2月 7th, 2014 Posted 12:00 AM
私は陶磁器には二つの歴史があると見ています。
縄文弥生にあった六古窯の歴史と、
秀吉の朝鮮征伐により日本にもたらされた家元制度の歴史です。
そして、私が陶磁器には進化が無かったというのは、
かつて革新されてつくれたモノが現代では創れなくなったモノ、
もう制作不可能だったモノが現代、なんとか再現できるモノです。
日本が貿易国家になっていった九谷焼(右)はもう再現不可能。
比して、現代、弥生時代には出来たであろう越前焼(左)です。
九谷焼は明らかに有田焼技能が北前船で伝わったであろうこと、
しかし、有田での輸出品よりはるかに技術開発されましたが、
現代、九谷でこのガラスのような磁器と絵付けはもう出来ません。
福井にいたころ、越前焼ではないと私は主張し過ぎて、
越前焼には出入り差し止めでした。
ところが、陶器である六古窯時代を再現する若手が出てきました。
これら陶磁器はいづれも日本の伝統工芸です。
私は恩師から、伝統工芸にデザインを向ける時のまず知識、
その蓄積を教えられました。
そして、革新的な「造形」の新製造生産システムづくりです。
したがって、伝統とは継承ではなくて「革新」です。
ところが、日本のモノづくりの大誤解が最近まかり通っています。
それは、日本の伝統工芸への美的なセンスの全く無い、
プロデューサーを自称する輩に「産地」が騙されているのです。
伝統工芸の革新づくりには勿論、現代生活への適合性が必要です。
だからといって、安易な手法での商業主義では台無しになります。
こうしたモノを見たときには、徹底的に非難します。
問題は、もはや再現できなくなった技術の復権である高度化と、
再現が可能になったなら、過去になった伝統性への裏切りです。
デザインにとって、日本の伝統工芸には未来があるのです。
【ブログの関連記事】
『磁器お皿・三つのパターンと料理手法に進化無し』
『陶磁器産業地を視察して・伝統産地は県行政を決定する』
「六古窯・越前焼ー若い才能が復元から再興を始めだした」
「陶磁器は進化も革新もしていなかった、私の判断」
「自然から学んだはずだった・・・のだが?」
Tags: ガラス, センス, デザイン, プロデューサー, 九谷焼, 伝統工芸, 六古窯, 六古窯時代, 北前船, 商業主義, 大誤解, 家元制度, 弥生時代, 技術開発, 日本, 有田焼, 朝鮮征伐, 歴史, 現代, 産地, 知識, 福井, 秀吉, 絵付け, 縄文弥生, 蓄積, 貿易国家, 越前焼, 輸出品, 進化, 陶磁器, 革新, 革新づくり
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2月 6th, 2014 Posted 12:00 AM
この数年、陶磁器に深く関わってきました。
子供の頃から陶磁器については最良品が私の生活にありました。
そして、大きく気づいていることには、
これまでお皿・器の絵付けと磁器素材と料理盛りつけに対して、
陶磁器づくりと料理人の間には、
全く工夫どころか革新も無く既成概念がそのまま商売の無慈悲。
西洋料理をベースにすれば、現代料理は、
真っ白=ボーンチャイナだけに料理を配膳してきたことです。
それは、磁器への絵付けパターンに最も技術集約をしてきたモノ、
九谷焼は日本料理界でも料理の盛りつけを際立たせないことで、
九谷焼そのものが残念にも市場性を失ってきたのです。
産地もそのことを知って、九谷焼然を如何に表現するべきか、
現代料理との整合性を図ってきたようですが無駄です。
私はこのお皿と料理の関係性で、見失っていることを指摘します。
まず、料理人がボーンチャイナ=真っ白器に頼り過ぎだったこと。
これは料理人能力が備わっていないことを明示しています。
私の見捨てがたいコトには、現代料理と称する和洋折衷様式です。
西洋料理・日本料理・中華料理の「器選び能力」の有無を見ます。
したがって日本料理で九谷焼を最適合させれる能力を評価します。
無論、高価でもいい加減な九谷焼も増えていますから、
これらは論外ですが、ボーンチャイナの白背景での日本料理、
これは最悪のお皿と料理の関係です。
ミシュラン評価もこれが出来ていませんから無視すべきでしょう。
陶磁器づくりと料理づくりの関係は至極大事です。
しかし、陶磁器産業と料理の関係を、活性化策ということで、
