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Posts Tagged ‘九谷焼き’


『68歳、青春の日々を金沢で再度、行学に』


   


     2月 27th, 2017  Posted 12:15 AM

68歳、その初日を迎えます。
25日に金沢に帰りました。
金沢美術工芸大学産業美術学科デザイン系同期卒の会に参加。
一泊して26日誕生日は、ホテルから金沢駅街を散策して、
今じゃ船のように揺れるサンダーバードで帰宅しました。
デザイン系同期卒業の会は、45周年です。
40周年に50周年をと、約束をしましたが、ひょっとすると、
循環器や癌で会えなくなるということで集まろうということになりました。
私たちの世代は工芸繊維デザイン・商業デザイン・工業デザインの3専攻。
全体は産業美術学科であり、(もはやデザインは産業支援を超えてきた)
デザインは産業を支援するデザインだったわけです。
結局もうこの際だから「あの頃・・・」という話になり、
「そっだったのか」、爆笑連続でした。
当時、私は絵が下手であり、皆があまりに車の絵が上手くて、
「なんで、車の絵?」
「なんでプラモデルが上手すぎるの?」
ハァ、何しにこの学校に?
「カーデザインって何?」と周りを困惑させていたのです。
徹底的に「リピート  !」課題やり直しを命ぜられていたのです。
周囲が余りに絵が上手すぎて、
デザイナーを諦めたとかの話がいっぱいありました。
それでも、全員が「人生で一番輝いていた4年間」でした。
そして、北陸新幹線での観光客の多さには圧倒されました。
しかし、一方では例えば、九谷焼き、漆芸の商品が、
値上がりしていました。
(嘘だろう、この作家の作品、高すぎる!)
これは観光都市が必ずこうして真の文化がこわれていくのです。
いわゆる金沢市は京都化していくのを見てしまった気がしました。
それこそ、ちょうど「プレミアムデー」制定とかで、
国家方針(霞ヶ関)も狂ってきている気がしてなりません。
それこそ、リゾートシティ計画=観光都市とか言われると、
リゾートというのは「何度も休養で通いが出来ること」です。
しかし、観光ともなればそれは「乞食(こつじき)」なのです。
ともかく、もはや人生の残り僅かを
行学の自己決定をやり尽くす覚悟でと決めているのです。

* 『造形デザインがレジリエンスデザインを具体化解答』
* 「『形と性能』・デザイン成果=造形言語と形態言語」
* 『もっと豊かな鉄道システムの統括デザインが急務』
* 『4年ぶりの金沢、駅のホームで・・・』
*『乞食=こつじきの地になってならない! 造形美の神社』


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『今年度最終「KK適塾」で基幹産業を紹介する』


   


     12月 23rd, 2016  Posted 12:00 AM

ここしばらくこのブログを停止していました。
それは「基幹産業」を見つけるというミッションを考え込んでいたからです。
そして、「KK適塾」今年度最後には絶対に紹介しようと思っていたのです。
ブログ休筆で「病気?」とか言われましたが元気です。
ひたすら考えに考えてしかも招聘教授もこれで4名になりました。
「基幹産業?」、これは本日の「KK適塾」参加の方々には、
ともかく知らせました。
今後、「KK適塾」で次第に発表を強めていくつもりです。
3D-Peinter、3D-Printing、の現代の覇者2名を講師にお願いしました。
プレゼ画面は全員Keynoteで作成されたから動画と音楽が加わりました。
3D-CADから4D、5D、6D-CADまでがわが国にはあります。
「モノづくり」国家、「貿易国家」であるコンテクストは、
本当に農業革命=農場、産業革命=工場、
そして意識革命は情報革命となって、ゆえに、
見事に「劇場」になりましたがポストITはまだ明言されていません。
貿易国家はまず九谷焼き、そして羽二重、繊維、鉄鋼は
重厚長大が軽薄短小になり、
「失われた20年」で、日本は基幹産業も失いました。
しかし、3.11で学びとり、やがて島国日本の大災害に備えます。
そして思い起こしてほしいのです。
「パリ協定」こそ、
これからの基幹産業を明示しているのです。
義と美と善を尽くすわが国から「基幹産業」を打ち出すことが大切です。
プラトンは
「迷ったならば、美しさあるものごとが正しい」と記述しています。

* 『日本戦略は二つある。3D-Printerと3D-Printing』
* 『三つの革命・予測は当たっていた』
* 『3D-Printingの基本にもう一度戻るために』
* 『欧米が未来のモノづくりとした大間違い』
* 「もう一度、『情報』意味の徹底検証」


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「貿易立国最初の輸出品・九谷焼き」


   


     3月 8th, 2012  Posted 12:00 AM

明治維新後、日本のアイデンティティ明示は、
岡倉天心の国家プロジェクトで、狩野芳崖の「悲母観音像」でした。
西欧諸国が驚愕したこの絵画一点を証明したのは、
1873年ウィーン万国博での「九谷焼き」商品でした。
日本が貿易立国となっていく最初の商品が九谷焼きになりました。
私はこの最初の貿易品が九谷焼きだったのなら、
長い間どのような陶磁器であったのかと思い続けてきました。
改めて逆輸入された当時の輸出品そのものを九谷産地で見つけ出しました。
今では私の大切なコレクションになっています。
これは現在の九谷焼きをはるかにしのいでいるとともに、
日本の現代の陶磁器技術を超えていると評価できます。
まず陶磁器とは思えない、
まるで「ガラスのようなセラミックス」であり軽いことは究極です。
さらに、装飾=これをデザインとは私は呼びませんが、
デコレーション=装飾・加飾技法もずばぬけています。
だから、加賀の伝統は今も健在だとは言い切れないと思っています。
最近、全国の陶磁器から漆器に至るまで、
デコレーション=加飾の描写技法デッサン能力の低下を私は憂いています。
ずばり、
伝統工芸産地での自然写生デッサン力は下手くそになり果てています。
そのようなデッサン力で「人間国宝」の作家が数多くいます。
これは日本だけでなく海外の有名ブランドでも起こっている傾向です。
それこそ、何の花か、鳥らしいが何の鳥、葉っぱなどの描き分けは
完全に間違っているモノが多いのです。
自然観察力とデッサン能力は世界的にも力量低下しています。
世界の自然景観で失っている動植物が多いのかもしれません。
私は、最近は陶磁器を徹底的に収集をしています。
デザイン資料は「使わないと」本当の機能・性能が不明ですから、
いざ購入ともなれば、
自分がコレクションするのだから吟味に吟味します。
陶磁器はCHAINAと呼ばれてきましたが、
漆製品=JAPANでは無くて現在はLUCQER WAREと呼ばれます。
したがって、陶磁器産業はセラミックス産業として、
まず、陶石や陶土を伝統工芸陶磁器現地産から解放されるべきです。
さらに、写実的なデコレーション、
これを私は絶対にデザインとは呼びませんが、
デッサン描写力を強化すべきです。
となれば製陶技術を
さらに高度な技術開発をベースにしたデザイン導入が必要です。
結局、陶磁器はあまりにも伝統工芸への大きな誤解、
産地存続の継承にだけ踏みとどまり、
全く「革新」をしてこなかったと判断しています。
なぜ、明治維新後、日本の国際化・貿易立国としての輸出品が
九谷のセラミックスだったのかその詳細を見直せば一目瞭然です。
この技術はもはや九谷に残ってはいないのではないでしょうか。

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