3月9日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
3月 9th, 2014 Posted 9:30 AM
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3月 9th, 2014 Posted 12:00 AM
大阪では高層建築、あべのハルカスが話題になっています。
そして南海トラフへの対策が日毎に現実味をもってきました。
高層建築では長周期波動の揺れ対策があり、
私の自宅は32階建てで、あの3.11では大変に大きく揺れました。
その後も何度かこの長周期波動で気分が悪くなりました。
もし、手に入れることができるなら、
私は五重塔が欲しいとさえ思っていますが、
あれは古代の高層建築(55m)ランドマークでした。その五重塔、
その耐震建築は優れていた建築構造があったと言われています。
ただ冷静に考えればこれまでの大地震でも倒壊しなかったのです。
この構造こそが最高の耐震構造というのは早急すぎると思います。
ところが、あべのハルカスという高層建築の核心は、
この考え抜かれた五重塔構造が使われているらしいのです。
私は五重塔は日本独自の仏舎利であり、
五大思想を見事に美しくまとめたオリジナリティのある、しかも、
この世界で最古の高層建築だとしかみてきませんでしたが、
耐震構造を体現しているということになればさらに見事です。
私はあらためて日本全国にある五重塔だけでなく塔建築を
学ぶ直すべきだと思います。
なにしろ、3.11からそろそろ3年になりますが、
その復興計画もなかなか思いどおりになっていませんから、
デザインプレゼン計画を再考しています。
私自身の自宅がおよそ100mの所に住んでいますから、
地震時の長周期波動対策は皆無だと分かっています。
最近は屋上にこの長期振動対策機器の開発があります。
しかも、この基本的な考え方は五重塔が参考だと聞きました。
私はあらためて五重塔への眼差しを変えたいと思っています。
Tags: 長期振動対策機器、デザインプレゼン、オリジナリティ、五大思想、仏舎利、大地震、建築構造、耐震建築、五重塔、3.11、32階、長期振動、南海トラフ、アベノハルカス、高層建築、
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3月 8th, 2014 Posted 12:00 AM
手帳と手帖があります。それぞれ本来の意味がありますが、
時々、雑誌でも使い分けが出来ていないのは偽物紹介誌です。
さて、私が手帳に興味を持ったのは警察手帳からでした。
以前、警察官はその手帳で身分を明らかにしていました。
父の警察手帳を見たとき、
余りにも克明なメモが小さな達筆で書き込まれていました。
さて私自身これまでどれだけの手帳を試してきたことでしょうか。
今、自宅にある手帳をすべて出してみました。
おそらくこの手帳は最も高額なモノから素材が良いものもあり、
結局は、手帳のカバー、リフィールと手帳ペンには、
見事に技術進化の経歴がありました。
それはケータイ電話との兼ね合いやパソコンとのリンク性です。
今では、手帳をアナログな使い方と、デジタルペンで、
パソコン、ボード、ケータイすべてが連関性が可能になりました。
しかし、アナログな使い方にはフォーマル性があると思います。
私が言うフォーマル性というのは品性があるという感じのモノ。
手帳カバーはやはり皮革がふさわしくて、その素材性には
今後は手に入れることが困難になりそうなモノも出てきました。
これらの手帳はほとんどこの30年間試用で、気がつけば、
デジタルとの連関性の進歩とともに好みの変化があったようです。
そして明らかに言えることは、
この手帳のペンもデジタル機器になってきましたが、
デザインとしてはアナログ性=フォーマル感のあるモノ、
そのデザインには勝っていないことが残念です。
そろそろこうした手帳も決定的なモノにする時期が来ました。
職能と平行してきた手帳試用の役割を決定づける頃になりました。
私が自分の職能=社会的な存在との結論手帳となることでしょう。
Tags: 結論手帳、デジタル機器、フォーマル性、デジタルペン、アナログ、パソコンとのリンク性、ケータイ電話、手帳ペン、リフィール、警察手帳、手帖、手帳、
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3月 7th, 2014 Posted 9:30 AM
3月7日 丁丑(友引)
Tags: 倉俣史朗のデザイン, 夢の形見に, 川崎和男のデザイン金言, 画家とともに
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3月 7th, 2014 Posted 12:00 AM
私がデザイン導入を越前打刃物産地に導入して30年になります。
社会的な提案で「スコラ=学校という意味のラテン語」という、
鉛筆削りを商品化しました。MoMA=New York近代美術館に、
永久収蔵され、美術教科書にもデザインとして紹介されています。
当初はすべて金属製で砥石や皮ケースもつけましたが、
プラスチック化して廉価にしました。
そしてデザインは全く変えていなくてもロングライフ商品です。
今や、鉛筆は消滅しかかっています。
ある大学で、鉛筆は数人しか使っていなくて、
ほとんどがシャープペンシルだったという調査があるくらいです。
結局、包丁が使えない、リンゴの皮がむけない、という風潮で、
私は鉛筆削りによって刃物に親しんでほしいという商品でした。
いつの日か、この商品も無くなるのかもしれませんが、
刃物は人類にとって最高の道具です。
なぜなら、刃物があれば、それで次の道具が創れるからです。
そういう意味では、鉛筆+刃物=ナイフ使い勝手の基本です。
これは鉛筆削りというナイフの記号そのものです。
記号としてのナイフだから、表現しているのは安全な使い勝手と、
意味していることは、「切る」「削る」という行為の内容です。
とても簡単な「かたち」にすぎませんが、