行政や能無きプロデューサーの提案実施は随分みてきましたが、
これまで全て失敗していることは明らかです。
その最大の理由は、磁器づくりと料理づくり、
それぞれのあるかと思わせているが能力無しが増えています。
確かに料理道具は進化しましたが、進化せず。
比して、磁器づくりは全く進化していないと私は判断しています。
【ブログの関連記事】
『陶磁器産業地を視察して・伝統産地は県行政を決定する』
「六古窯・越前焼ー若い才能が復元から再興を始めだした」
「陶磁器は進化も革新もしていなかった、私の判断」
「自然から学んだはずだった・・・のだが?」
「陶磁器メーカーの相次ぐ倒産はやむなしかもしれない」
Tags: プロデューサー, ボーンチャイナ, 中華料理, 九谷焼, 和洋折衷様式, 商売, 子供, 市場性, 技術, 整合性, 料理づくり, 料理人, 料理手法, 日本料理界, 最良品, 現代料理, 産地, 皿, 真っ白, 真っ白器, 磁器, 磁器づくり, 絵付け, 能力, 行政, 西洋料理, 進化, 陶磁器, 陶磁器づくり, 革新, 高価
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1月 19th, 2014 Posted 12:00 AM
陶磁器に実際、自分のデザイン作品を商品化して以来、
佐賀県の古川知事と懇意になり今回産地の視察と会食をしました。
有田・伊万里焼に関わらず、佐賀県全体へのデザイン企画提示。
そして、何よりも産地の技術センターや窯元を視察しました。
佐賀県庁では陶板のあの柿右衛門様式を見ました。
有田焼は2016年に有田焼創業400年を迎えます。
この創業400周年記念事業を中核とした佐賀県全体プランにこそ、
「デザイン=問題解決実務の導入」企画を5点提案してきました。
陶磁器産業は中国・景徳鎮発祥から技術革新が少ないのです。
柿右衛門が発見した「赤色」ですら、
有田から景徳鎮、さらにはマイセンにもこの技術が行きました。
私は2年がかりで「プラチナ釉薬と製陶技術デザイン」を開発。
そして、産地で特に釉薬や新たな技術開発(まだ発表できず)を
デザイン導入・県行政への企画デザイン戦略を作成しました。
実際は、有田・柿右衛門様式にはグループ開発説もありますが、
これは越前打刃物でも二人説があることと似ています。
私には、その発明者の伝説よりも、
たとえば「この赤色発見」をした時の感激度を温存することです。
「赤色を探り当てた」のはどれほどの喜びだったでしょう。
日本の陶磁器技術には「無鉛釉薬」が決定されています。
伝統工芸でのこうした法律的なことが産地を駄目にしていますが、
時代ゆえに仕方がありません。
まして、かつてはOKだった「酸化ウラン」ゆえのグレーは不可能。
だとするなら、この法的事情を打ち破ることが日本の使命です。
古伊万里と古九谷の関係もしっかりと見届けました。
そして、まったく新たな陶磁器産業構造が見えています。
県庁ロビーの柿右衛門様式陶板はなるほどデッサンは正当でした。
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9月 28th, 2013 Posted 12:00 AM
私は車倚子生活でふるさとに戻りましたが、
私を支えてくれた越前打刃物に取り組みました。
正直、これで「喧嘩師」を国内外にやってきたのかもしれません。
本当は5年が10年で「共同工房」を、
今は亡き建築家毛綱毅曠氏(1941~2001)との格闘で建設しました。
それが第二世代に引き継がれて20年です。
結局、私のデザイン活動の中核でもあり、デザイン成功例です。
第一世代:10名は、第二世代:15名にもなりました。
世代が変わっても、基本コンセプトを変更する意味はありません。
また、私のデザインはすでに30年もナイフの基本を創ったという、
強い自負がありますが、それだけに、
第二世代からの新作依頼は、とても苦しくて悩み抜いてきましたが、
私は、「伝統」=裏切りですから切羽詰まってデザインしました。
新たな産地の新活性化は、さらに世界的な刃物産地になります。
あらたなテーマでの研究をしてもらい始めました。
新素材も検討をつけていますし、刃物だからこそを成し遂げます。
おそらく、タケフナイフビレッジを始めた頃は、
私も30代ゆえにともかくこれが出来なければ、
デザイナーという職能を諦める覚悟で取り組みました。
