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Posts Tagged ‘好き’


8月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 22nd, 2010  Posted 10:00 AM

8月22日 先勝(甲辰)

自分の好奇の質と、
好奇対象が刺激してくる因子の質を
対象化した上で、
自分を好き・嫌いのレベルから
どの方向へ運んで行けるか、
を見極めることが求められる。

『デザインは言語道断』好奇


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8月11日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 11th, 2010  Posted 10:00 AM

8月11日 友引(癸巳)

つまり、
好き・嫌いという感情を、
どのように
「インタラクション」
=自分と対象との相互性・相互作用性に
昇華させたり、
あるいは代償的な行為へと
変換させることができるか、
という方法が問題になる。

『デザインは言語道断』好奇


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8月9日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 9th, 2010  Posted 10:00 AM

8月9日 仏滅(辛卯)

出会った印象で
好き・嫌いを判断し、
感情のおもむくままに行動を決定する感覚は、
人間にとって
重大かつ不可欠な原初的特性である。
それこそ
「野生」である、ということだ。

実はこの直感的な感情は、
きわめて知的な部分にも直結している。

『デザインは言語道断』好奇


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8月7日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 7th, 2010  Posted 1:16 PM

8月7日 先勝(戊子)

言い換えると、好き・嫌いとは
低次元な価値評価としての要素を
多分に含んでいる。

ここで言う低次元とは、
評価・判断というレベルで
熟考されたわけでもなく、
知的でもないことを意味する。

『デザインは言語道断』好奇


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8月6日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 6th, 2010  Posted 9:30 AM

8月6日 先勝(戊子)

好きか、嫌いか、
というのは、
私は最も原初的な価値判断だと考える。

『デザインは言語道断』好奇


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『資本主義からの逃走』
「物質・形容されるモノの価値とモノの形容価値」


   


     5月 25th, 2010  Posted 12:01 AM

モノ価値
モノ=人工物質を私は意味しています。
が、このモノは製品もしくは商品です。
そしてこの製品価値・商品価値は、「形容」されること、
あるいは価値の形容というのは現代性の社会観、
その価値付けが最も重大になってきています。

かわいい
たとえるなら、「かわいい」という価値感があります。
私は「かわいい」というのは価値観にはまだ至っていない、
この認識が明確にあります。
つまり、「かわいいモノ」と「モノのかわいさ」が、
そのまま商取引・資本投下での投資効果になるわけです。
この投資効果こそ、経済活動の活性度になっています。
この活性度が、資本主義経済の現代性になっています。
特に、先進国家や自由資本主義経済体制が整備された市場では
顕著な価値感覚になっています。
まず、「かわいいモノ」というのは、
物欲に対して「好き」という感覚のある意味では、
直感的であり、幼稚さや、所有感覚の素直さに連動しています。
それに対して、
「モノのかわいさ」というのは、
そのモノと自分との対照性を顕示する物欲になっています。
そのモノを所有することで、
所有者自身にかわいさを反映・反射させることに連動しています。
あらためて、その「かわいい」という形容価値には、
モノ価値論を、「形容」という付加性があるということになります。
そこで、もう一つの「形容」をあげておきます。

品
それは「品のいいモノ」と「モノの品性の良さ」です。
これもほとんど、「かわいい」と「品」が、モノに対しての関わり方、
構造性につながっていることは明らかです。
この構造性こそ、デザインの本質につながっています。
そして、私がデザイナーとして目指すべきは、
「品」・「品格」ある品質を「形容」できるモノのデザイン。
デザイン設計による「品のあるモノ」・「モノの品格」です。
無論、「かわいい」という形容にも、
「品性」があることは充分に理解し容認する姿勢です。


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『資本主義からの逃走』
「iPadが加速させる新たな情報化・Revolution」


   


