12月 19th, 2013 Posted 12:18 AM
デザインを美術科目から社会科目にというのは、
まず、米国ミシガン州で始まり、
教育政策として取り上げたのは英国でした。
小学生が幼稚園児のユニフォームデザインを考えるという教育。
かつてアートとデザインの違いを簡潔に、私はこう述べました。
アートは主観的表現であり、デザインは客観的表現であること。
今、デザイナーと自称しているほとんどはデコレーター。
インテリアデザイナーとインテリアデコレーターは明確に、
彼らの専門知識が異なり、教育方法も別個です。
わが国の「環境デザイン」は公園や建築系ですがこれは大間違い。
韓国では「環境デザインでこそロボティクス環境がテーマ」。
だから政策的には「デザイン」がどれほど国際的に、
私たちの日本は遊離し始めているのです。
今、国策である「COOL JAPAN」にこそ、デザインはもっともっと、
「包括的=Inclusive Design」でなければいけいないのです。
私が40余年デザイナーを職能にしてきた最大の目標、
それは「問題解決の実務表現」の職能家であること、
そんな話を稲田国務大臣・越尾秘書官・藤巻参議院議員に
決定的な話がスムーズに伝えることができたと思っています。
知性無き左翼系の国策全て非難主義などまったく無意味です。
3.11で学んだ真の事を、独裁政治で拉致被害者を取り戻せない事を、
すべからくが、「デザイン実務」で解決を図ることの大事さを
私は語り尽くしたいと思っています。
デザイン無き工学的手続きがどれほど無意味かも徹底的に、
論理背景と表現実務で「実現の時期」が来ているのです。
未来・夢・理想に向かってこそ、私たちの生涯が、
死に向かって生をうけているからこそ、
生きている現実に覆いかかっている問題にその解決、
つまり理想と夢と未来を創っているのです。
私たち日本には「わび・さび」に至る「美」があることを、
彼らとの昼食後は、二つのマスコミにも伝えて帰阪しました。
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10月 23rd, 2013 Posted 12:00 AM
「アート&クラフト運動」について、私には調べ尽くしています。
それはデザイン史にとっては重要な基盤であるからです。
この創始者、ウィリアム・モリスの生涯と彼の作品、
さらに彼が後々まで影響を与え現在もこの影響は連続しています。
このところ、ワイフが非常勤講師としての授業のための、
いくつかの資料、さらに彼女が購入した資料を改めて見ました。
私の結論は、デザインのデコレーション性と彼の自宅での実証、
これらを照らし合わせれば、今なお彼の作った壁紙など、
彼の残したパターンは現代性を強く持っています。
しかし、彼が現代デザインに影響を与えているかというと、
私には、彼のパターンのデフォルメ性や、
「赤い自宅」(彼は建築後はすぐに売り払い住んでいません)には
インテリアでの英国中産階級の「住みやすさデザイン」は評価。
日本では写実主義は結局は残らなかったという見解に照合すれば、
彼のデザイン運動は、私には、デザイン運動とは思えません。
もし、どうしてもといえば、彼の出版での「美」の追求については
私は「デザイン」が最も求めている「美」は容認しています。
彼のデフォルメは、写実性を下敷きにしてまったく正確です。
したがって、彼が現代のデザインをどこまで牽引していたかは、
まだまだ論議を尽くすべきです。
そういう意味では、国際的にもこの研究者は少ないと思います。
私はまだ英国には行ったことがありませんが、
「赤い家」と後にグラスゴーで活動したC.マッキントッシュは、
現地で確認する必要があると思っています。
それは、グラスゴー大学とグラスゴー美術学校では、
お互いに、PDEという資格制度すらあるわけです。
PDE=Product Design Engineerというのは、
日本では「設計論」と「デザイン」の専門家です。
この資格制度を立ち上げるために、一人の学部長が来日して、
この制度の背景は名古屋で創られた歴史があるからです。
「アート&クラフト運動」のデザインでの位置設定は重要です。
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6月 6th, 2013 Posted 12:00 AM
多分、私はこのままだとこの画家のことを書いていくだろう。
ニコラ・ド・スタールの人物ゆえに、彼の作品のことです。
忘れたように引っ張り出しますが、
有名になる直前に自死を選んだ性格が見いだしたことです。
彼は何を、見たのでしょうか?