それを支えてくれたのが、タケフの刃物職人のみんなでした。
産地はこれまでの経済危機にはほとんど揺るぎませんでした。
刃物作家はすでに国際的なビジネスマンにもなり、
産地には高級車もあるようになりましたが、
私は、決して「先生」ではなくて、仲間です。
私が負けそうになっても、彼らの厳しいモノづくりに励まされ、
「私たちは美しい切れ味を鍛えてます」というテーマは、
「次に私たちも美しい切れ味を鍛えていきます」という、
また「生きがい」を私に与えてくれています。
次は、第三世代を集めて、もっと未来を置き土産にする覚悟です。
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6月 24th, 2013 Posted 12:00 AM
以前から気になって仕方がないことがありました。
美大に入って、どれほど自分がデッサン出来なかったかを知り、
プロになるために相当のトレーニングをしました。
しかし、交通被災でまた振り出しになり、
車倚子でのデッサンを再度やり直しました。
だから、気になるのは、特に伝統工芸品のデッサンです。
陶磁器、扇、染め物に描かれた自然描写です。
金沢や京都で、そのデッサンが狂いだしているのを発見すると、
ついつい言い出してしまいます。
実例にあげると、「鶯」なのか「雀」なのかがまったく不明。
「葉脈のデッサン」が狂っていても、それが伝統工芸品、
これは大きな間違いです。
そうです。たかが写実主義風の(日本に写実主義は無かった)、
自然描写の正確さこそ、本来、日本人の眼差しと表現能力です。
この能力をもってこそ、日本美の根底が担保されるべきです。
ある産地で、
「これは雀ですか?」
「いえ、鶯です!」
「えぇ・・・・!?」、ということです。
雀の嘴、鳥類の足、尾翼の特徴、この三つで形態は判断可能です。
まして、「雲雀」とか言われると嘘でしょうと嘴ってしまいます。
私はデザインのためのトレーニングでは、
特訓・特訓を受けてきました。
だから、デザイン独学には必ず限界があると思っています。
私はあくまでも「手」での表現力が基準だと確信しています。
デッサンは基準だからこそ、基本として身体化されるべきです。
最近は、パソコンがあり、しかも3D-Printingの真偽が曖昧ゆえ、
私はこのことにには、教育者としても拘ります。
「モノづくり」の基本と基準は、
たとえ人工的であっても、
日本人は「自然から学ぶ」という姿勢は遵守すべきことです。
それがなければ「美」に到達することはアポリアになります。
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11月 12th, 2012 Posted 12:00 AM
ふるさと福井で、伝統工芸に出逢えたことは幸運なことでした。
打刃物・和紙・漆器・陶器・木地・織物などでした。
その中で和紙といっても「越前和紙」は、
日本の源流ともいうべき産地は1500年の歴史でした。
私は改めて「紙」を見つめ直す大チャンスに恵まれました。
それは「和紙」を
原材料・漉き方・乾燥・模様などを
徹底的かつ身体的に覚えることができました。
よって、いわゆる洋紙の世界を和紙から眺め直すことができました。
ところが現代において、
和紙を取り巻く商環境には二つのとんでもないことが起こっています。
まず、和紙作家という存在。
和紙問屋と和紙販売店舗の無知識さです。
私は、和紙店では徹底的にそのことを追求することにしています。
また、和紙と勘違いされる「和風紙」の氾濫があります。
「和風紙」というのは、産地では「半草」と呼んでいるものです。
産地は重々に知り尽くしていますから、「半草」というのです。
つまり、「半草」というのは紙パルプを混在させているのです。
また、こうしなければ、
「和紙」は現代生活の中で短所いっぱいの不良品になってしまうのです。
日本の和紙が本来の伝統的な品質性能を保持するには、
原材料=楮・三椏・雁皮に相当な手仕事時間が必要となります。
しかし、
そんなことをすればとんでもなく高額な商品にしなければなりません。
また紙粉が多くて、印刷素材の品質には至りません。
したがって、和紙作家というデザイナーのほとんどが、
「和紙」の品質と性能については無知です。
まして、和紙商店という老舗であっても、
無知なところがあまりにも多くなってきました。
