2月 15th, 2012 Posted 12:00 AM
日本が地震大国ゆえにその予知報道に翻弄されます。
そして3.11は私たちの価値観を変えてしまいました。
私は10ヶ月かけて「復興計画」企画書を書き上げました。
これからその計画書では企画・戦略だったので、
本格的な計画の推進をめざしたいと考えています。
大震災直後に、情報の集約化をめざして、
この
website内に放射能のことなど情報を集め発信してきました。
そして、減災・防災・救災というレベル設定をして、
もし、天災に見舞われたらどうするべきか、
「ふだん」と「まさか」に峻別した情報集積をしています。
その
websiteのトップ画面です。
3.11で学んだことを集積し集約して、
まず「自分の命を守る」こと。
そのためには避難するにも「手ぶらで逃げる」こと
これが基本だということです。
防災グッズは様々なモノが市販されていますが、
それよりも、「手ぶらで逃げて命を守れば」、
減災と防災が適います。
そうすることで、救災ということばで、
「助け合う」ことの主役になるということが大事という考え方です。
「手ぶら」といっても、
最低限はいつも身につけておくことが肝心です。
それは、「財布・ケータイ・ハンコ」ということです。
財布とケータイにハンコを加えたのは、
3.11で「避難所生活」で必需品だったことです。
「ふだん」と「まさか」に、
日頃から準備していくモノややっておくべきコトを、
このsiteに集めたいと思っています。
衣・食・住に対して、私は医・職・趣を付け加えています。
医は救急医療、
職は職能の保持、
趣はたとえ天災に遭っても、
自分やみんなが励まし合うエンターテイメントです。
そして、水・食料・電力というエネルギーを
どうしていくべきかは、日本の宿命的課題です。
私は、ともかくなんらかのエネルギー確保を、
さらに改良し、進化させるデザインが必要だと考え、
そのデザインと開発のフィーザビリティに取り組んでいます。
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4月 19th, 2010 Posted 12:01 AM
連鎖系・構造系へ
ファッションは「モード」の話に収束しています。
ところが、モードは即、流行として軽んじられる傾向があります。
しかし、モードと景気は相補的なパラメータで連鎖しています。
モードは確実に、「イノベーション=景気循環」だと思います。
そして、確実なパラメータの設定なら、それはコードです。
そしてコードは体系が限定されたシステム内でしか機能しません。
モードの自由度に比べてコードの限定性の間で、
大欠落があることは指摘されてきませんでした。
私は、モードもコードも、
もし「体系=システム」論ならば、
次の指摘による、「連鎖系」と「構造系」が思考軸となって、
「ダイナミックス」論への展開が必要だと野生的に感じています。
Dynamics
結局、行政政策での「モード仕掛け」が常に失敗するのは、
「モード」だと思って取りかかる毎に、
政策という「コード」に変質してしまうことに気づいてこなかったことです。
実例とした「コンテンツ産業」も、
モードとなる要素と要因が、コード化しています。
結局、モードはあくまでも、
時勢や流行、さらには風評という「自然な社会生理現象化」、
それはダイナミックス化です。
端的に極論すれば、システム時代は終わりつつあるのでしょう。
いや終焉したのかもしれません。
これは資本主義の終焉とのパラメータになっているのかも知れない、
これが私の推測であり、予知、予測でもあるわけです。
システムはあきらかにコードとして「限定された体系」にまとめられます。
ただし、集約や収束ではありません。
単なる蓄積体系でしかありません。
ただし、この「コードの体系」は、運用と維持のパラメータとしては、
大変、便利で活用は創造的に使いこなすことが可能です。
だから、教育は、ある意味では「コードの体系」、
その蓄積を読み解いていく手続きを指導すればいいだけのことかもしれません。
けれども、デザインは、無論「コードの体系」を入れ替えたり、
あるいは引用することが出来ます。
当然、コードなのかモードなのかを選定したり、
その入れ替えや策動も可能です。
私は、ファッション思想 思想ファッションが、
コードへのプロセスを作動させる装置だと思っています。
それだけに、ファッションを現代思想としていくには、
