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Posts Tagged ‘言葉’


「ユリイカ」に記事が掲載されています


   


     10月 29th, 2024  Posted 4:00 PM


ユリイカ2024年11月号 特集=松岡正剛
10月28日販売です。

「言葉にならないことを自覚するために言葉を尽くす、
 思考して「言語道断」――松岡正剛への拝復 / 川崎和男」
が掲載されています。


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10月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 21st, 2023  Posted 12:00 AM

10月21日 先負(壬子)

形態の美しさと機能性は、
用と美と呼ばれてきた。
そして、少なからず、
用と美は日本の工芸の極致的な
言葉である。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』12 造形形態学の必然性


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3月1日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 1st, 2022  Posted 12:00 AM

3月1日 大安(癸丑)

『触覚としてのデザイン』

あるいはすでに、
デザインは
視覚デザインという
言葉は
葬った方がいいだろう。

artificial heart:川崎和男展


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2月28日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 28th, 2022  Posted 12:00 AM

2月28日 仏滅(壬子)

『触覚としてのデザイン』

視覚的障害を
もった人々に対して、
デザインは
触覚デザインが
希求されて
当然である。

artificial heart:川崎和男展


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2月25日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 25th, 2022  Posted 12:00 AM

2月25日 先勝(己酉)

『触覚としてのデザイン』

視覚デザイン
という言葉は、
見せて
理解をさせる
デザイン
という意味では
間違ってはいない。

artificial heart:川崎和男展


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7月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 21st, 2021  Posted 12:00 AM

7月21日 大安(庚午)

『逐次としてのデザイン』

逐次的
という言葉を使うよりは
むしろ、
逐年という言葉の方が
意味をもつ場合の方が
多い。

artificial heart:川崎和男展


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7月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 16th, 2021  Posted 12:00 AM

7月16日 赤口(乙丑)

『逐次としてのデザイン』

逐次、
それは時間や、
あるいは順序や経過が、
段階を追って物事が生成、
変化、
進展することを
意味する言葉である。

artificial heart:川崎和男展


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3月11日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 11th, 2021  Posted 12:00 AM

3月11日 仏滅(戊午)

『黙示としてのデザイン』

言葉の魔力や
言語の神秘性は
排除されたまま
めまぐるしく商品としての
コンピュータが
登場しているわけだ。

artificial heart:川崎和男展


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12月8日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 8th, 2019  Posted 12:00 AM

12月8日 仏滅(己卯)

形態の美しさと機能性は、
用と美と呼ばれてきた。
そして、少なからず、
用と美は日本の工芸の極致的な
言葉である。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』12 造形形態学の必然性


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『武器も兵器も、戦争ではなくて「スポーツ」である』


   


     8月 3rd, 2019  Posted 12:00 AM

戦争という言葉だけで、特に日本人は大嫌いです。
様々な技術開発が戦争の武器や兵器となることは当然危惧しています。
同時に、デザイナーとして武器や兵器には
造形と技術の知識に、ダ・ヴインチの如く関心を持って見ています。
知識と発想がなければ開発することも、正しく有効利用することも、
問題解決することも、平和的利用にもつなげられません。
「戦い」はそれこそ戦争ではない勝敗で、
新しいスポーツ化されないものかと考えています。
サッカーの起源が、戦争で勝った敵国の将軍の首を蹴って
祝ったことからとされていますが、
今はその競技には行き過ぎた行動を伴うほどに
血が騒ぎ熱狂を持って楽しむスポーツです。
そしてスポーツ選手は、英雄になり多くの人達に、
感動や勇気を与えています。武術や武道も戦闘法から、
その型の美しさや技の強さを競う勝敗をつける戦いとなり
身体と精神とも自分との闘いにより磨かれ、
その道を学び、極めていきます。
空手などの美しい動きの型はロボットの動きにも転用されています。
例えば、伝統工芸としての打刃物、刀剣も、
武器から神格化までその時代で役割や技術その継承が重ねられています。
日常の道具としての刃物も武器になる、人を傷つける可能性をもつ以上、
それを産み出すモノづくりには、
「生」をかけて、取り組まなければなりません。
結構な刃渡りの刃物をどこにでも持ち運んで使いましょうという
軽快なコンセプトでスタイリッシュなデザインされた刃物ケースは、
素材も相応しくなかったけれど、県か市のデザイン賞が与えられており、
銃刀法も知らずに「馬鹿が選んでいる」と想像がつきました。
話は展開してしまいましたが、
さて、コレはまた進化している「ズムウォルト級ミサイル駆逐艦」です。
「そして私は、戦争ではないスポーツとして、
その駆逐艦を考えていた男がいた」と言われたいです。

駆逐艦


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