     5月 19th, 2010  Posted 2:02 AM

好
私の世代=団塊の世代(嫌いな言葉ですがその世代なので)は、
大学時代、「革命」を目論もうとしていた連中がいました。
しかし、私はまったく無関係どころか、
そうした連中を、若さに任せて見下していました。
むしろ、スキー・ロッククライミング・拳法が面白いし、
それ以上に美大生としてのトレーニングと読書を好んでいました。
「好きだ」というのは、「中心、之を好む」ですから、
心の中心には、常に、美大生学生時代そのものが鎮座していたのです。

革命
さて、「iPadは革命か?」という質問が、米国でも相当の話題だったそうです。
それは、「ボブディランの登場が革命だった」というある記者から、
直接、AppleCEOジョブスに向けて発せられたそうです。
彼は、「革命が解放を意味するなら、そうだ」と直答したという話です。
私は、「革命」というのは、まさしく東洋の伝統的解釈を当てはめても、
iPadはやはり「革命」でしょう。
なぜなら、
「革命」とは、
「革=皮革をピィーンと張って、刃物を入れる」ことに繋がっていると判断します。
情報時代は、あらゆる領域、科学・芸術から産業、経済、
そして国際関係がピィーンと張ってあるほど緊張しているとすうならば、
明らかに、その刃物となるモノ、それがiPadだと言うのは言い過ぎかもしれません。
が、私は、確実にパソコンやノートPC、ケータイ、インターネットなどを
ピィーンと張ったモノの体系、
ネットワークの体系とすれば、この体系に対する刃物だと思います。

大切
刃物というのは、確かに「切る道具」ですが、
これは具体的なモノの存在にすぎません。
そして、概念世界では「刃物=道具」でしょう。
しかし、
観念の世界では、明らかに「切る」という行為が示すことは膨大なのです。
刃物偏が入って漢字は、第一水準漢字ではおおよそ68文字(記憶で曖昧)あります。
創・作・武・製・制・初・切・などなどです。
iPadで「切り込み、創る」ことは、大事であり、
それを見透すことが「大切」になっていくことこそ、
「観念世界での革命=Revolution」でしょう。


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『資本主義からの逃走』
  「製品コンセプト・一人称では三つが基本」


   


     2月 28th, 2010  Posted 1:10 AM

清・潔・簡・明
私は東芝のインハウスデザイナーから出発しました。
その時の「想い」は今なお崩していません。
身体的には、車イスになり、心臓障害をいだきながらも、
それでも、私は「デザイン領域の拡大」が目標です。
製品コンセプトは、常に三つで十分だとさえ思います。
それは、自分自身=一人称から決定すれば、
● 清々しいこと=清
● 潔い=潔
● 明快=明確な簡潔さ=簡素

以上が、私自身の精神性や、そんな存在感で生きたい、
ということにつながるからです。
だから私の製品デザインには、
その一人称がそのまま反映し反射し吸収されたモノに
結実してくれればいいと考えてきました。
しかし、
清々しく生きる、というのはとてもむずかしいことです。
潔いというのは、きっぱりさとさっぱりさです。
簡素で明快であるというのが、清潔さを必ず与えます。
私が「喧嘩道」と呼ぶのは、
この三つを成し遂げるためには、
自分へのこの三つの問いかけです。
自分に喧嘩を仕掛けることです。
私の「製品デザイン」は無論、「好き・嫌い」で
受け取られています。
時には、川崎和男のデザインは嫌いだ、と、
幾たびも言われていました。
それでも私が、「私のデザイン=一人称で語りつくす」、
この姿勢や態度が気にいらないのは、
「嫌い」というあなた=一応、二人称のあなた自身へ、
問いかけます、とうより喧嘩を売ります。
聞かせて下さい。
● あなたは、清々しい人ですか?
● あなたは、潔いですか?
● あなたは、明快・簡潔・明確・簡素ですか?
という「喧嘩」を売りたくなります。


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10月29日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     10月 29th, 2009  Posted 5:01 PM

10月29日 友引(丁未)

好きだ、となれば、まず感激が体を走る。
そして、好きだと言う感激の持続が
感動に至る。それは深い感動となって、
やがてその感激や感動を
与えてくれたことへの感謝の念すら
わき上がるのではないだろうか。

『デジタルなパサージュ』もの、ものすごい、ものものしい


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