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Posts Tagged ‘自然’


『桜の木は植え替えるべき』


   


     4月 10th, 2015  Posted 12:00 AM

私が社会人になって上京した時、桜の花がとても白かった記憶は
今も私の大きな思い出です。その理由が今はとても明快です。
それは、桜の花が東京はともかくソメイヨシノが多過ぎるのです。
最近、学術的にもはっきりしたのは、上野公園から、
ソメイヨシノが全国的になっていったことです。しかし、
これには大問題があるのではないだろうかと、私は思っています。
ソメイヨシノはクローンでした。つまり品種改良での植物でした。
現代は、ソメイヨシノには様々な問題が出てきているようです。
たとえば、60年程度の樹木寿命だとか、植物の病気が多いとか、
私が最も気をつけるべきことは、
桜の木の周辺植物への影響が大き過ぎることです。
そしてこのことについて見過ごしている行政や建築家が多いと思います。
京都の将軍塚での吉岡徳仁氏のガラス茶室を見に行って、
青龍殿の山々にはヤマザクラにこそ、見事なピンク色が鮮やかでした。
桜のクローンは要らないと私は実感しました。
春の桜に季節がソメイヨシノは植え替えるべきではないだろうかと
私は真剣に思っているのです。
ソメイヨシノは桜では無いと思っているほどです。
なぜならヤマザクラこそ桜色でありピンク色こそ桜に花なのです。
春の快晴の空には、桜色こそ本当の桜だと私は思っています。
ソメイヨシノはやはり人工的な桜であるばかりか、
自然を壊している桜だということにそろそろ気づくべきでしょう。
自然環境を護り抜くことがこれから私たちは大切にすべきです。
つまり、桜の花を大事にすることなど不必要です。
大切にしていくのはあるべき自然であり、クローン=品種改良は
結局自然破壊に繫がっているのかもしれません。


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『いけばな、日常の美しさは大切さを決定している』


   


     3月 24th, 2015  Posted 12:00 AM

私は彼のいけばなの舞台を間近で見ています。
その日の感激と感動はぬぐいようもなく、私に張り付いてきました。
「花」には美しさがある。美しい「花」というものはない。
この言葉は、小林秀雄のことばですが、
小林秀雄は、
私が受験時代に最も現代国語の問題で引用された作家でした。
とのこともあってか、彼の著作は確かに沢山読んだ記憶があります。
しかし、それよりもデザイナーになって、
「花」と「美しさ」の対照化は自然・人工物と美の問題に直結し、
このことにとらわれてきましたが、彼のいけばなは、
生け花、活け花、いづれとも明確な違いが体感できることでした。
早速、彼のいけばな画集で何度もその確かめました。
ところが、彼自身も、3.11 東日本大震災と対峙して、
彼の「一日一花」は一年毎日のいけばなで、
私もまた、震災と人災で台無しにしてしまった事件と向き合い、
そして、また彼のいけばなによって、
美しい花というようなものではなく、花を美しくする文字通りの
自然の花茎から生花を切り離しながらも、
花を生ける、花を活かす、切ることの大事さこそ、
私は見事な「大切さ」の具体パフォーマンスだと認識しました。
特に、彼が毎日毎日、花の美しさをもう一度、
美しい花にする大切さの体現化は、毎日毎に知らし直されています。
彼と私は同世代だということもありますが、
「大切さ」は、美しい花があるからこそ、花の美しさを体現化する、
その手法には、日本人だからこそ見いだした手法だと思います。
私はデザイナーゆえ、人工物のモノ、
美しいモノを、モノの美しさすら本来皆無ゆえにこそ、
美しいモノをものにしていかなければなりません。
その極致が、「大切さ」を受け止める力が自分にあるかどうかです。
一日一花ならば、一日一スケッチが今、私の日常作法です。

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『パウダー素材で列島を補強する!』


   