観てしまったのでしょうか?
このことに惹かれる生涯を選んだということかも知れません。
もちろん、私の「プラトンのオルゴール」作品の一つです。
ビートルズの曲は「JULIA」です。
5年ぶりに前回パリに行ったときも彼の作品集を探し求めました。
私は、画家という職能とその作品を、
なぜ、人間は知性と感性の最高感覚として、
知性が選ぶ才能として、絶対に受け止めない人物は貧しいのです。
しかし、最近では、
「デザイン」は、あたかも知性ある人間として、
安易にその指導者ぶりや商業を押し隠している人物を多数、
私は知り尽くしてきました。
アートではないけれど、これがデザインだという、
最も貧弱な知性ぶった人間を蔑んでいます。
高校時代だったら殴っていたでしょう。
それ以上の価値などはありませんから、
命を奪うことはありません。そんな価値も当然無いからです。
先般、現政権の「COOL JAPAN」が海外で受け止められている、
その商業主義の浅はかさを聞かされました。
デザインの職能団体が、
時代と共に衰退していく事を目の当たりにしました。
つまらないイベントに、日常から逃げ出している輩を見ました。
これが「人間界」だというなら、
生涯にその最も汚濁した部位を表現の一つにすること、
それは画家という職能の最大重要点だと断言しておきます。
なぜ、JULIAという音楽が彼の作品と同調するのでしょうか?
なぜ、彼の作品は、最期には色彩が無彩色=まるで墨絵、
白と黒の絵画世界観に達していくのでしょうか?
私は生涯、この気持ちを下敷きにして、
自分のデザインを、日常の汚濁には決して配置しないと思います。
彼の最期の作品(左)は私のPCの壁紙にしています。
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5月 26th, 2013 Posted 12:00 AM
「道具を売る証人」=ミシェル・フーコー。
彼の音楽ならビートルズの「オ−!ダーリン」、
これが2004年の個展「プラトンのオルゴール」展の作品です。
2006年、金沢21世紀美術館に永久収蔵と個展開催。
M.フーコーをほとんど読み尽くして敬愛していた私は、
まさに、1980年代から集積回路=LSIの決定的なモノとして、
これをオルゴールに仕込みました。
なぜなら、一般的にはMC68000はミニコンLSIながら、
Macintoshを産み出し、これが現代文明を大革新したからです。
だから、私は現代の「道具の証拠」として、
その役割をM.フーコーとし、その音楽をビートルズから選び、
売られてもいなかったその曲のオルゴールを作品にしました。
この展覧会には、インダストリアルデザインがアートになりうる、
この思いを証拠立てることでしたが、
私がデザインを学んだ金沢市は作品を買い上げました。
おそらく、現代のパソコン、その完成品だったMC68000を知る、
そのような人は数少ないでしょう。まして、
集積回路=LSIの進化は、情報技術・電子技術の最高峰だと、
今でも暗黙知になっています。
しかし、私は異議申し立てをしなければなりません。
LSIの根本的なやり直しが必要になってきました。
たとえば、電子回路にLSIが並べば、その消費電力は大きく、
もはや精度制御しなければならない発熱量の大きさです。
私は、インターネットでクリック2回で、
カップ一杯分のコーヒーができるとまで断言しています。
それは、LSIで閉じ込められた現代文明では、
その消費するエネルギー=電力の消耗量を端的に比喩しています。
そこで「再生エネルギー」を
太陽電池だ、風力発電だというのは、将来性を隠避しています。
もし「再生エネルギ?」が可能になっても5%程度ゆえ無理です。
だからこそ、私たちが再度考え直すことは、
LSI神話を終焉させることです。
私はあらためてM.フーコーが、
なぜ、自分を「道具を売る証人」と言い切ったのだろうか、
現代道具であり続けてきたLSIを根本で変革することにこそ、
わが国の頭脳が祖国をもう一度、本当に豊にするだろう、
そんなことをこの作品コンセプトで確認しています。
すでに現物作品は美術館の倉庫に眠っています。
* 詳細は私の著作「プラトンのオルゴール」再読を!
