1月 2nd, 2018 Posted 12:00 AM
歳末に適塾記念会から「適塾」という第50号が届きました。
適塾は自宅の近くに保存財として戦火もまぐれて残っています。
耐震補強も一年がかりで修繕もすませている建物です。
私が最も敬愛している偉人の代表は、橋本左内です。
最近は橋本左内は忘れられていますが、
維新を成し遂げた志士ですが26歳、
安政の大獄で斬首の刑を受けています。
私は決して坂本龍馬が維新のヒーローだとは思っていません。
むしろ、昨年、歴史の教科書から抹消されるというのは正解だと思います。
単純に小説でのイメージが維新を成し遂げたとされているだけです。
それよりも橋本左内が書き残した漢詩が約460首もあったという論文でした。
今年はその460首すべてを調べあげたいと思ってしまいました。
そうして、橋本左内がふるさと福井藩であり、
親藩でありながらなぜ倒幕側であったのだろうかと、
江戸幕府=徳川家の家紋に行き当たりました。
この家紋は水戸黄門ドラマでは決めてになる「三つ葉葵」なのです。
そしてこの親藩すべてがこの家紋ながら、
日本文化に根付いてきている家紋は相当にあります。
当然ながら、この家紋の変遷はデザインでの C.I.マークとの
私は深い関係を見直しました。
この同じ家紋は、血統であり、思想も一致していたにも関わらず、
「なぜ」?が、今年最初の疑問になったわけです。
おそらく、橋本左内の漢詩と本来は二葉葵から創作であったこの葵の御紋、
これを追いかけることになるかもしれません。
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8月 10th, 2014 Posted 12:00 AM
絹織物の歴史は奈良時代から養蚕=繭から生糸の智恵が進化します。
明治期には生糸の輸出では、限界がきますが、
由利公正は、橋本左内と横井小楠から学んだ殖産製造制度から、
欧州視察で絹織物の実際を見聞して、織物職人3名を派遣します。
彼らは、富岡製糸場を指導し、西陣織りを再興して、
その技術に、経糸を二本に緯糸一本で「羽二重」という光絹技術が
やがて人絹となって、現代のポリエステル産業につながっていきます。
明治期が始まる大きな要素は、適塾・ペリー来航・安政の大獄、
ここから、咸臨丸の渡航1860から、1870年代にようやく、
わが国の文明開化の中軸は織物産業が輸出経済となったことです。
私は1800年代の歴史は徹底的に暗記するほど、
この頃の産業全体を関係づけてきたと思っています。が、
いつも、幕藩体制の維新が決して無血革命ではなく、
安政年間のあまりにも悲惨なこと、安政の大獄と安政の大地震が
現代への歴史起点だったと何度も確認しています。
小説では坂本龍馬や福澤諭吉に焦点があてられていて、それこそが、
あたかも歴史の体裁になっていますがこの大誤解に対抗しています。
わが最大の敬愛者・橋本左内は26歳で斬首され、龍馬も暗殺、
横井小楠も大誤解のなかで暗殺されてしまうのです。
生きのびたことが歴史に燦然と輝いてしまいます。
由利公正(藩士・三岡三郎)は五箇条のご誓文=船中八策原本と
銀座がレンガづくりの都市計画になりますが、
やはり、私には、日本が明治期を迎えて、文明開化の華やかさには、
一方で、大獄と大飢饉があり、斬首と暗殺の歴史哀情に悲嘆します。
特に橋本左内は16歳で「啓発録」を書き26歳までのたった10年間に、
凝縮された思想と行動に限り無い敬意を抱いています。
新ブランドの最初「O-FUKUSA」は彼へのオマージュです。
「蚕・繭・絹・・・観察が『技』を決める」
「『SILK』Projectが示唆している重大さ」
「芸術という技法が引用したことから」
「憧憬の人物、その実筆書状を探す」
「会えずとも、誤解されようが・・・私は語り継ぎます。」
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7月 29th, 2013 Posted 12:00 AM
私は「安政」年間こそ、
まさしく維新を呼び込む時代だったのではと思っています。
安政の大天災は大阪にも大変な津波を起こしたと言われています。
その記録は今も石碑とその側に記念書きが揃えられています。
「船では決して逃げないこと」、
この記述は、石碑に刻印された文字も毎年墨が入れられています。
あの津波に由来する地名になっている所もあります。
政治が悲惨なときに日本は天災に襲われるとさえ思っています。
最近は、太陽からの陽子量の変化・高層圏での電磁波異常は、
具体的にはオーロラの南下はじめ、
ほぼ都市伝説や、国際的な陰謀説まであるほどです。
ただ、具体的にマスコミ情報化している活断層と地震関係などは、
本当に科学的な立証性があるのかどうかは専門家でないだけに、
私自身はほとんど否定的な一つの予知論程度だと思っています。
むしろ、鳴門海峡でマグロの大量捕獲や、
紀伊半島でのウミガメや高知沖の鯨の死体発見に怖れがあります。
3.11で明白になったことにも諸説があります。が、
私自身はデザイナーとして、
「津波で流される車デザインのやり直し」と、
「火災・地震・津波に対抗出来うるエレベーターデザイン」、
この二つへの技術とデザイン変革を追いかけています。
そうして、昔からのほぼ、ことわざ的な言い回しです。
「天災は忘れたころにやってくる」ということです。
毎日、私たちが知らされているのは震度3以上ですが、