     8月 26th, 2014  Posted 12:00 AM

March 11.2011は私にとって、
こんなことが!人生に待ち受けていたとはそれこそ想定外でした。
最も、私は五体満足に生まれながら交通被災・車イス生活です。
母は私がこの体になることを知らず父も国難の日本を知らずでした。
それだけが幸いだったかとも思っています。
ところが私には思いがけず想像していたことが目の前に出てきます。
この素材に出会ってから、私はますますこのパウダーこそ、
日本からこれが地球を変えるものと確信しています。
なぜなら、この原料は古紙、もういらなくなった書類を裁断し、
ある大きさまでに粉末=パウダー化します。
当初はあるエマルジョン混合でしたが、今は確実にセルロースです。
だから、必ずこの素材での加工によっても自然に回帰する素材です。
幾たびも土木的な実験をしながら、まだ商品化まであと一歩でした。
最近の大豪雨はとんでもない災害、自然は人類の存続を拒否です。
私は3.11以来、自然と人類は調和というのはありえない。
調和を自然に申し入れすること自体、
人類の奢りでしかなく間違っている気がしてなりません。
広島の土石流災害で即、この企業がまだまだかも知れませんが、
現地入りしてもらい、実証実験をしました。
もっと持ち込めば、作業が簡便化されることが分かりました。
そこで、私がデザイナーとしての役割はもっと明確になったのです。
可能性=Possibilityをこのパウダーの製造生産と展開を
私がビジネスモデルを超えたデザインビジネスモデル化します。
このパウダーは災害用だけではなく様々な領域への展開があります。
まだ明確には出来ませんが紙は神に繫がっているのかもしれません。
ともかく、今は、製造生産ラインやその装置化に新技術デザインを
私はデザイナーとして、ディレクションしていくことに
懸命でありたいと考えています。

gpgp.tokyo
『広島の土石流災害現場で開発中ながら試用実験』
『自然と対峙することは泥水を危機ととらえる』
『「新素材」になれば、日本も世界も変えられる!』


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『「里山」テーマのアマチュア写真・小さな展示』


   


     6月 10th, 2014  Posted 12:00 AM

大阪大学医学部附属病院の廊下には、小さな展示があります。
時折、私はしみじみと見入ることがあります。
小学生の絵画だったり、中学性のポスターなどには、現代っ子の
色彩感覚が見事に表れていることが多くて、面白いのです。
かつて、小学生の絵画コンクールで審査委員をしていたときには、
描かれた絵画には大きな特徴がありました。
入賞作品は、決まって、街の子ではなくて山奥や海岸の村でした。
それは街ほど、想像力の欠如や色彩にTVの影響が大きかったのです。
もう一つは、暗い表現を描いた子たちの父母は離婚家庭だったり、
絵画表現に、そのまま子ども達の環境が表れていたことです。
病院の廊下には「里山」をテーマにしたアマチュア写真です。
それぞれにテーマがありました。
忘れていた自然、生命の始まる場、護り抜く自然など、
今では、里山に住めなくなった動物たちが街に出てきます。
だから、人間と動物が共生できる山=里山で感じる写真でした。
山林関係地方の行政長賞や、里山賞などがありました。
名古屋市立大学時代には、「里山」関連の学会がありました。
その学会の主要メンバーの名前には、岡、山、村、森など、
まさしく里山を印象づける名字が余りに多くて、その研究内容や
川崎という名前では入会できないのかと学会誌が興味深く、
そして、なんだか嬉しく一人ほくそ笑んでいたことが思い出です。
廊下にあるこのささやかな展示は、
デザイナーとしてはもっと展示方法をとか考えてしまいますが、
入院患者さんや病院内の人がこれまでになく沢山見ていました。
こうした情景を見ると、きっと、みんながどこかで里山、
その大切さを胸の内に抱いていることがわかります。
それは、日本人ならおそらくほとんどの人が、
アマチュア写真でつたない展示であっても心が動いていたのだと
私はしっかりと受け止めることができました。


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『デザイン都市でのデザイン会議報告』


   


