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『障がい者雇用における差別解消の管轄理財』


   


     11月 29th, 2017  Posted 1:30 AM

本を読むと頭が痛くなる、という人は不幸だと思います。
幸運にも私の家には、
角川の日本文学全集と平凡社の世界文学全集があり、
この本を読むと祖父から10円貰っていたと思います。
そして、最も毎月号の「ジュリスト」が壁一面にありました。
恐る恐る読むことは出来ず、その毎月号を定規で傍線を引いて、
勉強していると思ったのは、父がこの月刊誌を読んでいる後姿でした。
この本は最新の「判例」が掲載されている弁護士や検事・判事向けでした。
父はこの本でノンキャリアから警視正となり、刑事部長で退任しました。
久しぶりに、そうだ、「障がい者雇用の現在」を知る必要があり、
格段の「障がい者雇用における、差別解消事例」を知りました。
パワーハラスメントは、「疑わしきは罰する」が現在です。
ところが、障がい者雇用における差別解消の判例は、
「障がい者職業生活相談者」は、資格認定が徹底しており、
「合理的配慮指針」が見事に法令化されていることでした。
それは障がい者に対して不当な差別的取り扱いも詳細に決定、
荷重な負担無いにも関わらず、
「合理的な配慮を提供」しなかった場合、
差別解消は「当然」とされているのです。
これには、それこそ一般的な「管理」が二つあることの再認識化です。
「管理」には二つあります。
「監督理由」と「管轄理財」ですが、日本のほとんどが、
「監督理由」という、上から目線のいわゆる言い分け押しつけです。
これは、監督=Director 理由=Reasonであり、
もう一方は、管轄=Sharing 理財=Managementです。
すでに管轄理財は、雇用環境の差別無き組織だてなのです。
しかし、わが国は今なお、
上から目線で管督も監督とする考え方が蔓延していることです。
「管轄理財」なら、雇用における差別無き合理的な適用の配慮が、
とても行き届くということです。
デザインにおける制度設計には、
管轄理財の合理的配慮の提供が簡単だと言うことです。
デザイン=問題解決は、形態設計と制度設計だということです。
多分、この文章を読んで頭が痛くなる人には
合理的配慮は不可能な不運さが、あって、
それは罰せられるという事態になるでしょう。

* 『皆既日食と太陽フレアが風景の予測シグナルかも』
* 『曼荼羅とDNAホログラムの位牌・もう一つの仏壇』
* 『負のサイクルを即刻停止させるデザイン』
* 『手話通訳という職能はボランティアでは無い』
* 『硯箱を整理しながら・・・』


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「児童を守らねばならない! そんな国ではなかった」


   


     7月 1st, 2013  Posted 12:00 AM

無差別に切りつける、
そのような人物はどんな時代にもいるでしょう。
とても無念なことです。
しかもそれが小学校の児童たちを餌食にする、
そんな犯罪者が最近はやたらと増えてきました。
あるいは集団登下校がルールになっています。
私の時代には下校では必ず道草をしたものです。
学校からの道草がどれほど楽しくしかも偉大な遊びでした。
わが国ほど、現在も世界中での「安全性はトップ」ですが、
日本の安全性こそ「交番」がKOBANと言う国際語になりました。
しかし、集団登下校の安全性まで破壊されてしまったようです。
その行列に無謀運転者が殺人事件を起こします。
そしてその犯人には信じられない「人権裁判」が行われます。
したがって、無差別の児童殺傷事件があった小学校には、
「学校の防犯の研究機関」まで設置されています。
私の「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」では、
防犯、特に児童保護や学校での防犯対策も大きな使命です。
この講座は、正式には今月末に大阪府警察本部長の、
基調講演からスタートすることになっています。
それだけに、「また、児童への危機管理は?」ということで、
なんとかプロダクトデザインでの「難問解決策」を考えています。
私の方針は、もっと警察装備のデザイン化があります。
米国では、学校で射撃犯罪事件がありますが、
学校にも機関銃までも設置すべきというような発想は大間違い。
防犯と警察の社会的な権力構造の変革が必要だと思っています。
警察大学校でも幹部候補生には「デザイン」の講義をします。
これは私の生い立ちに直結しているのです。
なぜなら、私はノンキャリアであった刑事の息子であり、
父は最終的には福井県警の警視正として刑事部長でした。
だからこそ、防犯とデザインの関係においても、
このような事件を見るたびに、とても焦ります。
まして、犯人が精神障害だったと聞けば、
このような事件を起こす犯人はすべて精神障害者ですから、
決まって生ぬるい人権先決裁判そのものが間違っていると思います。


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