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Posts Tagged ‘言語空間’


『鼻濁音は日本語から消えるが同時翻訳「器」となる』


   


     9月 10th, 2017  Posted 12:00 AM

日本語は世界的にも難しい言語だと言われています。
確かに、私世代は9年間も英語を学んでも、それは受験用にすぎず、
私自身、今なお苦労する言語です。
日本語でさえ、いくつかの困難さが明白に私が身体的にも認めています。
しかし、母音はたった五つですから韓国語の文法とは等しいにも関わらず、
母音は韓国語が日本語に勝って多く複雑です。
日本語の発音で単純な母音数に対して、やや難しいならば、
それは鼻濁音という発音系だと思います。
それはこの鼻濁音は「が」が「ガア」か「ンガァ」がありますが、
これは地域性と世代で、すでに現代の歌詞では、ほとんどが「ガア」です。
おそらく鼻濁音は無くなる気配が偲びよってきています。
私は美大での英語の授業はあまりに酷くて、仏語を4年受けました。
しかし、これも会話などとても駄目ですっかりと諦めました。
60手習いで、やり直しを周囲にも宣言して自分を追い込みましたが駄目です。
ともかく、仏語の発音体系は唇・舌・歯・鼻濁音のきめ細かさが圧倒的です。
ところが甥と姪は、小学時代にフランス語・英語を自らが望んで学んだから、
姪は大学入試では仏語で受験したとか。
とりわけ、発語するロボットデザインの時には、基本は日本語でしたから、
鼻濁音ははずし、ともかく母音にその形態を求めたことがあります。
ところが母音ながら、ア・イ・ウ・エは工学で可能でしたが、
オで技術困難になりました。しかし、幸い私には
発生訓練での息の流れにオのみ、真っ直ぐではなくて曲がる空気道でした。
それがVo-cal=Voice Calculatorとなり、それは人工発声器=人工声帯です。
ともかく、私の世代は英語だけですみましたが、
大学人になってからは英語ともう一カ国語、二カ国語を最初は指示しました。
しかし、これほどグローバル化とローカル化さえ同時進行の時代ですから、
欧米語圏とアジア圏の言語習得もと、
次世代にはできるだけ多くの言語習得をアドバイスしています。
ただ一流ホテルマンは5ヶ国語では駄目で6ヶ国語必要と聞きました。
ところが、もう一つは翻訳機は翻訳器になるスピードが上がってきています。
それは機が器になるというのは、
機は3次元:言語の母音+鼻濁音+文法に対して4次元、
つまり時間軸が同時通訳になるのはもはや本当に「間も無く」なのでしょう。
日本人の言語空間は閉空間に閉じ込められていましたが、
次世代には教育手法での多言語習得と
同時通訳「器」の進歩で支えられるでしょう。
しかし、結局は心あるコミュニケーションでの表現力は、
自分開発だけでしょう。

* 『デジタル表現の基礎は、烏口や用紙感覚も必要』
* 「手習いまだまだ諦めずに・・・」
* 「オノマトペ=感性評価軸が学術検証された」
* 『わが哲学の恩師・中村雄二郎先生』
* 「ハングル=表音文字・その根幹にある意味性」


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『出版システムそのものまで「デザイン」されたこと』


   


     8月 26th, 2017  Posted 12:00 AM

半年で二冊の書籍が出版されました。
これは出版システムの「デザイン」でもあると指摘することができます。
それは私たち工業デザイン界の
大御所である黒川雅之先生からの著作でした。
「野生の衝動」がこの2月に出版され、
先般は「PARADOX」も私にも贈本していただきました。
黒川先生は、元来は建築出身ですが、GKデザインでIDの世界観が入り、
数多くのデザインを成し遂げられました。
私が赤坂でフリー直後に、いわゆるファンレターを初めて書き、
返信をいただき感激しました。
以後、照明器具のデザインチームにも参加、先生監督で作品化。
bio賞とICSID(国際インダストリアルデザイナーズ協議会)特別賞、
この二つを私が授賞しましたが、会議は海外であったために、
出席されておられた先生が私に代わって受け取っていただきました。
「ギャラリー・間」、私の個展開催も先生が監修者でもありました。
しかし、先生からも喧嘩師を自称する私には
時折、論理背景づけでは叱責されることもあります。
この二冊の著作は確実に「物」と「空間」に喜怒哀楽「美しさ」がある、
この一文を持ってしても私はまだまだ鍛えられることがあると自省します。
おそらく、言語空間自体の使い方を再度自問させらる内容であったことです。
また先生は母校・金沢美術工芸大学・大学院スタート時に大学院教授でした。
よって、民藝という正確な表記とともにアノニマスの功罪論がありました。
かつて、SD誌に「カタストロフィー」のデザイン論が掲載されていて、
当時美大生であった私は「カタストロフィーがデザインに与える影響」が、
見事に美しいイラストレーションとともに掲載され、
そこから、私は先生の「物」を「モノ」と表現すると共に、
理論と存在が、私の中で醸成されたいったのだと思っています。
今般の出版はすべからくアジア人としてデザイン要因が8つ、
そして72の文章ゆえ、根本に九つの金剛界曼荼羅が、
明確に私たちデザイナーはイメージを要求されていると読み取りました。
おそらく、これからの私なりのモノから空間は、
先生からの提示である空間と物との「逆説」ゆえに生まれる「美しさ」を
私も生涯かけて取り組むことを指示された想いで一杯になりました。

#「野生の衝動」
#「PARADOX

* 『正しいデザイン手法としてのオマージュを熟知せよ』
* 『「場のちから」の「ば」と「ち」にあるデザイン』
* 『光陰へはただ祈るだけだと思い想っています
* 『アライアンスとして語るべきアンビエント』
* 「わが日常の仏様と幸と合掌と」


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