6月 21st, 2010 Posted 9:18 PM
6月21日 先負(丁酉)
感激する自分、
感動する自分、
そんな自分に出会うには、
「感謝」できる自分であるかどうか、
それが試されている。
私はそう思っている。
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6月 21st, 2010 Posted 12:00 AM
驚
私は、ともかく「驚く」ということがとても大事だと思ってきました。
「驚く」というのは、身が引き締まるのです。
まさしく、馬が、身が引き締まる緊張度が漢字になっています。
おそらく「感激」したり「感動」するのは、驚くことから始まる気がします。
そして、残念ながら、現代は「驚く」ことはある面では、
悪弊に対して「驚いてしまう」ことになっています。
「あんなこと、考えられなくてとても驚いた」となるわけです。
感激
大学人になって、若者が「感激」していることに偏りがあると観察してきました。
「どきどきしているか?」とか、
「どきどきすることやってるか?」とかを本当に毎日尋ねている気がします。
私は、「興味」あることをいっぱい持っていることが、
特に、デザインや創造的な仕事をする人間には必要不可欠だと確信しています。
現代、「感激」や「感動」を刺激しているのは、
スポーツや音楽に限定されているように思います。
ちょうど、ワールドカップでのサッカーの勝敗に、
日本全国民が一喜一憂という「感激」の場面を観ます。
私自身も、本来それほどサッカーを選んで観ることなどないのですが、
「気がかり」でなりません。
反射的認識
私は「感激」というのは、「反射的な認識」だと思います。
私は28歳、交通被災で車椅子生活になりました。
脊髄損傷をリハビリテーション訓練、ベッド生活から、
本来は1ヶ月かかるベッドでの起床を半月訓練という米国流を選び、
たった2週間後、初めて自力で起き上がりました。
それこそ、看護師さんから周囲の人が励ましてくれました。
内心は怖くて怖くてたまらなかったのですが、
強がりの私は平然を装いつつ、勇気いっぱいに起き上がって驚かせました。
みんなが拍手してくれたり、看護師さんやトレーナーの人達が泣いてくれました。
これは生涯忘れないでしょう。ともかく、とても苦しいリハビリでしたから。
私は、彼らが泣いてくれたのを見て、
私に「感激」が明確に反射してきたことを思い出します。
それ以来、「感激」というのは、心理的反射だと考えるようになりました。
おそらく、スポーツにおいても、
スタジアムでプレーしていて勝負が決定した瞬間、
それまで練習に練習をしてきた選手たちの大きな喜びを
「反射」して受け止めるのでしょう。
選手たちの喜びの「感激」が反射して共有できるのです。
そして、スタジアムにいるサポーターも、
TVを見ている私たちも「反射的な感激」で共有します。
選手たちは、必ず、こう言います。
「応援をしていただいたから、勝てた!、感謝します」と。
見事に、私たちも「感激」し、「感動」できた「感謝」を選手たちに返すのです。
私は、「感激」・「感動」・「感謝」のサイクルを見いだすことができます。
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1月 16th, 2010 Posted 9:00 AM
美しい
私は「生まれ変わってもデザイナーになりたい」です。
なぜなら、
まず、自分の中に「美しい」と自身で確認できる、
そんなモノやコトがひそんでいるのかを知りたいから。
そして、「美しい」というのは何なんだろうと
いつも問いかけていたいからです。
しかもどん欲に、「これって美しい」でしょ!
見せびらかしたいのです。
デザインは結局「造形」に集約させることができます。
そのための思考・思って、考える、ということは、
「数理的だ」と想ってきました。
「数学的」っていうのは受験の思い出が重なって、
「間違ってはいけない」というストレスがトラウマ。
数理
しかし、「数理」というのは、
たとえば、「リンゴ1個」と「鉛筆1本」を
総和して想う=思い考えるとすると、
●「思って」、たとえば二つとも「赤い」とか、
●「考えて」、「丸い」と「細い」ということです。
だから、数学・算数だと1+1=2となって
総和で「2」だけしか残りませんから、
何の感動もありません。
だから、
●「リンゴの赤さ」と「細い棒の中に黒い芯」を
たとえば、
●「リンゴに突き刺してもそれで絵が描ける」となると、
「どういうこと?」
「なぜ?」
「それがどうしたの?」っていう疑問が沸いてきて、
これはまぎれもなく「リンゴ鉛筆」の「造形」です。
想・思・考=形
「数理的」というのは、実はこうした想像力で、
●とんでもなく、「食べられる鉛筆」になったり、
●「鉛筆でリンゴにいっぱい穴を開けるモノ」
にもなってしまうのです。
私が「デザイン数理学」ってむずかしく言っている、
● e・i・πなんて「記号」の組み合わせは、
e=鉛筆・i=芯・π=リンゴがマイナス1って何?
