「100年・1000年に、一度は人間非在」
6月 10th, 2011 Posted 12:00 AM
100年に一度という定説。
しかし、資本主義経済体制は、
景気循環説として、修正復興により、
必ず修復ができると言われています。
しかし、1000年に1度と言われた大震災・津波は、
まったく「修正プログラム」を人類は持っていません。
私たち日本は、この1000年に一度を体験しています。
この天災に留まらず、
「フクシマ原発事故」には参考資料があります。
1986年・チェルノブイリ原発事故の歴史性です。
もっとも、その時の情報は隠匿されていましたが、
今ではそれなりに確認できます。
フクシマはその事故の70 分の一程度が放射能汚染とか、
私はこの数値比較はまったく見当外れだと思います。
それでも人類にとっては、大変貴重な判断材料です。
ここから徹底的な対策案を考え出す必要があります。
ところが、現政権はこの歴史性を無視しています、
そして学識者もジャーナリズムもこの詳細を無視です。
日本のシステム復帰は、少なからず、
チェルノブイリ原発事故から学び取るのが賢明です。
声高喧噪のまま、原電事故ゆえに原子力反対は、
浅知恵過ぎるとしか私には思えません。
チェルノブイリ原発事故時には、
乳幼児・小児、そして地域住民への避難対策を検分し、
十二分に参考にするべきでしょう。
そして事故後25年、「チェルノブイリ森」という場での、
自然体系・被曝地帯での動植物異常性にこそ、
これからのフクシマ、そして日本の自然環境見直しの
基本的条件があるものと判断します。
脱原発と同様にこの事態回顧を熟考すべきでしょう。
私なりには、「チェルノブイリ森」は人間が居ないこと、
よって、自然体系は即回復しながらも、
人間を遠ざけているという事実が気がかりです。
自然体系は、人間非在を求めているのかもしれません。
Tags: チェルノブイリ原発事故, チェルノブイリ森, 事態回顧, 人間非在, 修正プログラム, 動植物異常性, 放射能汚染, 数値比較, 景気循環説, 被曝地帯, 資本主義経済体制, 避難対策, 金融危機
Posted in 祈望から企望へ
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