12月19日Staff Blog
12月 19th, 2009 Posted 4:08 PM
12月19日
「連塾」に参加している
BOSS(川崎和男Kazuo KAWASAKI)です。
JAPAN DEEPは今回で完結だそうです。
8時間の長丁場!
Tags: JAPAN DEEP, 伝統, 川崎和男Staff Blog, 日本, 松岡正剛, 連塾
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12月 19th, 2009 Posted 4:08 PM
12月19日
「連塾」に参加している
BOSS(川崎和男Kazuo KAWASAKI)です。
JAPAN DEEPは今回で完結だそうです。
8時間の長丁場!
Tags: JAPAN DEEP, 伝統, 川崎和男Staff Blog, 日本, 松岡正剛, 連塾
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12月 17th, 2009 Posted 10:00 AM
デザイン界と建築界は、
歌を忘れたカナリヤだったと、つくづく思います。
● まず今年のデザイン界で、
「やられたなー!」と思う作品=製品は、
ほとんど、まったく見つけることができませんでした。
展覧会も、あいかわらずの「形式」で「ごっこ」です。
● 建築界は、世界コンペで勝つことができません。
コンペで勝てる建築家は限られてしまっています。
デザインは未だに「かたち造形」でしかありません。
「かっこいいかな的」なモノは「玩物志向」です。
だから、ケータイも、家電も、情報機器も、
アジアからはあまり警戒も、尊敬もされません。
●「歌を忘れた」というのは、
「実装設計と素材設計」にデザイナーの主導力無しです。
実装もこだわりました、なんて言うのですが、
みすぼらしくてとても評価できません。
建築は、コンペに勝てないから、
日本の建設業が関われない、ということになります。
設備設計も敗北し日本製品でその建築は装備できません。
結局、「都市計画」が「環境デザイン」という
とても救いがたい名称に変更したことが大失敗なんです。
かくいう私は、といわれそうですが、
今年は間に合いませんでした。
来春・来夏・来秋に、「成果」=「歌」が唱えるでしょう。
実装設計・素材設計・都市設計に来年は、
日本だから、やっぱり「出来てしまう」ことを
証明しないと、この不況からは脱出できません。
精進と修練の成果をめざしましょう!
Tags: アジア, ケータイ, デザイナー, デザイン, 世界コンペ, 作品, 実装設計, 家電, 展覧会, 建築, 建築家, 情報機器, 成果, 日本, 歌, 環境デザイン, 素材設計, 製品, 資本主義からの逃走, 都市設計
Posted in 999「番外編」, 資本主義から逃走せよ!
12月 8th, 2009 Posted 10:00 AM
米国に従属してしまった日本は分断された。
戦後生まれの私には、
米国のあらゆるモノが眩しかったのです。
大きな冷蔵庫、自家用車、電化製品、・・・
そして、「アイビースタイル」で、ファッションを、
それこそネクタイの結び方まで学びました。
正直、60年代の「安保闘争」を田舎のTVで見つめる時、
日本が壊れていく、そんな東京でのデモ行進の異様さは、
とても、悲しかったのを覚えています。
70年代には、まさに、私も大学生になっていました。
完全なる「ノンポリ」でした。
むしろ、学生運動に走る連中を殴っていました。
それよりも、音楽やデザインに、心惹かれていました。
やがて、知るのです。
三島由紀夫の切腹が訴えようとしていたことに、
私は目覚めました。「日本が壊れていく」と・・・
明らかに、東京一極集中は日本を分断していきます。
私は、北陸の地方都市から東京を「対象化」しました。
そして、「雛美人文化論」を心底にしながら、
伝統工芸産地に、「デザインの導入」に関わります。
やがて見えてきます。
「鄙」と「都」の関係です。
明らかに、唯一の「都」=「東京」には、
「クロノフィリア(時間偏狂者)」が集中していきます。
一方、日本全国の地方都市は「鄙」と化します。
そこでは「トポフィリア(場所偏狂者)」で、
「土地自慢」こそ「地方の活性化」だという偏狂さです。
今なおこれは歴然とした、
「資本」としての「土地」感覚そのものです。
「都」での金融資本と、「鄙」での土地資本が意識分断、
すなわち「花綵の国」は、金融資本も土地資本も、
価値を喪失して、私たちの心まで分断しました。
ところが、
「情報時代=ネットワーク社会」は、この分断を、
新たな「花綵」にしてくれるのかもしれません。
すでに、「都」も「鄙」も、
ネットワーク社会=意識社会によって、
「bit資本」が、金融・土地・資材・食糧に至るまで、
「花綵ネットワーク社会」が創出されるでしょう。
私は「逃走」します。
それでも明らかに私の「希望」は、
このネットワークが、再び「花綵の国」へと、
デザインが導いていくものと確信している次第です。
Tags: 「資本主義からの逃走」, bit資本, アイビースタイル, クロノフィリア, デザイン, トポフィリア, ネットワーク社会, ノンポリ, 三島由紀夫, 伝統工芸産地, 価値, 冷蔵庫, 分断, 切腹, 北陸, 喪失, 土地, 土地自慢, 土地資本, 地方の活性化, 地方都市, 場所偏狂, 安保闘争, 対象化, 導入, 希望, 従属, 情報時代, 戦後生まれ, 日本, 時間偏狂, 東京一極集中, 田舎, 米国, 自家用車, 花綵, 花綵ネットワーク社会, 花綵の国, 資本, 逃走, 都, 鄙, 金融資本, 雛美人文化論, 電化製品
Posted in 008「花綵の国」, 資本主義から逃走せよ!
