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Posts Tagged ‘京都’


『日本酒パッケージに納得が出来る』


   


     8月 28th, 2017  Posted 12:00 AM

お酒は時代感覚と国際関係上で、
いわゆる酒税法の変更は知識化すべきです。
私はほとんど買い物はあまりしたことがありません。
車椅子視線で、商品展示のうるささは目眩幻覚になります。
ネット通販とワイフ任せですが、時折、コンビニは立ち寄ります。
コンビニの競合はすさまじいとみています。
先般大手酒造メーカーのポケット瓶スタイルの日本酒をみつけました。
60歳を過ぎてからお酒は飲んでいますが、
ドクター指示やワイフの厳しい管理があります。
この大手酒造メーカーでは、すぐに思い出したのは、
最初の「白い巨塔」ドラマ主人公、自殺されていますが、
TV-CMは思い出したら、ちゃんとYouTube には残っていました。
「白い巨塔」と言えば阪大がテーマ対象でしたが、
最も2年前から、阪大医学部入学者は全員が「白い巨塔って何ですか?」、
という時代になってきたようですから
講演での掴みでは、医学部教授たちには
「白い巨塔から来ました」が使え無くなったようです。
そして、私は思いつけば大学人でありデザイナーゆえ、
次々とテーマアイディアを出しますが、
このプロジェクトも佇んでいます。
それは、この酒造メーカーは京都にあり、
京都の水道管は酒のため一部はステンレスパイプになっています。
日本全国の水道管をステンレスに!とそのプロジェクト案がありますが、
天災・地震国家では、ライフラインである水道管はステンレスではなくて、
蛇腹で地下地震での耐震をと、企画はありますが実現していません。
酒税法にも規制緩和は激しくはたらいていますが、
地方の酒造メーカーは次々と閉鎖されています。
ともかく、大手酒造メーカーも杜氏職人不足ですが、
酒醸造技術の進化はとりわけ日本酒や焼酎を進歩させています。
私は酒類の工程への技術進化に期待をしているのです。
そして、特に日本酒のコップ酒を離脱したこのパッケージは、
正直、やっと気づいたのか、出来てきたモノです。
しかし、徳利(お銚子ではなく)造形は、
私の判断では造形ラインに、センス不足を感じています。
でも、お酒=徳利と杯(お猪口)の構成は納得しています。

* 『酒、現在はジンの効能性=社会的存在価値について』
* 『メセナフィランソロピーが「ジン」酒造企業ではどうか』
* 『「百貨店の終焉」が始まっていると見ている』
* 『レストランテーブルの高さに車椅子使用者ゆえ注目』
* 「荒唐無稽さと完全無欠さなら『ゴルゴ13』でしょう」


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『観光都市はエスノセントリズムから解放されること』


   


     7月 25th, 2017  Posted 12:00 AM

観光とはある意味では私は極端な表現をします。
乞食(こつじき)産業とまで承知、炎上受諾で言ってきました。
もう少し学術的にはエスノセントリズム=自己尊称で見下し思想です。
日本におけるその最大都市は、京都とそして金沢をあげておきます。
まず、観光都市に変わる○○都市が必要です。
京都でも大きな書店には「京都」案内系の書籍が5段で二つがぎっしり。
確実にこれらの書籍にはエスノセントリズムが根柢であることは確かです。
しかし、私は映画館で車椅子対応は、京都と金沢が一番良いのです。
東京は駄目、どれだけ喧嘩してきたでしょう。これはクレイマーでは無く、
最新を知って欲しいと伝えました。大阪?清潔にしてほしいのです。
「前例がありません」と言うのにはデザイナーはそれに挑むのが当然です。
日本の伝統といえばともかく奈良・京都ですが、実際には、美濃と越前。
つまり、岐阜県と福井県の今では伝統工芸と言われる分野、
紙・漆・陶芸(陶磁器ではなく)・機織り(麻と絹)・刃物・です。
ついでながら伝統工芸は沖縄返還時に法整備されたのです。
こうした労働へのエスノセントリズムが綿々と続いているのでしょう。
現代観光客ではなく実際に外人定住していることこそエスノメソドロジー、
それが京都の宮廷文化と金沢の武家文化への新しいアプローチなのです。
ただし、もはや観光都市を前面にすればするほど三つの間違いがあります。
いわゆるお土産を民芸ということと、民藝は全く別であること。
観光商売での高額商品なりのモノづくり=民芸は貧弱になります。
リゾートというのであれば、何度も通う休息場所が景観の情景なのです。
景観には光景・風景・情景があるのです。だから観光は?なのです。

