5月 28th, 2010 Posted 2:44 AM
Privacy
プライバシーとは、私事、個人唯一性の確認だと考えます。
そして、この言葉ほど意味が拡大というよりも膨張してきた言葉はないかもしれません。
最も原初的な意味は、単純明快でした。
「他人から観察されない私事、私的性の唯一さ、その確認」。
ところが、20世紀後半からは、
意味が拡張というよりは膨らんできます。
「私的であること」が、他人から何ら操作されない権利性に関わってくるのです。
それは秘密とは私事的なことだという定義まで生まれてきた文脈です。
観察されないこと
他人から観察されない状況とは、私的性の確実な確認を、
無比に他人からの観察・干渉・操作から保護されていることになっているということです。
私的である私事には「権利」が保全されているべきだという、
「自由性」が社会的制度からも犯されないことにまで拡大と膨張をしてきたのです。
さらに、その自由性に、「情報」という観念と概念が含蓄されてきます。
「情報」が私事や私的であるということの法的ルールが、
あくまでも「自由であるべき」という基盤上にしか存在しない。
絶対に社会管理されてはならないということにまでなっていきます。
プライバシーが、私事であって、私事からの情報発信性と情報受信性に、
「自由権利」が当然でなければならないということです。
つまり、「情報」を「発信」する自由には、全く義務からの解放が容認されてくるのです。
この開放性は、三つ掲げておくことができます。
■ どのような義務も無く、権利を保全することこそ、
「自由」を再定義しているという認識の共有化です。
■ この共有化には、「個人性」それぞれの私事が
秘密化されることも容認していることです。
■ 「自由」は権利であって、
どのような義務にも拘束されていない、
義務性には立ち入らないということになります。
以上からは、
「自由」・「権利と義務」・「情報」の組み合わせを私事上に成立させようとするとき、
いわゆる「プライバシーの侵害と保護」の対立性が起こるということは想像できました。
これは私事や個人情報、個人にのみ従属と備蓄されているコトがあるのです。
個人が発信した情報には、
その個人のみが操作し判断できる権利を互いに認め合うことでしか社会は成立しない、
そんな結論を鵜呑みしているのかもしれません。
これは個人的な世界観や個人的な思想を、
お互いに「敬意と敬愛」しかありえないということになります。
したがって、秘密・隠匿・隠避する権利をも容認することが、
「民主的」だという共有感覚です。
私はこれには正直、懐疑的だと告白しておきます。
この「私事権利」に「義務設定」を解放、
あるいは皆無化させることで、
公的と私的との距離感覚、その麻痺が始まっていることは否めません。
結局、情報の発信性と受信性にプライバシーの意味が決定づけられていることは、
再確認と再容認、そして再共有の因子がある、
この想像力は保守しておかなければならないでしょう。
Tags: 「資本主義からの逃走」, プライバシー, 個人性, 共有化, 再定義, 従属, 情報, 情報受信性, 情報発信性, 敬意と敬愛, 概念, 権利, 法的ルール, 社会的制度, 私事権利, 私的性, 義務, 義務設定, 自由, 観念
Posted in 030「情報としての日本語」, 資本主義から逃走せよ!
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5月 27th, 2010 Posted 10:36 AM
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5月 27th, 2010 Posted 1:42 AM
モノ・コト
単純に、「物質=モノ・情報=コト」と、一言にまとめておきます。
そうすると、モノとコトとの関係=構造化は、
価値的には同等だと考えることが可能になってきました。
例示するならば、
実物であるモノ・例えば、自動車や時計を考えてみましょう。
現物である自動車=リアリティ・モノは、
写真という仮想現物=バーチャル・コトは、
当然、現物と写真そのモノの価値は全く異なります。
しかし、現物が効果ならしめるコトと、
写真となっているコト=情報は、
現物のモノ仮想ですから、
「所有し、使用すれば」、価値性は同等です。
また、「モノとコトとの構造を認識」すれば、それも価値としては同等です。
したがって、デザインの役割も、
モノづくり+コトづくりの社会化が職能と20世紀後半から言われてきました。
結局、私はこのブログで何度も何度も、様々な視点から思考し考察し、
デザインするモノとデザインするコトが、
メディアでありツールでもありうるということに行き着くわけです。
● モノの効果→物質のメディア化
そこで、モノの効果としてのコトは物質のメディア化となり、
● コトの表現→情報のツール化
コトの表現としてのモノは情報のツール化になるというわけです。
メディアクロス・ツールクロス
現代は、メディア・ツールが混在し、
なおかつ補完し合うことが私たちの「日常性の環境」になっているということです。
デザインするモノが、メディアとなって、
デザインするコトが、ツールとなっていく、
このことが理解できない経営者はリーダーにはならないでしょう。
今、成功している経営者の経営手腕、
その経営姿勢や企業の商品・店舗などの表現形式と内容は、
確実に、
モノ=物質=商品と
コト=情報=広告や広報などには、
見事な「メディア・クロス・ツール」と
「ツール・クロス・メディア」という手法が実践されています。
現代、物質・情報・エネルギーというこの三大世界観に起こっているこのクロス性は、
資本主義経済社会を変更させていると考えます。
Tags: 「資本主義からの逃走」, エネルギー, クロス, コト, ツール, デザイン, バーチャル, メディア, メディア・ツール, モノ, リアリティ, 三大世界観, 仮想, 仮想現物, 使用, 価値性, 同値的, 情報, 所有, 日常性, 構造化, 物質, 現物, 経営姿勢, 経営手腕, 経営者, 考察, 職能, 認識, 資本主義経済社会
Posted in 029「 三大観念=物質・情報・エネルギー」, 資本主義から逃走せよ!
