staffblog 3月25日
3月 26th, 2016 Posted 11:30 AM
3月24日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
3月 24th, 2016 Posted 12:00 AM
3月24日 大安(乙巳)
たとえば
暴力団とやくざは根本が違う。
タトゥーは
入れ墨と彫り物がある。
この根本が異なる。
これは明らかにする
知的解釈が必要な時期である。
暴力団とやくざは根本が違う。
タトゥーは
入れ墨と彫り物がある。
この根本が異なる。
これは明らかにする
知的解釈が必要な時期である。
川崎和男の発想表現手法
『Max Billの賞杯があったことを思い出した』
3月 24th, 2016 Posted 12:00 AM
僕は自分の作品を自宅などに置いて使ったり眺めたりするタイプではなく、
置いた方がよければ、というタイプです。
しかし、最近は自分の作品どころか、デザイン賞受賞での
その賞状や賞杯を整理もしたくて
整理を始めました。
そうなってくると、私が最も気にいっている賞杯は、
ドイツの彫刻家でありデザイナーの「Max Bill」デザインです。
これは年号も調べ直すべきですが、多分、1985~1990年?
ドイツのミューゼオロジー賞をいただいたモノです。
受賞の知らせは、突然、ドイツから入り、
賞杯が「Max Bill」デザインと聞いて大喜びした思い出があります。
しかも、彼のアイディアはピタゴラスの定理であり、
自分がテーブルデザインで辿り着いていたアイディアであったことです。
この定理は、単純に、3:4:5の三角形、
正方形が各辺、9:16:25の組み合わせでした。
正直最近は、あったはずのモノなどが、
デザイン試作・モデル・作品・賞状・賞杯などは、
あるはずと悠長に構えていたら、
在るべきモノが持ち出されていて慌てています。
しかし、今、この「Max Bill」デザイン賞杯を見てちょっと安心です。
そろそろ整理すべきMacintoshのハード機器も
それなりに収集してきました。
これらの整理は、そのソフトウエアも見つかってきて
重大なひとつのアーカイブになる気がしています。
昨日は若いときに懸命になっていたLPレコード集のHP実現を知りました。
これもこれからここで紹介をしていきたいと考えています。
Tags: 3:4:5, 9:16:25, HP, LPレコード, Macintosh, Max Bill, アーカイブ, アイディア, ソフトウエア, タイプ, テーブルデザイン, デザイナー, デザイン, デザイン試作, デザイン賞, ドイツ, ハード機器, ピタゴラスの定理, ミューゼオロジー賞, モデル, モノ, 三角形, 作品, 単純, 収集, 各辺, 安心, 定理, 実現, 年号, 彫刻家, 思い出, 悠長, 懸命, 整理, 最近, 正方形, 紹介, 組み合わせ, 自分, 自宅, 賞杯, 賞状, 重大
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務
「美術館・博物館という空間建築アイテムは終わった」
3月 23rd, 2016 Posted 12:00 AM
初めて「国立新美術館」に出かけました。
それもイベントのオープニングにちょうど東京にいることもあり、
出かけることにしました。
おそらく同じデザイン界の人物に会うことになるだろうと覚悟しました。
正直、僕はひっそりとじっくりと観ることが好きなのですが
出かけました。
もう、その美術館の入り口から知人たちに会い始めました。
「三宅一生展」は、観ておくべき展覧会であることは間違いありません。
車イスゆえ優先的に最初に会場に入ることができました。
いきなり、建築家・安藤忠雄氏に出会い、そのまま三宅一生氏、
そして会場構成の吉岡徳仁氏と
グラフィック総括の佐藤卓氏に会いました。
佐藤卓氏とは、東京では結構思いがけない店で出会っています。
「よく会うね」とか、
「あの店大好きだから、今度一緒に」と会話しました。
三宅一生氏の仕事は、いわゆるファッションデザイナーを超越しています。
「プリーツプリーズ」の評論は、私が最初に書いたと思います。
その時にはポリエステル繊維から、布特性の7段階を知りました。
これは今ようやく「羽二重」ブランドの骨子になっています。
さて、問題はこの「国立新美術館」の建築設備でした。
