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Posts Tagged ‘造形デザイン’


『手にぴったりの60−30の三角定規だけです』


   


     7月 8th, 2019  Posted 12:00 AM

三角定規は、45−45、60−30、が組になっています。
私は、スケッチにこの60−30の三角定規だけを
唯一の定規としてこれまでも使ってきています。
この定規は、私の掌にぴったりであり、これを回すことが出来ます。
三角定規もいろいろ使ってきましたが、回せるのは、これだけです。
だから、私の愛用ツールになっています。
これだと、60−30でスケッチが描けますから、
私の「直線的造形」を支える一本のツールです。
最近では、スケッチも車椅子ゆえ、タブレットを利用することが多く
あまり使ってはいませんが、45度に傾けて使えるのです。
そして、清潔に管理するのにトルエンが今では手に入りませんから、
除光液を使っているのです。
現在、秋に発表するスケッチでは大活躍です。
時にはペン回しのように、この60−30を回します。
寸法に関して、このところコンピュータ上だけで設計管理していると、
100分の一の寸法がとても「変」なのです。
たとえば、図面で書けないはずの82.25などといった寸法になっています。
82、82.5、80にならないのかとか、あるいは83の検討をすべきです。
造形デザインでは、10分の一なのです。
発想を生み出すスケッチ、寸法を管理する手描き、
そしてこの三角定規なら、スッケチも図面でも使えます。


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『オリンピック・パラリンピックでの「トーチ」審査会』


   


     3月 21st, 2019  Posted 12:00 AM

東京での二度目のオリンピック・パラリンピックです。
しかし、これまでデザインに関わる国立競技場の取りやめから、
シンボルマークとその選出については嫌なスタートとなっていました。
世界基準に立つべきで、大衆選考による迎合的判断は残念です。
単なる経済的あるいは効率的な視点や損得勘定を超えた
審美眼と良識をもって、何よりも災害復興と
日本の未来を見据えた英断が重ねられるべきだと期待し望みました。
かつて、父が東京のオリンピックをTVで見て、
私に向かって「二度と日本では見られないだろう」と言っていました。
幸い、私は東京でのオリンピック、その「トーチ」の審査をしました。
4月に第1次審査、7月に第2次審査と開催され、委員会とも話会いました。
デザイン、燃料機構や環境と細かな点数配分による審査でしたが、
「解答」はすぐに私は見つけていました。
問題解決ができていないことや、文脈性の読み違い、あるいは
マンガで、造形デザインは決して出来ないことを証明し、
人間工学が根本的に間違っている。
さらには、縄文も弥生も無知な発想など
デザイナーの今時の風潮も知りました。
もちろん時間と能力をかけた提案とプレゼンテーションに立合い、
敬意を払い、その一字一句をくみ取ろうとしました。
審査会はデザイナーのみならず、
アスリートや各技術専門家等の構成からなるため、
重点の置き場所は異なりますから、実際やはり白熱の審査会でした。
ただ、デザインに重きをおいた審査委員たちは、必死にその審美眼を信じ、
レガシーとなる世界基準のトーチを選ぼうとその結果を導きました。


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12月25日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 25th, 2017  Posted 12:00 AM

12月25日 赤口(丙戌)

デザインが貧しくなっている。
家電製品も
自動車も
カメラも
「造形デザイン」は停滞している。

川崎和男の発想表現手法


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『極めつけの万年筆で「白」を確かめる』


   