* 「ケータイを焦点化するエスノメソドロジー」
* 『68歳、青春の日々を金沢で再度、行学に』
* 『乞食=こつじきの地になってならない! 造形美の神社』
* 『民藝の美とデザインの美は区分分別されていた』
* 『藤原行成の書体との出会いは先生からの指示だった』


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『知人、友人、親友、いや話相手としての別感覚の友』


   


     7月 22nd, 2017  Posted 12:00 AM

京都ホテルオークラの左奥からのまなざしです。
京都は月1or2は主に映画を観るために出かけます。
そのほとんどの定宿です。
デザインとしては二つのことがあります。
まず、ホテルオークラのロゴタイプは私の恩師平野拓夫先生のデザインです。
もう一つは亡くなった友人・内田繁氏(アルド・ロッシ)共作のインテリア。
一昨日まで京都にいました。
そしてホテルに戻る度に、あぁ、もう一度会いたいなーと思います。
Gマークの審査会と毎日デザイン賞の最終審査委員時代でしか、
実際は約束してまで会ったことがないのですが、彼との会話や彼の作品、
それは特に「September」を思い出します。
先般このブログで米国のインテリアセンター竣工最初の「国際椅子展?」に、
日本からはたった四名の時も、彼は選ばれていましたし、
彼への献花式には青山葬儀場にてとめどなく悲しくて合掌しました。
その時には、やはり、彼の大きな遺影写真の下には「September」でした。
だから、どうしても欲しくて、彼が居なくなったスタジオ80に電話して、
買い求めたかった椅子です。
そして、Gマーク審査での昼飯は一緒に冗談ばかり言い合いました。
彼が桑沢のデザイン学校校長になると、すぐに講演もしました。
毎日デザインでは、5名の最終審査委員がいる中で、二人でこそこそ話を、
内容はいつか話したいことが一杯あるほど、この審査会で・・・・・でした。
親友ではなかったのですが、知人、友人でもなく、
ともかくデザインというか、肝心のデザイン論議でもなく、
デザイナーである、そんなデザイン四方山話の仲でした。
今回はちょうどこのホテルのエントランス工事中であり、
すこぶるこのホールの素材や仕上げやそして室内色彩の調和性からも、
君らしいなあ・・・彼ならという超重奏高級感
それをとてつもなく感じ取ることができました。
このホールで、今は亡き彼に向かって(君のさぁ、このデザインのなかで)
そんな空想の会話をしました。
今回、京都の古本屋でおそらく江戸後期の水墨スケッチを買いに来たんだ、
でも、もう売れたのか見つからなかったよ、って会話して来たのです。

* 『金沢美大には伝統的なアノニマスデザインがあった!』
* 「日本で最初のスクリプト体・恩師のデザイン」
* 「機械工学とデザインの学際化を・・・大学人としての願い」
* 『目の前に未来・将来は無く背負っているのです』
* 『毎日デザイン賞・同時受賞の佐藤晃一氏が逝去した。』


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『レストランテーブルの高さに車椅子使用者ゆえ注目』


   