     12月 27th, 2013  Posted 12:00 AM

フランスのデザインに関して、
私は1997年「フランスにおける日本年」では、
「経済と文化」にデザインの効用を過激に述べました。
そして2006年にワークショップや講義を行い、
すでに彼らは「アルツハイマーとデザイン」の関係にまで、
デザイン=問題解決という認識は、デザイン都市の整備と活動、
まさに順調に進行していたと思います。
そして、今回、私がキーノートスピーチでは、
PKD=Peace-keeping DesignをMarch 11.2011でのデザイン立場まで
私は述べることになりました。
阪大から同行してくれた若い医師2名も、
「デザインの会議ってかっこいい」と言わしめるほどの、
センスある会議であり、その会場はデザインセンターとして、
人口18万人の街はユネスコデザイン都市になっているほどでした。
私は、デザイン=問題解決には次の三つがあることと、
海外からのプレゼンテーターが「aging society」という定義には
aged society=高齢社会とaging society=高齢化社会の分別と
その区別がすでに先進国家では明確化されるべきと発言しました。
March 11.2011という先進国家である日本は、
大天災と大人災、原爆経験と原発事故経験でのことを伝えました。
先進国家ゆえに、自然と人間との調和はありえずに、
環境保全がそのままエネルギー問題と直結していること、
国際的貢献としてのPKDの必要性をアピールしました。
このPKDについては、国内ではほとんどテーマになりませんが、
海外では、米国のクリントンイニシアティブ運動から、
すでに2年前には、先行したデザインによる国際貢献を求める、
中国ですら取り上げられています。
私は、国内でのアピールを控えすぎていると感じています。
この会議でのキーノートスピーチと質問で、
私は私自身のデザイン活動の決め方をフランスで示唆されました。


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「国土強靭化計画から次段階へはデザイン手法が必要」


   


     9月 10th, 2013  Posted 12:00 AM

「March 11. 2011」は、私たちが天災と人災を識り尽くしました。
結果、「国土強靭化計画」には、多数の知識が集約しました。
すでにわが国の法整備の中にも知識理念の法律を構成しています。
私は、多分、祖国列島=国土を強靭化することが、
これだけの知の集積と集約は代表的一つの手がかりだと思います。
しかし、今や、明確になったのは、計画時間です。
それはオリンピック・パラリンピックまでの7年間です。
これは、毎年毎年の計画もありますが、私は以下三つを考えます。
・3年+4年計画
・2年+5年計画
・2年+3年+2年計画を私は進行設定計画ができます。
そして、こうした強靭化計画には机上的な論理がすぐに、
確信できますが、具現化手法として、
デザインが必要であるがゆえに、
再度、強靭化するという意味の再考察が求められると考えます。
私は、この計画に関わる法制定、知識・知性の集約から、
強靭化して継承していく方法を探し出していくべきだと考えます。
中心課題は、天災+人災=自然+技術の方向性でしょう。
単なる土木工学や交通工学と、自然放置の大問題が残っています。
この解決案を見いだすことはこれら資料からは不可能でした。
さらにクラウド感覚、空中資産と国土資産が情報で連鎖されます。
私流には、「物質としての国土性と情報性への想像力問題」です。
おそらくこれらの知的集約は物質的な国土性全て認識できますが、
情報性の進化は多分私たちの想像力を超えるものと考えます。
「物質・情報・エネルギー」をこの国家においても、
国土観全容に配置すれば、エネルギー問題では必ず、
大きな行き詰まりになることは明らかです。
時代性はすでに石油文明を終焉していますが、
それがそのままエコロジーで補完されるはずはありません。
この「国土強靭化デザイン」は未だに、
タブラ・ラーサ=白紙の状態でした。
すなわち、この白紙の余白にこそ「デザイン」の実務が
必要かつ充分条件として書き加えられるべきと考えます。
そして、今日は明確に開催地東京決定が、
大きな余白になり、デザインが要求されたと思っています。
デザインが入れば「しなやかさ」と「たおやかさ」になるでしょう。


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「時代はグリーンだが、私の緑をしっかり確認!」


   


