10月26日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
10月 26th, 2020 Posted 12:00 AM
目次を見る
5月 27th, 2014 Posted 12:00 AM
「東京」、一極集中は昭和から今なおさらに強まっています。
地方から東京への想いは、この代表的な団塊世代の歌手たち、
彼らの「東京」詩情があって歌謡曲のタイトルに象徴されました。
矢沢永吉=広島、やしきたかじん=大阪、松山千春=北海道から
それぞれの歌詞内容に彼らの東京への想いが歌われました。
しかも、すべてが昭和の時代であり、私と同世代のきもちでした。
彼らがふるさとから、東京での自己表現をめざし、
あきらめというよりも、都市構造を見透かした歌手たちでした。
私にとっての東京時代は7年間定住でしたが、
その後は、距離をとって傍観し、月1上京しています。
最も「変だ!、おかしい!」と思っていたのはバブル時期でした。
その頃、東京がバブルだとは福井にいた私には不明でしたが、
ちょうどその当時はApple本社・クパチーノとの関係だけの仕事。
東京から来訪するプロデューサーと称する人たちの異様さは、
今も明確に覚えていますが、彼らは今、存在していません。
東京一極集中は、現在、ますます勢力を露わにしています。
比して、廃村ということばを辞めて「終村」らしいのです。
私は日本列島の集落=村体制づくりにこそ新政策が必要でしょう、
が、その政策、村づくりデザインは行き詰まっていると感じます。
ひょっとすれば、「東京」と謳われた時に、
現在のシャッター通りまでが予知されていたのかも知れません。
私のふるさと福井県も人口は80万人を減少させています。
月1回、帰省する度に私は精彩を欠いていくふるさとを知ります。
この「都・対・鄙」に、私は鄙びと=雛美人デザイン論、
これを若き日に書きましたが、伝統工芸にだけ適用させました。
おそらく、3.11以後、さらに一極集中が強靭化するなかで、
私はあらためて雛美人デザイン論が必要だと思っています。
「終村」は決して言ってもつくってもいけない観念です!
Tags: 「東京」, 「終村」, 「都・対・鄙」, Apple本社・クパチーノ, シャッター通り, バブル時期, 一極集中, 伝統工芸, 団塊世代, 廃村, 昭和, 村づくり, 東京一極集中, 歌手, 歌謡曲, 自己表現, 観念, 鄙びと, 集落, 雛美人デザイン論
Posted in 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ
3月 26th, 2012 Posted 12:00 AM
Tags: アドバイス, イメージ, エンターテイメント性, キャナルシティ博多, キャナル博多, グランドハイアット福岡, ゲーム, ショッピング, ショッピングモール, デザイナー, テレビゲーム, バリアー, ファッションセンス, ファッション性, ホスピタリティ, マーケッティング, までい-Project, ロリコン, ワイフ, 一極集中, 九州, 人気, 人気ブランド, 健康機能商品, 出張, 博多, 博多駅, 唐津, 商品アイテム, 夢中, 大人, 女の子, 子供, 存在, 店内動線, 店舗, 店頭, 忠告, 感謝, 拒否記号, 最高ランク, 有田, 札幌, 札幌市立大学, 東日本被災地復興, 歯, 治療, 活況ぶり, 海外, 物欲, 特別老人ホーム, 生涯, 発見, 百貨店, 盛況, 真相, 競合, 経験, 脳内, 興味, 航空機, 衝動買い, 視点, 観察, 購買欲, 車椅子対応, 開発
Posted in 企望を「までい」具現へ, 祈望から企望へ
11月 9th, 2010 Posted 12:00 AM
地方の時代
日本、それは東京でした。
地方は消えていました。
結果、国際的なすべての情報発信も東京。
一度、ふるさとでデザインしていた私には、
東京はパスポート無しの海外都市だったのです。
「地方の時代」が叫ばれたのも80年代初期だったと記憶しています。
同時に、ローカルからグローバリゼーションが、
地方活性化策にはなったが、せいぜい、地方都市が、
姉妹都市関係を結ぶ程度でした。
国策としての地方都市からのグローバリゼーションは、
地方の青年会議所が視察しているだけと私は傍観していました。
グローバリゼーションは、あくまでも行動的な企業に限定されていたと思います。
では、東京がグローバリゼーションに成功してきたのかとなれば、
これもバブルとともに終焉し、
今や、東京が国際的なローカル都市になりつつあるのです。
まして、地方都市にグローバル化の政策は無いにも等しい。
グローバリゼーション
私は、グローバリゼーションとは、観光都市になることでもないのです。
端的には、グローバリズムの中心が何かを突き止めることであり、
それは、経済至上主義の流動性でしかないのではないかと思います。
何がグローバリズムかは、世界全体が見失っていると判断します。
だからこそ、グローバリゼーション・グローバリズムへの国策は、
産業経済、景気循環、これらの流動性=虚構性そのものを、
情報空間とあらゆる領域での「ホスト国」・「ホスト地方都市」、
その条件整備をデザイン=策略化の創出、
この制度的機関すら整備されていないという問題が明白となってしまっているのです。
一極集中していったことで、東京そのものがローカル都市化を引き込んでいます。
Tags: 80年代初期, KazuoKawasaki, グローバリズム, グローバリゼーション, デザイン, パスポート無しの海外都市, バブル, ふるさと, ホスト国, ホスト地方都市, ローカル, ローカル都市, 一極集中, 制度的機関, 国策, 地方, 地方の時代, 地方活性化策, 地方都市, 姉妹都市関係, 川崎和男, 情報発信, 情報空間, 景気循環, 東京, 流動性, 産業経済, 策略化, 経済至上主義, 虚構性, 観光都市, 資本主義からの逃走, 青年会議所
Posted in 057「グローバリゼーション」, 資本主義から逃走せよ!