     7月 21st, 2017  Posted 12:00 AM

ようやく気づいたと私は思いました。
これはいわゆる食堂、レストランという建築空間です。
何に気づいたということでしょうか?
テーブルの高さを見てもらえば分かることですが、
通常、日本ではほとんどというかすべからくテーブルの高さは700mmです。
しかし、喫茶店になるともっとテーブルの高さは低いのです。
私はたとえば企業のC.I.などの企業イメージづくりに関わるときには、
特に食事をするテーブルは750mmにすることを薦めます。
理由はとても簡単なことですが、車椅子での使用勝手では当然なのです。
これは京都のそれも米国的な雰囲気を若者対象にしているレストランです。
ともかく京都は外人が多い街であること、
それも在住している白人が多いということに起因しているでしょう。
東京でも一流ホテルなどのレストランはほとんど海外仕様で、
テーブルの高さは750mmですから椅子の高さもそのテーブルとペアです。
このテーブルの高さがなぜ私は気にしているかということです。
それは車椅子使用者にとって、テーブルの高さはとても重大だからです。
正直なところ国内のホテルやレストランで海外と同じテーブルの高さは
全く出会ったことがないということです。
昨夜もユニバーサルデザインやバリアフリーが日本ではサンクションだと、
一応記述しましたが、車椅子生活も40年で、自分の職能からも、
ましてはユニバーサルデザインを自分職能の領域にしていますが、
バリアフリーはほとんど実現はしていないのです。
もっと正確な事実を明らかにするべきかと考えています。

* 『統一、いや統合には四つの分類があるが気づくだろうか』
* 「アイデンティフィケーション、そのデザイン体験」
* 『もし、このデザイナーから学ぶことが無いなら・・・』
* 「C.I.デザインの源流としての思想」
* 「現代的アートが象徴していることは企業革新テーマ」


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『土地性と時代性の反映が混在化はどうなのか?』


   


     6月 16th, 2017  Posted 12:00 AM

友禅というのは、日本の染色方法の一つとして大事なものです。
そして、特に加賀友禅と京友禅がありますが、
この差異性が最近は区別が難しくなってきていると私は思います。
私は金沢美大でしたから、加賀友禅の跡継ぎが何人かいました。
九谷焼の跡継ぎもいましたが、最近はどうなのかは知りません。
よく、京友禅は「公家文化」であり、
加賀友禅は「武家文化」、
また江戸友禅(今では東京友禅)は「町人文化」というその反映ありと、
これらの文化の差異性が表現の下敷きになっていると言われますが、
私は間違いだと思っています。
最も、京友禅は扇師であった友禅という人物名であり、
また彼自身が加賀藩に持ちこんだということで加賀友禅が伝承されました。
最近のそれこそ京都で超有名な扇店で、
「アッ、あれデッサンが間違っている」とか、言い出すと、
ワイフに叱られますが、扇での写実性が歪曲しているのは許せません。
いわゆる花鳥風月の表現、
その写実性は加賀友禅が絢爛豪華さを実現しました。
比して京友禅は優美さの強調性のためにぼやかされた表現が生まれました。
ところが最初に断定したように、
この京都、金沢、東京の友禅は区別性が薄まりましたが、
それがかえって友禅という染色方法を進化させたのかもしれません。
これは陶磁器にも同様なことが起こっていると観察しています。
加賀友禅にしても京友禅にしても、
実際は、その当時、最も進化している景観が描かれていましたが、
現代の友禅作家にはそうした表現が観られなくなってしまったのです。
例ならば京都の鴨川に牛車の車輪が冷やされるために川面に描かれました。
それが今なお京友禅というのは、優美で優雅さが伝承されただけであり、
友禅から時代性が失われたことがちょっと残念です。
そういう意味では、喩えですが、
九谷焼では、現代性を持ちこんだ作家=金沢美大の先輩がいました。
ともかく、着物そのものの消費性や使い勝手の伝統が無くなっているのです。
私が、加賀友禅と京友禅を思い起こしたのは、
「DESIGN TOKYO」の二次審査で、
日本製が本当に少なくなってきたためです。
もう一度、土地性や時代性を反映した製造産業が必要だと思ったからでした。

* 『狛犬をまた金沢から連れ帰る』
* 「絢爛な九谷焼・日本陶磁器の将来」
* 『京都というイメージ?、ブランド?、なのです』
* 『祇園祭・祇園と祭りの根源はもう忘れられている・・・」
* 「自然から学んだはずだった・・・のだが?」


