6月 16th, 2014 Posted 12:00 AM
新規起業しても30年後には1000社あっても2.8社しか残りません。
越前打刃物産地に「TAKEFU KNIFE VILLAGE」の商品は、
30年経ってもまだ商品であり、組合企業として未来があります。
このデザインをした頃は、高額過ぎる、木の柄がついていないなど
いっぱい非難されましたがメンバー達は私についてきてくれました。
武生特殊鋼材で、ステンレスと鋼をサンドイッチ構造の鋼板開発
「高品位ステンレス鋼700」を新素材化してもらい、
鋼部分は「ハマグリ刃」構造にて伝統技を継承しました。
グリップはステンレスとして、握ったときのバランスを設計。
木製であれば大腸菌繁殖は避けられませんが、
グリップとブレードの一体化が熱湯で「清潔」さを確実にしました。
今では、あたかもグリップとブレード一体化包丁は当たり前です。
しかし、このナイフのビッカース値硬度という切れ味はありません。
私はこうした伝統技を新素材と一体化で進化させたからこそ、
今なお商品は投資効果と費用対効果を長期に成功させたと思います。
ステンレスとサンドイッチ鋼の溶接によって、
「火づくり鍛造」という技は伝統を裏切って完成させたことが、
デザイン導入を産地が認めてもらえたデザイナー冥利です。
第一世代は10名でしたが、第二世代は20名になりました。
私は伝統工芸産地の後継者不足はリーダーであるべきデザイン能力、
その知性と美学性、その実務能力にあると考えています。
最近は造形力と新素材開発力、これらの無能なデザイナーがいます。
それを税金で無責任な行政が口出しをして台無し例を見ます。
無知な行政などに伝統工芸を任せてはならないのです。
私は、第二世代には、新たな製造方式と新素材で、
「もっと、美しい切れ味」を年内には発表をしたいと考えています。
そして、東京を超えて、欧米・アジアで日本のモノづくり、
その神髄を見せて、さらに現地を拡大していきたいと思っています。
『鉛筆削りナイフ・伝統技の記号づくりと情報づくり』
「タケフナイフビレッジの次世代へ」
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11月 11th, 2013 Posted 12:00 AM
私は「コシヒカリ」が福井原産であり、
その最高性を常に語ってきましたけれど、
そうしたらなんと、北海道の親友から、
「北海道だって、どうだ!」とお米が届きました。
こうなれば、食べ比べなければなりません。
早速に、その食べ比べをしました。
「うまい!」、の一言です。
なんのことはない、
日本のお米の最高基準はすべからく美味いのです。
ともかくお米の最高の炊き方にはいくつかのコツがあるでしょう。
なんといっても、炊きあがった時には、米粒は立っていること。
さらに最高の炊き方は、今はもう伝説ですが、
「まむしをお米の下において」そして炊くのです。
この炊き出しのお米はもう食べることができません。
幼少の頃、祖母がそうしてくれたことを夢の如く想い出します。
だから、若からし頃には、登山途中で、まむしを捕まえること、
このことをいつも考え、まむしを捕まえることに夢中でした。
先般も、タケフナイフビレッジでは、鶏や小動物の捌き方を
懸命に話をしてきましたが、もはやその時代は伝説です。
ともかく、私がブログでお米の話に挑んできた北海道の親友、
当然デザイナーですが、彼からは大量の北海道産が届きます。
そういえば、今年は雨量が多くて、蕎麦は福井でも北海道産です。
最近は、名産品を地方それぞれが工夫を凝らして、
それぞれの地方特色を「技術化」しています。
これは偽装ではありません。
私は「日本の農業の技術交換の革命」だと思っています。
問題は、そのことを明確に「情報化」することだと思います。
日本の農業技術は新たな地方交流により「世界一」のはずです。
少なからず、日本それぞれの最高ランクのお米は美味い!
