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Posts Tagged ‘ダヴィンチ’


『ダビンチのスケッチに想像力は皆無だ、創造のためだ』


   


     10月 1st, 2017  Posted 12:00 AM

創造性と想像性について、私がこの関係を語り出したことは、
大学人になってデザインの講義や講演でのことでした。
美大時代はひたすらデッサンは東京藝大の石膏デッサンよりも
鉛筆デッサンや水彩画であり、とりわけスタイライゼーションとかレタリング、
柳宗理先生は常にモデリング主体で絵を描くことは叱られるほど駄目でした。
創造力と想像力の関係は、それこそクリエーションとイマジネーション。
これらについて語らねばならないほど、時代も社会も産業においても、
創造力と想像力が大欠落してきたからだと思います。
私が手元において常に見ているのは「レオナルド・ダヴィンチのスケッチ」、
手稿集がまとめられている、とても分厚い本です。
彼のスケッチで、ほとんど知られていないのは、
馬のスケッチや植物のスケッチとその寸法図があることです。
彼の手稿集は、ほとんどが武器の構造図が多く、筋肉や骨格であり、
私がもう20年も見続けている限り、
たとえば眼球のスケッチは2枚しかありませんし解剖図にはなっていません。
私はメガネのデザインもしていることから、
実際に名古屋市立大学医学部の解剖室で眼球周辺を
自分で死体(女性)の眼球周辺の筋肉から神経と脳内まで、
解剖学の教授から教えられています。
それだけに、眼球周りの写真でもある解剖図鑑は見返すことはしばしばです。
だからメガネのデザインを見て、一瞬にこのテンプルはありえないと、
断言することもできますし、このメーカーがたとえこの著名デザイナーと、
いわゆるコラボレーションでも、絶対に失敗することがわかります。
先般も京都の古本屋で江戸時代の人物素描集を発見しましたが、
ちょっと躊躇していたらら、次回訪れるともうありませんでした。
そういう意味では「ターヘルアナトミア」、
日本で最初の「解体新書」をじっくりと読み直してみたいと思っています。
それはふるさと福井県の小浜藩士の杉田玄白著でもあるからです。
これにどれだけの眼球解剖図があるのかを確かめたいと思っています。
とこかく、クリエーションとイマジネーションとは
まったく無関係だとも言いたいからです。

* 「想像力の尊大さをリドリー・スコットに観る」
* 「見本市と貿易と、国際関係の国家戦略」
* 『現時点でのスタイラスペンの評価』
* 『民藝の美とデザインの美は区分分別されていた』
* 「HMDを『スカウター』と呼んでいる・商品化されたモノ」


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『スタイラスの体感重量を調整した私の工夫』


   


     2月 24th, 2015  Posted 12:00 AM

ダヴィンチ時代の鉄ペンは、やはりピニンファリーナでのデザイン、
私にとって、最良のグリップ性と体感重量でした。
そこで、結局、私が進化を追い求めてきたこのペン先が最適でした。
問題は、重量感ですが、これはペンシルホルダーに、
私なりの決めたモノを詰め込みながら、決定的な2種類です。
一方は、ライン専用であり、
もう一方は、ブラッシュ的な面用を使っています。
しかし、スタイラスは少なからず12本は持ち歩いています。
当然ながら、アプリケーションも今では相当に増えましたが、
使いこなすのは、スケッチ用が3種程度で、書用は一種です。
実際には、書を太さ別や、書き心地はこれで確認ができます。
かつて、スケッチ練習では、デザインストロークで、
レタリングから通常の描写訓練でした。
デザインストロークで鶏をどれほど描かされたかが基本です。
したがって、ともかくデジタルスケッチ技法を身体化するために、
私は毎日必ず、ライン描きとブラッシュ描きを訓練してきました。
だから、教育者としてこの訓練で、確実に私は、
iPad上でのデジタルトレーニング方法を創ったと思っています。
だから、出来る限り、アイディアスケッチでの
ラフレンダリングは可能だと考えています。
それはやがて、紙とペンというアナログを超えて、
デジタルスケッチの時代が来ると思っていますし、
このスケッチから図面それも3D図面となり、
これが3Dプリンターに直結するでしょう。
私は光造形をやるために大学人になり、光造形をマスターしました。
光造形は素材も進化してくる過程をみましたが、
今では3Dプリンターがようやくそれも廉価なモノが出てきました。
ただし、3Dプリンターを使いこなせる人物は5人程度です。
そして、私が光造形で試したことが出来るのは3人しかいません。
いづれにしても、デザインの基本はスケッチです。
手が考え出してくれるデジタルスケッチ、
そのためのスタイラスはようやくここまで進化してきたと思います。

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『iPadでのスタイラス先端が新たなペン先になった』


   