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5月 26th, 2010 Posted 10:06 AM
5月26日 仏滅(丙子 )
単にモノをデザインするだけでは、
「物」と「文」が一対を成す時代は
終わってしまった。
コンピューターを
「機器」として、
「物品」として、
あるいは
「品物」として見てみる
時期に来ている。
『デザインは言語道断』物品
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5月 26th, 2010 Posted 9:46 AM
5月26日
知恵の神様、フクロウ。
かなり集めている
BOSS(川崎和男KazuoKAWASAKI)
以前は毎日いろんな
フクロウのピンバッチをつけていたBOSS。
これからも知恵と
フクロウはたまる一方です。
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5月 26th, 2010 Posted 1:40 AM
iPad Sketch
iPadでのスケッチは、かなり使えそうです。
今、国内で市販されているモノは2種確認しました。
高額ですが、正直使えませんね。
この2種は、デザイナーとして認められません。
私は一端熱中すると、特に、自作は留まりません。
なんとか、ペン回し協会公認のボールペンで、
それなりのモノを最初に造りました。
ともかく、導電素材として、
● アルミホイル
● 導電シリコン・発注中、すごく高価です。
● 導電ウレタン・発注中
アルミホイルは、
ゴム付き鉛筆に巻き付けるだけで、
なんとか工夫すれば使えそうです。
要は、静電スタイラスにすることでは、
導電ウレタンが市販製品もこれを使っていますが、
描き心地では、40年間の「ボールペンタッチ」がほしいこと。
さらに、「ペン回し」ができないのは駄目ですから、
これからトライして、
絶対に、iPadでのスケッチが可能になればと思っている次第です。
導電シリコンをチップ材にした描き心地に一番期待をしています。
Tags: 40年間, iPad, Sketch, アルミホイル, チップ材, デザイナー, ペン回し協会, ボールペン, 国内, 導電シリコン, 導電素材, 自作, 資本主義からの逃走, 鉛筆, 静電スタイラス
Posted in 028「iPadを見つめて」, 資本主義から逃走せよ!
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5月 26th, 2010 Posted 12:05 AM
5月25日 先負(乙亥 )
「物品」である
「作品」「製品」「商品」、
されには「品質」「品格」といった
熟語には、何かがモノを
格別なものにしていく、
という意味関係が
内在していると言える。
『デザインは言語道断』物品
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5月 25th, 2010 Posted 9:47 AM
5月25日
VISCONTIの黄金コンパスです。
黄金比を計測します。
美しいかたちの
原理原則を知ることができます。
美を追い求める
BOSS(川崎和男KazuoKAWASAKI)
は、アプリでGOLDEN RATIO!
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5月 25th, 2010 Posted 12:01 AM
モノ価値
モノ=人工物質を私は意味しています。
が、このモノは製品もしくは商品です。
そしてこの製品価値・商品価値は、「形容」されること、
あるいは価値の形容というのは現代性の社会観、
その価値付けが最も重大になってきています。
かわいい
たとえるなら、「かわいい」という価値感があります。
私は「かわいい」というのは価値観にはまだ至っていない、
この認識が明確にあります。
つまり、「かわいいモノ」と「モノのかわいさ」が、
そのまま商取引・資本投下での投資効果になるわけです。
この投資効果こそ、経済活動の活性度になっています。
この活性度が、資本主義経済の現代性になっています。
特に、先進国家や自由資本主義経済体制が整備された市場では
顕著な価値感覚になっています。
まず、「かわいいモノ」というのは、
物欲に対して「好き」という感覚のある意味では、
直感的であり、幼稚さや、所有感覚の素直さに連動しています。
それに対して、
「モノのかわいさ」というのは、
そのモノと自分との対照性を顕示する物欲になっています。
そのモノを所有することで、
所有者自身にかわいさを反映・反射させることに連動しています。
あらためて、その「かわいい」という形容価値には、
モノ価値論を、「形容」という付加性があるということになります。
そこで、もう一つの「形容」をあげておきます。
品
それは「品のいいモノ」と「モノの品性の良さ」です。
これもほとんど、「かわいい」と「品」が、モノに対しての関わり方、
構造性につながっていることは明らかです。
この構造性こそ、デザインの本質につながっています。
そして、私がデザイナーとして目指すべきは、
「品」・「品格」ある品質を「形容」できるモノのデザイン。
デザイン設計による「品のあるモノ」・「モノの品格」です。
無論、「かわいい」という形容にも、
「品性」があることは充分に理解し容認する姿勢です。
Tags: かわいい, デザイン, モノ, 付加性, 価値, 品, 品格, 商取引, 商品, 好き, 姿勢, 容認, 形容, 意味, 投資効果, 本質, 活性度, 物質, 現代性, 理解, 社会観, 経済活動, 製品, 資本主義からの逃走, 資本投下
Posted in 029「 三大観念=物質・情報・エネルギー」, 資本主義から逃走せよ!
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5月 24th, 2010 Posted 9:53 PM
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