     4月 19th, 2013  Posted 12:00 AM

色彩論は40余年前に美大で強力に仕込まれました。
しかし、本当に「色・色彩」を全身で感じられるようになったのは、
車倚子の身になり、ふるさと福井の自然・田畑・空の利休鼠色でした。
グリーンと言えば、まさに現代色であり、商売色になっていますから、
グリーンは、私にとって軽薄極まりない色彩です。
ところが、緑・碧・翠はまさに自然そのものと、
エメラルドや翡翠の冷感があります。
だから、
緑と金色の伝統的な日本の組み合わせはまったく身体化しています。
ふるさと福井でどれだけの緑で視力を鍛えたでしょう。
名古屋時代は、
自宅間近に隼人池周辺の四季の緑を眼底に焼き付けていました。
大阪では、大阪大学の吹田キャンパスは日本でも巨大であるばかりでなく、
様々な植物があり、その緑の季節変化は見逃すことができません。
この画像は阪大病院入り口の緑ですが、多様な緑があります。
この色覚えてほしい、とスタッフや学生に伝えることがあります。
私にとって、色彩は「色彩論」というデザインの基礎学問であるとともに、
私の眼前で、その色彩の詳細を常に気遣って見ている色です。
私の持ちものはブルー系ですが、
このブルーと緑は常に対比する一番の色かもしれません。
したがって、パソコンでの文章作成は、薄緑系に青色の文字です。
そういえば、パソコンメガネでブルー色反応が取りざたされ、
あたかもブルー低減レンズが最適とか言われていますが、
確かに、モニター再現色でのブルー色云々より大事なコトがあります。
それは「ドライアイ」を防止することが最も肝要だということです。
さて、私は8割はブルー系のネクタイですが、
緑系はたった1 本しかありません。
まったく私に緑系のネクタイやマフラーは似合いません。
これが60 年生きてきた緑と身体の関係かもしれません。
それだけに、あの利休鼠色は確実に「緑系」であると私は思っています。
私がワイフに最初にそろえたバックや小物は、
すべて緑からスタートさせました。
その理由?
それは私なりの目論見がありました。
女性にとってのバーキンでは緑系は本当に少ないのです。
そこに私の色の計算があるのです。


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「やはり、持ち物はブルーが基本」


   


     4月 18th, 2013  Posted 12:00 AM

身の回りをじっくりと見渡して見ました。
そして、とりあえず、最近使っているモノを並べて、
写真を撮って見ました。
やっぱり、ほとんどというか全てがブルーの色のモノばかりでした。
基本は時計と筆記具、そしてネームカードと名刺入れです。
筆記具は、
ワイフから誕生祝いに私が最も評価しているビスコンティのモノでした。
これを選ぶとは、私のコレクションで覚えたのでしょう。
とても欲しかったモノであり、国内入手は難しいと思っていました。
それで、
その万年筆に合っているモノはクロスで見つけたボールペンでした。
ボールペンはデザインのスケッチでは必需品です。
したがって、鞄もブルーのモノを選んでいます。
コレも最近なかなかのデザインです。
さて、ブルーという色は、
海と空の色に別れています。
もっと詳細に言えば、水と水以外の自然の色です。
一般的に「ブルー」と言われる元来の自然からの色彩論は、
すべてをリタイアしたら、書き残そうというのが私の夢のプランです。
時計は、おそらく全てが高級品だと思います。
自分でも「時計のデザイン」をして商品化もしていますが、
かつて、名古屋のマンションで仕事が終わると、
記念に収集をかねて持っていたすべての時計が奪われました。
正直、2年ほど立ち直れないほど落ち込みました。
しかも、その時盗まれた時計は全てがブランド品でした。
いわゆる「デザイナーモノ」は全く泥棒には無価値でした。
そのとき、デザイナーモノの一般的な価値感不足を見せつけられました。
それから、特に「スイス製」は徹底的に工房や職人技を知った気がします。
したがって、時計に関してはどれほど高級ブランドであっても、
市場価値の流れが分かるようになりました。自信を持って本が書けます。
私は、モノに拘らないというデザイナーが制作しているモノは、
きっと残らないモノと判断しています。
それは、私がデザイナーで出発したときに、
上司から、「高級品をしばらく勉強」と言われて、
銀座のある高級品ブランド店で学んだことがあります。
これは私の逸話にもなるので、また、書き残したいと思っています。
ともかく、大学を退官してからどういうわけか、
毎日、論文作成が大きな一つの仕事になっています。
と同時に、
これまで会員となっていた幾つかの学会を退会もしています。
ブルーを身につけることで、
あらためて「大学人の自分」と向き合っている気がしています。