遠慮無く断言すれば、美術館という空間建築とその設備は
もはやとても時代遅れはなはだしく、
私には美術館ではなくて「博物館」でした。
三宅一生氏の仕事の集大成は、もはや美術館を超えていたはずです。
明確に言い切ればデジタル表現の設備が全く考慮されていない空間でした。
これは、未だにプロジェクタースクリーンが4:3であることです。
すでに画面表示は16:9にも関わらず、日本全国の公的場所は4:3です。
しかも一画面でしかありません。
投影アプリがPowerPointばかりと同等です。
たとえばデジタルというとすぐに「デジタルサイネージ」が喧噪ですが、
その実態には何も新鮮さがないことに等しいのです。
IoT=Internet of Thingsというデジタル表現もこの漠然さに日本は呪縛され、
本来のIoTの、その将来がみえていないことに等しいのです。
僕は「デジタルアッサンブラージュ」を提案していますが、
おそらくこれが理解されるにはまだ当分時間がかかりそうです。
もはや、美術館も博物館も、そうなると街角のギャラリーですら
「デジタルとアナログ」、「アナログとデジタル」、
この相関関係のインターラクションが必要です。
しかし、
インターラクションの定義はもっと時代で研磨されるべきでしょう。
Tags: 16:9, 4:3, 7段階, Internet of Things, IoT, PowerPoint, アナログとデジタル, イベント, インターラクション, オープニング, ギャラリー, グラフィック総括, デザイン界, デジタルアッサンブラージュ, デジタルサイネージ, デジタルとアナログ, デジタル表現, ファッションデザイナー, ブランド, プリーツプリーズ, プロジェクタースクリーン, ポリエステル繊維, 一画面, 三宅一生, 三宅一生展, 人物, 仕事, 会場, 会場構成, 会話, 佐藤卓, 優先, 全国, 公的, 博物館, 吉岡徳仁, 同等, 呪縛, 問題, 喧噪, 国立新美術館, 場所, 安藤忠雄, 定義, 実態, 将来, 展覧会, 店, 建築家, 建築設備, 投影アプリ, 提案, 断言, 新鮮, 日本, 時代, 時代遅れ, 時間, 最初, 東京, 漠然, 理解, 画面表示, 相関関係, 知人, 研磨, 空間, 空間建築, 美術館, 羽二重, 考慮, 街角, 覚悟, 設備, 評論, 超越, 車イス, 遠慮, 集大成, 骨子
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務
3月23日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
3月 23rd, 2016 Posted 12:00 AM
3月23日 仏滅(甲辰)
デジタルとアナログは
絶対に「分別」が必要だ。
それは、
デジタルは使用機能での便利さであり、
アナログは
常に精神性をデジタルで
混乱させることを遮断することだ。
絶対に「分別」が必要だ。
それは、
デジタルは使用機能での便利さであり、
アナログは
常に精神性をデジタルで
混乱させることを遮断することだ。
川崎和男の発想表現手法
『イラスト・漫画はデザインスケッチでは無い』
3月 22nd, 2016 Posted 12:00 AM
デザイナーにとってスケッチは明らかに一つの技能であり技術です。
ただし、僕は恩師・故柳宗理先生からは、
「レンダリングなんぞ上手くなるな」と教えられましたが、
僕はいつも反抗していました。
「レンダリングが描けないと企業入社は出来ない」と
たてついていましたし、実際はクラス(工業デザイン専攻)の中では
基本的な入試でのデッサン力も無くておそらく最低の下手くそでした。
だから社会人になって、レンダリングが上手くなることは
僕には義務でした。
実際、フリーランスデザイナーになってからも、
デザインスケッチとラフレンダリング、レンダリング技能を
日課として
自分精進の大きな目標でした。
それからパソコンの登場では、Macintosh 128kに、デザイナーの未来、
つまり、MacPaintとMacDrawに将来のデザイナー技能が見えてきました。
多分FullPaintで僕自身がトレーニングをして描いたのが
パソコンでのレンダリング、その最初のものだったと考えています。
今では、iPad Proで、かなり描ける時代になりましたが、
