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「『突然変異』・決して起こってほしくないこと」


   


     4月 16th, 2013  Posted 12:00 AM

私自身、ウィルスの怖さは身体的に熟知していると思います。
だから、私が最初に懸命に読んだ論文は「狂牛病」でした。
英国の医学系論文誌にこれが掲載された3年後に、
日本で一般的な話題になりました。
それから、
『ウィルス発生の突然変異』が気がかりの一つになりました。
様々な『突然変異』が起こっています。
私のふるさと福井の海の越前クラゲも、
中国河口での工業廃水での変異現象でしょう。
そして、この『突然変異』は、
地球の温暖化や急激な経済活動での結果。
この二つに間違いないと私は判断しています。
なんと言っても、
日本列島に熱帯地方生息の生物が現れれば、
これは『突然変異』を必ず引き起こすものと考えています。
したがっておそらく、
私たちが知らないこの現象は、
増加していると考えておくべきでしょう。
最近、鳥インフルエンザが決定的な死因になってしまいました。
私もまさかと思っていたインフルエンザで2度も入退院をしましたが、
インフルエンザの起因菌は、一段と強化されているようです。
それが、中国で、確実に起こって、
死者が出てきているという報道は相当に疑わしいと思っています。
中国の報道にはまったく信憑性は皆無でしょう。
そして、私がこの鳥インフルエンザどころか、
かつて亜熱帯だった日本列島の自然気候現象が変貌したかぎり、
私たちが想像もしていなかった、
『突然変異』が発生する可能性は進化しているでしょう。
熱帯の蚊が北緯を上げ、その蚊などを媒介にしたり、
中国のスモッグが、
わが国の自然界で新たな『突然変異』を起こすと考えられます。
私が取り組み始めた「危機管理デザイン工学」では、
この想定が相当に大きな位置を占めていくと思っています。
新たなウィルスに対する危機管理は、
医工学と直結して「命の安全性」をデザインしていくことになるでしょう。
そういう意味では、書き切れないほどの『突然変異』を想像し、
必ず、想定内としての「危機解決」が望まれるものと考えています。


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「キャナルシティ博多での二つのショップ、二人の経営トップ」


   


     3月 27th, 2012  Posted 12:00 AM

「マクドナルド」と「フランフラン」、二つのショップ。
キャナルシティ博多でも活況を呈しているショップであり、
「今現代」を企業存在・企業活性・企業展開、
この三つを最も体現している超優良企業です。
私自身、街中で散策するということはほとんどありません。
出張先でのショッピングも時間的にはむずかしいのですが、
キャナルシティ博多では、
なんだかワクワクしながらいくつかのお店を見て回り、
ワイフのショッピングに付き合って楽しむことができました。
特に、この二つの店舗とその経営母体については、
両方とも経営者とは知人でしたから、
ことのほか、現実の店舗を実体感できたことは面白かったのです。
マクドナルドの時代共時性ある商品開発での躍進ぶり、
またフランフランの徹底的な豊富な商品アイテムでのブランド展開ぶりは、
TVの経営番組でも必ず紹介されていますが、
自分で店に入り、実体験してみればすべからく納得してしまいます。
この二つの企業、そして経営者は、もう30年ほど前に出会っているだけに、
二人ともスゴイと絶賛評価です。 
マクドナルドのH氏とは、
Apple時代は、営業本部長で本社副社長だったと思います。
その時代にも彼の決心スピード=意思決定度や詳細な行動力には、
何度も何度も感服していました。
だから、現在、彼がリーダーであり、
すべてが成功していることには納得可能です。
彼がアップルからマクドナルド社に変わった直後に、
彼と会って話をしましたがいくつも教えられることがありました。
フランフランのT氏は、なんと同郷です。
しかも彼は福井のある家具製造企業で東京営業所長時代に、
私もこのメーカーで
デザインと企業戦略やスタッフ教育に関わっていました。
当時の彼への印象は、ハンサム無口でしたが、
肝心肝要な発言ぶりで、将来はこの企業を率いると思っていたところ、
起業し現在ではこの領域業界でもリーダーです。
フランフランを知った時、彼が社長だと聞いて驚きましたが、
「なるほど」と一辺に納得しました。
二人に共通していることは、
「デザイン」にとても精通した経営者であること、
「時代把握感覚の鋭敏さ」です。
そして、「デザイン」と「時代感覚」は現在を知り尽くしているからこそ、
「明日を創る」という能力は天分であり、
無論、努力ということがあったとすれば、
彼ら自身の意見を実行していく中では、
様々な障害が他からストレスとなっていたことだと推測します。
しかし、結局は、こうしたストレスは自分自身に突き返し、
自分を常に今日より明日のために「自分自身への修練」、
まさしく精進の成果を連続させるエネルギーだったのだと断言できます。
本当に今は、こうした人物が激減していると私は思っています。
私は、こうした人物たちとも
人生のある時期に懸命になれたことは幸運だったと思っています。

