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Posts Tagged ‘活性度’


「商店街・地下街は壊れていくのかもしれない」


   


     9月 8th, 2012  Posted 12:00 AM

大阪に来て以来、京都の地下街は私の遊び場になっています。
しかし、日本全国、地方の商店街、そして地下街も,
年々、その活性度を失ってきていると思います。
この京都の地下街は、来る度に商店の入れ替わりが多く、
大きな店舗である書店や洋品店などは縮小されていくのがよく分かります。
私は、フリーランスになって地方のデザイナーとして活動をしてきました。
だから、当時から地方都市と大都市比較を様々に調べてきました。
当時、大都市の条件を決めていたことがあります。
地下鉄があること、
地下街があること、
そして、著名なチェーン店舗があることや
競合しあうデパートがいくつかあることでした。
そこで、地方の商店街も
それなりの「地方色や伝統性」などの存在価値観の有無、
これはかなり重要な要因でした。
そんな大都市の商店街・地下街と
地方の商店街はすでに同等に寂れ始めていると言っていいでしょう。
これはデパートの存在価値が失われてきていることとも連鎖しています。
結局は、ようやく21世紀でのすべての街存在のパラダイムが
大変革し始めていると考えるべきでしょう。
大阪も最近は、デパートの新築や新たな駅前開発がありますが、
私は未来性を見通していないことを残念に思って見ています。
さて、先月、この京都地下街はいくつかの店舗が改装中でした。
今回新装開店されていたのは、
100円ショップやマッサージ店やネイルサロンなどでしたが、
大きなアクセサリーショップなどは店仕舞いされていました。
社会風潮がそのまま地下街に反映しています。
京都は観光都市ですが、
その観点からは金沢の地下街のような「京都らしさ」は皆無です。
地下街には絶対に店舗を構えないというブランド店舗があることは、
ある種のブランド・アイデンティティ・デザインポリシーです。
それでも、
この地下街から寺町通りへの観光プロセスが全く思慮されていません。
そして、今、最も恐れることは、
地下街にまでおよぶかもしれない天災への
防災対策デザインがあってほしいということです。
商店街・地下街は今世紀には大変革してしまうことを想像しています。


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『資本主義からの逃走』
「物質・形容されるモノの価値とモノの形容価値」


   


     5月 25th, 2010  Posted 12:01 AM

モノ価値
モノ=人工物質を私は意味しています。
が、このモノは製品もしくは商品です。
そしてこの製品価値・商品価値は、「形容」されること、
あるいは価値の形容というのは現代性の社会観、
その価値付けが最も重大になってきています。

かわいい
たとえるなら、「かわいい」という価値感があります。
私は「かわいい」というのは価値観にはまだ至っていない、
この認識が明確にあります。
つまり、「かわいいモノ」と「モノのかわいさ」が、
そのまま商取引・資本投下での投資効果になるわけです。
この投資効果こそ、経済活動の活性度になっています。
この活性度が、資本主義経済の現代性になっています。
特に、先進国家や自由資本主義経済体制が整備された市場では
顕著な価値感覚になっています。
まず、「かわいいモノ」というのは、
物欲に対して「好き」という感覚のある意味では、
直感的であり、幼稚さや、所有感覚の素直さに連動しています。
それに対して、
「モノのかわいさ」というのは、
そのモノと自分との対照性を顕示する物欲になっています。
そのモノを所有することで、
所有者自身にかわいさを反映・反射させることに連動しています。
あらためて、その「かわいい」という形容価値には、
モノ価値論を、「形容」という付加性があるということになります。
そこで、もう一つの「形容」をあげておきます。


それは「品のいいモノ」と「モノの品性の良さ」です。
これもほとんど、「かわいい」と「品」が、モノに対しての関わり方、
構造性につながっていることは明らかです。
この構造性こそ、デザインの本質につながっています。
そして、私がデザイナーとして目指すべきは、
「品」・「品格」ある品質を「形容」できるモノのデザイン。
デザイン設計による「品のあるモノ」・「モノの品格」です。
無論、「かわいい」という形容にも、
「品性」があることは充分に理解し容認する姿勢です。


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