12月 7th, 2009 Posted 10:00 AM
日本は、花、その美しさが遺伝子にあります。
無論、花への想いは、どのような民族でも伝統美です。
すでに、忘れられた言葉に、
日本は「花綵の国」と自称していました。
華緤・花綵、まさにこの島国は春には花で絆がり、
四季の花々への愛惜と作法は、日本美の伝統です。
そして、花の美しさとともに、
「日本語」の美しさにも、愛惜と哀惜があります。
私は、「いのち」・「きもち」・「かたち」を
海外でも常にその成り立ちや言葉の要素を語ります。
それは、「ち」という言葉で決定づけられていることです。
「ち」は、漢字でも、血・智・値・地・・・・と、
いっぱいあります。
そこから、ち+から(空)=力があり
(空)から+た(田)=体が成り立っていると紹介します。
そこで、
資本論にもどれば、
重要重大なキーワードに、「土地」と「価値」があります。
いずれにも、「ち」があります。
それは、
「土地」と「価値」に資本関係が強く連関しています。
「土地」=「場」と「価値」=「貨幣」の体系が、
「日本語」では資本主義を借用したり引用するまでもなく、
伝統的、民族的、国家的に、息づいていたのです。
何も、「資本論」も「資本主義」も不必要だったのです。
「花綵の国」の「土地」と「価値」との体系には、
花への愛惜のごとく「思想」だったのです。
Tags: 「資本主義からの逃走」, いのち, かたち, から+た, きもち, ち, ち+から, 不必要, 伝統的, 伝統美, 体, 体系, 価値, 借用, 値, 力, 国家的, 土地, 地, 場, 思想, 日本, 日本語, 智, 民族, 民族的, 田, 空, 美しさ, 自称, 花, 花への想い, 花綵, 花綵の国, 華緤, 血, 貨幣, 資本主義, 資本論, 資本関係, 遺伝子
Posted in 008「花綵の国」, 資本主義から逃走せよ!
12月 5th, 2009 Posted 7:54 PM
戦後の日本は、
金科玉条のごとく「政教分離を遵守」してきました。
その意味と意義、機能性と効能性はあったのでしょうか。
私は、まったく無かったと思ってきました。
政教分離を唱えつつも、
● 宗教団体をバックにした政党もあり、
● 仏教も神道もすべからく飲み込んできた政党と
● 宗教排撃ごとき思想によりそっている政党も存在します。
したがって、こうした玉石混淆の政教に関する論理は、
「全く社会的効能性は無かった」ものと考えるべきでしょう。
すなわち、
私は、政教一体であろうが、政教分離であろうが、
そこに公然と唱えられてきた民主主義は、
いわば先進的な資本主義国家体制の共同謀議にすぎません。
ここから、先の私の思想はペンを止めることにします。
なぜなら、
私のペンが私自身を社会的に抹殺、自死へ誘うと思うからです。
私が注目し、
「宗教」を洞察してきた対象の「宗教」は2つあります。
「禅宗」と「シェーカー教」です。
□「禅宗」は、私のふるさと福井であり、
その総本山である「永平寺」です。
なんとも私の育った環境に大きな影響があったからです。
もうひとつは、
□「シェーカー教」です。
ボストン郊外に何度か訪ねました。
実際にはすでに観光地化していました。
それは、「家具」であり「車椅子」デザインのためでした。
しかし、「シェーカー教」の教義とその実践である
共同生活、手仕事、労働への敬虔さ、
そのデザインに心奪われました。
そして、
