kazuo kawasaki's official blog

Archive for 1月, 2012


「カーオーディオはもっと進展するはず」


   


     1月 17th, 2012  Posted 12:00 AM

おそらくもう車も生涯では今の車が最終かもしれません。
そう思いつつも人生最後の車種はこれにしたいという願望はあります。
先般も、友人デザイナー達と夕食をしながら、
最後にはどの車に乗るか、乗るべきかという話で盛り上がりました。
基本的には工業デザイナーは
すべからく「車」には人並み以上の欲望があると思ってます。
ところが最近、工業デザイナー志望の若者には、
「免許すら持っていない」という話もあります。
カー・カメラ・オーディオ・オートバイなどというのは、
工業デザインを志望する者のどうしても
物欲とデザイン嗜好の対象だったはずです。
ということもあってか、
車そのモノはデザイン対象にしてきませんでしたが、
男の子として乗りたい車には乗ってきたと思います。
一時は4台所有していたこともありますが、
今、たった1台=ベンツのSL500だけです。
ベンツのSLはSLKからSLも3台目と乗り継いできました。
私の場合は、車椅子ゆえに制御系を改造してありますが、
これも日本では独特の規制があって、
海外仕様には出来ないという不満があります。
いつか本当のことを書きとどめないといけないとすら思っています。
そして、車はある種「局部音場」ですから、
オーディオ空間としては車そのものを改造しています。
特に、iPhoneやiPodの時代になってからは、
FMで音を室内にFM音として飛ばして聴くことが可能になりましたが、
そのカーアクセサリーがなんとも進化していません。
だから、すでにいくつかのアクセサリーを使用し
それがすべからく試用になっています。
ようやく現在落ち着いているのは、Belkin TuneBase FM Liveです。
しかし、満足しているわけではありません。
いづれカーオーディオからカーナビもすべからく
iPhoneのように変貌するでしょう。
そうなったときには、カーオーディオも進化すると思います。
ただし、この場合、車のオーディオシステム、
特にスピーカーシステムそのものが変革する必要があると考えています。
たとえば、
今乗ってみたいと思っている車種のオーディオが変更になりました。
それはカーブランド・カーイメージそのものを
台無しにしていると評価しています。

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1月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 16th, 2012  Posted 9:30 AM

1月16日 丙子(仏滅)

しかし、
この錯覚や誤解は、
クラマタだけの
「世界視」であり
「世界史」ではないだろうか。
デザイン史を解体しようとした意志は、
「内側にて覚醒する」ための
インスピレーションを
求めていたわけだ。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』2ワイングラスのインジケーター


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「ここから教えれば・・・」


   


     1月 16th, 2012  Posted 12:00 AM

LPレコード盤はすでに相当整理してしまいました。
この玩具のようなプレーヤーはほとんど骨董品です。
僅かに残してあるドーナツ盤をワイフは初めて見て、
「どうして音がするのか?」とか、
回転数の話やレコード針の話をしていたら、
ローリングストーンズのピンク盤を発見しました。
やっぱり出てきた言葉が「かわいい」です。
ワイフとは相当に歳の差があるので(すいません)、
この玩具的なプレーヤーの音がいいらしいのです。
そうかも知れないと思います。
アナログの音はどこか暖かみがあって魅力が届くのでしょう。
「いや、もっと上質のアナログのプレーヤーがあるから」と。
(そうだ、ここから教育をすればイイ・・・買う許可でるかも)
オーディオ、それもアナログプレーヤーから
オーディオシステムの話で講義をしていけばいいのだと気づきました。
と同時に、ドーナツ盤も初めて見たらしくて、
パチ・パチ・・・という音が、ダストが盤に残っているからとか、
それを防止する方法とか、かなり興味が出てきているようです。
この骨董品的な玩具的なプレーヤーから、
もう一度、ゆっくりとアナログのオーディオ世界を開いていこう。
そんな企みをしています。
「このピンクのレコード売ったら、結構高価じゃないの」
(やばい、話はそこに行ってしまったら・・・)
懐かしい音ですが、何かがあります。
アナログのオーディオを学生やスタッフにも聴かせたいと思います。
そういえば、韓国のKAISTでも、ある教授の部屋には、
学生にアナログの音楽を聴かせる高級オーディオシステムがありました。
彼も言ってました。
「このシステムの音を聴かせること絶対に必要です」と。

