kazuo kawasaki's official blog

Archive for 8月, 2010


『資本主義からの逃走』
     「破滅と破壊・原子力について」


   


     8月 7th, 2010  Posted 12:00 AM

インドからの留学生
インドの「デザイン」は、
ウルム造形大卒業の一人が持ち帰ったところから始まりました。
インド工科大学ボンベイ校の教授一人がインダストリアルデザインを教えました。
その彼から留学生を預かりました。
成績トップの女学生がやって来ました。
カースト制では、父親がインド空軍の技師だったので2番目でしたが、
掃除・洗濯・食事にサーバントが3人だったとかで、
日本で初めて自炊・洗濯・掃除をすることになりました。
教授からは、「デザイン官僚にしたいからよろしく」とのことでした。
インドではかけ算が暗算できると聞いていたので、
22まで、いわゆる「九九」は完璧かと尋ねたら、101までの「九九」ができると返答されて、
実際に101までをやってくれました。
ある日、彼女は笑顔いっぱいに、
「教授、今日は最高の日になった!」と大声で言いました。
「何があったんだ?」
「これでパキスタンに絶対勝てる、原爆実験大成功!」
「ふざけるなー!」と、私は怒鳴りつけて、
今すぐ、金を出してやるからヒロシマ・ナガサキに行け!
命令をしました。
ヒロシマ・ナガサキ
一泊2日で広島と長崎に行って帰ってくるなり、大泣きしました。
帰路の車中もずーっと泣いて帰ってきたと言いました。
原爆の破壊のイメージはあったけれど、事実は知らなかったそうです。
「教授、私は耐えられない」と私の前でも泣き崩れました。
「君が日本で学べた最高の事だったかもしれない」
彼女は、名古屋の国際デザインコンペで部門優勝しました。
賞金50万円を持ち帰りました。
帰国して母校で講師とデザイン官僚になり、結婚をしてカーストはトップになりました。
今も、デザインを教え、デザイン行政に関わっています。
原爆の事実も伝えているとのことです。
彼女には、「破滅する歴史的事実」を見聞知識になっているから自信をもって発言できます。
「破滅の想像力」では、何事も事実には至りません。
デザインは、創造のための破壊をめざすことがあります。
破滅と破壊はまったく違います。
「原子力技術」はまるで「破滅と破壊」の両性具有です。
「原爆」は人類が創造してしまった完全なる「破滅」であり、
「原子力利用」は、「創造的な破壊思考」に進まなければなりません。
私は、ヒロシマ・ナガサキの事実から、
「創造的な破壊」思考を生み出すことが出来ると考えています。
そして、ヒロシマ・ナガサキの歴史的事実以上の「国家戦略」を情報創造すべきです。
その情報化創造とともに、「原子力技術の進化」が必要でしょう。


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8月6日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 6th, 2010  Posted 9:30 AM

8月6日 先勝(戊子)

好きか、嫌いか、
というのは、
私は最も原初的な価値判断だと考える。

『デザインは言語道断』好奇


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『資本主義からの逃走』
     「際限は背中に、目の前に未来など無く」


   


     8月 6th, 2010  Posted 12:00 AM

背負い水
「Vanishing Point」という映画がありました。
ただひたすら破滅を求めて車が走り続ける映画でした。
「Back to the Future」が後年ヒットしました。
そして、『Back to the Future』という本当の言葉の意味は、
故・作家 堀田善衛氏の指摘で、
これがホメロスの詩の一部であり、キリスト教的教えということを知りました。
つまり、Vanishing Point=消失点に二つの意味を私は持つことができました。
一つは、「絵を描きます」から、そのまま透視図での消失点です。
そしてもう一つは、未来の消失点は「死」そのものだということです。
そして、Back to the Futureにもどれば、
私たちが、「未来は目の前に広がっている」というのが際限無き幻想だということになります。
私たちの未来は、「背中に背負っている」というわけです。
民俗学でも「背負い水」という話があることを
Back to the Futureというフレーズとともに知りました。
「背負い水」というのは、人それぞれ生まれてくる時に、
一生分の飲み水を背負っている=それはその人の宿命を決定ずけている、ということです。
Back to the Futureも、「未来は背中に背負っている」という意味です。
だとするなら、私たちは、目の前に未来などは全くなくて、
生まれてきたときに背負わされていることと、経験で背負ったことでこそ、
やっと未来に消失点が打てるということです。
消失点
私は「学園闘争」の世代ですが、
まったく当時に知り得てしまったのは、学生運動で国家が変革できたのは、
イタリアのムッソリーニ政権打破を学生たちも一丸となった闘争だけでした。
その歴史から、学園闘争に与している同世代の「歴史的な無知さ」を冷徹に見ていました。
「自分が発言する力」を背負うまでは、
默知に限ると思い、ひたすらデザイナー修行を本分としていました。
今、ようやく私は、デザイナーとして、「私のデザインしたモノ」で発言ができます。
さらに、恩師からは「ことば」を「かたち」に、「かたち」に「ことば」を、
と激励されてきました。
際空間・相空間
「際限」に消失点を打つこと、それは「際」を見極めてその「場」に位置することです。
「際空間」とは「相空間」かもしれない、そんな想いを果たしていく時限もせまってきています。
「際限」はやはり、目の前にはあるはずもなく、
自分の背中に実は書き込まれているのでしょうが読み取ることもできません。
だからこそ、その「際限の相空間」をあと数年追いかける覚悟です。
私の消失点が見え始める「際限」まで。


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8月5日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 5th, 2010  Posted 11:50 PM

8月5日 赤口(丁亥)