明解に、コードの体系、コードの蓄積を破壊する発想が必要です。
そして、それが出来るのは唯一、デザインでしかないと私は思っています。
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1月 17th, 2010 Posted 1:00 AM
手と空
いつもスケッチと数式を描き書いています。
「手」に造形・数理の思考が採集・集中・集約します。
「手」が動き出すまでには、
「手」はほとんど運動神経が支配している所ですから、
頭脳は「空」=emptinessになっています。
だから、思考が蠢いているとは感じられません。
ところが訓練した「手」には「思考脳」が発生します。
これが不思議なことですが、私は確信しています。
デザイナーの修練・資質・才能・意志・存在感、
それらを統合化しなければ、
この不思議さを身体化できません。
これはほとんどスポーツや楽器演奏とも同一だと
私は想ってきました。
手の訓練
美大生時代は、徹底的に「手」の訓練をしました。
泣くほど訓練をしてきたと思います。
デザイナーである現在も「手」をひたすら精進です。
今、教育者として「手」=デッサンを重視しています。
もう、「手」で一本のラインを見ただけで、
学生や若いデザイナーの「力」=能力が見えます。
私自身のデッサン・スケッチには健康状態も出ます。
もう一つは「手」は女性のごとく「手入れ」必死です。
ハンドクリーム
手の洗い方からハンドクリームについても、
相当に試行錯誤してきました。
特にハンドクリームについては一家言持ってます。
「手」が、
実は「脳科学」が集約しているとさえ思っています。
「思考」は「試行運動」で「手先」から表現されます。
私は、思考が行き詰まるといつもじーっと、
自分の「手」を見つめることにしています。
ちなみに、ハンドクリーム評論家にもなりたいです。
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1月 16th, 2010 Posted 9:00 AM
美しい
私は「生まれ変わってもデザイナーになりたい」です。
なぜなら、
まず、自分の中に「美しい」と自身で確認できる、
そんなモノやコトがひそんでいるのかを知りたいから。
そして、「美しい」というのは何なんだろうと
いつも問いかけていたいからです。
しかもどん欲に、「これって美しい」でしょ!
見せびらかしたいのです。
デザインは結局「造形」に集約させることができます。
そのための思考・思って、考える、ということは、
「数理的だ」と想ってきました。
「数学的」っていうのは受験の思い出が重なって、
「間違ってはいけない」というストレスがトラウマ。
数理
しかし、「数理」というのは、
たとえば、「リンゴ1個」と「鉛筆1本」を
総和して想う=思い考えるとすると、
●「思って」、たとえば二つとも「赤い」とか、
●「考えて」、「丸い」と「細い」ということです。
だから、数学・算数だと1+1=2となって
総和で「2」だけしか残りませんから、
何の感動もありません。
だから、
●「リンゴの赤さ」と「細い棒の中に黒い芯」を
たとえば、
●「リンゴに突き刺してもそれで絵が描ける」となると、
「どういうこと?」
「なぜ?」
「それがどうしたの?」っていう疑問が沸いてきて、
これはまぎれもなく「リンゴ鉛筆」の「造形」です。
想・思・考=形
「数理的」というのは、実はこうした想像力で、
●とんでもなく、「食べられる鉛筆」になったり、
●「鉛筆でリンゴにいっぱい穴を開けるモノ」
にもなってしまうのです。
私が「デザイン数理学」ってむずかしく言っている、
● e・i・πなんて「記号」の組み合わせは、
e=鉛筆・i=芯・π=リンゴがマイナス1って何?
これらを組み合わせることを想像力=virtualで、
「想う」=「思う」と「考える」ことをすると
「形」が出来ている、という「造形」です。
めいっぱい「オイラーの想像力」を追いかけて、
「見えてくるコト、ひょっとするとつかめるモノ」が
「美しさ」になっているのかも・・・ということです。
数学的美しさ・数理的美しさ
だから、「数学的美しさ」と「数理的美しさ」が、
同一なのか、全く異なっているのかは、私はもちろん、
人類はまだ分かっていないということにもなります。
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