この一言だと思います。
「農業技術」が最高技術になってくれることを願っています。
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10月 16th, 2013 Posted 12:00 AM
越前打刃物にデザインを投入して30年になりました。
いわゆる企業存続では一つの大きな山を越えました。なぜならば、
1000社が生まれても30年後には2.8社しか残らないのです。
ナイフビレッジの第一世代はすでに刃物作家として、
国際的なビジネスマンにも成長してくれました。
最近では、ロシア系のマニア向け商品を送ってくれました。
元来は「鉈の製造」から、私のデザインを実現するとともに、
刃物作家としての技法を取得し、今では、ナイフ専門誌では、
スターランクの仕事をしてくれています。
彼の存在があるから、彼のようにという若手・第二世代がいます。
私は、彼の親父さんからもいっぱい刃物づくりを学びました。
その親父さんから、本当は受け継ぎたくなかったという彼が、
鉈から、私のデザインを取り入れ、
とうとうナイフづくりをマスターしてナイフ作家になりました。
彼自身は、少しずつ注目をあび、今では欧米どころか、
ロシア系に彼のファンが生まれるまでになりました。
私のデザインでは、3万円程度が限界ですが、
彼のような「作家モノ」になると10~数十万円になります。
私もまさか国際的なビジネスマン的に欧米・中・ロシアまでを
飛び歩き、海外からの買い付けにまで応じられる作家であり、
鉈から包丁、キッチンナイフ、ナイフ、そして工芸的ナイフまでを
本当にマスターしてくれました。
しかし、私はまだまだ彼を含めて第一世代には、
「さらに一流」を目指してもらいたく、厳しい批判をしています。
共同工房建設して20周年で、第一世代には、
もっと進化させた刃物づくりをしてもらいます。
その影響を第二世代に引き継ぎ、
彼らは今度、第三世代を呼び込んでくれることを期待しています。
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9月 29th, 2013 Posted 12:00 AM
車倚子生活を余儀なくされてふるさと福井のデザイン活動は、
福井県内の伝統工芸と格闘をしてきました。
私が幸運なことは、越前打刃物の伝統に工業デザインを導入し、
工房まで建設し、今や第二世代が育ってきたことです。
一昨日には盛大なセレモニーをしました。
越前和紙、越前漆器、越前陶器までの仲間もいます。
私は、改めて第二世代に、私のデザインで新開発に入ります。
これまでも幾人かのデザイナーも取り組んでくれましたが、
感動できるモノは・・・・・です。
私は「中興の祖」を自負するだけに、
絶対に革新的な刃物を提案してみせる覚悟です。
第二世代に、第一世代にいつも語ってきた、「切る」こと、
それは漢字の世界に見事に展開されています。
もう一度みんなに、この世界観にもどって、
「世界一の産地」になってもらうつもりでいます。
昨日工房をたずねれば、やはり海外からの方々もみえていました。
第一世代は「親方衆としての刃物芸術」にまで入ってもらいます。
今、私のデザインはすでに30年のロングライフ商品のままです。
越前市長とは、彼が大卒後に松下政経塾生時代から、
現地の素材メーカー社長とも久々に私のアイディアを伝えました。
最近、日本各地の伝統工芸産地や地場産地の、
誰が考えた計画案なのかを調査するたびに、
私は呆れ怒りがわきます。
それだけに、私にはPFI=Private Finance Initiative方式を、
大学人・デザイナーとしても、この「国難」に差し出します。
第二世代には、親方衆との闘いの日々を伝えて、
もう一度、今度はいきなり海外で「見せる」のです。
日本の伝統的刃物はこうして革新することを、
「次の私たちも、美しい切れ味を鍛えていきます」と。
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9月 28th, 2013 Posted 1:47 AM
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9月 28th, 2013 Posted 12:00 AM
私は車倚子生活でふるさとに戻りましたが、
私を支えてくれた越前打刃物に取り組みました。
正直、これで「喧嘩師」を国内外にやってきたのかもしれません。
本当は5年が10年で「共同工房」を、