パソコン、EWSでのレンダリングソフトは全て追いかけてきたと思います。
しかし、最近はデザイナーがスケッチ技法での大きな間違いがあります。
簡単に言ってしまえば、
デザイナーにとってのスケッチ、それからレンダリングというのは、
あくまでもデザインスケッチであり、
その基本はデッサンでも「デザインストローク」での訓練が必須です。
それは、いわゆるイラスト描法でも、まして漫画描法でもありません。
なぜ、イラストや漫画では「デザインスケッチ」にはならないかを
書き残しておきたいと考えます。
すこぶる簡単です。
イラストにしても漫画にしても、そうした描画、特に漫画には
画枠があるのです。
つまり、画枠内でのイラストや漫画では、デザインの根本である
「発想の限界」を与えてしまうのです。
発想に限界を絶対に与えない手法である技能=技術がデザインスケッチでは
必ず求められなければなりません。
私はたとえばモレスキンにしても蛇腹の「ジャパニーズスタイル」を使い、
パソコンやiPadであれば、画面を相当に大きく拡大して使います。
デザインスケッチでは、
決して限界を与える画材や手法は使うべきではありません。
レンダリングを全否定していた故柳宗理先生には
描画に与えられる画枠からの解放を教示されていたのです。
Tags: EWS, FullPaint, iPad Pro, MacDraw, Macintosh 128K, MacPaint, イラスト描法, クラス, ジャパニーズスタイル, スケッチ, スケッチ技法, デザイナー, デザインスケッチ, デザインストローク, デッサン, デッサン力, パソコン, フリーランス, モレスキン, ラフレンダリング, レンダリング, レンダリングソフト, レンダリング技能, 企業, 入試, 全否定, 反抗, 基本的, 工業デザイン専攻, 必須, 恩師, 手法, 技能, 技術, 拡大, 教示, 日課, 時代, 未来, 柳宗理, 根本, 漫画描法, 画材, 画枠, 画面, 発想の限界, 登場, 目標, 相当, 社会人, 簡単, 精進, 義務, 蛇腹, 解放, 訓練, 間違い
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務
3月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
3月 22nd, 2016 Posted 12:00 AM
3月22日 先負(癸卯)
デザインスケッチの基本は
イラストでも
漫画でもない。
デザインストロークが
「身体化」されなければいけない。
イラストでも
漫画でもない。
デザインストロークが
「身体化」されなければいけない。
川崎和男の発想表現手法
Tags: イラスト, デザインスケッチ, デザインストローク, 基本, 川崎和男のデザイン金言, 漫画, 身体化
Posted in APHORISM, 川崎和男の発想表現手法
『乳牛は決して美味しいミルクを絞り出すわけではない』
3月 18th, 2016 Posted 12:00 AM
「牛乳」はミルクです。
「乳牛」はミルクを出してくれる牛のことです。
「牛乳」はすべて美味いわけではありません。つまり、
「乳牛」だからと言って、美味しいミルクを出すわけではありません。
ともかく、乳牛のような職能という喩え話がとても可能です。
それこそ建築家やイラストレーター、グラフィックデザイナーを
まさしく乳牛とするなら、彼らは建築を建て、イラストを、グラフィックを
乳牛としてミルクにすることができます。
果たして、それが美味しいミルクかどうかは不明だと断言します。
ところが、
デザイン=ミルクを出すと思い込んでいるクライアントが多すぎます。
これが電車?これが美術館?このことにも気づかない?が氾濫しています。
乳牛のような職能からのミルクは、
あたかもミルクっぽく見えて、それなりの評価を受けます。
クライアントは大満足しているのです。
このようなまずいミルク=下手くそなデザインに大満足している、
そんなクライアント=企業家が増殖しているのは間違いありません。
40余年デザイナーとして、私は私なりの倫理観で自分のデザインを
それこそ
デザイン=美味しいミルクにするデザイナー=乳牛を目指しました。
だから、なぜそこまで自信たっぷりに、
「こんな不味いミルク=デザインを」、
「この程度のデザイナー=乳牛などいらない」と、
