11月 11th, 2019 Posted 12:00 AM
1988年(昭和63年)に開校した鯖江市「高年大学」の校章は、
私がデザインを引き受けました。
今年、開学40年を迎えた、社会人のマークです。
私の記憶では、当時「コシヒカリ」に重きを置いていると考えて
それをふまえてデザインしたと記憶していたのですが、
実際のデザイン意図は、鯖江市の花・ツツジでした。
ツツジのマークゆえに、デザイン意図は、
「総状花序の記号性を引用し、半円形の構成で
その重なった印象は人生経験のある
高年者の存在性を象徴するとともに、
生涯教育による限り自己啓発への意欲を垂直線で表現する。
そして、柔らかな楕円形態による造形は、
地域社会での高年者同士の親密感をイメージしている。」と
高年大学のしおり、本年度40周年記念号の歩み・文集にも
巻頭に、校章とともに掲載されています。
毎年、500名弱の高年者が様々な文化やら理工までのカリキュラム、
部活動に励まれています。授業料は年間3000円で、
60才以上から入学できます。
人生100年時代を生き抜く生涯学習の場です。
それこそ、私自身がその年代になっています。
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4月 10th, 2017 Posted 12:00 AM
アルビというフランスの田舎街に行ったことがあります。
トゥルーズから車で1時間半の街。
「フランスにおける日本年」1997年頃でした。
そのアルビではいくつかの人生経験をしたことがあります。
まずは、ロ-トレック美術館が古城の中にあって、
私は彼のポスターの石版に触ることも出来ました。
その州知事から表彰も受けましたが、知事公舎も古城跡であり、
古城を取り囲むデモ(無職率4%)があり、
その古城からの地下道を通るとロートレック美術館前の市場に出ました。
そして出来たばかりの鉱山学系の大学院を訪ねました。
フランスでは鉱山学が日本の工学部と同様の入学困難さがありました。
この街で私は倒れて入院を余儀なくされ、フランスの病院での入院日々を
およそ2週間経験までしたことがあります。
そしてなんとなくフランスでの鉱山学が理科系学術の中心だと知ったのです。
これが次第に私が欧州では、鉱山学が学術の中心であって、
「コンシリエンス」という造語に近づくことになりました。
William Whewellを明確に知り、
しかも彼が次の金言を残していたことも知ったのです。
それは、
「失敗を重ねるコトは成功するための積み重ね」であると。
私がフランス・アルビの街で、もっと彼のコトを知っていれば、
あの出来たばかりの大学をもっと隅々まで見ていたでしょう。
アルビはもう一度行って見たい街です。
* 『無駄な投機だった医工学の廃止が証明できている』
* 「仏・アルビの街のデモ騒動を思い出す」
* 『デザイン都市・Saint-Etienne市での基調講演準備』
* 「このポスターに見たデザイン界の「差別」」
* 『血圧・心拍数・脈圧の関係の見詰め直し』
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1月 13th, 2016 Posted 12:00 AM
「デザイン思考」の前に僕は「思」についての概説をしました。
「思」という象形文字は頭蓋骨と心臓の組み合わせにより、
直感的で即応性のある認知を表しています。
そこで、次には「考」についても漢字の象形文字から、
系譜としての意味=原意を僕は求めておきたいと考えます。
これは「思う」という感性的即応的なことではなくて、
象形文字に至る系譜を見詰め直さなければいけません。
なんといっても「考」という漢字は、「老」にその起源をもちます。
「老」とは、白い髪が伸びて腰が曲がった人間、
つまり老人を意味していると言われています。
まさにこの老人とは、様々な人生経験を積んできた存在の姿形です。
この「老」という姿形をシンボル化している象形文字に対して、
老人が杖を持って佇んでいる姿形、
その象形が「考」となります。
これは経験がある人間が立ち止まって何事かを思い続けている風景です。
経験が直感を思い続けて思い込んでいる姿形だと考えることが可能。
思いの連続性に経験での判断が認知を支えて認識につがっています。
「思」があくまでも頭蓋骨の泉門と心臓での感情のままの生理性に、
体験や経験がその判断を再構成することは、
老人の佇みを後継の世代にも受け継がせることです。
それは教育で培ってしまうことでそれを人類の教養に継承させられます。
結果、直感として思うことを停止させて認知判断させることが可能です。
「思考」と「考思」が本来はあったのですが、
今では一般的にどうしても「思い考える」ことと、
「考えて思う」ことがあっても、「考思」は忘れられています。
しかし、僕はこの二つを再配置することで、一方に思慮があり、
一方に考慮があり思惑と考察が見事に直感=主観と客観があるのでしょう。
思識・思念と考証・考査も直感と判断のために思って佇んでいる姿形です。
「思」と「考」が時間軸と経験軸を認知の行動を明確に分離しています。
僕は
「・・・と思います」
「・・・考えます」、この二つには
思的な考証と考的な思識があるということです、
僕らが思惑することに決着するには考証が必要だということです。
思うことは考えることで認識がまとまるということになります。
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