     11月 22nd, 2017  Posted 12:00 AM

「白」工業製品で確認するには、
この万年筆とボールペン・ローラーボールペンで明らかになります。
もういい加減にこの趣味は辞めるつもりですが、
カーデザインにしても、皮革の白にしても、「白」には、
実は大変な「白」が一杯あるということです。
右から、ベルサイユ、スーベレン白、そしてグレタガルボ、
私が万年筆で選び抜いた最高の白とその比較ができます。
ベルサイユでの金との組み合わせは、これは多分最高の商品性です。
スーベレン白は、やっと完成した最近の商品であり、
スーベレンというこのメーカーで、
ほぼなんとか出来上がったそんな気がしてなりません。
無論、万年筆の黒・ブラックには、つや消しと光沢仕上げで、
黒と言えども明確な差異性があります。
ところが、白に至っては、
スーベレンでもおそらく何度も試しことでしょう。
やっと商品が出来上がったという印象です。
グレタガルボについては、この形態言語での白と黒の対比、
形態=かたちにおけるまさしく女優ラインには、
造形デザインのある意味では極致性が明白です。
ともかくこの三つだけでも「白」には色んな色があるとわかります。
最も、ここまで拘って見詰めているのは、
昨今の車や新幹線、飛行機の白には納得いっていないからです。
たとえば、色彩論的な考察で考えると、
古典的にはマンセルとオストワルトがありますが、
これらはほとんどが減算混合でした。
しかし、デジタルの世界になってからは、XYZ系で
アナログとデジタル相互性が必要です。
おそらく、一般的には拘りがないかもしれませんが、
繊維で綿と絹ではまったく白が異なるように「白」はどうするかです。
エスキモー民族が一番白表現の言語を持っていると聞いています。
ともかく、たとえば皮革での「白」は日本でしか染色出来ない、
そのようなこと程度ぐらいは知るべきです。

* 「ボールペンスケッチのためのモレスキン」
* 「欧州の紋章とタータンチェックから学ぶこと」
* 『ペンホルダーある組み合わせの筆記具は自分表現』
* 『手づくりから物事デザインと事物デザインを決める』
* 「書くための万年筆の真の意味」


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『葉っぱの葉脈、このデッサン力が造形に連動』


   


     9月 25th, 2017  Posted 12:00 AM

絵が下手だというデザイナーを私は認めないことにしています。
理由は3つあります。
● デッサンはしっかりと見て観察力がするどい
● 確実な形態ラインを描き出す
● だから形態言語になる造形デザインが出来る
私は美大受験の実技試験で、水彩画と鉛筆デッサンを受けました。
まったく美大受験のための水彩画も鉛筆デッサンもしたことの無かった私、
その私には受験生が持つ、大きな水バケツ、大きなホーロー製のパレット、
たった一本の高級なニュートン製絵筆、練り消しゴムを初めて見たのです。
したがって、美大入学後は再度、鉛筆デッサンや水彩画をやり直しさせられ、
周囲がどれほどみんな上手くてびっくりさせられました。
そして、とうとう父親は大学に呼び出しを受け、
このままでは、私は卒業出来ないとまで言われました。
しかし、主任教授や同級生に教えられて、
水彩画・鉛筆デッサンをマスターすることができました。
そして気づいたのは、絵、スケッチが上手いと造形デザインが出来ることを
私は一番に知ることができたのです。
そういう意味では、デザインを教える立場になって、
ともかくスケッチを描かせることにしています。
特に木の葉、葉っぱです。葉っぱは葉脈が走っています。
だから、この葉脈までをしっかりと描くことが基本中の基本です。
そういう意味では、レオナルド・ダヴィンチのスケッチは信用できます。
なぜなら、彼の葉っぱ、その葉脈はまったく正しいのです。
そして彼のデッサン力があれほど凄いから、
彼の造形デザインには深い意味が込められているのです。
まず、彼の自然描写からいわゆるネジや歯車、そうしたモノを利用した
様々な発明品のデザインは信用ができます。
ただ造形力は時代によって変遷されるある種の流行感があります。
しかし、ダヴィンチは自然描写と人体解剖図までがベースだけに、
彼の発明品は素晴らしいと言っていいでしょう。
よく、プロのデザイナーが「絵が下手だから」とかを平然と言いますが、
なるほど、造形力は私には悲惨な形態であると断言できます。
最近はデジタル化されて3D-CADで立体までが描けますが、
実際にアナログ=手でのデッサン出来ないデザイナーの造形には、
絶対に美しさはありません。

* 『現時点でのスタイラスペンの評価』
* 『英語に加わったオランダの異文化から美術用語が』
* 『「左手の論理」は左右利きを誘発する才能だと思う』
* 「自然から学んだはずだった・・・のだが?」
* 「扇子の季節、伝統センスが壊れ始めている」