この二つの「宗教哲学」とその「実践」に、
まったく、民主主義は皆無だということがわかりました。
そこから、「いのち」を支えうる「宗教」と「政治」は、
その人間個々の「いのち」の系譜は完全に断絶します。
宗教での「死生観」は、
「政治」どころではない思想が、連綿と連鎖し、
そして、「生きる人格」を決定づけています。
この断絶を受け入れられる強固な「生涯」を
私は選択しました。
結果、
私は民主主義は無効だということを認識しました。
もっとおおらかで、
もっと高潔で
もっと品格のある
「集団的な意志決定=生き様」があります。
私はそれを分別しています。
だから資本主義を静観し、
決して巻き込まれない「生き方」を
デザインに配置したのです。
Tags: 「資本主義からの逃走」, いのち, シェーカー教, デザイン, ボストン, 仏教, 共同生活, 共同謀議, 効能性, 品格, 宗教団体, 宗教排撃, 実践, 巨大, 意味, 意義, 戦後, 手仕事, 政党, 政教一体, 政教分離, 政治, 教義, 日本, 機能性, 死生観, 民主主義, 永平寺, 生き様, 生涯, 社会的効能性, 神道, 禅宗, 資本主義国家体制, 車椅子, 集団的な意志決定, 高潔
Posted in 006「宗教・神の国」, 資本主義から逃走せよ!
11月 19th, 2009 Posted 9:00 AM
本土爆撃・沖縄占領・原爆による完全敗北は、
「神の国は、勝つ」と洗脳されきた国民を絶望させました。
軍部による独裁を今なお呪っています。
それは「神の国・日本」が屈辱を受ける裁決で始まったのです。
私のふるさと福井も空襲で、廃墟になりました。
パラシュートを製造していた繊維の街だったから。
私はまだ生まれていません。
父は、7年半も戦地で青春を奪われていました。
私は東京裁判をもう一度、検証するべきだと思っています。
特に名古屋空襲での、
一人のB級戦犯となった人物への裁決が正しかったのか、
どうかということです。
米国による空襲は、明らかに民間人を相手にした爆撃です。
これは、国際法規違反です。
そうなれば、沖縄も、広島・長崎はじめ、
日本各地への空襲はすべて、国際法違反です。
少なからず、日本の真珠湾攻撃は軍事施設破壊でした。
民間相手ではありませんでした。
名古屋が空襲されれば、内地防衛をしていた軍部は、
爆撃機を攻撃し、打ち落として戦闘を行います。
結果、米国軍人を殺しました。
これを勝者は裁いて戦犯としたわけです。
彼は相当に食い下がります。
一部は彼の主張の正しさを認めていたと言われます。
東京裁判での裁決の勝者の勝手さは、
きわまりなく、勝者は国際法規などは完全無視でした。
私は今更という思いでこの東京裁判の一つのエピソードを
持ち出しているのでは、ありません。
この敗戦直後の、「屈辱」こそ、
敗戦した日本人から、
「神の国」=「日出ずる国」の「誇り」を失いました。
すなわち、負け戦となった理由付けで、
戦後、屈辱を内面に傷として癒さぬまま生きてきた
「神の国の住人」の精神性に絶望が今なおあることを
明示しておくべきと考えるからです。
この癒し方が、
資本主義と民主主義を受け入れた気持ちになっていたのです。
Tags: 「資本主義からの逃走」, 憲法9条, 戦犯, 日出ずる国, 日本, 日本美学, 東京裁判, 東洋の理想, 沖縄, 真珠湾攻撃, 神の国, 空襲
Posted in 006「宗教・神の国」, 資本主義から逃走せよ!