現在の家電での道具足る表現とその意味とその内容は、
格段に使い勝手の安全性や記号性を失っていると思うのです。
そういう意味では、私は伝統工芸産地でこの商品づくり、
すなわち「記号づくり」は正直で素直であったと自負しています。
私は、すでに製品でも
商品でもなくて、
今後は「記号づくり」が重要になってきていると主張しています。
しかもさらに需要なのは「記号」と「情報」の創造創作です。
「記号づくり」+「情報づくり」、この一元化だと確信します。
「750年をタケフナイフビレッジで革新して30年」
『タケフナイフビレッジにはもっと要求する』
「タケフナイフビレッジ第二世代へ理念を伝える」
「タケフナイフビレッジの次世代へ」
Tags: ゴシップ, スキャンダル, タレント引退, 商業的訴求程度、新聞情報価値、内容優先度、新聞情報形式、政治・海外・事件・芸能という 、情報優先度、メディア、見てすぐ分かる」、情報形式・内容、タレント引退, 情報づくり, 表現, 記号づくり, 記号性
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3月 6th, 2014 Posted 9:30 AM
Tags: 倉俣史朗のデザイン, 夢の形見に, 川崎和男のデザイン金言, 画家とともに
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3月 6th, 2014 Posted 12:00 AM
「記号」ということばは道元が定めたといわれています。
ちょうど私が30歳で東京を離れふるさとに帰郷する年に、
日本記号学会が発足し会員になったことを思い出します。
学識としての「デザイン」は文系であり理系でもあったので、
核心となる学域が無いことに迷っていた私には、
記号学・記号論は、デザインの複合的で学際領域でした。
とても最適な学域・論考域として最も興味ある分野になりました。
そしてその時に最適な書籍が「記号論?と記号論?」です。
何度もこの書籍に私は頼っていたことを思い出します。
この学会に入ったのは、まだ当時は学者でもなくて、
論文を書くと言うよりもこの学会誌は書店刊行であったことです。
まだ書店刊行となる学会誌は無かったと思います。
学会員は、数学・医学・哲学・文学・音楽・芸術・デザインなど
あらゆる領域の人たちがいて、その頃読みあさっていた評論家は
ほとんどの人たちがいました。
記号とは、端的に言ってしまえば、
<表現+意味>=記号という認識であり、表現すべての意味、
あるいは意味から表現という形式が『記号」という認識論でした。
したがって、デザインという表現、デザインという意味、
意味+表現=デザイン、表現+意味=デザインとして、
私にとってはデザイン思考を支える基本的な姿勢になりました。
ちょうど私にとっては、記号学・記号論が気になり、
車椅子で私のデザイン方向を探っている最中のことでした。
おそらく私はこの記号論から思考をまとめていたのでしょう。
最近、この文庫本が出てきて「記号論」が一般化したと思います。
さて、こうして一般化してきた記号論は、
あらためて再熟考が必要になってきていると私は意識しています。
「デザインは記号論的な『造形言語と形態言語』での論理化」
「記号論は脱構築に向かっていった『かたち論』」
「商品・コミュニケーションから意味論的デザイン」
Tags: <表現+意味>=記号、記号論?と記号論?、記号学・記号論、日本記号学会、道元、記号、
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3月 5th, 2014 Posted 9:30 AM
Tags: with Drawers, ワイングラスのインジケーター, 倉俣史朗のデザイン, 夢の形見に, 川崎和男のデザイン金言, 引き出し, 木目
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3月 5th, 2014 Posted 12:00 AM
TVプログラムそのものが商業的でなければならないのでしょう。
たとえ公共放送のNHKであっても商業性が問われています。
常に視聴率によって番組の構成はゆれ動いています。
TV画面の構成デザインには、
画像と映像のデザインプランが欠落していると思っています。
たとえばほとんどのバラエティ番組の文字表現は、
ここまで汚い文字レイアウトができるかと思うほどです。
私は画像とは静止画であり、
映像とは動画=映っている画像だと定義しています。
そのなかで、この番組は明白に自動車メーカーのCM番組ですが、
レタリング選定とその画面配置の構成がまとまっています。
まとまりがあることと美しさには差異がありますが、
私は未来性とTVプログラムのささやかなあり方提案を観ます。
番組のストーリー性・演出性は視聴者の判断にまかせますが、
私はデザイナーとして、この文字表現の画像レイアウトを
評価しています。
おそらくここまでの細いライト性のレタリングは、
液晶ピクセルの技術精度が進化してきたことにもあるでしょう。
しかし、この画像構成での文字表現に未来性があります。
無論、番組出演者がアマチュア的な要因も影響しているでしょう。
この番組の視聴率を知ってびっくりしました。
TV番組では常に視聴率競争が話題になり、
ヒット番組の主演者動向がいわばスキャンダル化されます。
それは万人にとってのある種ストレス解消効能にもなっています。
それだけにこの番組の画面構成のまとまりを私は評価します。
おそらくすべてがレタリングレイアウトのまとまりであり、
深夜番組での視聴率においても評価され始めているようです。
Tags: 深夜番組、レタリングレイアウト、スキャンダル化、試聴率、番組出演者、画像レイアウト、文字表現、レタリング選定、動画、静止画、映像、画像、構成デザイン、TV画面、NHK、公共放送、TVプログラム、
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