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Posts Tagged ‘社会観’


「LSIに封じ込められている。だから、Don’t let me down!」


   


     5月 27th, 2013  Posted 12:00 AM

確実に「自分だけを信じ込む」こと。
正直、私の想像力、直感、断言する予知は、
世界が気づくまでには10年はかかるのだろうと思っていました。
フランツ・カフカに自分が魅せられたのは、
「職業」と社会、彼らの大きな教会観はそのまま、
私には産業・企業・デザイン界が社会観と同値でした。
2004年にこの作品を発表し、
2006年には金沢市に買い上げられましたが、正解だったことを、
現在はとても強く、あらためてやっと叫ぶことができます。
わが国は、いつまでもLSIが、
産業の「米」=日本の資源だという錯覚を捨てるべきです。
もし、現代文明の諸悪の根源を上げるとするなら、
アトムとビットの関係、その根底にある集積回路=LSIです。
もし、今後も日本の「米」にするには、
マイコン発想と設計には日本人が必務だったように、
再発想と再設計をし直すモノになってきたと思います。
フランツ・カフカの有名な「変身」の書き出し、
「朝、起きると私は虫だった」、というのがありますが、
むしろ、それよりは「流刑地にて」が参考になると思います。
この物語りに登場する「図案家」をデザイナーとすれば、
なぜか、自分に覆い被さる気がします。
人間は感情に支配されればされるほど、
陰の世界に閉じ込められます。
感情=陰という中国的な解釈は見事に当てはまるのですが、
感情の陽性化=Don’t let me down!でLSIに取り組み直すことです。
私は、これまでいつも10年先を突っ走っていると自覚し、
思い切り、時代と共時できずに落ち込みますが、
実装設計の現場に問題をデザインで提示しながら、
なんとしても、わが国こそ「革新をリード」できる国だと、
思い続けてきました。
電子回路が複雑、つまり、私たちの電子への要望が強まれば、
そのままに、LSIは発熱します。
10年前の予測、自分の未来感への予知は的中していたようです。
これを解決出来る胆識が、
今の日本には、残念ながら非在だと言わざるをえません。


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「3Dプリンターでクラインボトルが出来た!」


   


     5月 21st, 2013  Posted 12:00 AM

私がこのところ連続してここで記載してきたこと、
それは3Dプリンターの未来への真偽でした。
昨日、3Dプリンターでクラインボトル、
それも鎖状につながったモノが、ある「技」で送付。
FBに記載したら、目的は?とか、
出来たからそれがどうした?、という質問がありました。
私は面倒だから、
それが分からないなら、デザイナーなど辞めれば、
教えることも辞めればと、ほとんど呆れました。
そのような質問は、デザイナーでも教員でも時代遅れ。
私が、このところ米国ブームの3Dプリンターを、
日本の「技」こそ、必ず乗り越えることを主張していました。
だから、モノづくりに関わっていれば、
「型」と「版」で19世紀から生産が縛られていたこれまでから、
本当の「革新」ができると考えてきました。
現に、光造形も日本の発明でありその技術進化が、
「ナノテクノロジーと生体医工学の進歩」になったこと、
こうしたことがこれからの日本の技術だと思っています。
したがって、ブームの真偽性を確かめるならば、
 ● 光造形のデメリットが3Dプリンターのメリット?
 ● 3Dプリンターのデメリットが光造形のメリット?
こうしたことがありうるのだろうかと、
わが国で3Dプリンターの「技」ある人物たちにお願いしたのです。
相当にデータのバグやら、どのように造形していくかは、
トポロジーの空間内の形態化でなければなりません。
もし、これが可能になれば、
私たちの工場は、自宅のテーブルの上になるでしょう。
それは、現代文明の革命になります。
革命=イノベーションを提案した人物は誰だったでしょうか?
彼は、イノベーションの効果後まで予測していました。
まさに、現代はその緊縛性の中に世界と日常性があるのです。
しかし、廉価な3Dプリンターに「技」が加われば、
ここまで完成させることができます。
あとは、精度や素材の問題であり、データの需要供給だけです。
そして「何を創るのかでしょう」。
「誰ができるのでしょう」、
「さらに進化は?」ということです。
今や、3Dプリンターで銃器がつくれるという問題などは、
銃器の概念とその構造や効能性という社会観に問題です。
私は、この実験によって、
日本でこそ、この「技」で革新のリードができると思っています。


