1月 11th, 2014 Posted 12:00 AM
TV放映では語り継げないことが多いことは明らかです。
しかし、私の表情を読み取った人たちは多かったのです。
私の恩師はすべてを読み取って二つの感想の電話がきました。
私がプロとして相当に押さえた発言をしていたかということ。
それでもTV出演しているだけの演技もデザインには必要。
私は今この日本が、特に大企業が国家を支えられず、
しかも若い世代は大企業への信頼感すら失っています。
しかし、やはり大企業だからこその真の力、
その偉大さ、尊大さと矮小さまでを識り尽くさない限り、
ベンチャー企業の起業能力は妄想にすぎないものになります。
いくつもの企業体験をしてきました。
特に、モノづくりとコトづくりをそれぞれデザイン対価で
評価判断もしてきました。なぜなら、デザイン対価にこそ、
デザイン職能の価値が規定されているからです。
結果、海外は明快にデザイン対価を取り決めます。
わが国でのデザイン価値とは大きく異なっているのです。
つまりデザイン成果価値をProfitとBenefitで峻別できます。
わが国のデザイン成果価値をそれこそベンチャー企業ですら、
未だに理解どころか分別もできないのです。
そのような企業が30年も存在することは不可能です。
Profitとは「金銭価値」=純利益であり、
Benefitとは「印象価値」=ほぼ経常的な利益と考えられます。
まず、「デザインする」という価値を、
デザイン対価=Profit+Benefitに出来る起業家には才能が必要。
もう私にはその才能も見極めがつくようになってきたと思います。
この自負心が正直に私には表情に出てしまうようです。
恩師にはそれを見透かされていましたが、まだ闘う覚悟です。
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9月 10th, 2012 Posted 12:27 AM
届いていました。
先般、松屋銀座での個展ギャラリーに2日通いました。
本当に久しぶりにアート作品を求めました。
早川親子の鍛金彫刻作品です。
アッと思うほど、惹き付けられました。
その夜に、あの作品群の中のアレを、
わが家のやっぱりスピーカーシステムJBL4343の上に置こう。
そう決心すると、ともかく会議前に求めておこうと決めました。
正直、仕事中も、
すでに自宅に作品が来ているイメージが常に浮かび上がっては消える、
そんな繰り返しが起こっているのは、
仕事への情熱を演技している連中への怒りを抑えられました。
「大企業病」というのは、
大企業にぶら下がっているサラリーマンの罹病だと定義できました。
それに引き替え、早川親子(父と息子)の作品は、
父がまずは師匠でありながらも、息子さんは二代目でも無く
この親子の強烈なライバル関係が清々しいのです。
この作品は息子さんの作品です。
生きている実感と社会での役割を凜と果たしているのです。
それが見事に作品に表れています。
彼らは、三重県で制作活動をされています。
いわゆる芸術関連の学歴などは無いそうですが、
そんなことはどうでもいいことです。
ところが、芸術系の学歴の無いことから作品への上から目線の人や、
この作品をロボットにして動かしたらとか、
LEDで光らせるべきと忠告されるそうです。
私はアート作品へのそのような期待は、
まあまあ一般的興味が膨らんだだけに過ぎないことだと思いますが、
つまらない鑑賞の仕方だと言っておきます。
もちろん、銅と真鍮という素材加工の技術性やその染色方法は、
高度でオリジナリティが存分であることが基本です。
しかし、もっと重大なことは、
「作品を私物化」したときに、その物欲と美学的な満足度を
どれほど真剣に「日常化」していく決心と作品への憧憬です。
私にとって、買い求めてまで側に置いて毎日眺めるのは、
常に、眼を透明にできる作品と出会うことです。
この作品は、これから私と一緒に、
私のオーディオ=耳と眼が共時性を持って、
生きている確認ができることです。
これから、この作品と対話したことも書き残したいと思っています。
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8月 13th, 2011 Posted 11:53 AM
人それぞれに闇があります。
この闇は生来先天的に秘めています。
そして、この闇が性分や性格として、
個性と勘違いされる以前には、
幼少で「悪魔化」します。
人間の成長期に現れる「反抗期」にその片鱗をみます。
正直私は一般的にこの時期の幼児や小児という種類、
その人間風を忌み嫌います。
これも一人っ子ゆえの生理的かつ心理的、
さらに動物的感情だと自己分析ができる老年域です。
となると、こうした闇の中=闇に包まれた人間と、
確約として心の中に闇を抱いている人間存在、
そして、闇など全く無い人物がいることは確かです。
人間と闇の関係は、以上のようにすっきりした範疇に、
決して留まることなくいわゆる「演技」が加わります。
しかも実態は「本心の中核・本心を包囲・疑心させない闇演技」です。
疑心暗鬼が万一私をおそえば、その解明、
特に、闇事であるにもかかわらず、
土足で踏み込んでくる輩には攻撃をするべきです。
今、国難の中、さらに時折また恐怖を与える地震列島にあって、
もっとも「闇の生産」によって、
責務放棄をしているのは政治そのものです。
資本主義社会と民主主義社会にこれほどの「闇」が潜んでいたことを
あらためて私たちは確認しました。
資本主義の具体例では、株主総会でのこんな質問回答が象徴しています。
「今後、この電力会社には夢を持てるのでしょうか?」
回答は単純明快だったそうです。
「夢などあるわけがなくなったことをお伝えしています」。
民主主義社会の具体例では、
「フクシマ原発の復旧には30〜40年は覚悟せねばなりません」。
30~40年寿命なきリーダーの台詞であってはならないのです。
この二つの政治経済的「闇」が私たちを取り囲んでいるから、
私たち自身、この「闇」には、
かえって無頓着になってきているようです。
確実に断言できること、
それは「闇があれば夢は破壊されます」、
そしてもう一方では、「夢があれば闇を消滅できます」。
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