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Posts Tagged ‘現政権’


『「火垂るの墓」は確実な反戦論理だけど・・・』


   


     12月 9th, 2018  Posted 12:00 AM

「火垂るの墓」このアニメーションは、毎年の夏にTV放送されています。
一番の戦争反対の、日本の論理だと、私は思っています。
ワイフは、もう繰り返し観るのは辛いと言います。
真に迫るそのメッセージ性は記憶の中に留まっています。
「戦争」は、私の世代では日本人全体が反戦論理だと考えます。
「火垂る」は、戦時中の空に降り注ぐB-29からの爆弾、
蛍の美しい命の光と、さまざまな光が交差します。
節子という登場人物は、作家 野坂昭如の体験であったということも、
私には心に残っています。
節子がいつも持っていた「ドロップス」。
先般、コンビニで久しぶりに「サクマ式ドロップス」を見つけました。
私も、飴を全部食べ尽くすと、
このカンカンに綺麗な水を入れて飲んでいました。
懐かしいなと私自身の思い出を単純に引っ張りだすだけでなく、
同時にこの「ドロップス」は「火垂るの墓」と反戦論理とともにあります。
今や専守防衛の理解と憲法改正といった現政権の大きな主題は、
直接的な戦争も出来るという論理展開につながっているのでしょうか。
誰だって戦争は、反対ですが、
戦争で領土が取られた北方四島は、専守防衛では返還されていません。
さて、作家 司馬遼太郎は『21世紀に生きる君たちへ』で
未来に向けたメッセージを送っています。
デザイナーである私は、専守防衛でも攻撃出来る戦争論理の象徴が
ことばとかたちでいのちときもちに向きあい、
未来への目印をつけていきたいと思います。


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『大津波、その対策が地元反対を無視して進行している』


   


     10月 22nd, 2014  Posted 12:00 AM

私自身、3.11の特に大津波の現状を石巻から女川までを
つぶさに見詰めて、正直、泣けて泣けて現代を共時している、
大きな悲しみをいっぱい味わいました。
しかも、前政権の防災大臣にプレゼンまでして、憤りました。
この政権は、国を滅ぼすと実感し、若いキャリアや、
田舎の行政マンたちに大失望をしました。
それから懸命にデザインプランを何度も書き上げましたが、
現政権になって、相当に期待しましたがこの写真のごとく工事進行。
地元全てが猛反対であることを確かに聞いています。
しかし、この無謀なコンクリートの防潮堤工事は進んでいます。
どう考えて見ても、いわゆる政治的に保護された土木工事です。
大津波は海から襲ってきます。
これを避けるだけ以上に、襲いかかってきた津波の引き潮力は、
6倍から60倍という報告も明らかにあるのです。
つまり、引き潮力対策無しのこの形状は、海岸線を破壊しています。
現政権こそ、女性の力を、外交力をという期待をこの工事を見れば、
知性無しを露呈しています。明らかに土木業者と政治屋の仕業です。
そして、野党も結託しているのではとすら思えます。
マスコミが左翼的であることを正義にしているならなおさら、
この工事を、彼らは、この商売の裏側すら調べていません。
東北方面のあの美しい海岸線をこうして壊してその結果を、
日本全土の海岸線に適用させることは大罪です。
琵琶湖周辺の液状化は起こるでしょう。
首都直下大地震に自衛隊は東京湾のどこから入れるのでしょう。
富士山は大丈夫でしょうか。
南海トラフでは2分間34mが襲ってくることも分かっていますが、
それがいつなのかは全く不明です。
確実なことは、この10年以内70%での天変地異は起こるのです。
海岸線工事には土木工業以上に造船工業が関与すべきであり、
「ハコモノ」行政には厳しい市民の目がありますが、
この「海岸ドテモノ」の下劣さを私たちは真剣に停止させるべきです。

『現地の反対があっても愚策の防潮堤建設』
「相当困難だと思う」
「自然との喧嘩・調和などありえない」


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「現在の世論と行動は『群衆的』とは決して言えない」


   


     7月 25th, 2012  Posted 12:00 AM

昨今の気候は、異常を超えています。
異常気象というのはもう半世紀も言われてきました。
しかし、大豪雨、竜巻、落雷、大猛暑、
それも連続しています。
この自然現象と平行するかのように、
反原発からオスプレイ配備反対などの「デモ」を
群衆的行動と呼ぶことは、大間違いだと言わざるをえません。
私自身は、冷徹に反原発には「範原発」という思想と行動を目指し、
オスプレイのような新たな飛行機器にはたまらない魅力があります。
けれども、オスプレイの完成度、認知されている事故頻発からは、
とても軍備機器にはなりえていないでしょう。
そして、現政権=政治は、
「民衆」・「民衆的行動=デモ」を群衆的行動と見ていますが、
それはとんでもない政治判断だと指摘しておきます。
大阪では、「大阪維新の会」の動向が、
あたかも大政翼賛会のごとく語られています。
これも歴史認識・知的史観に、あたかも大豪雨や竜巻のごとき、
現代民衆の「知的構造」に大変動が起きていることを見逃しています。
大衆・少衆・分衆は群衆になり、
それぞれの群衆的心理性はこれまで語られ「定本化」しています。
これがもう限界を超えてしまっていると判断すべきでしょう。
もはや政治形態・政治形式そのものが、
「環境」と「遺伝子」が「情報、そのネットワーク」によって、
環境構造変化と群衆の遺伝子操作が進行してしまったのです。
それはたとえ、この群集心理を利用して、
未だに左翼的イデオロギーを再興しよう、
国家転覆を意図している輩も綿密検証されて見捨てられるでしょう。
政権交代を渇望していた時あたりは、
まだ「群衆心理性」が反映していたかもしれません。
おそらく、大衆・少衆・分衆が情報ネットワークでの学習効果は、
群衆を「新公衆」へと確実に進化していると私は判断し、
私自身、「新公衆」の一人としてこの祖国を想っています。