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「資本主義からの逃走」
  「日本株式会社のブランド戦略その再構築」


   


     2月 19th, 2011  Posted 12:00 AM

ブランド戦略は同一性を創らず
まず、ブランド戦略が企業戦略第一義は不正解です。
ブランド戦略に翻弄され始めた企業戦略は、
根本的に間違っている、ということを指摘します。
理由は、簡単明瞭です。
企業は、「社会的な存在性」・「国際的な存在性」を明確に支援される必要があります。
その社会・国家・国際環境が激変すれば同一性判断を見誤ることになるわけです。
「社会的な存在性」というのは、まさに同一性が確認されていなければなりません。
それは、企業C.I.の見直しでもなくブランドという区別明示の目印作業ではないということです。
よく、ブランド戦略が企業C.I.につながっていくとか、
企業C.I.とブランド戦略がつながっているという言説、これが基本的に間違っているのです。
ブランド=焼き印という区別銘柄づけが同一性を社会に訴求していくという考え方、
この思考そのものを廃棄する必要があると私は思っています。
つまり、企業が存在する「社会観」・「世界観」が変貌し変質し変化していることの認識が
当然に十分でなければならないのです。
少なからず、政治性・企業性・国際性・投資効果性・イメージ性など、
すべての構造変革が毎日日常的に変化していることを直視する必要があるということです。
再構築という新創造
このブログも4年目に入りました。
ずばり、「資本主義」を廃棄する時代・社会の中で、
実際的な企業という構造・形式・内容・イメージすべての連関性と連鎖性を終焉させることです。
新たな「同一性」創出に向かわせる時期に入ってきたと確信をしています。
特に、日本株式会社のブランド戦略は、日本のアイデンティフィケーション=同一性を、
維新ではなくて革新する時代だと認識するべきなのでしょう。
したがって、新・日本株式会社のブランド戦略などはありえません。
まずは、日本の同一性の再確認から何を焼き印=ブランド化できるかを考え直したいと思います。
この考え方を分化すれば、日本のすべての企業に当てはまることになるでしょう。


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『資本主義からの逃走』
「物質・形容されるモノの価値とモノの形容価値」


   


     5月 25th, 2010  Posted 12:01 AM

モノ価値
モノ=人工物質を私は意味しています。
が、このモノは製品もしくは商品です。
そしてこの製品価値・商品価値は、「形容」されること、
あるいは価値の形容というのは現代性の社会観、
その価値付けが最も重大になってきています。

かわいい
たとえるなら、「かわいい」という価値感があります。
私は「かわいい」というのは価値観にはまだ至っていない、
この認識が明確にあります。
つまり、「かわいいモノ」と「モノのかわいさ」が、
そのまま商取引・資本投下での投資効果になるわけです。
この投資効果こそ、経済活動の活性度になっています。
この活性度が、資本主義経済の現代性になっています。
特に、先進国家や自由資本主義経済体制が整備された市場では
顕著な価値感覚になっています。
まず、「かわいいモノ」というのは、
物欲に対して「好き」という感覚のある意味では、
直感的であり、幼稚さや、所有感覚の素直さに連動しています。
それに対して、
「モノのかわいさ」というのは、
そのモノと自分との対照性を顕示する物欲になっています。
そのモノを所有することで、
所有者自身にかわいさを反映・反射させることに連動しています。
あらためて、その「かわいい」という形容価値には、
モノ価値論を、「形容」という付加性があるということになります。
そこで、もう一つの「形容」をあげておきます。

品
それは「品のいいモノ」と「モノの品性の良さ」です。
これもほとんど、「かわいい」と「品」が、モノに対しての関わり方、
構造性につながっていることは明らかです。
この構造性こそ、デザインの本質につながっています。
そして、私がデザイナーとして目指すべきは、
「品」・「品格」ある品質を「形容」できるモノのデザイン。
デザイン設計による「品のあるモノ」・「モノの品格」です。
無論、「かわいい」という形容にも、
「品性」があることは充分に理解し容認する姿勢です。


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