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『長期使用と所有を見越していたワゴンの存在』


   


     6月 17th, 2017  Posted 12:00 AM

最近の商品、そのデザインでの造形デザインは
何かが欠落しています。
このワゴンは、もうどれほど長期にわたって商品として、
特にワゴンアイテムでは代表格になっています。
私にとってこのデザイナーは、学生時代から追いかけてきた人物です。
したがって、私世代にもイタリアでデザインを学んだ人には
彼の事務所出身者が何人かいるくらいです。
「ボビーワゴン」の愛用者は世界中に相当いるでしょう。
かつて、私もスタッフには、デザイン用具一式はこれだけとし、
Macintosh512kをスタッフ一人一台の時代もありました。
今、自宅にはこのワゴンがあります。
しかし、このデザイナーの代表作としてはこれよりも良いモノがあります。
もし、このデザイナー名を出したら、
せめて代表作を五つぐらいはあげてほしいのです。
したがって、デザイナー名をここで出すことをあえてやめておきます。
このワゴンが登場した頃には、建築界でも「カプセル化」という
造形言語が生まれた時期だと思います。
正直、もう40年近く使ってきて、
私はこの使い勝手がしっかりと分かった気がしています。
最も最近では、このワゴン、あるいはサイドテーブルとしては、
まあまあ3点程度しか無いとすら思っているのです。
大学人になって以来、私のデザインワークでのモノ、
それはまず作品はとても難しいモノが多いのですが、
デザイン作品の審査をしていて、最終的に審査委員長として、
たとえばグランプリを決定することに追い込まれると、
二つのことが見えてきます。
それは審査委員の美的見識力があったかどうか、です。
もう一つは、選別した評価知識が存分であったかどうか、なのです。
このところ、三つの審査を通して、総評、さらには受賞作評価を書いていて、
自分が使用し所有するという基本に対しては、
時代的にはもう一つあるようです。
それはモノの存在が生み出すライフシーンというコトのデザインです。
言い換えれば、情報、あるいはアプリケーションやそのアルゴリズム、
あるいはプログラム化なのです。
この審査チームだと、コレを選ぶかも知れないという期待感、
その真逆の失望感があります。
そんな時、かたわらにあるこのワゴンの中を整理しようと思うのです。

* 『イスと空間、空間の質量を自在化するデザイン』
* 「エレベーターは徹底的革新必要」
* 『「アノニマスデザイン」の代表例に選んだモノが消滅』
* 『デジタルペンは効能性の再考である』
* 『大物主神から事代主神、このコンテクストの卓球台』


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『デザイン造形美は時間軸を超える存在になる』


   


     6月 9th, 2017  Posted 12:00 AM

日本のTVドラマに限らず、米国それもSF映画にまで登場している照明です。
おそらくインテリアデザインの決定的で代表的な要素のフロアランプです。
実際、私の自宅でも一室には、
このフロアランプの位置からソファ配置などを決めました。
たとえば、このランプがSF映画にまで在るとなると、
その未来にまで影響を与えるのだろうか、と私は思います。
しかし、このフロアランプはインテリアデザインでの
象徴的な造形デザインになっています。
SF映画にまで登場するとなると、フロアランプはその未来までと思います。
私は偶然New Yorkでこのデザインで有名なカステリオーニ氏に逢えました。
それはMoMAでの個展に招待され、彼にとっても最大の個展でした。
彼には「自分が柳宗理先生の教え子」だと言ったら、
もの凄く強くハグされていくつかの彼の作品の造形コツを聞く幸運でした。
そのこともあって、私は自宅にこのフロアランプのコピー商品ではない、
正当な照明器具を買い求めました。
いわゆるコピー商品はランプシェードの取り付け位置が違います。
TVドラマでは、すぐにあれは中国製だと分かります。
最近はジェネリック家具とかを教える馬鹿なデザイン教育者もいて、
物真似では造形デザインの肝心なディテールには気づいていないようです。
カステルオーニのデザインでは、
大まかな外観性だけを知っていることは
造形デザインの実際の詳細性までをしっかりと知るべきです。
モダンデザインの旗手として、
彼のデザインはお手本だと認識しています。
かつてサルトルは「想像力」について、
「非現実化」させる機能を意識的に働かせると言っていましたが、
私はその機能は性能と効能を認識出来ることがデザインであり、
そのデザインは問題解決の美的造形力と定義しています。
そういう意味では、カステリオーニのこのフロアランプは、
計算された大理石と大きな円弧のシャフトと球的なランプシェードです。
「非現実的」な想像力からの造形美は時間軸からも解放されています。
そしてこの照明器具という「モノのデザイン」は、
その室内での「コトのデザイン」は時間軸も超えた様々な出来事なのです。
しかし、このランプが非在するのは、照明システムがワイヤレス化時に
形態は変容するでしょうし、それは自分デザインへと思っています。