それこそ、断言を惜しまず、結果、喧嘩別れなど平気に生きてきました。
それは反面、自分のデザイン=ミルクを世界でトップに美味くする
自分に課した「使命」だったからです。
毎年、昨年はこれほど我慢したのだから、
今年は絶対に認めがたいモノ、コトには容赦なく断言するとか言うと、
周囲は、毎年そう言って生きているのだから、
何もそうまでして「敵をつくらず」とか言われます。
が、僕は我慢に我慢をしているのです。
・「正直」ということ
・「正眼の構え」ということ
これほど実際は苦しい生き方は無いことは確かです。
「ミルクはすべてが美味いわけではない」
「乳牛のような存在だから、美味しいミルクのような」
そんな結果のミルクのようなデザインはありえません。
こうした風潮に、
わが国は狂乱した情況にあることは書き残すべきでしょう。
『商品である「デザイン思考」は経営論にすぎない』
3月 14th, 2016 Posted 12:00 AM
「デザイン思考=Design Thinking」は米国IDEOの商品です。
しかもこの商品は経営論の手法をそのまま商品化したにもかかわらず、
大学のカリキュラムに影響を与え、それを輸入した国家の大学にも
大きな影響を与えて、流石にIDEOのデザイン商品は成功をしました。
しかし、経営論にも関わらず、あたかも経済論として語られた
「イノベーション」は吟味されることもなく、
浅薄な知識人だけではなく、「実績の無いしかもデザイナー人」にまで
デザインの未来論のごとく宗教論化していることを嗤わざるをえません。
かつて、オックスフォード大学とIDEOと大阪大学大学院・私の研究室で
あるプロジェクトに取り組んだことがあります。
それは私のデザイナー責務にかけた「素材論」でもの別れになりましたが、
その時以来、IDEOらしさの仕事は見当たりません。
経営論でイノベーションを語っても仕方の無いことです。
が、「デザイン思考」では経済論で万一、イノベーションを語ったなら、
それは嘲笑されることになるでしょう。
経営論と経済論は
まるで異なっていることすら知らないデザイナーは不必要。
Design Twoから出発したIDEOで
今なお故・ビルモグリッジ氏が生きていたなら
この経営論である「デザイン思考」は
決して商品にはしていなかったはずです。
やがて「デザイン思考」が決して「イノベーション」を生み出すことは
絶対にあり得ないことが証拠だてられるでしょう。
実績ある革新的=イノベーション足る商品の経営論には
「デザイン思考」の逆説が見事に表現されています。
その最大の理由は、
イノベーション=出発はドイツ語のコンバイネーション、
「新結合」という経済論では、
必ず、「資本主義社会は破綻する」という結論を出していました。
「新結合」と言ったシュンペンターは1928年にこの予測を立て、
1929年には「大恐慌」が始まるのです。
そしてこの大恐慌が世界大戦を引き起こすことになるわけです。
僕は商品化された「デザイン思考」の代表作を読んでみて、
大恐慌とともに第三次の世界大戦にならないことを
心から願っています。
デザイナーなら、デザイン手法では思考を重ねているはずです。
にも関わらず、デザイン自らが商品化された「デザイン思考」に
これこそ待ち望んでいた手法と言いだし、
これに寄りかかっているのを見るとき、
彼らは元来才能が無かったことを自明しているのです。
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Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務
3月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
3月 14th, 2016 Posted 12:00 AM
3月14日 先勝(乙未)
実績がなぜ無いか?
簡単である。
能力が無いからで在る。
能力とは訓練されるだけでは無い。
訓練されても、
自分で自力で自己革新することだ。
簡単である。
能力が無いからで在る。
能力とは訓練されるだけでは無い。
訓練されても、
自分で自力で自己革新することだ。
川崎和男の発想表現手法
Tags: 実績, 川崎和男のデザイン金言, 簡単, 能力, 自分, 自力, 自己革新, 訓練
Posted in APHORISM, 川崎和男の発想表現手法