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「現代日本を憂う情報・憂国のパロール」


   


     7月 19th, 2012  Posted 12:00 AM

3.11以後のわが国・祖国を憂います。
ちなみに、大震災・原電事故・現政権への不信などを
ともかく、「日本の選択」から「反原発の思想史」から、
単なる商品書籍的な評論から、とんでもない粗悪本、
つまり右から左までを読みあさってきました。
最も私は祖国という表現をするほどですから、右よりと、
時には罵られているような書き込みも目にすることがあります。
「私なりの新保守主義」を創出したいと
目論んでいることは間違いありません。
基本は、父や祖父達が敗戦から創り上げてくれた「楽園だった日本」、
特に、日本の伝統美と自然美を護り抜きたいからです。
それも、デザイナーという職能で
表現していくことに徹したいと考えています。
私は、「政権交代」に賛同は最初からしていませんでした。
どうしようもなくて自民党に投票しました。
それは、民主党では経験不足は明白、
だからといって自民党という迷いの中でも政権交代には反対でした。
結局、そこにこの国難です。
的中しました。党則も無い政党は、イデオロギーさえ混乱していて、
「リーダーシップ力」など求める方が無理だったと思っています。
私は、もう政党政治も困難であり、
議会制民主主義も限界にきているという判断にいきついています。
それは、資本主義と民主主義に呪縛されてきた、
そんな現代史から開放される最期を見届けることになるのかもしれません。
「憂国のパロール」を私はデザインでささやかに支えるつもりです。


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「仕分けされたプロジェクトの重要性から現政権を否定」


   


     1月 6th, 2012  Posted 12:00 AM

大学人としてというよりデザイナーとしての最大不満。
それはもはや製品化は言うに及ばず商品化不可能になったプロジェクト。
現政権の政治判断能力を絶対に容認できえない実例です。
これはコンピュータとロボットによる高度手術機器開発でした。
3年間、国家機関から幾つかの旧帝大系大学合同により、
取り組んでいたプロジェクトでした。
ところが現政権の「あの仕分け」により中断させられました。
もはや一企業が開発できうるテーマではなくて、
幾つかの大学の医学研究科や工学研究科、
まさに「医工連携」+デザインが関与したプロジェクトでした。
しかし、お見事に「仕分け」されました。
私の「想定内」の出来事でしたが。
私は、「仕分け」にはもう一つの「仕訳」があり、
あの政治的パフォーマンスは「仕訳」だと言っておきます。
つまり、言い訳を聞く会に過ぎず、
「権力発揮」を見せつけたパフォーマンスだっただけです。
なぜなら、言い訳を聞いているにすぎず、
「仕分け人」の見識不足甚だしく
「権力」の意味にも無知だということです。
おそらく、このプロジェクトが示唆している未来、
特に、わが国の今後の産業にこうした医療ロボットシステムは必然です。
しかし、これを読み取れない政治集団には未来を任せること不能です。
案の定、3.11での狼狽ぶりは今も連続しています。
未来を見られない政治家はともかく議員定数を減らし、
さらに政治家資質を何らかの手立てで選挙民は知らなければなりません。
ともかくここまでワーキングモデルが出来ているにも関わらず、
中断、いや廃止させられました。
残念無念なことです。
無論私は大学人というよりデザイナーとしての経験からも
「必ず商品化」をめざしていましたから、
大学人の能力も十二分に確認することができました。
とりわけ、この医療システムでは「haptics」の考え方がありました。
そこで大学だとこうした思考法に陥ってしまうという現実も体験しました。
このプロジェクトに関与して、私にとっては大きな体験を得たことでした。
いづれこの詳細を書き残したいと考えています。

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「復興と救済のため元気に」


   


     7月 6th, 2011  Posted 12:00 AM

東日本被災地を見ると、
まだまだ救済が先決。
それを威嚇する政治家の存在、
人間としてありえない。
彼を代議士とした地域を彼は穢しました。
今回この国難が私たちに突きつけていること、
まずは反省と自省というのがそれぞれが引き受けるべき事。
その第一が、現政権を選んだこと。
日本人は穏やか過ぎるのかもしれません。
「節電」ということをしっかりと引き受けています。
それに罰則を与えるというのは、
私の経験では、「伝統工芸振興法」と同じです。
この法律は、沖縄返還時に、
沖縄の産業振興が直接的な動機だったと思います。
ところが、この法律にも罰則規定が設けられているはずです。
要は、すべからく報告義務を設けて伝統的な工芸技術伝承、
理解不能なことが罰則規定になっています。
法律機能の悲しさです。
私も法廷に立ったことがありますが法律には、
どこか、人間としての基本的倫理を押し潰すようです。
少なからず、私は被災地の人たちの「我慢強さ」に、
私自身が励まされました。
だから、まだまだ救済されていないことへの世論が必要です。
そして、復興というのは、
被災地ではなくて、本当は東京であり、日本全体でしょう。
現政権こそ、政治姿勢の復興がなされないかぎり、
実際問題としての被災地対応には進めないと判断します。
ゆっくりとしている場合ではありません。
ホテルはしっかりと「節電」を守っています。
にもかかわらず、
ある公益法人はかいくぐっていることを目の当たりにしました。
復興担当大臣というリーダー性に大きな欠落を知りました。
救済すべきは、リーダーたちの人間性だったのでしょう。
私たちは、ここから、被災地以前に日本そのものが、
復興しない限りは、被災地を救済もできなことを、
あらためて確認しなければならないようです。
日本が元気を回復することをともかく皆が意識することでしょう。

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