私は、「和紙」について最も熟知しているデザイナーは、
日本では、
最初に和紙をデザイン対象とした森島紘氏と私だけだと自負しています。
和紙商店に私などが顔を出せば、店員さんはみんな逃げてしまいます。
「和紙」について、
なんとしても次世代デザイナーを育成しなければならないと思っています。
また、和紙職人も「本物」であるべき人物が必要だと言っておきます。
少なくとも、越前和紙産地には、
かつて「オータキペーパーランド」で組んでいた仲間がいます。
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7月 31st, 2012 Posted 12:00 AM
1981年頃から、
すでに存在していた「武生打刃物工業研究会」に、
私が参画し、「伝統工芸にデザイン導入」を始めました。
すでに研究会は、「伝統的刃物のレプリカを150点ほど」、
自分たちで鍛造製造をし、その技の習得をしていました。
もう越前市の越前打刃物産地「タケフナイフビレッジ」には、
後継者の若者がグループ、次世代に引き継いでいます。
そこで、私も、彼らへの課題を伝えています。
「ミニナイフの開発」に入りたいという一つのアイディアがあります。
世界には沢山のミニナイフが存在。
ミニ・ミニマムにしていく技術・技は
相当に錬磨しなければならないでしょう。
ミニナイフへ、
「ハマグリ刃火づくり鍛造」の越前打刃物の伝統技をベースに、
「先端的なデザイン」を実現してもらいたいと望んでいます。
私なりに、ミニナイフも収集してきました。
その収集品の中でも、特徴と新たな革新をねらったり、
ミニマムにするには相当の工夫や製造技術には
創造性が求められていることが明白です。
たとえば、日本の「肥後守」でもミニはあります。
切れ味はありますが、伝統とはそのままの温存ではありません。
ファッションメーカーだからこそ、皮革張りをミニで実現したモノ、
銃器メーカならではの繊細なガンのような仕上げや構造、
ナイフギルドだからこそ可能ならしめたミニマム設計の実現、
アウトドアだから、ここまで詳細設計の具現化など、
早く産地にこれらを持ち込んで、参考にしてもらいたいと思っています。
ただし、これらを乗りこえるべきデザインを
私自身やり遂げなければなりません。
だから、ここに参考資料とした形態は全く考えていません。
素材も選び抜き、構造も、ミニマム化の様式も
すべて変革しなければ私の存在価値はありません。
これは私自身へのプレッシャーです。
早く、産地に帰りたいと思っています。
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7月 12th, 2012 Posted 12:00 AM
私が「生き返った」のは、刃物のデザインでした。
ふるさとにて車椅子でどう生きて行くかということには、
750年の伝統工芸産地・越前打刃物のメンバーと
「タケフナイフビレッジ」を設立し、
ナイフのデザインに取り組んだことがきっかけになりました。
今なお30数年前のデザインは、市場価値を持っています。
しかし、すでに産地では世代交代。
欧州での見本市も、次世代のメンバーが中心です。
このFBでやりとりしているのも若手メンバーになっています。
私にとっても人生最終のナイフデザインを彼らに渡したいと思っています。
だから、最近のナイフも選び抜いて資料として購入しています。
特にグリップ部については、
拳銃業界では話題になったモノ・
Px4(re-design BERETTA・M9000s)があります。
欧州では有名デザイナーが拳銃デザインを手掛けていて、
見れば誰のデザインかすぐ分かります。
そんな中でもまったく売れなかった銃を同じデザイナーに、
もう一度、再デザインを頼むということは
日本では考えられないことです。
私はモデルガンでこの拳銃のグリップを確認してみましたが、
グリップ性能や、彼の造形言語は新鮮になりましたが、
毎年、拳銃の新作としては、これも失敗だろうと評価しています。
ところが、この拳銃グリップの造形言語の要因や
文法的な意味論が生きているある傾向を見つけました。
こうしたアウトドアナイフに流行していることを確認しました。
けれども、ナイフの刃付けに関しては、
絶対に越前打刃物には勝てないものと思っています。
素材や仕上げもテフロンになっていますが、
