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Posts Tagged ‘河川’


『セシウム除染を浄化し浄水が可能となりました』


   


     7月 9th, 2017  Posted 12:00 AM

5月の12/13日と福島県の飯舘村にて、
沼の泥水を採取し、現地にてまだ未発表(赤)ですが、
あるデザイン素材で134Csと137Csを含有している泥水を浄化しました。
その泥水と浄化水を大阪大学院に持ち帰り理学研究科の化学分析室、
専門領域でセシウム含有量を検査してもらいました。
結果、現地でデザイン素材(赤)をいわばフィルターとして浄化水は、
全くセシウム除去が、阪大研究室での実験同様になりました。
3.11での人災である原子力発電所大事故からの放射能、
その目安としてのセシウム除染は成功でした。
実際、東京都内の河川や湖沼はじめ、
それこそ豊洲での浄水装置である機器開発デザインが可能になりました。
これまで、フレコンバッグでの除染は不完全と想像していました。
実際に飯舘村の湖沼はセシウム汚染されている泥水の浄化が可能となり、
今後はデザイン主導によって、セシウム除染だけではなくて、
放射能からトルエンまでの浄化が化学的にも検証されました。
飯舘村のある湖沼、これはおそらく政府発表(環境省HP表示)の、
東京都、静岡県、長野県にまでセシウム汚染は拡大しています。
それこそたとえば、アフリカでデザインされたストローで
泥水を飲み水にしている、そのような紹介がありますが、
私はじめ招聘教授や研究室では、本当に可能であるかどうか、
それはセシウムを含んでいる泥水が浄水出来るかを、
飯舘村でも実験した、その結果を確認したのです。
これで除染はもちろん豊洲地下水の浄水化まで、
その可能性が化学的に立証されました。
急いで、デザイン主導での浄水化と除染システムの製品化を急ぎます。

* 『もう一度美しい国を再興するレジリエンスデザインを』
* 『セシウム除染もデザインが深く関与すべきだ』
* 『サスティナブルであるための原意と欠落点』
* 『ガンマカメラにより放射能は視覚化可能』
* 『除染されていない間伐材へのデザイン開発』


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『動物実験の詳細:深紫外線の消毒機器デザインで』


   


     8月 6th, 2016  Posted 12:00 AM

大腸菌は基本的には無害ですが、雑菌(こういう名前はありえない)です。
しかし、最近はO157などは大変な病原菌になっています。
大腸菌が河川や海などの環境汚染の指標菌になっていることからも
検査の指標菌であり、
一般的にはこの菌への影響力は基本的な菌存在の有無です。
まず、深紫外線での菌繁殖性を完全に食い止めることを指標にしました。
それから創傷直径8mmφをラット36匹を4つのグループに分けて、
 ● 創傷のまま:コントロール
 ● 検査用消毒薬を塗布
 ● 深紫外線 UVC256nm
 ● 深紫外線と消毒薬を同時塗布
これは動物実験の阪大専門の検査機関によるものを学び指導を受けました。
実に心配だったことは、毎日朝夕に結果を知らせてもらう2週間でした。
いきなり、4日目には深紫外線がすでに治癒が始まったとの知らせでした。
研究室では大きな期待が膨らみました。
フォトニクスセンターの回答は「えっ、デザイナーが」でした。
デザインはとても軽く見なされていると自分には怒りがありました。
デザインの実務は問題解決であり、阪大には腸チフスを発見した先人、
福井県同郷の学者・藤野恒三郎氏がいました。
彼は阪大の微生物研究所初代所長であり適塾での使用品コレクターでした。
彼は橋本左内を受け継いだ阪大の名誉教授でした。
ふるさと福井にも知られていませんが彼の著作は近代外科史の代表作です。
自分はデザイナーながら、この動物実験結果で、
深紫外線の表面だけの殺菌効果の推移を見詰め直していました。
結果、2週間後に全てのラット、その創傷は完全治癒しました。
しかし、具体的には、深紫外線と消毒薬の同時塗布、
ほどんど同様な治癒が深紫外線でした。
消毒薬とスタンダードである自然放置が明らかになりました。
ただし、これは表面とその表皮の顕微鏡写真で明白になり、
デザインからの論文は提出学会選びになっています。
同様にデザインは日本デザイン保護協会届けによって、
知財権:工業意匠権を確保したのです。

* 『「パラシリエンスデザイン」でのプライミング効果予測』
* 「安易な包丁デザインは絶対しない」
* 『倫理観の原点、その詳細の要点を語り継ぐ』
* 「『医の知の未来』適塾175年・緒方洪庵没後150年=大阪大学」
* 「大阪大学の歴史の一つに、藤野恒三郎の存在」
* 「ふるさと偉人の「ち」の系譜を再興したい」


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『「橋」を渡ること・その思い出とともに』


   


     6月 29th, 2014  Posted 12:00 AM

私の自宅は農人橋というのが正式な地名です。
しかし、谷町4丁目が交通要所点になっています。
なるほど大阪には河川が多かったためか「・・・橋」が多いのです。
私は毎月必ず映画を楽しむことにしていますが、
参勤交代を題材にした武家映画では、プロットの要には、
極めつけの橋が登場してきます。
私には、この二つの橋が今も残っていたことに驚きました。
長い木造だけの橋と、かづらでできた吊り橋です。
かづら橋は、わがふるさとの吊り橋ですから、
あそこでの撮影がロケだったのか、あるいはもうはやCGなのかは、
素人の私には分かりませんが、かづらという蔦橋が今なお健在なら、
これは今後も残しておくべき橋ですが、
「安全対策」的には存続のための「安心安全設計」が必要でしょう。
神社の参道を歩むには、「端」を渡る作法があります。
それは真ん中の賛同は「神」の道になっているからだそうです。
私は、はし=橋と端との歩み方には日本の伝統的な美学があります。
参勤交代を命ぜられた貧乏小藩の目覚ましい創意工夫と
忍び者との対決や、参勤交代により、各藩は大出費に苦しみ、
江戸への参勤交代が地方の文化を江戸でも開花させた武家作法。
コメディ仕立てになっていますが、その命令背後の仕掛けなど
私はいつもながらに楽しむことができました。
そして、江戸と参勤交代、侍と忍びの矜持正しさが、
「長い木造の橋」と「蔦の吊り橋」という江戸時代の技術を
私たちはこれからも残していくことが出来るのだろうかということ。
まさしく、里山発想や鄙=地方と中央との政が、
あの時代であっても、「民のため」への正当性こそ、
やはり「ありのまま」を私たちは継承させ得る能力の有無でしょう。
昔形式の継承性こそ、現代の技術知恵が求められているわけです。


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