今は亡き建築家毛綱毅曠氏(1941~2001)との格闘で建設しました。
それが第二世代に引き継がれて20年です。
結局、私のデザイン活動の中核でもあり、デザイン成功例です。
第一世代:10名は、第二世代:15名にもなりました。
世代が変わっても、基本コンセプトを変更する意味はありません。
また、私のデザインはすでに30年もナイフの基本を創ったという、
強い自負がありますが、それだけに、
第二世代からの新作依頼は、とても苦しくて悩み抜いてきましたが、
私は、「伝統」=裏切りですから切羽詰まってデザインしました。
新たな産地の新活性化は、さらに世界的な刃物産地になります。
あらたなテーマでの研究をしてもらい始めました。
新素材も検討をつけていますし、刃物だからこそを成し遂げます。
おそらく、タケフナイフビレッジを始めた頃は、
私も30代ゆえにともかくこれが出来なければ、
デザイナーという職能を諦める覚悟で取り組みました。
それを支えてくれたのが、タケフの刃物職人のみんなでした。
産地はこれまでの経済危機にはほとんど揺るぎませんでした。
刃物作家はすでに国際的なビジネスマンにもなり、
産地には高級車もあるようになりましたが、
私は、決して「先生」ではなくて、仲間です。
私が負けそうになっても、彼らの厳しいモノづくりに励まされ、
「私たちは美しい切れ味を鍛えてます」というテーマは、
「次に私たちも美しい切れ味を鍛えていきます」という、
また「生きがい」を私に与えてくれています。
次は、第三世代を集めて、もっと未来を置き土産にする覚悟です。
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9月 13th, 2013 Posted 12:00 AM
絹織物で着物の裏地として優雅な存在が羽二重です。
今では、この呼び方は布・織物よりも羽二重餅として知られ、
お土産お餅の名称扱いですが、
私のふるさと福井が織物産地として、
かつては人絹取引所までありました。
絹織物で着物の裏地は、人絹=人工的に絹のような繊維、
人工絹糸であり発明者の名前の略号としてスフとも呼ばれました。
最初は、レーヨンから出発した人工繊維モノでした。
そこから、今日の人工繊維は大変に工夫をしながら、
産業の基盤になっていったモノですが、
産業の高度化は織物そのものが時代遅れです。
人絹に対して正絹という自然の絹糸・蚕の糸は、
蚕の糸吐きの観察から、7回に1回、蚕身体の震えから、
人工撚糸されたこれを見破ったスフはイタリアであり、
日本製スカーフが輸出品から敗退した時期もあったほどです。
絹撚糸の経糸を二重にして、緯糸一本は、
今見直されていますが、現状では緯糸を機織り機械で、
シャトルと呼ばれるモノがありましたが、
これは木工技術の製造技術でした。
30年前に、タケフナイフビレッジ=越前打刃物の再興に取り組み、
その時には、シャトル製造工場で刃物のパッケージを製造して、
その精度は、パッケージの端面がまさにナイフで、
そのパッケージの角で指先を切るほどの精度を求めたものでした。
しかし、今ではシャトル自体の製造工場が無くなり、
シャトルで正絹を織る企業は、作り置きをしていると言います。
また、福井に残っているシャトルは、
すべて収集してほしいと伝えています。
福井の裏地人絹産業と正絹産業を共に復活させられると思います。
私は、ともかく「羽二重」=はぶたえを国際化を目指します。
たとえば、晒をデパートで発見する売り場はほとんどありません。
しかし、人絹の進化、正絹での蚕の遺伝子操作自体まで、
私はデザイン対象化ができそうです。
そのとき、「布」の膚触り、手触りは尺度スタンダードが可能。
この可能性をビジュアル化とオーディオ化ができるでしょう。
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7月 30th, 2013 Posted 12:09 AM
7月29日
タケフナイフビレッジの第1世代から
第2世代の皆さんがボスの研究室に
お越し下さいました。
30年間の付き合い。
また新しい未来を作ります。
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7月 30th, 2013 Posted 12:00 AM
私はふるさと福井の伝統工芸にデザインを導入してきました。
750年の越前打刃物に「タケフナイフビレッジ」を、
デザインの導入によって産地を形成しすでに30周年になります。