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「『盆栽』・・・人生で多分し忘れたコトだと思う」


   


     1月 18th, 2013  Posted 12:30 AM

間もなく、64歳を迎えます。
しみじみと思い起こすことがあります。
それは「盆栽」です。
40歳の頃でした。
NHKの教養番組で「盆栽シリーズ」を全部観たことがあります。
もの凄い衝撃を受けました。
なるほど、これは凄い日本の伝統的な文化、
その極地だと思いました。
それで、早速、東京の専門店にも何度か通って手ほどきを受けて、
入門的なことを試みましたが直ぐに枯れ果てました。
これは絶対に小学校時代から教育基本法的にも
鍛えておくべきことではないだろうかと思いました。
それから、この大阪に来てから、トライしましたが、駄目でした。
そういえば、祖父が育てていたのを何の興味も持たず、
あれは年寄りがやるもの、と思って観ていたものです。
父は、蘭栽培では自宅の庭に温室を作って、
品評会にまで出すほど、リタイア後にやっていました。
今も福井の実家の倉庫には蘭独特の植木鉢が相当に残っています。
人生で、「し忘れたコト」と尋ねられたら、
私は「盆栽」と答えるでしょうし、
それは小学校時代から知識と技術を身に付けていたら、
それは凄い人生そのものの文化になるのではないかとすら思うのです。
写真は、オークションで40万円近くする作品です。
これが好みではありませんが、日本人が「自然と対話する根本」を、
さらに深めて、このミクロな自然制御を成し遂げて、
「美」の世界観を日常化しています。
きっと読者諸兄の中には、
「そうだよ、私の得意趣味分野」とか言われようものなら、
私は最大の敬意を払うことになるでしょう。
伝統的な芸術というわけではありませんが、
明らかに、「デザイン行為」が潜んでいる知見と技術表現が、
自然そのものに寄り添っているのです。
わが人生について、作品集自叙伝を準備しています。
「終章にむかって」という序文を書きながら、
私が「し忘れたコト」は、「盆栽」だったということです。
だから、今は盆栽の写真集で凄いのがあったらと探している始末です。


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「巳年ってヘビ年だけど、もっと原意に」


   


     11月 17th, 2012  Posted 12:00 AM

十二支というのは、
本来は実にいい加減な12 進法だと考えておくべきことでしょう。
しかし、毎年、十二支の巡り合わせを「縁起物」にして、
一年間の日常を室内のしつらえにすることは、
楽しく喜ばしい知恵の一つだと私は思っています。
すでに、京都の老舗の和紙屋さん、
その店頭には「巳年の縁起物」が並んでいました。
巳年をヘビ年としたのは、ある種のたとえ話に過ぎませんから、
ズバリ、ヘビのオブジェ化はもっと十二支の根本に戻って、
巳は「包む」ことや「胎児」を示していることからも
オブジェ表現に深度を図るべきだと考えています。
「止む」とか「胎児」や「包む」など、
もっともっと深い意味作用があることを再確認しておくべきです。
自然の息吹や自然の成長や生命が育まれてくることなど、
その原意を思い起こすことです。
それでも、庶民的な理解の「ヘビ年」ゆえに、
ヘビのオブジェは大切な象徴と考えても一向に構わないと思っています。
毎年、自宅には十二支のシンボルを飾りますから、
玄関には今年は龍の描かれた大きな壺を配置しましたから、
巳年を表す陶磁器の壺を探しています。
ブレスレットも龍からヘビに変えようかとも思っています。
3.11という国難の中、
ようやく選挙もあって、もう一度確実な政権選択がかないそうです。
つまり、極限に達したところからの新たな生長や、
新しい生命が日本にあってほしいと願っています。
来春、
私は大阪大学を定年64歳退官しますから「止む」ことからの再出発です。
絶対に、ヘビのブレスレットなど、
来年のシンボルオブジェを見つけだしたいと考えています。


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