これらを組み合わせることを想像力=virtualで、
「想う」=「思う」と「考える」ことをすると
「形」が出来ている、という「造形」です。
めいっぱい「オイラーの想像力」を追いかけて、
「見えてくるコト、ひょっとするとつかめるモノ」が
「美しさ」になっているのかも・・・ということです。
数学的美しさ・数理的美しさ
だから、「数学的美しさ」と「数理的美しさ」が、
同一なのか、全く異なっているのかは、私はもちろん、
人類はまだ分かっていないということにもなります。
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Posted in 900「かたちと造形思考」, 資本主義から逃走せよ!
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12月 24th, 2009 Posted 10:00 AM
デザイナーになって以来、
「かたち」こそ、私には「デザイン」です。
●「いのち」に「きもち」を、
●「きもち」を「いのち」に、
に
だから
かたち「に」きもちを
かたち「を」きもちに、
を
あるいは
かたちにいのち「を」
かたちをいのち「に」ということを、
まるでこの闇の中でつないでいる時もあります。
光の中でつないでいる時もあります。
しかし、私にはこの時々に、
生体的な病で押さえこまれる「しばらく」があります。
「しばらく」は、光と闇の時空間です。
やむなく、
私は時空間で「たたづんでいる」と判断します。
「化」という言葉があります。
「花」という言葉を支えています。
化・花
人と刃物=鳶口との関係です。
そしてもう一つは、「祈る」という「化」です。
「かたち」が「花」のごとくというのが、
私の祈りと言うのは、ややはばかりますが、
やはり、
私は、「かたち」=デザインに生体で祈り続けて、
時々、「たたづむ」ことを余儀なくされるようです。
私は、先般、このことを強く認識できました。
そういう才能と実践に出逢うと、
まさに、「鏡」に自分が映るように自覚させられます。
これが、感動であり、感激です。
そうした才能と実践に感謝するばかりです。
「きもち」が確実に「かたち」、
その世界を浮かばせてくれるのです。
Tags: 「かたち」が「花」のごとく, 「資本主義からの逃走」, いのち, かたち, きもち, しばらく, たたづむ, たたづんでいる, デザイナー, デザイン, に, を, 世界, 人と刃物, 光の中, 出逢, 化, 実践, 感動, 感激, 感謝, 才能, 生体的, 祈る, 自覚, 花, 認識, 鏡, 闇の中, 鳶口
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11月 9th, 2009 Posted 11:19 AM
11月9日
出張の癒しは、
高知の岡豊高校での講演で、
生徒代表の生徒会長からいただいた花束!
そして、BOSS(川崎和男)の
水へのこだわりをご存知だった先生が、
地元の海洋深層水
ウトコ ビューティ&ヘルシーウォーターを
ご用意してくださいました!硬度300!
健康と美をサポートしていただきました。
感動!感激!感謝!!
BOSSが大切にしていることばです。
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10月 29th, 2009 Posted 5:01 PM
10月29日 友引(丁未)
好きだ、となれば、まず感激が体を走る。
そして、好きだと言う感激の持続が
感動に至る。それは深い感動となって、
やがてその感激や感動を
与えてくれたことへの感謝の念すら
わき上がるのではないだろうか。
『デジタルなパサージュ』もの、ものすごい、ものものしい
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10月 9th, 2009 Posted 9:02 AM
10月09日 仏滅(丁亥)
私達は、モノとつき合っていくうえで、
ある種の感応性をもっていなければ、
そのモノと自分との間に
感動や感謝を置けないものだ。
こうした感覚のない人には、
いわゆるセンスという感応性が
人格に宿らない。
『デジタルなパサージュ』天井に手が届いてしまった
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