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Posts Tagged ‘ビートルズ’


『カセットテープへの徹底的な周辺道具デザインも』


   


     9月 14th, 2014  Posted 12:00 AM

コンパクトカセットテープは、音楽シーンを多大に変えたメディア。
1960年代初頭にこの形式が生まれたのは、
ちょうどビートルズが登場してきたことと一致いています。
20世紀の音楽シーンはアナログ性技術を根本から、
変革チャンスを求めていたことが今ようやく判断できるようです。
カセットデッキが垂直に立ち上がるまでの技術過程を連日、
私はその現場で見詰めて、デザイン解決をしてきたと思います。
そして、フリーランスになると、
カセットテープ周辺の道具などをアクセサリー商品発明しました。
これはその一つですが、まだ、テープを自力で巻き戻し、
いわゆるリワインダーを設計しデザインした商品=作品です。
実は現物を持ち合わせず、自分の作品集には入っていません。
しかし、大ヒットさせたモノです。
本来は、今は無くなってしまった、レコード針メーカーに、
ジュエルトーンブランドでの展開商品ですが、他メーカーにも、
OEM供給により多大なヒット商品化させたモノです。
カセットテープを自分の手巻きでもう一度確認しながらというのは、
たとえカセットテープであろうが、手巻きであってもS/N比への
音響への拘りでした。カセットテープと同じ大きさで確実な手仕事を
ただ音楽以前に音響をカセットテープへの道具化まで狙いました。
東芝にはまだ籍があるまま、フリーランスデザイナーとして、
しかもオーディオは手放せずに拘りの商品群デザインに埋没しました。
私にとって、カセットテープは重要な音楽ソースであるばかりか、
音楽以前、音響をともかく追いかけていました。
気づいたのは、レコードであれ、テープであれ、
自分は音楽よりも音響にすっかり囚われていたことです。
多分、このアクセサリー発明などはその一つだったと思います。


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「表現としての美術とは?、教えられた宮川淳」


   


     6月 10th, 2013  Posted 12:00 AM

美術学校には入ったけれど、油絵を描く力もなく、
まして、美術といえば、セザンヌは好きだけど、ピカソはなぜ?、
という私には、「現代美術」?、美術がなぜ表現手法?でした。
その私に「ことば」で、心から美術・建築・音楽までを
最も理解させていただいた人、それは「宮川淳」でした。
もし、世界で最も最高の出版物は、彼の「遺作全集」です。
そして、この著作を読んでも分からないとするなら、
もう一度、自分の知性そのものを疑うべきだと今なら言えます。
だから、私がデザインという世界への道筋は、
彼によって形成されたと確信さえしています。
当然、私の「プラトンのオルゴール」の一人であり、一台です。
私はこの作品には、回る円錐形と赤いLEDとを使いました。
音楽・ビートルズは「MOTHER」でした。
彼は客死しました。
そのニュースを聞いたときに、私の体が沈んでいく感覚でした。
彼自身のデザインに対する一節は、
私には冷徹で空々しさしかありません。
その空々しさを打ち消そうとして生きてきた気がします。
彼の客死を評論した文章はほとんど読んだと思っています。
私は「ことば」の評論が、網膜に映る美術あるいは芸術を
これほど明快にした人物はいなかったとさえ思っています。
私が、敬愛する倉俣史朗氏を評論しようとしたとき、
そのテキストは彼の著作を何度も読み返しました。
私は、自分のデザインの評論は、
必ず彼の網膜が紡ぎ出す「ことば」だったら、
どのように評論されていただろうと思うことにしています。
それは、他のデザイナーの作品・製品・商品、
そしてそのモノが日常生活で位置することも、ことばになります。
だから、形態はまさに「言語」になりうると考えるのです。
おそらく、この抽象的な文章は理解してもらえないでしょう。
それなら、はっきりと言い切れば、
デザイン・建築・美術・音楽などに対する、
あなたの知性の再考を私は求めます。
デザイナーなら、なおのこと、
あなたにデザインの才能などあるわけがありません。


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「『鏡』の存在を知り尽くすこと」


   