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1月15日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 15th, 2012  Posted 9:30 AM

1月15日 乙亥(先負)

思い込みは、
クラマタの表現を借りれば、
「意識でこね回したものはあまり
面白くないというか大したことはない」
という事につながる。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』2ワイングラスのインジケーター


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「Skype=グローバリズムツールだろうか」


   


     1月 15th, 2012  Posted 12:00 AM

「TV電話システム」は登場初期から種々使用してきました。
福井から名古屋に移住していた頃には、
鯖江市で毎土曜夜の社会人のためのデザイン講座、
SSID(Sabae School of Intelligence Design)を
名古屋からTV電話システムで講義をしていました。
このSSIDは17年間やり遂げました。
約250名の修了生が今も一つのローカルコミュニティになっています。
そして今はUstreamやSkypeがとても役立つツールになっています。
Skypeの使用機器も様々に試してきて、
現在はこれらを使用しています。
映像も音も随分と進化したと思います。
したがって、研究室とデザインスタジオはいつでも会話が可能です。
国内外とも図面や企画書も見ながら会議を済ませることが可能です。
パソコンを核として映像と音響、
それは電話方式や放送形式を簡便なことに変貌することが、
ネットワークの進展によって可能になったわけです。
そこで、私たちはこの簡便さが、
まさしくグロバーリズムのツールと思われています。
しかし、私はグローバリズム、
この世界観的な経済主義の正当性を疑っています。
グローバリズムがあたかも理想主義、
その一つの形式ということを再熟考する必要があります。
TPPもグローバリズムへの推進論と慎重論でとの対決で語られています。
これは国家論としての今後の方向を決定づける一大事です。
私はSkypeを使うときに、
きっと次のような幻想が取りついていると考えます。
Skypeのカメラに自分が写り、
そしてネットワークは限りなくグローバルに広がった世界が映っている、
そんな想いが、確かに現実感ですが、
実は大きな幻想・幻覚・大誤解のweb、
すなわち蜘蛛の巣に現代人は呪縛されてしまったのでしょう。
あらためてネットワークとグローバリズムを
Skypeという現実ツールを前にして再考する方法がありそうです。

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1月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 14th, 2012  Posted 9:30 AM

1月14日 甲戌(友引)

ひらめきという軽さ、それは、
ミラン・クンデラの代表作である
「存在の耐えられない軽さ」
と比喩してもいいだろう。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』2ワイングラスのインジケーター


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「泣くということ・喜怒哀楽の基礎感性行動」


   


