kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘論理’


『統一、いや統合には四つの分類があるが気づくだろうか』


   


     8月 13th, 2015  Posted 12:00 AM

「コンシリエンスデザイン」を定義化してから、
どうしても、私自身が説得不足を感じていたことがありました。
それは「統合」についての整理された論理が必要でした。
学術と芸術の統合というコンシリエンスの基底論理でした。
まだ30代の頃、CIブーム時にはCI=「企業イメージの統一」論へ
CIデザイン論の再構築という論文をデザイン専門誌に書きました。
「統一」から「統合」をW.S.ランデッカーの考察から学んだことが
私はとても気になり、その論文をバックナンバーから探しました。
しかしどうしても見つからずに、この専門誌発行元に問い合わせ、
それが見つかってきて、あらためて私はとても驚きました。
なんとそれはMacintosh 512KでMacDrawでの図解で描かれていました。
そして「企業イメージの統一」CI論を企業の戦略的効果の消滅として、
「社会は、いつの時代の変動もその局面を強調して、
将来への予測とその準備を強要するものである。」という書き出しは
今も健在であり、常套化したデザイン手法=企業イメージの統一から
いち早く逃れるべきである、ということを指摘していました。
企業イメージの統一=CI論はケインズの経済学を引きずっていました。
そのための統一から統合を、私は今なお主張し続けていることです。
W.S.ランデッカーは、「統合」を以下の四つで整理していました。
 ● 機能的統合
 ● 伝達網的統合
 ● 規模的統合
 ● 文化的統合 でした。
私はやっと思いだしてとても大きなヒントになる予感です。
この四つでアイデンティティ=存在性の再考が可能という予感。
それこそ今、話題騒然としている、オリンピックエンブレム問題も、
エンブレムデザインでは、東京オリンピックのイメージ訴求は
決して統一は困難であり、今なお著作権でベルギーが訴訟しようが、
東京は商標登録しているからという対決姿勢だけの不毛さは、
「イメージの統一」に寄りかかっているからに他なりません。
重大な事は、オリンピック・パラリンピックともに、
イメージの統合のために、そのエンブレムが、
機能的・伝達網的・規模的・文化的な四つの統合性があっただろうか、
この質問を投げかければ、
文化的統合はすでに壊れているということです。
それは、文化的統合とは、無知と差別を解消することですが、
エンブレムは、オリンピックとパラリンピックには、
差異性、いや差別性をデザインしたということです。
もっと、厳密に言うとケインズの経済学が亡霊だと気づかない、
そんな21世紀がまだまだ続いているということです。
ここまで気づかない能力だと思いますが書いておきます。

*CI=C.I.=コーポレート・アイデンティフィケーション


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8月6日川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 6th, 2015  Posted 12:00 AM

8月6日 先負(甲寅)

権利の主張は喧嘩である。
だから「勝つ=克つ」
権利主張の論理構築が
必然である。

川崎和男「喧嘩道」


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7月15日川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 15th, 2015  Posted 12:00 AM

7月15日 仏滅(壬辰)

喧嘩と暴力が並んでいた時期は長い。
が、
「喧嘩道」になって、
喧嘩は暴力では無いと論理化されている。

川崎和男「喧嘩道」


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6月15日川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 15th, 2015  Posted 12:00 AM

6月15日 友引(壬戌)

「デザイン思考」という言葉、
そして、あたかも論理が
流行っている。

これは流行であり、
評論家的な論理がまかり通っている。

しかし、
これは実践や、実績の無い論理にすぎない。
無視するという
喧嘩手法がある。

川崎和男「喧嘩道」


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『私の必需品呼び鈴がありますー今喧騒の大阪です』


   


