胆せざるをえませんでした。
批判をしたいとは思っていません。
なぜなら記述すれば、それは「非難」になるものと考えます。
これでは、日本の書籍のデジタル流通を
またまた台無しにしてしまった商業主義そのままだからです。
商業主義であってもいいのですが、問題は、
読書文化を踏み台にして「利益獲得商品」にすぎません。
まだ救いになっているのは、
「青空文庫リーダー」として成立しているということですが、
青空文庫1064冊/11407冊収蔵までしか読めないことが
商品背景に電子書籍データが不完全なことを示しています。
商業主義だけ出版社などは読書冒涜も告白愚弄の有様表示。
私の領域、プロダクトデザインとして評価すれば、
順当なデザインと言いたいところですが、
背面の造形処理などはアマチュアだと指摘しておきます。
読書中の掌的触感は無視されています。
つまり、デコレーション処理造形では「滑りやすくグリップ感』無し。
最もKindleはじめほとんどがこのグリップ感を実現化していません。
願わくば、これはイニシャル商品です。
そして、電子書籍リーダーのシステムは完備し始めたところですから、
第2弾商品は、
「日本ならではの国際的商品化」を絶対に目指してほしいと願います。
「自炊」を個人的、研究室的に進めています。
私たちの「自炊ライブラリー」は、
仲間内的にはさらに大きくしていくつもりです。
今回、kobo Touchは、クレームが多発しましたが、
それはみんなが電子書籍リーダーを渇望しているからです。
むしろ「青空文庫」はまさに裏方として、
本当に日本の読書体系を地道にデジタル化してきました。
私は、「青空文庫」こそ、
すでに書籍のデジタル化を見据えてきた偉大な活動であり、
このことをもっと称讃すべきだと思っています。
kobo Touch2に大きな期待を持っています。
少なくとも印刷書籍形式とデジタル書籍は
「読書文化」として共存していくことが望ましいと考えています。
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6月 1st, 2012 Posted 12:00 AM
現在、私は大阪大学にいて幸運なこと、
それは、阪大が適塾からの歴史をもっていることです。
適塾には、最も尊敬する橋本左内が適塾で学び、
緒方洪庵は、
「後世、適塾有りと語り継がれるならば、
橋本左内をもって他無し」とまで、
橋本左内の能力を評価していました。
その橋本左内は福井藩の侍医家系であり、
日本の医学史においては、
麻酔薬による外科手術を成し遂げた華岡清州に、
橋本家は学び、その弟子筋に藤野家がつながります。
藤野厳九朗は仙台医学専門学校の教授でした。
彼の存在は、
中国近代文学の祖と言われる魯迅よって明らかになります。
魯迅は仙台で学んだ師と仰ぎ、
恩師との関係は中国の教科書に載るほどでした。
藤野厳九朗の甥には、藤野恒三郎がいます。
彼は大阪大学教授として集団食中毒の腸炎ビブリオの発見者。
私が彼の存在を知ったのは、
適塾で使用されていた道具類を骨董的価値としてではなく、
近代医学史の資料として買い集め、
そのまま阪大に寄贈していました。
そして、彼の近代医学史の著作があります。
「医学史話・杉田玄白から福沢諭吉」です。
そして、この本こそ、日本の近代医学史の原典と考えます。
ところがすでにこの本は絶版になっていました。
この著作は、杉田玄白も福井県出身であり、
橋本左内についても詳細に語られていることです。
そこで、この復刊をと想い続けてきましたが、
復刊出版社が見つかり、復刊が決定しました。
本来の出版社はもう存在せず、
問題は、藤野恒三郎の末裔の方々の了解が必要です。
福井の友人達にも調査を依頼しました。
あらためて、三国町を中心とする藤野一族、
そして藤野恒三郎家筋の方々の情報、
さらに了解を求めたいと思っていますので、
心当たりの方はご連絡ください。
「ち」、まさに「知」と「血」、
その系譜を連続させたいと願っています。
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