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Posts Tagged ‘五大器械’


『デザインによる美はセンスとしてのテコが要る』


   


     10月 14th, 2017  Posted 11:00 PM

人には人間と人類が種別できます。
そして、人間である条件、人類である条件は極めて勝手気ままな無常識。
同じことが、能力あるいは力(ちから)にも反映しているのです。
私は力:ちからを懸命に追いかけてきました。
それこそ、ちからという日本語での区別・差別・分別全てでの定義です。
簡単に言ってしまえば、ち+からです。
ち+空=この仏教的解釈を自分に取り込んでいるのです。
つまり、「ち」とは知・血・地・値・智・致・治・・・・随分とありますが、
「空」という観念で無に帰すのです。
それがほぼ日本からの哲学的な解釈でしょうし、これを信用しているのです。
そして、力は作用点と方向と、その大きさがあるという物理性です。
従って、それこそ、商品力から開発力など形容される全ての力に、
これが運用されていることがわかります。
ここからさらに、力が能力とまでなってくれば、
まさに、人間・人類・人は個々人の能力を活用し拡大するのは「テコ」です。
これこそ、五大器械の根本にもなるのです。
テコには力が働く、支点と作用点だけが決定すれば、
それこそ、人類は地球でさえ、イラストのごとく、
人の能力で持ち上げることさえできます。
前段が長くなりましたが、テコのこの力を支点と作用点で能力、
それも「美しさ・美」を見極める能力のテコを考え出すこと、
これが真善美のその中の「美」判断力=能力を、
私はデザイン、デザインでのテコを追い求めてきたのです。
だからこそ、自分デザインには必ず、美しさをデザインに配置・配備する、
力の支点と作用点がある、
まさに美のテコを見いだすことでした。
美が創れる能力=美創出の力とは、
ち+空であり、その拡大のためのテコを
それこそデザイナー養成にはテコを自力、つまりテコあるセンスづくり、
これがデザインでの美づくり、美の判断力だったというわけです。

* 「『ち』は知の草書体になった理由に神髄がある」
* 「花綵の国のことばには「ち」、土地と価値がある」
* 『想像力を今また熟考を毎日繰り返している』
* 『芽生えることと確認すること、ライバルとジェラシー』
* 『人工知能には「ち」の思潮が欠落している』


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『ネジ、ボルト・ナットそしてワッシャー』


   


     10月 4th, 2017  Posted 12:00 AM

五大器械がいわゆる機械工学のスタートです。
それは機械工学の教科書やハンドブックの最初に出てきています。
テコ・コロ・滑車・くさび・ネジです。
私は美大時代、いよいよ製品デザインの演習時から、
この五つから逃れるデザインを目指してきました。
特に、ネジについては、卒業制作でスピーカーシステムを製作するときに、
大阪の日本橋でプラスチック製のネジ=ボルトを見つけて狂喜しました。
ところが最終プレゼで、ボルト+ナットがあるがワッシャーがないと指摘。
これはトラウマになっています。
それは私が交通被災で胸椎圧迫骨折の手術を受けて、
そのレントゲン写真でびっくりしました。
ステンレス板を上下、ボルト・ナットで締めましたが、ワッシャーがなくて、
私はドクターに専門家として、「これは必ず緩む」と言いましたが、
「絶対に緩まない」と回答。
結果緩んでしまい、それから緩まないボルト・ナットを懸命に探しました。
以来私は体内に埋め込む医療機器に大きな興味とその専門家になると決め、
それが医科学の学位取得にまでなりました。
そして自分デザインでは美大時代からもボルト・ナットそしてワッシャーを
絶対に使わないことにしてきました。
ボルト・ナットを人類が最初には何のために使われたのかを探しています。
もうここまでくるとそれはオカルト的な話になりますが、
3億年前にボルトありの史実がありますが、ほとんど謎だと思っています。
ボルトの形状の源流は、三角形斜面を円筒形に巻きつけたコロでしょう。
そして、緩まないナットには楔が入ります。
それこそ、森政弘先生の特別講義で
並み居る有名教授にこんな質問が飛びました。
「なぜ、ボルト・ナットは緩まないのか?、君、答えなさい」、
この質問がその分野では超有名教授に飛びました。
しかし、周囲に同意を求めながら、答えに窮していました。
正直、私も初めての質問であり、なぜなのかと自問自答をしてみましたが、
まったく不明でした。
答えは、「ボルトが伸びていてそれをナットがその伸びを食い止めている」。
この答を聞いたとき、実際、我々が五大器械のもう一つ
その奥に潜む物理現象には無知だと思っています。

* 「想定外ではないはずだ・ボルトは必ず緩むモノだ!」
* 『デザイン対象となる医療関連の開発について』
* 「ICDは経皮充電可能である、しかし」
* 「除細動器埋め込み入れ替えより生還」
* 『セルロース素材によるわが国の基幹産業化』


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『機能美に器能美を五大器械から語り直す』


   