     5月 20th, 2015  Posted 12:00 AM

私はベッド上で過ごす時間がとても長いと思います。
呼び鈴は二つあります。
これは私がワイフを呼ぶためのモノであり必需品だと思っています。
国民投票があり、大阪は市長が敗北しました。
ローカル政治には、どちらが正しくどちらが誤りということが、
改めて確認された大事件だったと思っています。
そして今日も、賛成派は反対派にほとんど罵られ、
反対派は賛成派に、シルバー民主主義こそ「年の功」だと喧騒です。
私たち夫婦は事の成り行きを見定めて、事前投票をすませました。
明らかに、一人のローカル政治家はトリックスターとして、
自分で自分の政治家未来を封印してしまったのです。
賛成派の純粋な二重行政反対や、反対派のトリックスター批判、
この背後には、最も隠避された仕掛けがあったことは事実です。
大阪市の都構想の是非が、投票という民主主義そのものを
私は信じきることができません。
したたかな隠避された土木事業既得権を私はいづれ明白にします。
都構想など、現代の地方行政には無理当然であることです。
賛成であれ、反対であれ、投票行為そのもののウロボロス性は、
いずれも今頃遅れて取り囲んできたポストモダンの、
大きな物語と小さな物語で喝破されていることは明白です。
あたかも民主主義こそ最高の論理で、
賛成と反対が弄ばれていただけでしかありません。
私はこの呼び鈴を鳴らすことで、
自分の立ち位置を見つめ直すだけでした。
そして、明らかに、この論理で弄ばれていた大阪人、
それは私たちも、私たちなりの投票しなければならなかった、
この現代を生きなければならない、寿命への過程でした。
それこそ、小さな物語にひとまず自己を置いてみて、
もっと賢明だからこそ、懸命に寿命ある寿ぎの時まで、
この大阪の地に生きようと思うわけでした。
呼び鈴はとても乾いた音がしています。


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5月17日川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 17th, 2015  Posted 12:00 AM

5月17日 先勝(癸巳)

喧嘩といえば、
かつてならば、その勢いのあまり
殴り合う事態にもなったが、
絶対的な限度があった。

だから、
今、喧嘩というと
すぐに暴力沙汰にされる。

だから、
喧嘩とは元来の口喧嘩で
「論理」の闘いにしておこう!

川崎和男「喧嘩道」


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『乞食=こつじきの地になってならない! 造形美の神社』


   


     4月 12th, 2015  Posted 12:00 AM

日本の建築で最も造形力を技術と技能で最高のモノは、
わが故郷にあります。そして知られていないことこそ素晴らしい。
正直、私が故郷に帰ってから、確かに越前和紙産地に通っていた頃、
この神社が凄いとは感じていなかったことも告白しておきます。
少なからず私は美大出のデザイナーです。
さらに祖父は最後の宮大工の大棟梁でしたから、残された巻物から
多少残されていた図面を教わるべきであり、
蔵の中の物品も私は幼い頃には、
ほとんどいたずらで壊してばかりいたようです。
また、越前和紙は日本に紙技の開祖の里ですが、ユネスコ認定も
受けていないのです。文科省の役所仕事の美的歴史性をもう一度、
私は喧嘩を売っておきます。
伝統工芸の産地の残し方は根本的に間違っています。
私は自分の知識学識経験とその論理で改革を望みます。
地方の時代というなら、その地方の伝統と革新こそ、
行政が最も的確にねらうべきことであり、それは美学的胆識です。
話がはずれましたが、大瀧神社と岡太神社は日本建築ではこれ以上の
木造建築は無く、何層にも重なる屋根には苔で覆われています。
この建築は、永平寺の勅使門も手掛けた大久保勘左衛門であり、
彼のことも徹底的に私は調べ上げて、今後、福井の建築は、
絶対にこれを超えるべきだと主張もしています。
結局私はこの建築に対抗するモノは自分が建てようと考えています。
後世に「生きた証」というのは、作品です。
そうなればデザイナーとして、当然それは義務だと考えています。
この神社がある地は観光地にはなっていません。それが大切です。
私の持論は「観光産業は乞食(こつじき)産業であり、
真のサービス、つまりリゾート産業とは異なると主張しています。
なぜなら、リゾート産業とは、
「何度も通える保養地」産業でなければならないのです。
そういう意味では、紙漉きの源流のこの神社造形と自然にこそ、
リゾート性が美学的に整っています。


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4月7日川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 7th, 2015  Posted 12:00 AM

4月7日 友引(癸丑)

喧嘩は勝たなければ、
「負けるが勝ち」になる。

この論理的な思考を
必ず
行動である喧嘩に変換すること、
これには、智恵と行動力が
必ず必要である。

川崎和男「喧嘩道」


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1月28日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 28th, 2015  Posted 12:00 AM

1月28日 甲辰(友引)

私はすでに40余年、
デザイナーとして生きてきた。
デザインということについて、
論理と技能を
身体化するする能力100%、
その100%実現することを
邪魔する輩は、
必ず、喧嘩相手に決めてきた。

川崎和男「喧嘩道」


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1月25日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 25th, 2015  Posted 12:00 AM

1月25日 辛丑(大安)

「同罪報復」という論理と行動がある。
同じような罪には、
同等の報復=仕返しが必要だ。

ところが、この報復論が過ちであり、
「喧嘩」の論理には、
この報復論は当てはまらない。
報復とはその罪以上に、
報復の恩讐性があるということだ!

川崎和男「喧嘩道」


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