すべては、ここから始まる。

「好奇」になれるかどうか、
すなわち好奇心があるかどうかである。

『デザインは言語道断』好奇


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8月5日Staff Blog


   


     8月 5th, 2010  Posted 4:44 PM

8月5日
iPhoneとiPadでピアノ、
明和電機さんのオタマトーン、
アプリのオタマトーンと、
電子楽器類で夏休み中は
演奏特訓予定の
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)


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『資本主義からの逃走』
     「逃走の手立ては、情報変革化による学際化」


   


     8月 5th, 2010  Posted 12:00 AM

Red Ryder
「Red Ryder」というソフトを知っておられるとしたら、
それはパソコン創生期を存分に知っておられる方でしょう。
電話回線とパソコンでメールがやりとりできる。
それをパブリックドメイン(無償配布)した最初のソフトです。

このソフトで、構築されたのがBBS(Buliten Borad System)=電子掲示板でした。
これが現在のE-mailにつながっていきます。
残念ながら、BBSはユーザー志向が性悪説に向かってしまいました。
BBSは本来はSIG(Special Interest Group)へという理想主義を掲げていたのですが、
BBSでは匿名的な誹謗中傷へと情報化が拡張しました。
ここに集う人たちは不幸を自らに呼び込む性根に自分を情報化してしまった情報社会の被害者です。
そして、性善説を志向する情報の変革化は、ソーシャルネットワークとして、
TwitterやFaceBookを生み出しました。
しかし、これもTwitterストレスやFaceBookでのFishinngが横行し始めています。
私はたとえばTwitterが「販売促進」だとか「企業革新」の手立てになることは容認できますが、
それは現状の「変革」に向かっているものではないと考えます。
「変革」は理想主義に向かっていなければ「正道」ではありえません。
したがって、「情報変革化」はさらに進化を希求すべきだというのが、
私の認識でありデザイナーとしての目標です。
学際化
さらに、何の情報化を変革していくべきなのかを考えると、
それは「学際化」です。
専門家した学識、その融合化・総合化・統合化です。
これは「学際化」ということを徹底的に「情報化」する専門性を
開発することが求められているということです。
もし、これまでの歴史で「学際的」だった人物をあげるとするなら、
ピタゴラスやレオナルド・ダヴィンチなどになります。
しかし、彼らの学識や史実的記録は、
「変革」をもたらしたコトやモノは無かったものと私は判断しています。
しかし、「変革」の動機付けになった発想や表現は、
「情報」となって私たちは今なお大きな理想主義の手立てになっています。
私はここが偉大なポイントだと思っています。
私は「逃走」しようと投げかけています。
走って逃げようというのです。
「闘争」ではありません。
私の性格なら「闘争」を叫びたいのですが、
歴史を見れば、「変革」して、「革命」に至るのは、決して「闘争」ではありません。
したたかな「逃走」という「闘争」が「正道」だと確信しているのです。


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8月04日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 4th, 2010  Posted 6:17 PM

8月04日 大安(丙戌)

限界
乗り越えるのは平常心

『デザインは言語道断』限界


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8月04日Staff Blog 002


   


     8月 4th, 2010  Posted 5:00 PM

8月04日

福井 増永眼鏡へ。
KAZUO KAWASAKI X MASUNAGA
25周年を迎えました。

増永本社に中田英寿さんが来訪。
BOSS(川崎和男KazuoKAWASAKI)
と歓談、工場など見学されました。
広報の方がもらったサイン色紙を1枚
頂戴しました。


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8月04日Staff Blog 001


   


     8月 4th, 2010  Posted 4:51 PM

8月04日

猛暑の中、週末など移動で各地へ。
OBSERAI INC.N35 INC.
主催の納涼!バーベキューのお誘いへ。

京都からシェフが食材持参でご参加!
MAYAMAXXさん
ライブペインティングあり、
鳥山雄司さんの演奏ありと
OBSERAI INC.の新オフィスご訪問で
BOSS(川崎和男KazuoKAWASAKI)
たくさんの皆様と出会い楽しく更に
熱いひと時を過ごしました。

OBSERAI 撮影監督柏原さん撮影の記録映画
「わが心の歌舞伎座」が
来春1月公開予定です。


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『資本主義からの逃走』
    「変革は『正道』を逃走することなり!」


   


     8月 4th, 2010  Posted 12:00 AM

変革の正道
私は改革は望みません。
改革をアジテートなどしたいとも思っていません。
「変えたい」という意欲と意志があるだけです。
改革を推進するようなタイプではないと思って生きてきました。
それは自分でも「変」な人間だからです。
「変」=異常さに在るからこそ、現状を異常化させて本道にしたいのです。
だから「変える」対象=デザイン対象に恋い焦がれるのです。
恋い焦がれて、必ずモノにしたい。
本道に置かれるモノにしたい。
その本道とは「正道」です。
私はこの根幹に「」と「公」を対照化して見詰めることにしてきました。
私が「正しい」ことを公的にも「正しい」ことです。
まず、正しいことが無ければ、「美しさ」が付いて来てくれません。
私はこの「正道」を残された時間に、
デザインで語る=モノのデザインにしていくことだと決めています。
すなわち、「八正道」を語り尽くす「変革物語」を残したいと考えています。
今、資本主義、それはキリスト教義に強く裏付けられた思想の具体化であったことこは明白です。
敗戦後の日本は、仏教よりは、キリスト教的な裏付けで経済的な発展をしてきました。
しかし、その限界にきてしまった原因に立ち戻ることさえ忘れてしまったようです。
日本人にとっての、「資本主義」に「変革」すること。
それは現状の資本主義から、私は「正道」を通って逃走することだと私は考えています。


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