     1月 14th, 2012  Posted 12:00 AM

基礎感性行動、なんと大げさなタイトルでしょうか。
しかし、「泣く」というのは最大に重大な行為です。
正直、大泣きしたのは幾たびかあります。
母との死別。
車椅子訓練のつらさに耐えがたくて恋人の前で。
大学人になって悔しさでどうしようもなくて。
これが大泣きせざるを得なかったことです。
母との死別は、独りっきりで河原で大泣きしました。
車椅子になるという医師からの宣言では決して泣きませんでしたが、
当時、恋人の前ではリハビリトレーニングが苦しくてつらくて。
大学人になってからは、恩師に電話口で、
この恩師はもう逝かれてしまいましたが、
最近も、もう唯一の恩師の期待に応えられなくて、
還暦も過ぎたというのにこれも電話で泣きました。
子供の頃は、「泣いて帰ってくるな、
男子は泣くな」と教えられていましたから、
それはどこかで泣いて帰宅したことがありました。
「涙壺」、これはアラブ地方で、
兵士になった夫の帰りを待ち望んで、
妻がこれだけ泣いて待っていたというシンボルのオブジェです。
私は、「喜怒哀楽」はきっちりと
人生を四等分している感性だと思っています。
だから、喜んで、楽しすぎても泣きます。
無論、大声で笑いこけます。
同様に、怒り狂っても笑えて済ませることができます。
つまり、「笑うこと・泣くこと」これは人間感性、
いや感情の表れです。
「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しい」という心理説もあります。
今、日本は「泣きたいほどの苦境にあります」。
だから早く「笑える日」になってほしいのです。
泣くことを強いられたら、笑い飛ばせる自力が必要です。
そのためには、喜怒哀楽と泣く・笑うを対照的にできる感情制御が
感性を鍛えてくれるでしょう。
感謝のあまり、涙が流れること。
憤りが過ぎて、涙が流れること。
涙と泣くという感性の構造を
自分の心の一番大きな引き出しにしたいと思ってきました。
心の表情が、泣いたり、笑ったりすることだと思っています。
心が折れそうになることなんて、日常的に襲ってきます。
だから、自分を鍛錬するには、泣く・笑う、
これは、感性を行為化する基礎だと思っています。

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1月13日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 13th, 2012  Posted 11:29 AM

1月13日 癸酉(先勝)

クラマタのインスピレーションが、
神の因襲だといってしまえばそれまでだ。
思いついた、いわば直観なのか、
あるいは霊感なのかはどうでもいい。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』2ワイングラスのインジケーター


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1月12日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 13th, 2012  Posted 12:09 AM

1月12日 壬申(赤口)

Creationは、
神の創造行為に他ならないが、

人間には、
creationがわずかに
許されているにすぎないのだ

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』2ワイングラスのインジケーター


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「カートリッジデザインのフィニッシュワーク」


   


     1月 13th, 2012  Posted 12:00 AM

おそらくカートリッジと言ってももう不明でしょう。
LPレコードを再生させるレコード針のことです。
写真は、東芝で最後の商品であるイコライザーアンプ用の、
エレクトレットコンデンサーのレコード針・C-400と、
フリーになって、
「ナガオカ」=レコード周辺アクセサリーメーカーの仕事です。
もう「ナガオカ」は消滅しましたが、
元社員の方々で「レコード針』販売は続いています。
「ナガオカ」の商品は今も専門店で販売されています。
「ナガオカ」は最初に私のパトロネージュになっていただいた企業。
だから、このシリーズは私にとって作品ですから、
全製品買い求めたいのですが、
おそらく100万円ぐらいになるほど高価な商品です。
もはや、レコードプレーヤーは使っていませんから、
持っていたレコード針はもうこれだけです。
ピッカリング、オルトフォン、シュアなど再現音が懐かしいです。
LPレコードファンは今なおマニアックにおられます。
私も「糸ドライブのプレーヤー」そしてその周辺機器で、
たっぷりと「アナログのレコード演奏」を聴いてみたいと思っています。
だからLPレコードもきっちりと100枚だけ残してあります。
今、CDもリッピングして整理、100枚だけ残して整理をしている最中です。
この写真の「ナガオカ」商品は、パッケージデザインでは
当時、肉厚成型で今はもう出来ないかもしれません。
Aurexはエレクトレットコンデンサータイプだけれど、
ヘッドシェル(カートリッジを取り付けている)は、
マグネシウム合金で一体成型、
よって、針先への振動を可能なだけ遮断することをめざしています。
車椅子になる直前と直後の仕事です。
つまり、性能を出来るだけ完成度を求めるために、
素材や成型加工に至るまで、本当に丁寧な仕事をしています。
パッケージ、ヘッドシェルいづれも、時々取り出して眺めていると、
現代の「モノづくり」は手抜き仕事に思えてなりません。
デザイン・生産設計・商品化まで、徹底的に性能から機能を求めました。
やはり、徹底的な「仕上げ」=フィニッシュワークはデザインの本質です。
デザイナーである限り、決して忘れたくありません。

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