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『もはや採掘されない笏谷石が土産品になっていた』


   


     3月 13th, 2017  Posted 12:00 AM

福井市街地には足羽山が見えます。
この山の麓に足羽小学校があり、小山谷町の官舎住まいだった、
私の幼稚園から小学校5年までは、この足羽山の隅々まで熟知していました。
そして、笏谷石の石切場が自宅のすぐ側にありました。
この笏谷石は長い間は泥岩だと思っていましたが、
この石を題材にした小物が「フクイブルー」とかで土産品になっていて、
今ではこの石は採掘されていないことも知りました。
母の墓石を父はこの石がいいということで墓石にしましたが、
経年変化が激しくて?御影石に変更したのです。
なぜ父が選んだかというと母はこの笏谷石を独自に頼んで、
漬け物の重石にしていたのです。
その石は調べてみると、極めて長い歴史をもち、
北前船で全国にも配送されていたとか。
この石での湯船は最高と聞かされていました。
確かにこの石で出来た杯に水あるいはお酒を注ぐと、
とても美しい青色になります。
そして今では笏谷石を知る人はいないでしょう。
しかし、お土産となっている市価が高額でびっくりしました。
全てを購入しようかと考えましたが辞めました。
そして心配なことはもう採掘されていない笏谷石を素材にするならと
デザイナーとしてはその思いが重なりました。
笏谷石が火山礫凝灰岩だと始めて知りました。
岩石としてはやわらかいので、
古墳から出てくる棺桶の蓋に使われていたようです。
万一北陸新幹線が金沢から福井から小浜そして京都・新大阪となったとき、
(私は大阪から奈良までが希望ですが)、私はあの世です。
こうした土産品がさらに高額になるとするなら、
もっとデザインは考えられるべきでしょう。
今では墓石はスェーデン花崗岩(?御影石)になりましたが、
この石の特長を最も表現される風呂石にはならないのでしょう。
最近はあたかもダマスカス鋼風(これその物が鋼板)が、
「売れる刃物」になってしまったように、
こういう石目も新たなテラコッタ風が登場するのでしょう。
私はデザイナーの知識と見識は終焉してしまったことが残念です。

* 『経年変化無し素材開発と道具使用を次世代に』
* 『陶磁器の二つの歴史・創れないモノまた創れるモノ』
* 『刃物の地肌、その偽物氾濫が流行している』
* 『『新大阪駅もまだ改装しているが、なんとも工夫欠落だ』
* 『応量器のモノからコトへがデザインの完成形』


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『お米という簡素で簡潔な美しい主食文化』


   


     3月 6th, 2017  Posted 12:00 AM

お米と言えば、「コシヒカリ」ですが、
この米が福井県農業試験場が創ったことはあまり知られていません。
私はこう言います。
「コシヒカリ」は最高であり、魚も最高、カニも最高、
それが北陸であれば、福井の魚が富山湾で捕まっただけであり、
カニも「セイコガニ」の二級品が
マツバガニ、コウバコガニと言い切ります。
京都には魚を鯖街道で送り、奈良のお水とりも福井から送っている、
五か条のご誓文を書いた東京府知事も
由利公正と「ふるさと計数」が高い人間です。
そこで、
日本の「お米文化」は「日の丸弁当」「卵かけご飯」「握り飯」が、
世界で最高の主食であって、それこそ、梅干し、卵、焼き海苔は、
決定的な栄養バランスがあるということです。
それこそ道元・永平寺(福井)による応量器から典座教訓こそ、
人間道のあり方そのものと考えます。
それこそ民藝作家と言われた黒田辰秋の漆仕上げのお櫃は、
漆黒の中に白米に緑の海苔が振りかけられた美しさは、
日常に常に配置しておきたいと思う美しさです。
お米・梅干し・卵・海苔という
絶大な組み合わせの簡潔さを確かめるべきには
毎年、コシヒカリから様々な商品ブランドが生まれています。
しかし私には納得がいかないネーミングが多いと言っていいでしょう。
お米と炊飯器の技術進化はとてつもなく素晴らしいのですが、
なんとも、インダストリアルデザインでは素晴らしいのは
3点程度しかありません。
祖母がこれ以上きらめく炊きあがりのご飯は、
お釜の底にはマムシが一匹入れてありました。
これは偉大な知恵であったと思いますが、その当時の知恵生活こそ、
はるかに「豊な日本の時代」だったと思い返します。