     9月 20th, 2017  Posted 12:00 AM

器(うつわ)と機織りが文明の源流です。
飢えと寒さは器と機織りで人類は免れることが出来たのです。
五大器械が器械主義を生みました。
が、それは人間の力を拡大・拡張するための工夫でした。
私は素焼きの器に漆を塗って、詩を詠むことから始めなさいと、
故・金沢美大の教授に教えられました。
そして日本で最古の機織りはからむし織りと言われています。
織機については、シャトルにある憧れが今もあります。
だから、私の伝統工芸での越前打刃物技でのキッチンナイフ、
そのパッケージはシャトル技術で製造しました。
そして、ようやく私は「機能美とデザイン」、この関係に縛られてきた、
デザインを機械主義・機能主義からの解放にたどり着きました。
特に、デザインを知ったかぶりしているデザインコンペなどでは、
呆れかえると同時に怒りをそのままぶつけてきました。
機能主義だけでは語れない、それを補完あるいは絶対的なデザインの進化、
その提示を行うつもりです。
それは「器能主義」と「機能主義」をデザインに差し向けることです。
これはこれまでの学術でも芸術でも語れなかった論理提出です。
果たして機械主義あるいは教育においても機械工学科は間違いです。
五大器械もとどのつまりは械=武器のためであったことです。
そこで、機械主義を機器主義に変えて、器能論と機能論を提示します。
これまでの私なりこれからの私の作品製品から商品で実務で証明可能です。
はっきりと言えば、機能美だけではデザインという手法で美しさは、
全く語ることができないのです。
これまで、「機能美=デザイン」、あるいは「デザイン=機能美」を
語り繋いでくれたデザイナーの先達たちに感謝です。
もう一度、機能主義は三つです。
自然の性能を機能化すること。
物理的な性能で機能化すること。
それらは神への人間としての知恵ある
工夫の機能化でした。
このことをベースにして、自然の性能が効能として器能化すること。
物理的な効能を取り出して器能化すること。
それは機能主義を確実に器能主義として再び五大器械に差し戻すこと、
それが器能と機能になるということです。
なぜ、楽器は楽機では無かったのでしょうか。
IoTを成し遂げるためには、この問いかけに答えられることが必要です。

* 「『はぶたえ=羽二重』の目立たなかった布の美しさ」
* 『伝統工芸での和包丁には間違いがあり過ぎる』
* 『ブランドならばスター商品=カネのなる木商品です』
* 「車イスは器械だから、『自力』の身体化は必然訓練」
* 「『布』平織りの集積された知恵=晒を見直すこと」


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09月18日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 18th, 2017  Posted 12:00 AM

09月18日 仏滅(戊申)

五大器械を歴史的に考え、
器能と機能を
新提示と新定義を与えたい。

川崎和男の発想表現手法


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09月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 16th, 2017  Posted 12:00 AM

09月16日 友引(丙午)

五大器械は「器械」である。
それは全てが尽力を拡大する能力。
それだからこそ、
私は「器能主義」と「機能主義」、
それぞれの美学性を与えたい。

川崎和男の発想表現手法


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09月13日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 13th, 2017  Posted 12:00 AM

09月13日 大安(癸卯)

かっては五大器械と言っていたのに、
なぜ、今では機械かを再考すべきだ。
機械では無い。
機器である。
機械学科はあっても、
機器学科が無い。
ロボットは機器である。

川崎和男の発想表現手法


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『第23回日本文具大賞・機能部門グランプリ=ラチェット機構』


   


     7月 12th, 2014  Posted 1:20 AM

人類は、五大器械という発明によって、道具を機械化しました。
その中で代表的な歯車があります。
歯車は回転をしますが、この回転方向を一定にすることには、
誰が創始者だったかはまったく不明であり、
レンチなどの回転改良や自転車機構の工夫での基本的な機構です。
ラチェットとは器械式機構そのものですが、おそらく、
工業デザインの基礎では必ず学ぶものでした。
いわば、五大機構の一つを改良したものだったと思っています。
「鉛筆削り器」にすぎませんが、このちっちゃなモノに、
創意工夫の基本機構を、正直、今更ながらと考えますが、見事です。
これまでの単なる鉛筆を回転させて削ることを省力化したのです。
このメーカーは、文具大賞を目標にして初めての応募と聞きました。
だから、優秀賞からグランプリの発表では大変に驚かれました。
審査委員長の私には、大きな体の社長がこの小さな工夫器械商品化に
かえって驚嘆したほどでした。
文房具は100円から500円程度のモノたちですが、その大きさに、
性能アップで社会存在させた効能が、融合してこそ機能が生まれ、
そして、かいわいらしさに美しい機構設計は日本の独自性でした。
つまり、日本が「鉛筆削り器」を大発展させてしまったのです。
国家プロジェクトを大仰に語る業界が最先端技術だとは思えません。
文房具業界には、基本の基本で工夫改良を丹念にしていることを
私は「これぞ、最先端!」と叫びたいほどでした。
確かに、鉛筆よりシャープペンシルの風潮がありますが、
鉛筆をまず、この簡潔な器械で削ることから、本格的な刃物で、
リンゴの皮がむけるのが子どもが辿るべき重要な育成過程です。
だからこそこの簡単明快な小さな器械に私たちは大喝采すべきです。
機能部門とデザイン部門、二つのグランプリ商品は、
日本で発祥したから、なおさらきっと国際化、
世界中の児童達から大人までが最先端の文房具になるでしょう。
日本人だからこそ、小さな国でこの小さな器械が生まれたこと、
心から喜びたいと思っています。