     6月 7th, 2013  Posted 12:00 AM

徹底的に「鏡」をテーマにしていた頃があります。
ルイス・キャロル、そして、宮川淳に最も学んだと思います。
私は次世代のデザイナーにも、「鏡」の存在と、
「鏡」の不思議さを知ってもらいたいと願っています。
もちろん、私は「プラトンのオルゴール」に、
この二人を選んでいます。
オルゴールには、I SAW HER STANDING THEREです。
この曲も、私がビートルズで最初に聴いた曲です。
このオルゴールは、ルイス・キャロルであり、
彼の著作「鏡の国のアリス」にその種明かしが一杯あります。
しかも、日本人にとって神道ではご神体でもあるのです。
「鏡の背後には冥府がつながっている」。
これほど明確なコンセプトはありません。
まして、階段そのものが鏡という素材なら、
その場に立っている自分すら分からなくなると思います。
もっと単純に考えると、「鏡面対称」はもっと複雑です。
私は、金沢21世紀現代美術館では、
展示のインスタレーションで鏡を多用しました。
それはとても怖い事も待っていました。
ところが、私のこのインスタレーションを真似る人がいました。
ところが、「鏡」を知らずに単純に映ることしか気づかず、
かえって貧しくて自分の能力までをさらけ出しているのです。
日本人にとって、「鏡面対象」の裏側には、
「天照大神」が居ます。
このことが重要です。
だから、日本の三種の神器でもあるのです。
私の個展で鏡を使ったからかもしれませんが、
私は、展覧会後に、冥府にいかされるほどの体験をしました。
刃物を鏡だけの部屋に配置しました。
その部屋には、リアルとバーチャルで、刃物が見え、
しかもバーチャルな自分も見えました。
その部屋の大きさは虚像空間となって、
物理的な大きさ感覚すら、惑わしたのです。
私は、
次世代デザイナーには、じっくりと「鏡」を知ってほしいのです。


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「この画家をもっと知らせたい」


   


     6月 6th, 2013  Posted 12:00 AM

多分、私はこのままだとこの画家のことを書いていくだろう。
ニコラ・ド・スタールの人物ゆえに、彼の作品のことです。
忘れたように引っ張り出しますが、
有名になる直前に自死を選んだ性格が見いだしたことです。
彼は何を、見たのでしょうか?
観てしまったのでしょうか?
このことに惹かれる生涯を選んだということかも知れません。
もちろん、私の「プラトンのオルゴール」作品の一つです。
ビートルズの曲は「JULIA」です。
5年ぶりに前回パリに行ったときも彼の作品集を探し求めました。
私は、画家という職能とその作品を、
なぜ、人間は知性と感性の最高感覚として、
知性が選ぶ才能として、絶対に受け止めない人物は貧しいのです。
しかし、最近では、
「デザイン」は、あたかも知性ある人間として、
安易にその指導者ぶりや商業を押し隠している人物を多数、
私は知り尽くしてきました。
アートではないけれど、これがデザインだという、
最も貧弱な知性ぶった人間を蔑んでいます。
高校時代だったら殴っていたでしょう。
それ以上の価値などはありませんから、
命を奪うことはありません。そんな価値も当然無いからです。
先般、現政権の「COOL JAPAN」が海外で受け止められている、
その商業主義の浅はかさを聞かされました。
デザインの職能団体が、
時代と共に衰退していく事を目の当たりにしました。
つまらないイベントに、日常から逃げ出している輩を見ました。
これが「人間界」だというなら、
生涯にその最も汚濁した部位を表現の一つにすること、
それは画家という職能の最大重要点だと断言しておきます。
なぜ、JULIAという音楽が彼の作品と同調するのでしょうか?
なぜ、彼の作品は、最期には色彩が無彩色=まるで墨絵、
白と黒の絵画世界観に達していくのでしょうか?
私は生涯、この気持ちを下敷きにして、
自分のデザインを、日常の汚濁には決して配置しないと思います。
彼の最期の作品(左)は私のPCの壁紙にしています。


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「現代の道具・LSIのやり直し」


   


     5月 26th, 2013  Posted 12:00 AM

「道具を売る証人」=ミシェル・フーコー。
彼の音楽ならビートルズの「オ−!ダーリン」、
これが2004年の個展「プラトンのオルゴール」展の作品です。
2006年、金沢21世紀美術館に永久収蔵と個展開催。
M.フーコーをほとんど読み尽くして敬愛していた私は、
まさに、1980年代から集積回路=LSIの決定的なモノとして、
これをオルゴールに仕込みました。
なぜなら、一般的にはMC68000はミニコンLSIながら、
Macintoshを産み出し、これが現代文明を大革新したからです。
だから、私は現代の「道具の証拠」として、
その役割をM.フーコーとし、その音楽をビートルズから選び、
売られてもいなかったその曲のオルゴールを作品にしました。
この展覧会には、インダストリアルデザインがアートになりうる、
この思いを証拠立てることでしたが、
私がデザインを学んだ金沢市は作品を買い上げました。
おそらく、現代のパソコン、その完成品だったMC68000を知る、
そのような人は数少ないでしょう。まして、
集積回路=LSIの進化は、情報技術・電子技術の最高峰だと、
今でも暗黙知になっています。
しかし、私は異議申し立てをしなければなりません。
LSIの根本的なやり直しが必要になってきました。
たとえば、電子回路にLSIが並べば、その消費電力は大きく、
もはや精度制御しなければならない発熱量の大きさです。
私は、インターネットでクリック2回で、
カップ一杯分のコーヒーができるとまで断言しています。
それは、LSIで閉じ込められた現代文明では、
その消費するエネルギー=電力の消耗量を端的に比喩しています。
そこで「再生エネルギー」を
太陽電池だ、風力発電だというのは、将来性を隠避しています。
もし「再生エネルギ?」が可能になっても5%程度ゆえ無理です。
だからこそ、私たちが再度考え直すことは、
LSI神話を終焉させることです。
私はあらためてM.フーコーが、
なぜ、自分を「道具を売る証人」と言い切ったのだろうか、
現代道具であり続けてきたLSIを根本で変革することにこそ、
わが国の頭脳が祖国をもう一度、本当に豊にするだろう、
そんなことをこの作品コンセプトで確認しています。
すでに現物作品は美術館の倉庫に眠っています。

