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Posts Tagged ‘透視図法’


7月7日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 7th, 2020  Posted 12:00 AM

7月7日 先負(辛亥)

『関数としてのデザイン』

視覚的理解による
形態把握と
認識的理解による
形相把握を
次世代エピステーメーとして
構築出来る可能性が、
それこそコンピュータの
画面上に新たな透視図法として
見えてきたと
考えるべきではないだろうか。

artificial heart:川崎和男展


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『商品価値のための特徴と特長のイコン=アイコン』


   


     9月 8th, 2016  Posted 12:00 AM

自分の記憶が曖昧なのですが、
「アイコン」をパソコンで知ったときに
ある小説と、もうひとつはロシアの美術学校で伝統的なイコン制作を
TVドキュメントで見たときでした。
したがって、今なお、イコン=icon=アイコンを連鎖させているのは
ロシア正教やカトリック教での正教像、そこから画像や図像、イメージで
パソコン画面上でのアイコンに結びつきます。
この源は似姿、印象、イメージが米国での哲学用語として、
ピクトグラムがアイコンとなって、一目でわかるということになりました。
改めて、正教画であった図像では平面図表現に透視図法までの歴史は
アイコンとして、コンピュータ画面上での動画に変化していくことに、
とても似ているように思います。
自分デザインでは、あるメーカーの16×16のアイコンは16進法で制作し、
やがてこの手法から32×32のアイコンづくりをした経験があります。
ところが、コンピュータ画面上でのアイコンは、
今ではすっかりとブランド商品の
「特徴と特長的なかたち」表現になっています。
昨夜は、万年筆でモンブランとペリカンを取り上げましたが、
このアイコン、すなわち、「かたちの特徴=特長」の明確さが
商品価値になっていることを日本のモノづくりはすっかり忘れています。
TV-CFであろうが、単なる応答商品や回答商品であっても、
アイコンの重要性をあらためて、こうした正教画像とともに再認識が
とても大事と思っています。

* 「人形・ワイフのコレクションにみる『ブランド価値』」
* 「健康自己管理としての血圧計の見直し」
* 「手旗信号、モールス信号、子供の頃から現代まで」
* 『忘れるなかれ、デザインは正面にあらず』
* 『デザインは解である』


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「資本主義からの逃走」
     「3D情報の錯視化によるメタメディアの起動」


   


     1月 25th, 2011  Posted 1:10 AM

3D情報の錯視
透視図法による現実描写。
この描写は、2次元平面に立体が存在。
そして、この描写は視覚的な錯覚を起こします。
代表的な図・絵画としてはエッシャー作品があります。
あたかも、立体ながら実際には有りようの無い世界観です。
もう一つは鏡像現象が立体的である時にも錯視が発生します。
私は、2006年・金沢21世紀現代美術館の個展で、
この鏡像現象を展示手法にしました。
床・天井・壁を鏡面とした空間にモノを展示すれば、
錯視によって、あたかも三階建ての吹き抜け空間が生まれます。
これは、設計段階では、単なる鏡像現象を狙っていましたが、
現実空間では、想像以上の錯視空間が生まれて、
鑑賞者に大きな驚愕をあたえることができました。
したがって、3D情報にはある意味では情報処理での、
錯視的な印象が起因するのではないだろうかという予感があります。
このやや危惧的な予感の反極には、
情報が3D化からnD化すれば、その情報質と高密度な感覚受容も期待できることも予想できます。
私は、錯視の運用によって、情報確認の直視=情報理解の深度化を最も期待するわけです。
そして、この期待感の中で、
情報の媒介となるこれまでのメディアそのものが変質するということです。
メタメディア・ホログラメディア
このメディアを、メタメディア、あるいはホログラメディアという名辞を考えています。
たとえば、6D-CADというのは、
3Dでの立体映像が、物質次元・時間次元・人員次元の設計変位によって変化します。
つまり、nD情報化のデザインは、
メタメディアもしくはホログラメディアそのものを発見し発明することだと考えます。
新たなメタメディア・デザイナーという職能が要請される時代、
そんな時代が眼前になってきているとさえ思っています。
電子出版という現状の流れのメディア変化というのは、
実は、メタメディアへ変貌しかかっているのでしょう。


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「資本主義からの逃走」
     「3D映像画像による情報質の変化」


   


     1月 24th, 2011  Posted 1:33 AM

透視図画法から3Dへ
3次元情報は、絵画画法に顕著です。
絵画は2次元に立体的な表現を蓄積。
透視図法はピエラ・デラ・フランチェスカに始まりました。
ピエラ・デラ・フランチェスカを知った、
いや教わったのは美大での西洋美術史でした。
正直、西洋美術史は大学時代には日本で最高権威の先生方に教わっていました。
が、そのことを知ったのは社会人になってからでした。
大学時代の講義内容への興味ってきっとその程度だと思っています。
けれども、私自身大学教員としてはその程度でも「必死であるべき」と自分に言い聞かせています。
もう一度学び直したいと本当に思います。
日本での立体視、その絵画技法とは異なります。
日本の古代絵画は、いわばアイソメトリック的な図法に近接していると私は思っています。
三次元立体視、透視図、そして3D画像・映像というのは、
「情報の質」を変化させていると私は認識しています。
3Dから6D、メディア定義を変えるだろう
3D-CADからに光造形・ラピッドプロトタイプを最初にトライし、
トポロジー的画像表現の疑似立体化をしてきました。
そして、4D-CAD開発をデザイン手法に加えたいと考えてきましたが、
すでに、5D,6D-CADが実現されてしましました。
6D-CADを見たのは昨年(2010年東芝のある研究所)でした。
直感したのは、「メディア」の定義を変えないといけないと思ったことでした。
海外の3D-CADベンダーからは、
日本の設計手法が遅れ始めているという指摘もここ数年受けてきました。
3D-TVを日常化してから、私は「メディア」の定義を一新し、
その新たな定義によって、「情報の質」は確実に変わっていくと予知しています。


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