* 『お米は合鴨米か、コシヒカリ』
* 『米=日本人のエネルギーの素、誤魔化す事は犯罪だ』
* 「甲殻類アレルギーでも、蟹は食べる!」
* 『四句分別にある明解な「的」は曖昧性を強化する』
* 「ふるさと福井の偉人たちへの敬愛あるのみ」


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『書そして運筆なら空海がお手本になる』


   


     2月 20th, 2017  Posted 12:00 AM

先般、日本デザイナー書道?楽部を創りました。
全くの思いつきで若手デザイナーの太刀川氏とでした。
その彼から筆ペンをいただきました。
これまでの筆ペン以上の使い心地が気にいり、しかも写経を開始していて、
最初は祖父にも父にも叱られる下手さに一念復帰で、
今の小学生ノート「ジャポニカ」で練習をともかく思いついたら始めました。
お手本はいくつか見ながら、空海を選びました。
空海の書は行書よりの草書ですから、なんともいえない筆運びです。
これはいわゆる運筆の練習になると自分に期待しています。
そういえば、先般、京都の古本屋といっても、ほとんど古書専門店で、
多分、江戸中期から後期の運筆でのスケッチを見ました。
相当に迷いましたが購入しませんでしたが、
かつて越前打刃物の職人を描写したスケッチを貸し出してもらえずに、
すっかりデッサンしたことを思い出しました。
ともかく、日本の「書」そして運筆は凄い文化だと思っています。
残念ながら、書での手紙は若手デザイナーの太刀川氏と出来ます。
デザイン界で章・運筆が達者な人はこれでまだ4人程度しかいません。
「書道」よりも「書」を、そして運筆をと練習するべきと思います。
私は幸いにして中学・高校と永平寺第一道場の吉峰寺で、
トレーニングを受けましたが今となるともっと真剣にと思います。
私に厳しい管長さんに会いたいと思います。
そして、後輩の急死に驚愕し、彼への写経を書き上げました。
正直まだまだ下手くそですが、そうすることしかできません。
「朝に紅顔なれど夕べに白骨」の時が私にも近づいています。
ともかく、行書よりの草書である空海の書は、
今後、持ち歩こうと思っているくらいです。
随分と筆ペンも様々に使ってきましたが、流石、墨汁メーカーゆえか、
彼に勧められて一本いただきました。
今、ワイフには元来、史学科卒なら「書」をやりなさいと命じています。
睨まれていますが・・・。
本当に書そして運筆は素晴らしいと思っています。

@日本デザイナー書道?楽部

* 『とうとうその時期「写経」で自分の書を晒します』
* 『神仏像をもっと知っておきたいと考える』
*  「曹洞宗第一道場・吉峰寺での『薪』割り」
* 『墨汁が護っていてくれた文字=言葉の伝統文化』
* 「政教一体と政教分離は民主主義とは無縁」


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『「天然物」?という価値観を確認する』


   