* 詳細は私の著作「プラトンのオルゴール」再読を!


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「資本主義からの逃走」
   「メディアアイテムの変遷が青春時代だった」
  


   


     3月 5th, 2011  Posted 12:00 AM

60年代の共時感覚
1960年代は音楽シーンが激変しました。
ちょうど中学・高校時代だった私の聴覚が変わりました。
なんといってもビートルズの登場は音楽界を革新。
と同時に、私は二つのメディアアイテムの登場があったと思います。
1962年、カセットテープは、「小さな箱にオープンリールテープ」がユニット化されました。
そしてこの改新は、次々とテープに音・映像・データの記録媒体となっていきます。
カセットテープ形体が様々な音源の形態を生み出すようになるわけです。
1964年、モーグ(ムーグ)のアナログシンセサイザーは、私を突き動かしました。
美大進学か、音大進学か、と浪人時代には進路変更を思いついていましたが、
デッサン描写とピアノ演奏が立ちはだかりました。
ピアノの弾けない私には音大進学はありえませんでした。
デッサンなら、なんとかなるだろうという程度でしたが試験会場では圧倒されました。
ところが、ピアノ演奏がまったく自動となって、
人間の指先ではコントロールできない音源制御がシンセサイザーだということを知りました。
結局、美大進学しましたが、音楽も忘れられずに、
それならシンセサイザーのデザインをしたいと思うようになりました。
教授には、シンセサイザーのデザイン、音に関わるデザインが希望だと告げると、
「ともかくお前は東芝だ、東芝では電子楽器もやっているから」と吹き込まれました。
当時、東芝は商品名「オーケストロン」、ヤマハが「エレクトーン」が競合していました。
私が東芝に入社したときには、「オーケストロン」は撤退しました。
以後この商品名は今なおエレクトーンという楽器になってしまいました。
そのチームも後にはAurex部門になっていったんでした。
結局、シンセサイザーについては私の趣味になったわけですが、
音楽シーンの激変やメディアアイテムが次々と登場していた時代が私の青春時代でした。
現代シーンに若さは反応すべき
生意気な発言を東芝時代は会議で発言していました。
「30代以上の人は、発言しないでほしい」。
これは、現代、ソーシャルネットワークが激変していることに重なります。
20代・30代には、時代との共時感覚を存分に身体化して、
年上の発言など阻止してほしいと私は思っています。
「若い」ということは、現代の時代感覚と真っ正面に対峙して、
そのセンスを共時感覚として発言行動することだと思っています。


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2月26日Staff Blog


   


     2月 26th, 2011  Posted 12:00 AM

2月26日

新オーディオ機材導入のため、
手持ちCDのiTunes取り組みを進める
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)

最初はもちろん
「ザ・ビートルズ・ボックス」から


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『資本主義からの逃走』
 「文脈の始まりは、リハビリトレーニングからだった」


   