* 『インテリアデザインからの拡大・森田恭通のパリ個展』
* 『最先端ラボラトリー展にて講演」
* 「自動車デザインはもっとビジネスジェット機から学ぶべきだ」
* 『想像力を今また熟考を毎日繰り返している』
* 『研究室のMac環境は最高性能の自分デザイン』


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「K7デッキのテープ配置とビートルズ」


   


     6月 7th, 2017  Posted 12:00 AM

K7というのはフランスでは、「K:カ・7:セット」テープを表します。
そして、カセットテープとビートルズの登場は同時期でした。
K7とビートルズが同一時期なことが生活での音楽シーンを変えたのです。
一般的には、カセットテープが平面から垂直に至るまでの
技術進化が困難だったことは知られていません。
私はAurexのデザイナーとしてオーディオ担当だったので、
カセットテープが垂直になるこの技術進化に、
相当に深くデザイナーとして関わっていました。
まだようやくカセットテープが斜め配置時に、
マリオベリーニのデザインでこのデッキが登場した衝撃は忘れられません。
ここまでのデザイン提案が見事に商品になりました。
もの凄く大きなショックでした。
それは当時カセットデッキでのテープを垂直にするエンジニアまでも脱帽。
その商品化はYAMAHAでした。
YAMAHAのオーディオ機器が決して売れないと言われていた木目は、
逆に大ヒットになりました。
しかし、当時若かった私ともう一人の若手エンジニアで猛反対した素材、
それはベリリウムのスピーカーコーン。
それこそ、今でも使っている馬鹿メーカーがありますが、大問題素材です。
いわゆる環境ホルモン問題を何ら解決していません。
ところでマリオベリーニのデザインは私にとっては夢の造形デザインでした。
彼のスタジオには大きな発砲フォームのモデル製作器があるとのことでした。
最近では次世代デザイナーは、彼の造形デザインを熟知していません。
これは工業デザインにとって大きな問題だと私は思っています。
いわゆるデザイン知ったかぶりする連中に分かるでしょうか?
このデザイン造形の美、造形デザインでの美です。
すなわち、造形デザイン・デザイン造形は「美しいモノ」づくりであり、
それは「コトづくり」デザインを設定するということです。
「コトのデザイン」が優れていても
モノのデザインに美しさが無ければそれはデザインとして失敗であり、
ましてデザイン受賞できるモノでは無いということです。
このK7デッキのデザインが象徴的です。

参考:Aurex 私デザインは5060

* 『K7の最高機種デザインはAurexデザインだった』
* 『ビートルズに出会った世代の幸運さ』
* 「メディアアイテムの変遷が青春時代だった」
* 「ヘッドホンにはヘッドホンアンプ必要なり」
* 『スマホは使用感だけでは技術進化は見えない』


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『デザインは造形美での問題解決とその進化』


   


