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Posts Tagged ‘自己鍛錬’


「U4(UFO)だった、わが研究室」


   


     10月 2nd, 2012  Posted 12:00 AM

大阪大学吹田キャンパス構内のU4=UFO、
ここにわが研究室・平屋建て一棟があります。
来春退官となると、ちょうど潮時だという感慨があります。
その最大の理由は、
もはや私のような「デザイナー養成教育法」は時代遅れのようです。
それは、ほとんど今流のパワーハラスメント的であり、
怒鳴るわ、人格否定はすらわ、とんでもない「やり方」(自覚認識)は、
現代の若者には通用しなくなってきていると、つくづく実感します。
私は19歳からこうした厳格な「実践=実戦」的教育を受けてきました。
インハウスデザイナー新人時代も、同様でした。
スケッチは破られるわ、徹底的躾(結構誤魔化し放題でしたが)、
到底理解不能な無理難題の連続でしたが、
それを真正面で受け止めて自分自身を苛めぬくこと、
それが出来て自己鍛錬ができたのだと思っています。
自己鍛錬を私は「精進」と自分に言い聞かせてきました。
車椅子生活になった直後は、
後遺症で鉛筆をしっかりと握ることさえできませんでしたが、
テープを指に鉛筆とまき付け、大したことではありませんでした。
「精進」あるのみで克服できました。
しかし、心臓障害だけは「精進」で回復させられるものではありません。
だから、
私のデザイン対象は身体内部へのモノデザインになったのです。
大学人になって17年間です。
17年というと、MacPower誌の連載も17年間で、
SSID=鯖江市での土曜日夜だけのデザイン講座も17年間でした。
私に与えられたなんらかの使命年間なのかもしれません。
来春からは、私の研究室には新たな看板が掲げられるでしょう。
そして、私の役割がもっと進歩させる役割になると思います。
新たな使命が与えられるのかは、
この半年に準備されることになります。
いずれにしても、
UFO=未確認飛行物体的な研究室が大阪大学に
7年間の役目が絶対に必要だったのだと思っています。


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「喧嘩とは、自分に売ることが基本だ」


   


     9月 1st, 2012  Posted 12:00 AM

私は、「喧嘩師デザイナー」だと自称もしています。
だから、誰にでも喧嘩を売るということで怖がられています。
デザイナーは喧嘩師であれ」でもしっかりと記述していますが、
まずは、「自分に喧嘩を売る」ことを
根本的な原則にしなければなりません。
喧嘩を売る、とはチャラけた言い方だと「自己啓発」でしょう。
「自己啓発」類の本やその著者は、
私に言わせれば、高校時代に出会っていれば殴っていたでしょう。
この系譜で言うと、「仲良しクラブ的なこと」は大嫌いです。
表向きのチャラけた連中を見る度に、
現在は公的立場でもあるからもの凄く我慢します。
チャラけた発言などはひたすら無視することにしています。
「腹が立つ」とは、武士道における「腹こそ心の在処」だからです。
「切腹」とは「腹=心」の清廉潔白さを
最終の自死をもって証明する美学的精進だと考えます。
しかしこれこそ、
「自分に喧嘩を売っている」ことにもつながっていますが、
今では許されない行為ですが私は認めています。
「自己啓発」なんて言葉自体がだめです。
せめて、「自己鍛錬」・「自己精進」です。
鍛錬と精進は、
仏教的な精神的な自己犠牲を強いる、これこそ「勉強」です。
心臓発作を経験する40代半ばまで、
「睡眠時間4時間」を自分に強いてきました。
それはほとんどが、読書とスケッチでした。
「本を徹底的に読む」・「スケッチを毎日描く」・「文章を書く」、
これが、私の鍛錬と精進の核心です。
だから、毎日ここでのブログも精進の一つの形式にすぎません。
私の毎日の記録は、手帖・メモ帖・スケッチ帳が、
鍛錬と修練の「喧嘩ツール」になっています。
なぜ「帖」であり、「帳」なのかも、
勉強ゆえに区別されるべき詳細な日本の美学の証なのです。


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「ロンドンオリンピックでのハードとストロング」


   


     8月 20th, 2012  Posted 12:00 AM

東京オリンピック時は、わが家にもTVがあり、
その頃TVが日本にも定着していたという思い出と重なります。
オリンピックはデザインが裏方であることもあり注目してきました。
特にロサンゼルスなどはデザイン進化がありました。
このことは誰かが語り継ぐべきデザイン界の大事件でした。
アトランタでは、
富士通依頼でプラズマTV開発デザインをした経験がなつかしいです。
あと、何度オリンピックを観れるのだろうと今回はしみじみと感じました。
本当に寝不足になるほど、心ときめくアスリートの活躍ぶりは、
まさに「ゆず」の「栄光の架け橋」が似合ってました。
メダリストの華の存在と、敗者の人たちの悔しさを見つめながら、
アスリート、スポーツという身体表現の勝敗成果に、
その根幹である精神的な克己の姿は涙いっぱいでした。
それは、「競争・相手を倒すと競走・自分だけの能力」が克己を決定づけ、
そこには、「ハードさ」と「ストロングさ」を
自己鍛錬にてどこまで自己管理できたのだろうかと思いました。
よく、身体的には「腹直筋」を鍛えればハードな身体にはなれるけれど、
「大腰筋」はストロングな身体になれますが、この均衡が大問題。
このハードさとストロングさのバランスがどれほど困難かという話です。
おそらくこの4年間、最も子どもの時からずーっと、
選手達はハードさに耐え抜いてきたのでしょう。
スゴイと思います。
ところが、敗者となった種目や、怪我に至った不運さは、
ストロングさを一瞬失ってしまったのかもしれません。
あるいは、ハードさに対して、その真逆となる硬軟均衡、
すなわち、柔=ストロングさをもって剛=ハードさを制す、
ということが欠落したのかもしれません。
ハードに徹していてもダメであり、
ストロングさの追求であってもダメということを、
オリンピック選手達は、その世界的な運動能力・身体的なハードな訓練と、
克己的精神のストロングな柔らかさで証明してくれたと思っています。
リオデジャネイロオリンピックは、また観ることができると思っています。
改めて、自分がプロとしてのデザインの
ハードさとストロングさを象徴的に顧みることができました。
選手のみなさんに感謝です。


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