     8月 27th, 2010  Posted 12:42 AM

私自身の文脈
再度時間を戻します。
私がリハビリ病院でのトレーニング、その体験を今、振り返ってみると、
それは「哀しみ」を傍観し客観していただけであったと思います。
まったく主観視はできていなかったのです。
こんな思い出がいまなお去来し、悪夢になることがあります。
人間の「文脈思索の背景にある恐怖感」です。
上京して社会人になったときは、東横線で日吉から銀座に通っていました。
その時、車窓から大きな病院が見えていました。
その病院の体育館=リハビリトレーニング場から、ある日、東横線を見たとき、
〈なぜ、自分はここに居る羽目になったのだろう〉としか思えず、悲しかっただけでした。
この悲しみが哀しみに至るまでが、私自身の文脈が始まっていたのだと今なら思えるのです。
阿鼻叫喚の場
毎朝、ビートルズのOb-La-Di, Ob-La-Daを踊っている人たちがいます。
彼らは精神的な障害を持っている人たちでした。
ほとんど寡黙でまなざしはそれぞれが一点を見詰めているそんな集団は、
その踊りで彼らのトレーニングが終わります。
その後は、頸椎や脊髄損傷(私はその一人)、
そして脳溢血障害で半身麻痺の患者たちのトレーニングが始まるのです。
あっけらかんとした大きな笑い声と、泣き声や叫び声が体育館に毎日響きわたっている場でした。
ここは阿鼻叫喚・地獄かもしれない、そんな恐怖感を何度抱いたことでしょう。
幸いにして、私は恋人がほとんど身の回りを看ていてくれたり、会社の上司や同僚、
大学時代からの親友が絶えず見舞って励ましてもらいました。
だから、その恐怖に負けなかったのだと思います。
一日でも早く退院したい、
その気持ちだけで、次々と車イス生活のためのメニューを米国流で半年ですべてをこなしました。
これは、今、リハビリテーション医療に対してのデザイン提案の源泉になっています。
このブログでも以前に「resign」として記しました。
清々しい自分にもどるべき
メニューの一つをやり遂げると、OTやPTの人が、
「川崎さんは、段差越えをマスターしました、みんな拍手!」と言って褒められます。
ところが、これは拍手をされているにもかかわらず「嫉妬」を買い、
苛められることにもなるのです。時折、病院内で、後から急に引っ張られて転倒させられるのです。
人間社会の縮図は、リハビリ病院にもしっかりと文脈の背景は根付いていました。
私は、「文脈」、その背景には歴然たるものがあると断言しておきます。
おどろおどろしい非人間性が根底には必ず基盤になっているのです。
したがって、「文脈=コンテクスト」を人間的に創出するには、
自分を「純粋培養」させることだと確信しているのです。
それは、東芝に入社したとき、「清々しい自分、デザイナーでありたい」と、登録しました。
つまり、たとえ障害者になっても、維持していける自分で有り続けられるかということでした。
「文脈・コンテクスト」にある非人間性への怒りと全否定がなければ、
「文脈」を「想像」し、そこから「創造」の入り口にはたどりつけないと考えます。


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『資本主義からの逃走』
 「信号と記号は光線上にあるかもしれない」


   


     5月 14th, 2010  Posted 12:01 AM

S/N
アナログ時代、オーディオ評価には、S/N比がありました。
それは「信号=Signal+Noise」だったからです。
1960年ビートルズの登場と、
同時期頃カセットテープが音楽メディアでした。
デザイナー成り立ての頃
カセットデッキのデザインを担当して夢中だったのです。
その当時、技術陣はいつもS/N比の話で大変でした。
そして80年代直前頃、デジタル時代技術へ大転換が始まりました。
デジタル時代が呼び込んだ主軸がコンピュータだったという見方が可能です。
さらに、コンピュータは「記号」、
その一つがアイコンという表現になったということもできるでしょう。
信・記
さて、信号の「信」は人+言語であり、
記号「記」は言語+人(跪いている形象)ですから、
言語を受け止めています。
70年代後半に、「記号論」や「記号学」が提案され始めるのです。
「記号」という言葉が道元の発案言葉説もあります。
これは日本記号学会発足誌初版にそんな論文がありました。
A/D・D/A
私が、この「信号」と「記号」の組み替え技術が、
アナログ(信号)からデジタル(記号)へ=A/D ?
デジタル(記号)からアナログ(信号)へ=D/A ?
これらを、私は、現代性に配置して見ている気がしてなりません。
「気がしてならない」と、いう私の想いを書き残しておきます。
なぜなら、今、信号も記号も、それらは光線上に、
あるいは信号の光、記号の光なるモノがある気がします。
● 信号的な発想ができるだろうか、
● 記号的な発想ができるだろうか、
このところ、私に与えられているデザインテーマを熟考するとき、
この二つを交互に、相互に、対決させている気がしてなりません。
「信号」と「記号」が「光」になっている。
そんな「あかり」に包まれて考えている自分が居ると思っています。


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2月9日Staff Blog


   


     2月 9th, 2010  Posted 10:45 AM

2月9日

uno FOG BARは、ホワイトがお気入りの
BOSS(川崎和男KazuoKAWASAKI)。

TVCMは、ロンドンでキャラクターは、
ビートルズ風の4人なので、
発売当時てっきり4色展開の製品かと
思っていました。
BOSSから、ビートルズのレコード、
赤盤・青盤・白盤の赤・青・白だよと
教えられました。

ジョン・レノンの暗殺で
青春の終焉を感じたBOSSは
東京から離れました。

BOSSの赤盤・青盤・白盤は、
そんな青春時代の思いが
詰まったオルゴール
BOSSの代表作です。


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