連日、日本列島では震度1?2は起こっています。
さらに、私は、琵琶湖と富士山で何事も無いことを祈るだけです。
大天災は、決して「人間と自然の調和」などはありえません。
自然の脅威に立ち向かえる科学などまだまだだと思うのです。
それこそ、自然である私たちの肉体、その生理、
対峙する医学や医療、特に外科的技術は知る度に、
自然現象である大天災と人間の生死の関係の恐怖が残っています。
したがって、この安政年間の記述は後世への知恵です。
私は「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」も、
この一つ、後世への知恵の記述になるべきだと考えています。
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5月 24th, 2011 Posted 12:00 AM
少衆・分衆・個衆という呼称がありました。
大衆の価値感が分化していくという意味でした。
「価値感の多様性」というのは、
1980年代から、日本市場の読み方が始まったのです。
この当時私はフリーになったので、
時代的な特性の読み方をプロとして覚え始めました。
それはフリーランスデザイナーとして、
デザインを商品化していく上での市場分析でしたから、
記憶は今も連続しつつさらに時代を凝視してきました。
この読み間違えをしたデザイナーは消えました。
私がほぼ40年間、日本の市場には、
「価値感の多様性」は起こってこなかったと見ています。
「価値感の多様性」というのは、
マスコミの怠慢的な説明に過ぎなかったのです。
それを大手広告代理店が商品の「差別化」を、
アジテーション・プロパガンダする手段でした。
わが国日本は一言語一民族ということでは、
価値感がいつでもある方向に収束していく、
きわめて秩序ある群衆という大衆だと評価しています。
決して価値感は多様化などしていません。
むしろ、少衆化と分衆化は起こっていますが、
この分化も群衆化という無秩序性にならないという、
ある種の担保的な価値感枠組みに過ぎません。
結果、政治への不信感が高まれば、
決して群衆的な無秩序さで「革新」などには到りません。
「革新」というより、
今なお「維新」という呼び方が好まれる次第です。
秩序ある群衆には全く「価値感に多様性」は無いのです。
秩序ある群衆としての力は、
必ず、一方向へ収束するでしょう。
それでもこの力こそ、
国難を乗り越える底力になるのかも知れません。
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12月 27th, 2010 Posted 12:00 AM
「ことば」とかたちの相対論
私の行学は、「ことば」ありきです。
「行学」としての私のデザイン、
まっすぐに「ことば」と「かたち」、
その相対的な構造性・関係性を修練研磨する学域として求めています。
「かたち」に私の美意識を希求する基盤はなんといってもことばです。
そして、ことばではとても表現仕切れないこと、
それこそコンセプトになりきらない造形が極値造形と呼んでいます。
これは「言語道断」(道元)への修練ゆえ行学目標です。
今年は、いくつかのことばの再考と定義確約、さらにあらたなことば定義を求めています。
これを私は、「ことばの行学」だったと考えます。
とりわけ、このブログで使用する語彙がサーチワードとして一日200語近くなったことは、
一つの成果だったものと判断しています。
いくつかの言葉がありますが、なんといっても、「名詞+名詞」という英語表現、
「情報」がやっと整理できました。
「アプロプリエーション」を徹底検証しました。
これをデザイン用語に持ち込み法学への提示になったことは成就成果だったと自負しています。
また、今年は、わが国日本の政権交代にどれほど、
現政権はじめ、政治という「制度」に落胆したことでしょうか。
この落胆から自らを解放するにも、「ことば」の問題がありました。
私は、島国日本を「花綵の国」と呼んでいます。
一言語一民族ながら資源無き国家の歴史観はすべからく「言語体系」に依存してきました。
したがって海外語が邦訳されてこそ、
日本の文化観から文化感が形成されてきたものとさえ認識することができます。
「情報」も「情勢報告」であったり、
「経済」も「経世在民」であったりという邦訳が正確だったのかは、再確認が必務です。
特に、歴史観でのことばの曖昧さに気づいています。
この語彙集編集が最も重要かもしれません。
「明治維新」の「維新」というのは正しい表現用語だったのだろうかという疑念があります。
そのまま「維新」を引きずれば、226事件「昭和維新」を想起します。
だとするなら、「平成維新」という言葉表記には、
相当の甘えと曖昧さがあることを指摘しておかなければなりません。
そんな中で数学術語も、私にとっては「かたち」への近接手法ですが、
いくつかの邦訳自体の誤訳かもしれないことをを見つけていることを告白しておきます。
来年は「ことば」の行学を、デザイン実務の下敷きにしていく所存です。
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Posted in 061「”行学”に向かって」, 資本主義から逃走せよ!
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