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11月 8th, 2012 Posted 12:00 AM
私が最も注目している現代アーティスト、
トマス・サラセーノの新作をインターネットNewsで知りました。
「クラウド・シティ」という題名=テーマは、
現代アートゆえの「問いかけ」、
それは批判であり、問題提起になっています。
ともかく、商業主義的な流行として喧伝されることには、
常に実態がともなわないことが明らかです。
これは特に情報社会になってからの顕著な悪弊だと私は思ってきました。
「嫌らしくて卑下して構わない」とすら私は直言しておきます。
「Cloud」、「Smart City」、「Smart Grid」、「Eco」、「Lohas」など、
うんざりです。
そして、情報系大企業にはこうした事業部があり、
広告もあり、
いかにも未来を招致している印象を企業イメージにしています。
しかし、小学生でも、そんなことに希望や期待など持っていません。
私などは実際に「デザイン実務」で、
そうした事業部のリーダーたちと接してきましたが、
「これだから日本の企業経営は失速している」と大確信しています。
企業研修などで講演をするとき、
現代アーティストの作品を事例に解説することがあります。
必ず問いかけます。
「この作品知っていますか?、作家を知っていますか?」、と。
ほとんど無知です。
もし、未来に向かって真に革新的なイノベーションをめざすならば、
現代アートの「問いかけ」、「批判」、「問題提起」に
敏感でいてほしいと思います。
そうとなれば、
選ばれしアーティストの展覧会は日本にやってくるでしょう。
また、そうした展覧会が日本オリジナルな企画展が生まれてくるはずです。
かって「マルチメディア」という
陳腐なテーマを語っていた企業が時代を招来したでしょうか。
否です。
私は、日本が現代で目覚めるためには、
アーティスト作品が日本展を目指してやってくるべきだと考えています。
まさに、
私は、現代アートと経済の活性化は直結した連鎖構造だと思っています。
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9月 10th, 2012 Posted 12:27 AM
届いていました。
先般、松屋銀座での個展ギャラリーに2日通いました。
本当に久しぶりにアート作品を求めました。
早川親子の鍛金彫刻作品です。
アッと思うほど、惹き付けられました。
その夜に、あの作品群の中のアレを、
わが家のやっぱりスピーカーシステムJBL4343の上に置こう。
そう決心すると、ともかく会議前に求めておこうと決めました。
正直、仕事中も、
すでに自宅に作品が来ているイメージが常に浮かび上がっては消える、
そんな繰り返しが起こっているのは、
仕事への情熱を演技している連中への怒りを抑えられました。
「大企業病」というのは、
大企業にぶら下がっているサラリーマンの罹病だと定義できました。
それに引き替え、早川親子(父と息子)の作品は、
父がまずは師匠でありながらも、息子さんは二代目でも無く
この親子の強烈なライバル関係が清々しいのです。
この作品は息子さんの作品です。
生きている実感と社会での役割を凜と果たしているのです。
それが見事に作品に表れています。
彼らは、三重県で制作活動をされています。
いわゆる芸術関連の学歴などは無いそうですが、
そんなことはどうでもいいことです。
ところが、芸術系の学歴の無いことから作品への上から目線の人や、
この作品をロボットにして動かしたらとか、
LEDで光らせるべきと忠告されるそうです。
私はアート作品へのそのような期待は、
まあまあ一般的興味が膨らんだだけに過ぎないことだと思いますが、
つまらない鑑賞の仕方だと言っておきます。
もちろん、銅と真鍮という素材加工の技術性やその染色方法は、
高度でオリジナリティが存分であることが基本です。
しかし、もっと重大なことは、
「作品を私物化」したときに、その物欲と美学的な満足度を
どれほど真剣に「日常化」していく決心と作品への憧憬です。
私にとって、買い求めてまで側に置いて毎日眺めるのは、
常に、眼を透明にできる作品と出会うことです。
この作品は、これから私と一緒に、
私のオーディオ=耳と眼が共時性を持って、
生きている確認ができることです。
これから、この作品と対話したことも書き残したいと思っています。
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6月 16th, 2012 Posted 3:57 PM