11月 18th, 2009 Posted 9:46 AM
美大時代、
私は日本美学に惹かれる訳が無いと思っていました。
これはすぐに消滅しました。
学園紛争は金沢美大にまで及んできました。
全共闘・赤軍派などが知ったかぶりで叫んでいました。
私たちはファッションにこだわり、
立て看を片付けて、彼らと対立していました。
しかし、赤ヘルメットで、
ただデモしているだけのお粗末さがセンスの無さを証明。
馬鹿集団としか思えませんでした。
学生運動が歴史的に勝ったのはイタリアでたった1回。
この知識すら知らない連中たちでした。
私は団塊の世代です(嫌いな言葉ですが)。
同世代には「当時はね、左翼系で、よくデモってました」。
こんな教授達に出会います。
あれからあなたは何をめざして生きてきたのでしょうか、
私は質問したくなりますが見下すことに最近決めました。
大学教授なるみなし公職にあり、
青春の志を転向したあなたを、
決して認めることはないでしょう。
あなたは「神の国・日本」を冒涜して生きているのです。
「神=自然神の国」を冒涜したのは、左翼系インテリです。
こうした人間は、
日本が犯した大罪であった世界大戦を指摘します。
私は日本美学を岡倉天心と天皇制と武士道に求めました。
そして、結論。
冒涜は、三つあったと判断します。
● 大東亜共栄圏構想には、
「東洋の理想」岡倉天心著の書き出し、
「Asia is One」=「東洋は一つである」が、
当時の軍部に引用されました。
岡倉天心の美学と愛国心を悪用したのです。
● あの戦争は「天皇制」が原因と、
戦後その理論を吹聴。
それらが進歩的文化人と言われた左翼系学者や作家です。彼らは「神の国」の冒涜者です。
●「東京裁判」での国際法の無視です。
具体的には、名古屋大空襲に立ち向かった、
一人の中将=武士道の抵抗と
その正当性を忘却させていること。
無論、東京裁判を今、再考し直してこそ、
あらためて憲法9条論議を乗り越えていくべきです。
これら三つの冒涜が、「愛国心」という言葉すら、
日本語の危険語としてきた戦後の教育だったのでしょう。
「神の国」の均衡心=バランスとハーモニーという
日本の美学を冒涜していることだと私は考えます。
Tags: 「資本主義からの逃走」, Asia is One, バランスとハーモニー, 全共闘, 団塊の世代, 均衡心, 大東亜共栄圏, 天皇制, 学園紛争, 学生運動, 岡倉天心, 憲法9条, 日本, 日本美学, 東京裁判, 東洋の理想, 武士道, 神の国, 赤軍派, 金沢美大
Posted in 006「宗教・神の国」, 資本主義から逃走せよ!
11月 16th, 2009 Posted 5:00 PM
日本には八百万の神=自然の草木から岩に至るまで、
すべてに神がいました。
仏教には、五大思想での木・火・土・金・水があります。
儒教は、
仁・義・礼・智・信という人間としての徳性が基本でした。
歴史的には、
日本では
仏教と儒教が一体化したり分離という理が学問であり、
それがさらに八百万の神=神道とも一体化しました。
日本の神を全否定したハビアンの主張は、簡潔です。
ハビアンが、キリスト教の優位性を主張したのは、
世界の「創造主」の有無であり、神道・仏教・儒教の
「無為自然」や「空」・「無」なる心情が
全ての人にとって確信性が明白では無い、と
いうことを論破したのです。
ところが、儒教精神や仏教さらには神道で、
「自然」、特に樹木・岩・石から物すべてに「神」を
「武士道」に「理」として朱子学などは、
江戸時代から精神性の学問とまで昇華されていきます。
私がこれまで蓄積してきた歴史観の一端しか、
ここでは述べませんが、私は思います。
「賢者は歴史に学び、勝者は歴史をつくる」というなら、
私は「賢者」でありたいと思っています。
あらためて語りつなぎます。
日本は「神の国」であるという政=まつりごとの
根本理念と精神支柱として人格性の基盤となり、
そこに「天皇制」という民族思想は統一されました。
小さな島国、資源も面積も無い日本にとって、
民族自身の保身に、愛国の思想、
その核心が「神の国」であったことが、
悲しくも逆作用をしました。
甚大な戦災と被爆に遭遇した哀しみすら
「神の国」ゆえということを否定した
左翼系思想がマルクス思想だったことが、
ハビアン的な反発だったとみなすことができます。
歴史的考察を短絡して語りきるなら、
「東京裁判」による、
日本評価と判決を私は許容はできません。
日本の資本主義が、
「神の国」を仕舞い込んでまで、
生きながらえてきた戦後を
そろそろ総括するべきでしょう。
Tags: 「資本主義からの逃走」, キリスト教, ハビアン, 仏教, 儒教, 八百万の神, 創造主, 天皇制, 日本, 東京裁判, 武士道, 神の国, 神道, 空, 賢者
Posted in 006「宗教・神の国」, 資本主義から逃走せよ!
10月 31st, 2009 Posted 4:09 PM
10月31日 仏滅(己酉)