これでの切れ味は、刃先に触れてみればもう一目瞭然です。
私が、最も認めているナイフメーカーのモノを再確認して、
それ以上のナイフデザインを、
タケフナイフビレッジに早く持って帰るつもりです。
ナイフのデザインは、
いつも、ドキドキするものです。
なぜなら、刃物は魔力があって魂が引き込まれてしまいます。
特に、アウトドア用の大型ナイフは、まさに「真剣」ですから。
私もナイフデザインはより真剣さを自分に課しています。
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6月 27th, 2012 Posted 12:00 AM
私が2008年から開発に関わった製品があります。
しかし、このメガネ発案の革新性は国外で開発されました。
そしてデザイン開発にはそこからの依頼で深く関与しましたが、
中途半端にすでに商品化されて発売されています。
無論、この製品は低開発国向けのモノゆえに、
デザイン対価はボランティアでした。
だから、私は「お人好し」だったと思っています。
商品発売は一昨年前に突然、わが国で販売流通がスタートしました。
その発表直後に私はその趣意を知りました。
正直、無念で悲惨な商品になっていますし購入検証して確認済みです。
「ガジェット商品」、つまり「アイディア商品」になっており、
素材や構造は、さらには生産工程がデザインされていません。
日本の製造技術ならこのような商品には絶対になりえないでしょう。
結局は、「低開発国向け」というのは私への虚偽だったと認識しています。
詳細は今後、これを必ず超える商品で証明するつもりです。
しかし、
この商品開発に関与したことで私には多くのノウハウを蓄積しました。
先般、
ふるさとの鯖江市・メガネ地場産地でそのノウハウの一端を紹介しました。
もちろん、この開発での「守秘義務は紳士協定ゆえ」守っています。
むしろ彼らは「紳士協定を無視」していると指摘しておきます。
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5月 18th, 2012 Posted 12:00 AM
「形態」をシルエットで見極めるとしたら、
それは「ハイヒール」になると思ってきました。
だから、自分のデザインした造形を、
対比して見比べるには、ハイヒールの横に置けば、
一目瞭然として造形形態、そのシルエット比較が可能です。
10余年前に、ハイヒールデザインの話がありました。
日本での皮革靴製品開発は困難な問題があって、
産地にまで行きましたが叶いませんでした。
だから、ハイヒールには特別な想いが私にはあります。
当然、女性はハイヒールで苦労なく歩いてほしいと思います。
ルイ14世のルイヒール(踵が高い)から、
女性が足を見せられるようになる1920年代から、
ハイヒールの歴史が映画の女性スターとともに始まります。
世界大戦後にはウェッジヒールが登場しますが、
それはいわばワークシューズだったモノでした。
私はワイフが選ぶハイヒールにはとてもうるさく干渉します。
ハイヒールブランド、デザイナーの新作もメガネ同様に、
世界では数人しか決定打のデザイン登場はありません。
ハイヒールは、フェラガモから現代にいたってまで、
曲線的でなおかつ身体に沿わせるシルエットとしては、
メガネフレームと近似しています。
大きな違い、ハイヒールは特に「動き」とのシルエットが決め手。
かつて、私はそれこそ人間工学としての決定的極点のモノ、
それはハイヒールでしたから、
「動き」でいえば、次のコンセプトワードとの対決感、
その中でのデザイン設計と造形シルエットが重大だと考えます。
●「プラネオ」=大きな円弧を描くシルエット
●「サカーダ」=小刻みな跳ね上げに追随するシルエット
●「コルテ」=小さな連続する円弧運動のシルエット
こうしたシルエット造形で4km歩くことが可能なピンヒール開発、
これはキーボードで「プリエ」スタイルと同様な目標でした。
ところが、最近、Lady GAGAのハイヒールは、
日本人デザイナーがハイヒールデザインを革新していました。
これは明らかに「シルエットデザイン」という歴史を変えました。
私はスゴイ造形デザインだと思っています。
私は男ですからせめて自分の靴底は「赤」にしたいと思っています。
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