     6月 6th, 2017  Posted 12:00 AM

デザインが大きな誤解の中に封じ込められたのは、
デザイン教育を受けても、デザイン=造形が出来なかった能力です。
そこで彼らは二つの言い逃れを準備したのです。
一つは「モノのデザインとコトのデザイン」。
もう一つはデザイン造形の才能無しを気づかれないようにと知ったかぶり。
この知ったかぶり輩や、コトのデザインを強調したデザイン評価です。
さて、私がフリーとなって取り組んできたデザインでありその代表作には、
壁掛け時計と置き時計があります。
しかし、美大時代には1960年代の、
素晴らしい造形デザインを出来るだけ知り尽くそう、それが勉強でした。
まず、楕円形はコンパスで描きだすことができます。
そしてこの楕円柱を斜めに切断したときには、必ず正円が出来ます。
この正円を見いだしたデザイナー、
その彼の造形デザイン力はモノのデザインを見事に表現していました。
したがって、この造形デザインは、
私が時計デザインの「造形性」あるいは「造形力」の目標になったのです。
この目標感は変わっていません。
したがって、デザインには進化が必須なのです。
デザインの進化とは、「造形力」そのものの発見と発明が問題解決し、
明らかに存在価値という価値性があるかどうかです。
このところ立て続けにアンケートが雑誌社から私に仕向けられました。
東芝問題、メガネデザイン問題、今生活の中で評価出来るデザイン。
ともかく今夜改めておそらく1960年代のこの置き時計この造形デザイン、
造形デザイン力こそ、
デザインが「モノのデザイン」として進化形であるデザインは重要です。
しかし、この置き時計は不易です。
そのデザイン造形・造形デザインの「美」だと私は確信しています。

* 「日本で最初のスクリプト体・恩師のデザイン」
* 『まだ私デザインHOLAは動いているしかし無情合掌』
* 『理念という思想からの発明がデザイン造形を決定する』
* 『「時計」はデザイン対象、デザイン力量が試されている』
* 「『まさか』=想定外をめざす詳細造形」


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『理念という思想からの発明がデザイン造形を決定する』


   


     4月 23rd, 2015  Posted 12:35 AM

「柳宗理生誕100年記念講演」の資料を再整理しています。
再整理をするなかで、私には柳先生の笑顔はあまりありません。
それは大学入学直後はもちろん、卒業制作でもいつも
私は生意気な反抗を繰り返していたからだと思っています。
「お前の名前を覚えておく」ー(覚えてもらえた!)
「どうして、絵を描く?」ー(レンダ、スケッチ上手くなる!)
「なぜだ?」ー(私はそうなる時代を創ります)
「なんで、車イスになったんだ!」とかのセリフが聞こえてきます。
それでも、
「先生の生誕100年では、僕が話をします!」
(先生は怒ってしまうかな、いや、護り抜いてきたから大丈夫です)
最近、デザイナー志望の学生達は先生の名前も知りません。
先生のデザイン、造形デザインを私なりに論理化するつもりです。
先生の造形デザインには独特の楕円構造があります。
私はパロールとしてのオーバル造形とラングとしてのエリプス造形、
そして柳宗理のスーパー楕円構造です。
柳デザインといえば、バタフライスツールがあり、
このスツールは、先生が金沢美術工芸大学教授になった、
その翌年1956年だったということですが、
この木工企業の元デザイン部長が、現代寸法への変換では、
先生のやり直しの連続その苦労話をいっぱい聞いたことがあります。
私が最も学んだことは、デザイナーとしての理念は思想であり、
強固なるゲマインシャフトからしか、デザインは生まれないこと。
アノニマスデザインを常に手本とする創意工夫は、
伝統が創造であり、それは発明でなければいけないことでした。
私のデザインは、それを素直に遵守してきたという自負があります。
先生がシャルロット・ペリアンの直感判断を確信したがゆえに、
偽物を見通していたことは、私はなんとしても引き継ぐつもりです。
先生が私に笑顔を見せてくれたことがありました。
それは、私が金沢美大の卒業制作批評で、
「たとえ玩具の動物でも、バラバラにする遊具などあり得ない!」、
その判断を学生に言ったら、振り向いて、
(そうだ、よく言ったな!)と笑顔で振り向いてもらえました。
記念講演をめざして、私は柳デザイン全てを心に包み込むつもりです。

柳宗理生誕100年記念講演


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