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6月 15th, 2012 Posted 9:30 AM
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2月 21st, 2012 Posted 12:00 AM
インダストリアルデザインは「ことば」で説明の無い世界です。
デザインされたモノが言葉的に昇華されていることが求められます。
そして消費対象になり消尽していくモノでもあるのです。
しかし、表現手法としてのインダストリアルデザインには、
その技法と物語りを仕込むことで消費を拒絶することができます。
ユーザーの形見になる可能性もあります。
そこで表現は量産できるような設計をできる限り完備することです。
そして、デザインとアートとの関係が
どこかで彷彿とされる印象が生まれることも起こります。
私がデザインを起点に恣意性を図ったことはアートへの近傍です。
もし、私の「生」が反映されていて、
その痕跡となるモノ=私のデザインということになれば、
それはいつの日かアート作品に経年変化すると確信してきました。
その代表例が「プラトンのオルゴール」になります。
1994年に発表し、2006年には美術館に永久収蔵されました。
したがって、これは私の原点回帰になっていると思っているので、
強調的な主張作品にしておきたいと考えています。
機械的なオルゴールが仕組まれ、
さらに、実像ではない虚像が浮かび上がる構造を持っています。
それはプラトンを知ろうとしてきた私なりの彼へのオマージュです。
音の世界にデザインで飛び込んだことゆえ、音=オルゴールの実装、
その筐体造形、造形言語としての完全無比な立方体、
私の「生」はこの中に閉じ込めること無く、
適うことなら、オルゴールの音に永遠性をと願っていたモノです。
私がデザインを学んだ金沢、その街にある金沢21世紀美術館に
永久収蔵されていることは、とても光栄で幸運なことです。
まもなく63年目の「生」を確認することになるので、
あらためて、私の「生」と原点回帰の作品を差し出しておきます。
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11月 22nd, 2011 Posted 12:00 AM
バスキアの映画を久しぶりにTVで観ました。
ジャン=ミッシェル・バスキアは、
グラフティ・アートのスーパースターでした。
しかし、その才能は最後には認められること無く、
最後は薬、そして夭逝してしまいます。
彼とマイケル・ジャクソンが重なりました。
マイケルも薬、それは人気絶頂から、
様々なスキャンダルやゴシップで、
彼も世間から見捨てられました。
ところが、彼ら二人の夭逝によって再び世間、
アメリカ社会は、もう一度スーパースターにしました。
二人とも人種差別を乗り越えて作品に命をかけていた若者です。
アートとミュージック、それぞれの作品は勿論のこと、
彼らの生きた証全てが「商品化」され、今後も価値づけられます。
私は、このアート商品群が資本主義での「消費」、
その非情さが21世紀もまだ引きずっていることを指摘しておきます。
しかも、その資本主義での「商品化」はそのまま「情報化」です。
情報という商品、情報化されるアーティスト存在の価値観です。
情報社会は「スーパースター」をマスコミが作り上げ、
そうしてやがては「潰しにかかる=嫉妬」を有します。
この「嫉妬」こそ、資本主義社会も社会主義社会も、
人間の業、集団社会の社会心理だと考えられます。
ところが、こうした「スーパースター」夭逝は、
社会心理を今度は大きな「同情」に転換します。
これも人間の業の現れ=社会心理なのでしょう。
人間の業が極端に現れるのは、資本主義先進国家です。
今年、わが国は大変な試練と直面させられてしまいました。
それも「消費構造」・「消費空間」にあるわが国の再生です。
破壊されてしまったわが国のあらゆるシステムも、
未だに20世紀の資本主義に引っ張られた中にあります。
無論、私は社会主義はもっと認められる思想ではありません。
それなら資本主義を超える経済主義や政治思想の根幹を変革。
そのようなことまでデザイナーという職能が可能ではないでしょう。
この変更困難な理由に私は楯突いてみたいと考えます。
だとするなら、この国難を直視出来る今、
私は人生最終の「行学」の対象にしていきたいのです。
バスキアとマイケル・ジャクソンへの社会心理、
この実態から多くのことが学べそうです。
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