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「これからの命五年は保障された年でした。」


   


     12月 31st, 2011  Posted 12:00 AM

2010年9月末に私は東芝の原子力研究所を訪ねました。
「あと20年、貿易立国・日本は大丈夫」、
原子力技術の進展ぶりに驚愕しました。
「はやぶさ」と「南極観測船・しらせ」に、
わが国の高密度技術あってこそ、
私なりのデザインは寄り添えられるという確信でした。
3.11 PM2:46 M9.0 東日本大震災
大地震・大津波・フクシマ原電事故は、
わが国を「ゼロ」にしてしまいました。
3月からほぼ半年は、瓦礫と破壊された東北景観に涙しました。
そして、1000年に一度を、すでに残されたわが生涯に、
真正面から「祈望と企望」にして対象化しました。
ところが体内のICDが電池切れ、またもや入院手術。
けれども、中国と韓国では、
「国際貢献のデザイン」を講演するチャンスをいただきました。
キーボード・スポーツ眼鏡フレーム・血圧計を世に出しました。
講演も「3.11以後のデザイン」を次世代に語りました。
東芝にもどって、
「復興計画●●●PROJECT」に取り組んだ年となりました。
来年、この提案が受け入れられるかどうかです。
提案はたとえ東芝で出来なくとも後世に残す覚悟でいます。
それは、自分へのある種の決着です。
デザイナーとしての生涯の証です。
身体は、新たなICDでまた五年の心臓制御は保障されました。
日本のデザイン界は低迷しデザイン行政は為体です。
それは日本の政権交代の大失敗と連関しています。
正直、心なき中傷も受けますがそんなものは、
命がけを体験してきた私に届くわけがありません。
私は、地道に懸命さで、
そして最も過激で敵をつくろうが生命の限りを使い果たす覚悟です。
祖父や父の世代がやっと敗戦からつくり直した日本を、
もう一度、私はデザイナーとして大学人として、
私の微力を捧げます。

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『資本主義からの逃走』
 *産・官・学などありえない!・・・*


   


     11月 15th, 2009  Posted 8:39 AM

私は47歳で大学人になりました。
いつも「産・官・学」というのが「耳鳴り」でした。
というよりもほとんど、「耳障り」でした。
私は、そんなもの、そんなことは絶対に不可能!と、
言い続け、絶対加わらないという信念
それはデザイナーであるポリシーでした。
だから、それなりの仕打ちをどれだけ
受けたことでしょうか。

デザイナーの私には、産官学を言う「知恵なき集団」、
そんな集団が創造など出来るわけが無い、と
いう確信が経験値としてあります。
約580点のデザイン作品を社会化してきた自負です。
(最近海外メディアの取材で、秘書が整理してくれました)

今、政権交代によって、
「産・官・学」は「予算計上が完全ストップ」されました。
静かな「革命」が起こっていてくれるなら、
とてもうれしいことです。

「産」は、当然儲けたいし、その研究費に食らいつきます。
関わった産業人は言い訳を用意すればいいのです。
「官」は、とりあえず、お上としての目線で、
何か社会にイノベーションを与えた気になるだけです。
「学」は、
無能な研究室や教授に限って声高に論文程度にするだけ。
途方もなく国税を無駄にしているかを見てきました。

「入場者数が90万」という施設運営のお見事さを
宣った館長では、やはり、社会的な存在は無理です。
ある県立美術館長が私に言いました。
「私の美術館は、こうみえても年間2万人ですよ!」
「ふざけないでください!、それがご自慢なら間違いです。
年間400万人がルーブル美術館です。ご存知ですか?
日本で、年間170万人やがて200万人という美術館が
日本にあります!、そこには私の作品も収蔵されていますが」

少なくとも、私は国立法人大学の教授です。
しかし、「御用学者ではありません」。
多分、官僚にものすごく嫌われるほどIQが高いですから。
彼らとの議論には負けないことがイヤなのでしょう。
けれども、
研究室は必ず、誰かがいます。 国費を使うだけのことに、
「懸命」に、「賢明」であるべきというのが愛国心です。
必ず、研究成果を「社会提案」します。
「いのちと向き合うデザイン」の研究室です。

あまりにもひどい国立・公立はもとより、
私立であっても、
「大学」は、「知を探求し、感を創出」するべき場です。
もし、税金や助成金がもらえたなら、
必ず「モノにする!」能力は限られた大学人だけです。

そういえば、前政権の土壇場予算応募がありました
「最先端××××=2700億円」です。
国費に応募したことのない私が応募しました。
当然、見事に落とされました。
「研究の重要性は理解できるが・・・」と
簡単に評価されました。
重要性など分かっているはずがありません。

待っていていただきたい。
必ず、「世界的なデザインで、世界を変えます!」から。


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