     2月 8th, 2017  Posted 12:00 AM

街が街らしくその活気を最も感じるのはこうした回転焼き屋さんです。
小学生時代はよくのぞき込んでその作業を長く見ていたものです。
私が今最もよく知っているのは新大阪駅の「御座候」という今川焼きと、
月に一度は必ず映画を観に行く京都寺町の鯛焼き屋さんです。
改めてこのブログに取り上げたのは、
鯛焼きでも、これは「天然物」という名称があると知ったからです。
確かに鯛焼きゆえ、その鯛も回転焼きにすぎないにもかかわらず、
「天然物」?、この名称に心惹かれました。
そして思い起こすと鯛焼きでもこの寺町で月に一度は食べるのですから。
先般京都で確認してみると回転鯛焼きのその道具で明解に分かりました。
(そうか、天然物だったんだ)と凄く嬉しくなったのです。
つまり、鯛焼きの型はすべて一匹一匹を回転させるのです。
これは労働量は相当なものですがあんこが確実に鯛焼きの尻尾までです。
店先にはなんと「天然物」と銘記がありました。
なんだかとても嬉しくてしかもこの「天然物」とした商売にとても喜び、
流石、天然物だから凄いというほど、自分を納得させたのです。
「鯛焼きは天然物に限る」というもはや私の理念が決定してしまいました。
このアナログ性は生き残ってほしいと思います。
それこそ、最近はご当地名物がEコマースや「ふるさと納税」で入手出来ます。
この便利さは淘汰されるはずでしょうし、そうあってほしいのです。
それは商品価値の問題です。
価値とは「望ましいコトと好ましいコト」です。
しかもこの価値には信頼と安全と安心が必ずなければなりません。
それは人間という不完全な存在だからこそ、
人間のしかもアナログな手づくりには、
信頼性・安全性・安心性では不足していることを
デザイナーは再考すべきと考えています。

* 「実演販売を見るのは大好きだから、道草文化が必要だ」
* 『PPMはすでに図表表現が異なっている=KK適塾』
* 『ゲームコールセットの信用と信頼にある価値』
* 『四句分別にある明解な「的」は曖昧性を強化する』
* 『デザイン領域の「統合」による安全・安心・防災・防犯』


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『京都というイメージ?、ブランド?、なのです』


   


     1月 26th, 2017  Posted 12:23 AM

毎月京都で過ごすことが私の休養であり、
大抵は映画を観たり買い物することが多いのです。
車椅子で映画鑑賞となると、これは都市の感性が見事に表れています。
東京は不親切、大阪は清潔感がなく、
京都と金沢が車椅子での映画鑑賞は最適。
私は福井人です。それこそ福井県イメージは40位程度です。
比して京都、金沢はとりわけイメージはブランド化しています。
そして私のワイフは「京都生まれの京都育ち」京女=きょうおんなです。
ヨーロッパで私がワイフを紹介するには、
京女というのはパリジェンヌのようなものです、と言うのが最適でした。
ともかく京都は外人の多い街で、観光ブランドは日本でもトップクラス。
でもふるさと福井の小中生は成績も良く体力もトップクラスです。
この二冊の本はまことに傑作であり、
しかもこの作家の自宅はワイフ実家近くに住まいもあったとか、
小学校は同窓生ということですが、彼は京都を見事に見抜いています。
「京女は足を踏みつけて微笑んでいる」し、
「京都の商売は本当にしたたかすぎる」とさえ私は思っています。
私に言わせれば、日本の文化が京都と奈良というならば、
その文化を支えてきたのが越前(福井)と美濃(岐阜)と断言出来ます。
刀鍛冶があり、和紙があり、陶器があり、漆芸など伝統工藝があるのです。
この職人支援が無ければ、京都も奈良もその文化は無かったのです。
京都には鯖街道があるから魚を食すること、「お水おくり」あればこそ、
都文化の根底は福井と岐阜だと言い切れるのです。
ともかく京都の文化というより現代の京文化は観光と重なって、
もはやブランド化していますが、その背景の裏側はまことに克明詳細です。
京都弁での「かんにんして」なんてことは、取り澄まされていてしかも、
「ごめんなさい」をはるかにカバーする程何か得体がしれないのです。
これ以上、私にはワイフの手前、批判は書けませんが。
(京都?、だ・か・ら!、それが何?どうした?)と言っておきます。

* 『東京老化と地方消滅にデザイン戦略を』
* 『桜の木は植え替えるべき』
* 『ガラスの茶室・吉岡徳仁氏の作品発表に出向く』
* 『金沢の武家文化が必ず見直されるだろう』
* 『祇園祭・祇園と祭りの根源はもう忘れられている・・・」


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