     2月 23rd, 2015  Posted 12:00 AM

iPadでスケッチが描けるようになってから、
スタイラスを自作してさらにあらゆるスタイラスを使ってきました。
私は、なんとか自分の身体・指先にフィット感を重視したのです。
本当に、市販されるとこのフィット感に拘り抜いてきました。
が、ダヴィンチ時代の鉄ペンを使い、葉巻文化が生きたボールペン、
こうした筆記具で、大きなことを学んだのです。
それは、「弘法筆を選ばず」ということでした。
結局、スタイラスが静電対応まで工夫されてきましたが、
そんな中で、スタイラス先端が小さな円形透明プラスチックが
実はアプリケーションとの対応で、スケッチと書が同じことが重大。
この発見によって、私は、これからのスケッチ技能を
iPad上で、どういうトレーニングで可能になるかということでした。
幸いにして、NHK国際の取材で、デザイナーならスケッチ場面撮影を
必ずTV的に要求されますから、「デジタルスケッチにします」、
取材陣はびっくりされたようですが、描き出したら、
次々と要求されるとともに、まったくこれまでの画材無しを評価。
そうして、私は、これからのデザイン教育には「この方法」がある、
ここまでに気づきました。
これは名古屋市立大学での「色彩論」をすべてMac上に置き換え、
Apple銀座でも「デジタル色彩論」を話したことがあります。
確かに、アナログ的に、様々な画材を使いこなすことは
私には身体的にも40年も慣れしたしんできましたが、
デジタルスケッチしかも新しいスタイラスペン先が身体化しました。
アナログスケッチにはスピードライ・マーカーが最適でしたが、
デジタルスケッチでは、レイヤーの気づき方とスタイラスでは、
様々なペン筆跡の膨大な組み合わせを身体化するだけだと思います。
いづれ、私のデジタルスケッチ、そのトレーニング基本を
これからのデザインスケッチ技法として紹介するつもりです。

「iPad-SkechBookPro カラーマネージメント」


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『描くこと=その神髄を決定づけているペンと紙』


   


     2月 21st, 2015  Posted 12:00 AM

デザイナーになって、最高だったことはスケッチを描くことでした。
それこそ、美大時代から絵のための道具には、
最も神経を使ってきたかもしれません。
今、巡りあったペンは、流石というべきか、
ピニンファリーナのデザインというだけあって抜群の持ち味でした。
おそらく、世界中のペンは人一倍触り、また収集にも必死でした。
「弘法は筆を選ばず」ということの真意に私は近づいている、
この想いを一番にしてきたと思っています。
このペンは、あのダヴィンチ時代に存在していたという、
まさしく鉄ペン=スタイラスそのものです。
したがって、そのノートの紙質も最高であるべきだと思っています。
だから、このペンとノートを超えるモノは存在していないはずです。
そうなれば、どんな絵、スケッチを描いているのかが問題です。
スケッチは2006年に金沢21世紀美術館で初めて展示しました。
私はデザインが終われば、簡単に捨ててしまっていましたから、
金沢での個展時には、えらく叱られましたから、
それ以来は、なるべく残しておこうと考えています。
一度、オークションでも2枚=高価で売れました。
そのこともあって、スケッチはボールペンですが、
このボールペンでは、自分なりにはなんと言っても最高を求めます。
したがって、なぜ、こんなデザインを平気で出来るのかという
そのようなペンも見てきました。
案の上、海外の万年筆やボールペンの批評家たちには、なんとも
情けなくけなされているのですが、デザイナー自身は気づいていません。
最近は、Padでのスケッチを正直に楽々にマスターしました。
そのためにスタイラスそのモノも自作から選別をしてきました。
ところが、このペンに出会ってから、どんなペンであろうが、
スケッチ能力と書道力が一致していることに達しました。
すなわち、「弘法は筆を選ばす」ではなくて、
筆次第で、スケッチも書も、「表現の極致に向かう自分」、
このことに気づいてきたということです。

久々にこのブログが書けました。
このブログを休むと、心配をかけてしまいます。
風邪をこじらせ、しかも体調も崩していましたが元気です。
また、修行のごとくこのブログに連日向かいます。


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『手稿は宝物である』


   


     12月 7th, 2014  Posted 12:00 AM

私は教員という役目として、学生たちには、友人をつくることを
ことさら薦めて主張してきました。
ただし、友人というのは、今は亡き人たちに友人をつくることです。
彼ら、彼女らは、書籍の中に生きていますから、
本を読んで一方的に必死に友情をもてるぐらいになることを薦めます。
まして、その友人達の手稿があればそれは最高の友情だと考えます。
私の宝物は本物ではありませんが、ダヴィンチとクレーの手稿、
この二つは最高の物であり、おそらく再版されない限り、
美術館での特別展以外は見ることができません。
ダヴィンチはデッサン手稿でとても大きいのですが、
パウル・クレーの「造形理論ノート」は、彼の講義準備ノートです。
手稿ゆえに言葉は独語で書かれていますが、
出版物(今はもう手に入らない)では、ノートと翻訳があり、
ノートにはいわゆる図形、形態の彼なりの原則解釈があります。
おそらく、パウル・クレーほど厳密に図形、その造形解釈、
その論理化を熟考し言葉に置き換えて残してくれた人物はいません。
したがって、よく質問をしてくる学生には、
パウル・クレーと友情を持つことを吹聴してきたものです。
その実、今でも私がすべてを理解しているわけではありませんが、
時に、この造形表現はなにかおかしいと直感すると、
その説明は、彼の造形思考ノートで正解を確認することができます。
たとえば、単純なこと、矢印図形一つでも、なぜ、その平面性や
力学的な特性は、彼の言葉、文章で理解可能になります。
日本ではほとんどバウハウスの教育論が無視されていますが、
文理学際化の源、その教育原理はバウハウスにあります。
「教育原理」という教員資格単位がありましたが、
私は4年間この授業を受けましたが、単位を取らずなので、
結局、中高の美術科教員資格は持てませんでした。
理由は明快です。パウル・クレーの言説論無き「教育原理」などは、
大間違いだと今も思っているからです。
造形理論ノートには、造形課題とその教育理由が書かれています。


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