SONIC ラチェッタワン ハンディ


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「ダ・ヴィンチというエネルギー」


   


     6月 17th, 2011  Posted 12:00 AM

レオナルド・ダ・ヴィンチ、
最も会ってみたい人です。
学生たちには、友人をつくること、
この大切さを自分の経験から話します。
そして、今は亡き友人は自分で決めることができます。
そういう意味では、
ダ・ヴィンチは私の友人の一人です。
頭を空っぽにして、彼のスケッチを読みます。
彼の手稿は、正直、不分明なことが多いですが、
「ことば」を仕入れることが可能です。
彼の寓話論は一つの大きな視点です。
また、アトランティコ手稿というのがあります。
これは、ダ・ヴィンチのスケッチである紙のサイズ、
アトラスサイズに描かれたいわばデザインです。
いわば、「五大器械」その組み合わせの発想は膨大です。
そして、思うのは、
ダ・ヴィンチだったらエネルギーを、
どのように考えついていただろうということです。
ダ・ヴィンチ「エネルギーコード」という考え方です。
水・火・人力、そして器械的な構造で発生するような
仕事量=エネルギーは読み取ることができます。
「マッツォッキオ」という形態のスケッチがあります。
これはまぎれない「トーラス」形態です。
これは、私にとって最も刺激を受けた形態です。
この形態を作成する部品点数などを描き込む、
ダ・ヴィンチという「人物のエネルギー」に、
まず心惹かれます。
つまり、人力の詳細さに宿るエネルギーも、
大きなエネルギー問題です。
そして、それを補強してくれたり増強する友人は、
大きなエネルギー源だと思います。
「エネルギー」、
このことばの意味には深度があり過ぎます。

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『資本主義からの逃走』
  「車イスは器械だから、『自力』の身体化は必然訓練」


   


     8月 23rd, 2010  Posted 12:00 AM

壮絶なのは日常なり
私は、自分の交通被災から車イスのデザインをしました。
この実体験は「壮絶」と思われているようですが、
「生きている日常の方が壮絶」だと思っています。
本当の「壮絶さ」な人間界の話はいづれ書きます。「悲惨な壮絶さ」は潜んでいるのです。
五大器械
さて私は、車イスは道具ではなくて「器械」だと言っています。
器械は、『周礼』では、「器は楽器で、械は武器」、
『後漢書』では、「器は内に盛るモノ、械は外に盛るモノ」、そして『荀子』では、
「器は、鎧(よろい)冑(かぶと)で、械は矛(ほこ)弓(ゆみ)ということになっています。
一方、古代西洋のヘロンは五大器械を、てこ・ろくろ・くさび・ねじ・滑車と定義していますから、すべからく「人力」という力学が関わっているということです。
自力養成訓練
そこで、私は車イスを「自力」デザインで開発と、乗りこなせる「自力養成」をしてきました。
救急病院時代は、プラスチックのギブスで上半身をカバーしながら、
退院間際には、ようやく2kの砂袋を10cmぐらい動かせるようになっていました。
半年後に労災病院で、いよいよ本格的なリハビリテーションを受けることになりました。
それは自分を鍛え直すことになったのです。
まず、700ccの水を1日に3回飲み干すことです。これは体の水分を保持し排泄訓練のためでした。
おかげで、容器を見れば何ccかすぐにわかりますし、
今も、ともかく最低2000cc以上で体内水分調整することです。
相変わらず、発熱は連続していました。朝の検温で37度だとトレーニングはできません。
だから、37度を越えていると必ず37度以下にして、トレーニングを受けました。
案の定、トレーニング中に高熱となり幾たびか倒れました。
問題は、2k程度ではまったく車イスどころか、「自力」でベッド上で体を起こすことはできません。ともかく5kの鉄アレーでのトレーニングをめざしました。
七つのパターンを各150回上げ下げをすることになります。
ベッドでの起立は、当時の日本のリハビリ標準値は一ヶ月でした。
しかし、ベトナム戦争傷病兵のリハビリ本が東芝のデザイン部門は届けてくれました。
それによると米国では2週間というメニューがありました。私はそれを目標にしたのです。
車イスに乗るためには150kの鉄アレートレーニングが必要。
これは鉄棒での懸垂運動30回程度相当です。
自力力学
つまり、人間の「自力エネルギー」というのは、自分の体重を自力でコントロールする力学を、
「自力的に身体化」するということです。私のリハビリトレーニングは「優等生」でした。
それが出来たのは、中高大までにスポーツで鍛えてきたことが役に立ったということです。
水泳・スキー・空手・少林寺拳法・ロッククライミングでの経験があったために、
失われていた「自力」の回復は半年で150kの鉄アレーで回復させることができました。
やっぱり、車イスは器械です。
だから自転車も道具ではなくて、「自力と平衡感覚力」を駆使する器械だと断言できます。


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