すでに第一世代10名と第二世代15名になりました。25名です。
その背景には、この「定書」があります。
越前打刃物に伝わるこの書に登場する浅井(あざい)家は、
そのまま第一世代がメンバーにいます。
第一世代と第二世代が阪大の私の研究室を訪問してくれました。
第二世代に私は考え抜いた「産地モノづくり戦略」を話しました。
この「定書」という制度設計を成し遂げたのは、
まだ20代の橋本左内と熊本藩から越前藩の明道館に招いた、
横井小楠だったことが史実的にも確かめられています。
彼らの当時には藩政にとっても産業のあり方を述べていました。
だから、私はいつも、このように考えるのです。
「もし彼らの才能であったなら・・・どうしていただろう」と。
日本全国には、わが国の美学的結晶の伝統工芸があります。
絶対に不可欠なことは「デザインの導入」です。
30年、流行的なヒット商品を狙ってはきませんでした。
むしろ、現代の時間との共時性と産地技術の伝統性でした。
決して大儲けの産地になったわけではありませんが、
確実な「刃物のあり方」を伝統技にデザインを参画しました。
私は「働きがいと生きがい」を
未来の刃物に発見し、着実な日常性と産地存在性でした。
私は、新たな刃物を提案したいと思っています。
第二世代には、国内外で展覧会・流通・新たな存在性の確立です。
新たなデザイナーもそろそろ見つけ出したと思っています。
なぜならば、この「定書」にある制度設計を基盤にして、
情報時代から次世代時代を創出してもらいたいのです。
「タケフナイフビレッジ」を継体天皇の青春時代を送った、
その場に建設するまで10年かかりました。
その場に第二世代が全国から集まってくれました。
次の30年を根付かせるために私の役割を発見するつもりです。
Tags: 30周年, 750年, タケフナイフビレッジ, デザイン, デザインの導入, ヒット商品, ふるさと福井, 伝統工芸, 刃物, 制度設計, 安政, 定書, 展覧会, 建設, 明道館, 横井小楠, 橋本左内, 流通, 浅井, 熊本藩, 研究室, 第二世代, 継体天皇, 越前打刃物, 越前藩, 阪大, 青春時代
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10月 23rd, 2012 Posted 12:00 AM
春日部といえば、「クレヨンしんちゃん」の住処です。
今では、春日部が、
桐タンスなど桐木工の伝統工芸産地であることを
知っている人は少ないでしょう。
1980年代は、
「地方の時代」や「第四次全国総合開発計画=四全総」が施行され、
「地方の活性化」が盛んになっていました。
バブル経済を迎える寸前だったと覚えています。
私は、ふるさとに車椅子でもどり、
福井県内の伝統工芸産地に「デザイン導入」を試みていました。
幸いにも「タケフナイフビレッジ」は有名になりました。
そして、そうした産地への「デザイン導入手法」についての講演も
随分と引き受けていました。
この本には、春日部で中心となっていた影山和則氏が、
公的機関からのデザイン活動をまとめた「デザイン史」になっています。
私が、影山氏に、
いかに厳しく接していたかも描かれていて赤面ものですが、
私は、全力で伝統工芸産地、その職人さんや、流通と闘っていました。
もっとも、牙をむいていたのは「四全総」を背景にし、
権威を振りかざしていた官僚や
その身内的なデザイン・プロデューサーたちでした。
おそらく、「喧嘩師」と言われ始めたのもその頃だったと思います。
しかし、この本に記録されているとおりに、全国各地の伝統工芸産地は、
デザイナーを引き入れて懸命でした。
あれから25年後の今日、
生き残っている産地はほとんど無いと言ってもいいでしょう。
私は、「タケフナイフビレッジ」は今も健在であることを自負しています。
この本に描かれた全国それぞれの産地活動は
一つのチェックリストになっています。
「あの産地はどうしたかな?」という具合です。
私は、この本には80年代、
少なからず理想的な国家体制の中で、
伝統工芸という
日本文化をデザインが引き受けようとしていた事実史があります。
是非とも、次世代デザイナーには読んでもらいたい「デザイン史」本です。
その理由は、
国難となっている日本が再生するためのヒントが
当時の全国各地の産地での懊悩する姿がいっぱいあるからです。
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